アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

慈善行為を帳簿に記録する

2019-06-16 06:49:33 | 道教
◎木の神様、土の神様

慈善行為を帳簿に記録するとは、功過格のこと。今日行った悪いことを借方に善いことを貸方につけていく。差引で善いことが積み上がれば、天に功徳を積み上げるということで、19世紀末に中国を旅行したイザベラ・バードもこれが広く中国に行われていることを見聞した。

厳密に言えば、見返りを期待して道徳的な行為・善行を積むのはアウトである。それでもそれを何も知らずに真似をする人の中に真理に到達する人もいるのだろうと思う。

イザベラ・バードが四川省に入った時に上流階級の女性は纏足だったのだが、彼女らは、欧州と中国の信仰の違いを問われて、「欧州の神は木の神様、中国の神は土の神様」と神像の素材で回答してきた。信仰の本質は難しい理屈ではないらしいが、こういうのはどうか。最近の中国は黄金色の仏像が多いようだ。

また当時欧州人が中国人の前で世界地図を広げると、「西洋人は、自分たちの神様を誤魔化すために、中国をこんな小さくしやがった」などと中国人は陰口をたたき、イザベラ・バードをして中国人の自惚れはひどく、その無知さ加減は耐え難いなどと言わしめている。

こうしたレベルの中華思想には、国際協調という視点はないが、それは、今も変わっていないようだ。

無神論社会も70年以上続くと、どうしても人間の来し方行く末の方面は、相当な中国人インテリであっても、迷信レベルにあることが多いのは致し方ないが、そうしたレベルを実質無神論の日本人だって嗤えるものではない。
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女丹 女の悟り-3

2019-01-09 05:37:13 | 道教
◎オルガズムを生涯一度も体験したことがない女性が多い

ある日、ダンテス・ダイジがとある喫茶店でとても静かなバイブレーションを放つ女性がいることに気がついた。

そのバイブレーションが起こる原因は、彼女のオルガズムにあると彼は言った。世に夜のむつ言を交わす男女は多いが、女性がいかに十分なオルガズムを得ることが稀なことよ。

その事情は、単身世帯が増え、結婚する人が減り、4割がおひとりさまで暮らしている現在では、更に悪化しているのだろう。

エロスとタナトス、性と死を語る識者、マスコミは多い。だが死を語るのでは本も売れずアクセス数も増えず、コンビニに並ぶ本の主流はエロ系である。紙メディアでもwebでも男性の性的満足の視点で書かれるものばかりで、女性の性的満足で書かれるものは女性週刊誌の一部くらいのものではないか。

黙示録では、世の終わりの原因は叫びであって、平たく言えば、自己実現しないことへの欲求不満と男女の性的欲求不満から来るものが叫びとして表現されると思う。性的欲求不満はより女性において問題は大きい。

世界平和は夫婦の和合からという古いスローガンもそれを暗示している。

ウーマン・リブ、女性解放運動は、いろいろな側面はあるのだろうが、昔は性倒錯とされていたレズビアンが、LGBTとして公認されるという逆流を見ている。

だがそれは、本来の課題である女性のオルガズムの実現とは何の関係もない。

女性の悟りの位置づけは、女性にとってのオルガズムの位置づけと切り離せないところがある。

女性のオルガズムの問題では、オルガズムを生涯一度も体験したことがない女性が多く、“女性のオルガズム”をまともに議論するのがとても難しいという側面がある。

それは男性の側の問題でもあり、社会全体の問題でもある。
この議論は、世情大いに誤解を招くだろうが敢えて出さざるを得ない。


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女丹 女の悟り-2

2019-01-06 06:49:24 | 道教
◎太陰煉形で月経を止める

道教では、男性は射精を止めて太陽煉氣で気を用いる。女性は月経を止めて太陰煉形で、血を気に変える。月経を止めるのは斬赤龍(太陰煉形の主目的。月経が止まった後は男性と同様の冥想法となる由)と呼ぶが、その過程で乳房は小さくなり童女のような身体に戻るという。男性への性転換はしない

さて仏教における女人成仏の代表的な話は、法華経提婆達多品で、8歳の龍王の娘が、大神力(超能力)により、公衆の面前で性転換を遂げて男性になり成仏したエピソードである。

月経が止まるようになりホルモンバランスが崩れると、乳房が小さくなるようなことはあるのだろう。
それにしても女性の肉体は神人合一に耐えられるものなのだろうか。

スピリチュアル・シーンでは、女性はチャネリングの媒体として登場してくることが多いが、成道のエピソードはほとんどない。数少ない道教での女性成道者としては、孫不二が代表的だが、そのエピソードを見ると男性成道者と遜色ない境地であると思う。

女性の内丹を研究するのにどの書物が本当らしいかということの他に、誰が真の成道者であるかという点と、本当に男性並みの神人合一を目指す女性が多かったのかという視点は捨てることはできない。

法華経では、女性の成仏を強引に性転換エピソードとし、女性が男性と同様の死を賭したニルヴァーナへの進む道をあきらめさせようとしたふしがある。それはなぜなのか。

そのあたりに、プロセスとテクニックに行く前の、女性の覚醒、女性本来の人生の目標が隠れているように思う。


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女丹 女の悟り-1

2019-01-03 07:12:11 | 道教
◎女丹合編通俗序

先日、久々に神田神保町に行って、新刊の『煉丹術の世界/大修館書店』が平積みされていたのを買った。

その中に女性の悟りについてヒントとなるようなことが書いてあった。

女丹合編通俗序:
『男の命(生命エネルギーの源)は、炁穴(下丹田)の中にあり、女の命は乳房の中にある。・・・男は精を作り、その色は白く、名づけて白虎といい、女は血を作り、その色は赤く、赤龍という。』
(上掲書P238から引用)
【該当部分の原文:男命在炁穴中女命在乳房中、男以腰爲腎女以血爲腎、男爲精其色白名白虎、女爲血其色赤名赤龍。】

下丹田は、スワジスターナ・チャクラ

更に、
『男は先に本源を煉成してその後に形質を煉成するが、女は先に形質を煉成してその後に本源を煉成する。

男の陽気は下へ漏れていき、女の陽気は上へ昇っていく。

男は修練すると精液が漏れないようになり、これを「白虎を降す」という。女は修練すると経血が漏れないようになり、これを「赤龍を斬る」という。

男の精液は逆行して(上に昇ることで)神仙となり、女の経血はまっすぐ上へ昇って心竅(中丹田)に帰っていく。』
(上掲書P239から引用)
【該当部分の原文:
男先煉本元後煉形質、女先煉形質後煉本元、男陽從下洩、女陽從上升、男修成不漏精謂之降白虎、女修成不漏經謂之斬赤龍。
男精逆行而成仙、女血直騰歸心竅。】

以上は、男性はスワジスターナ・チャクラ(下丹田)をスタート地点として、サハスラーラから出神を目指す一方で、女性は、乳房にある気の中心から胸のアナハタ・チャクラを目指すということを述べている。

要するに男性は、体外離脱からの昇仙、つまり天上(中心太陽)に遊び帰って行き、死の世界の至福(坤徳)を味わうことを目標とする。それに対して女性は、ハートの充足、満足が最終的なゴールであるとしている。

求道というのは、おおむね人間からの超出だが、女性の場合は、必ずしもそうではないと言っているわけである。

原文では、これに続いて【男七蓮難放易收、女七蓮易放易收。男修曰太陽煉氣、女修曰太陰煉形、男曰胎女曰息。】とあり、

男の7チャクラは、開くのは難しいが、閉じるのは簡単、女の7チャクラは、開くのも閉じるのも簡単ということだろう。

これは、女性はスワジスターナ・チャクラがもともと開いている(肝が据わっている、できているということ)が、男性は閉じており開く努力をせねばならないということだろう。 

また一般論として、中途半端にチャクラが開くのは百害あって一利なしとされる。
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呂洞賓が櫛を売る

2018-12-09 06:37:06 | 道教
◎聞く人たち全てが出鱈目だと言う

朝鮮の神人姜甑山の語る呂洞賓のエピソード。

『一五二、又、言われるに、私のことは、呂洞賓のことと同じであると。

洞賓が自分に因縁のある者を求めて、長生術を伝えようとし商人に変装して、街路で大声で呼んで言うに、

この櫛で髪をとけば、白髪が黒くなり、曲がった腰が治り、衰えた気力が強壮になり、老いた顔が若返るが、この櫛の代金は千両であると言うと、聞く人たち全てが出鱈目を言っていると相手にしないので、

洞賓がある老婆に試験すると、果然その言葉どおりになった。

それを見た皆が、その時に初めて争って集まったが、洞賓は遂に昇天していたと。』(回天の聖者/姜甑山先生顕彰会P148から引用)

長生術とは、有限の年齢のことではない。今ここのことであり、時間のない世界のこと。

白髪が黒くなり、曲がった腰が治り云々は、その程度のことはできるが、それを問題にしているわけではないということ。

千両とは全財産を差し出せということであって、カルト風の物言いだが、すべてを差し出さないとそれは起こらない。すべてを棄てることを死と呼ぶ。

功利、メリット・デメリットで判断して確かだったから飛びつくというのでは、道の成就は覚束ない。何の見返りもなくすべてを棄てる準備ができた者だけが呂洞賓に出会える。
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顔真卿

2018-09-04 05:40:24 | 道教
◎刀圭碧霞の仙丹

顔真卿は、唐末の書家にして、忠臣の鑑。
開元年間に進士に挙げられ、その後監察御史となった。

徳宗皇帝の時、大梁の李希烈が反乱を起こした。顔真卿は、皇帝の命により問罪の死者として李希烈の下に行くことになったが、知人たちがこの役目は生きて還ることが難しいことを察して、長安の東の長楽坡にて送別の宴を開いた。

顔真卿は、酒に酔って語るに、「自分は、先年陶八々という道士に遭って、刀圭碧霞の仙丹を授けられそれを服用したため、今日まで達者である。

だが、70歳の時に災難に遭って一命を失うことがあるが、再び蘇生し、その後の運勢はすべて皆大吉である。

皆さんには羅浮山で再会しましょう」と。

※羅浮山:広東省増城県、1296m。道教でいう十大洞天の第7洞天に当たる

翌日出発したが、果たして顔真卿は李希烈に捕らえられ、再三の帰順の誘いにも乗らず、唐皇帝への忠心を曲げず、結局縊殺せられたという。

刀圭碧霞の仙丹とは、外丹か内丹かはわからない。
中国の仙人譚は、社会生活と精神世界の両立という点では、精神世界だけに偏したものが多いのだが、顔真卿は、それまでの人生を社会生活に重心を置き、いよいよこの事件を契機として再誕することを見ていたのだろう。

中国で貴顕になるのは、こういう末路をたどりがちだが、彼は求道者としてその生を全うしたということになろう。

呂洞賓王重陽も進士に及第しなかったというのは、中国での求道生活の一つのポイントではある。
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鍾離権

2018-08-12 05:16:54 | 道教
◎敗戦後に流浪す

鍾離権は漢代の大将軍。チベット軍(吐蕃)との戦闘に敗れて、深山を彷徨していたところ、頭髪を振り乱し草の葉を綴った服の怪しい山僧が現れ、彼になれなれしく言葉をかけ、一緒に六里ほど行ったところある山荘に至った。ここは昔東華先生が修行して仙道を得られたところだから貴殿も休んでいった方が良いと言うとかき消すようにいなくなった。

鍾離権が山荘に近づくと、白鹿の衣を着た一人の仙人が近づいてきて、『貴殿は漢の大将軍鍾離権ではないか。なぜそんなところに立っている。早くここに入って来ないか。』と言って門内に引っ張るように入らされた。

仙人は彼をいろいろ手厚くもてなした上に、長真訣と金丹火候の法と青龍剣の使用法を授けた。

※東華先生
中国の神話上の仙人。西王母に対応する。西王母が女仙を統率するのに対し、東華先生(東王公)は男仙を統率する。
※長真訣:不老長生の秘訣か。
※金丹火候:内丹

慮外の歓待を受け、仙術の奥義を伝授され、謝してこの山荘を出ると、不思議や山荘も仙人も忽然として消えた。


食料事情が厳しく、現代中国と同様に思想犯の取り締まりが厳格な漢代だったのだろう。
また内丹とか不老長生といっても何のことか想像もつかない人々に、内容を詳述することは百害あって一利なく、呂洞賓の師匠鍾離権であっても、こんな平板なエピソードしか残さないのが中国風ではある。

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99パーセントは、ロボット、もしくはブタ

2018-07-29 06:06:24 | 道教
◎本物のブタ

自分がブタ小屋から出たブタであることは知らぬが花。だがブタであることに気づいたら本物のブタになるしかない。

ダンテス・ダイジの未刊行の老子狂言の最後から2番目の詩を引用。

『格言5

知らぬが花なのよ、
少なくともブタ達にとっては。
言い古された言葉だが、
民主主義も共産主義も、
衆愚政治に他ならない。
不幸は、
ブタをブタ小屋から出したところから始まる。
現在の人間進化のステップでは、
99パーセントは、ロボット、もしくはブタである。
現文明の崩壊は、とっくの昔に始まっている。
そして、それは逃げるすべのない宇宙的テストでは、あるのだが・・・

ところで、ブタが本当にブタであり、
ロボットが本当にロボットなら、
それはそれで素敵だ。
賢者といい聖者といい超人というも、
結局、本物のブタでありロボットであることに違いはない。
老子よ、あなたは何という俗物なのか!
他のありとあらゆる者と同じように。

産まれて生きて死ぬというのに、
君は
この上、何を問題だというのかね?』

自由な石屋さんものを読むと、現代の大衆は、洗脳された奴隷だったり、マインド・コントロールされた子羊であるというように描かれている。

誤解を恐れずに言えば、洗脳される側と洗脳する側とに大した違いはない。

どうして自分はブタ小屋から出てしまったのだろうか。どうしてアダムとイブは楽園から追放されてしまったのか。

この時代は、人を効率的にブタにするシステムが発達、完備していて、ブタ王なるマスコミが四六時中提供するニュースに、民主主義的なあるいは共産主義的な教育カリキュラム、個人の人権を先験的に認める神なき私権擁護の法体系、そして人間とは肉体人間であるという大前提を疑わない現代科学と、あらゆるブタをブタ小屋の外の柵から逃さない工夫がこらされている。

最近は、世界中ほとんどの人がスマホを持って移動するようになり、スマホこそは窮極のブタ管理マシーンである。スマホを持つ限り、ブタはブタの悲劇から逃れられない。

そうした時代も長くは続くまいが・・・。

最近の洗脳手法はすごい。人を覚めた意識のままでトランスに入らせることなく、言うことを聞かせてしまう。これがアメリカ流の実験心理学の成果というものなのだろう。

意識の側の洗脳と無意識の側の洗脳を効果的に組み合わせれば、人は見知らぬ第三者に金も渡すし、人も殺してしまう。それがオレオレ詐欺であり、オウムの洗脳でもある。
意識の側の洗脳と無意識の側の洗脳のサンドイッチとは、かくの如く恐ろしいものだ。

こうして人はロボットとして生き、ブタとして生きる。意識の側の洗脳とは、偽情報や情報の一部や都合の良い情報しか出さないこと、情報操作。
無意識の操作とは、最初直接本人には関係のない情報として与えるが、恐怖・驚愕・意表をつくなど情動を揺り動かして、本人が判断する時に大きな要素として働く暗示。

さて99パーセントの先には一厘の仕組だが、それは1%の側の話なのか、99%の側の話なのか。


この詩は、ネットで出回っている老子狂言では、最後の詩だが、原作ではこの後ろにもう一つ詩がついている。
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孫登

2018-07-22 07:11:52 | 道教
◎竹林の七賢の嵆康、讒言で死罪となる

古代中国の隠者孫登字は公和は、汲郡北山の岩窟に住み、夏は草を編んで衣とし、冬は髪を解いて振り乱していた。

平生易経を好み、暇があれば一弦琴を弾じて無聊を慰め、山の崖や水辺にて吟詠長嘯を好んでいた。

性格は極めて寛容で、喜怒の色を顔に現すことはめったになく、例えばふざけて水に突き落とされても、少しも怒る様子もなく却って大声を上げて笑っていた。

三国時代の魏の竹林の七賢の一人である嵆康は、孫登につき従って三年ばかりいた。時々彼にその志すところを尋ねたが一向に要領を得なかった。だが彼の一挙一動を見ていると、何となく俗気を超越して、神気自ずから顔に溢れていたことは感じられた。

さて三年たって孫登の下を辞するにあたって、「今生の思い出に一言の教えを承りたい」とお願いした。

すると孫登は、
「あなたはあの火を知っているか。火はもともと光を持っている。けれど常に光を使用してはおらぬ。何か光を求めるようなものがあって後、初めてその光を用いる。

人もこれと同様に、生来才というものを天から付与されている。しかし賢才はその才を蔵していて、何か時機が来ないと用いない。

火が光を用いる時はまず薪を求めなければならない。薪はその光を永く保存しておく所以のものである。これと同じく、人が才を用いるためにはまず物の道理を知究めなければならない。物の道理を知究めるということは、長くその生命を安全にする所以である。」と。

嵆康は、さらに琴の技の伝授も頼んだが、孫登は、これを許さず、「貴殿は才に富んでいるが学識がまだ足らない。それで時とすると不慮の災いにかかって百年の命を縮めることがあるから、よく注意した方がよい。」と言った。

後に嵆康は、讒言により死罪となった。

古今を問わず、洋の東西を問わず、政治にからむと百年の命を縮めるようなことに会いがちである。

ここは、孫登が立身出世へのアドバイスをするはずもないので、政争に巻き込まれないように地味に生きて、冥想修行をすべきだろうと助言してくれたのだろうと思う。

嵆康は、当代随一のインテリだったが、それに対して、学識が足らぬ、物の道理を知究めていないとは、道を得ていないということ。

人は、自分の内側に入っていくためには何度も失敗せざるを得ないが、その途次で嵆康のような遭難もあり得る。
だが唐代の仏教禁令後の禅僧は山に隠れ、文化大革命以後の求道者も台湾に出たりしたように、修行者は、世の嵐をやり過ごさなければ、その一生の目標は果たせまい。
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不老長生

2018-07-21 06:36:31 | 道教
◎嬉しさの極み・悲しみの極み

日本人の寿命が80歳を越え、介護負担が国民的課題となり、ようやくただの長寿が幸福と同義でないことが知られるようになった。

中国古代の神仙伝説を読むと、俗人が仙人に出会って長生の術を授けてもらい、天上などで歓楽の日々を数日あるいは、数時間送る。そろそろ故郷に帰ってみようかと思って、帰宅してみるとなんと彼の出発から200年も経っており、かれを知る縁者は皆亡くなっており、子孫か古老が彼のことをかろうじて言い伝えで聞いておった、という話が多い。

長生そのものを得ることは難いのだが、たとえそれを得たとしても、それを地上に持ち帰ることなどできない。長生そのものに人間的幸福はないということを示しているのだろう。

それと中国の屍解・昇仙。道士は、最後は金丹を得て屍解し、仙人として白日昇天するのが、これのワン・パターン。だが俗世と比べて昇仙がどのように幸福かという説明はしない。

OSHOバグワンも大悟の実感としては、幸福感の極みと同時に悲しさの極みがあることを『黄金の華の秘密』で明かしている。ダンテス・ダイジも何兆倍ものうれしさと同時に悲しくて悲しくてどうしょうもない、何兆倍もの悲しみという実感であると述べている。

中国は古来民が生きるにはあまりにも厳しい生活水準であり続けてきた。そうした明日の糧をまず思い煩う民を相手に、嬉しさの極みと悲しみの極みが同時に起こるのが覚醒であるなどと説いても全く説得力はなかったろう。

スマホで情報武装した論理的思考の現代人に対して同じことを説いても同じような反応になるだろう。果たして人類は進化しているのだろうか。

古代中国の民が乗る渡し船に余りにもみすぼらしい身なりの人が乗ろうとするのだが、その身なり故に渡し船は乗船拒否する。
ところが乗船拒否されたボロボロなファッションの人は徒歩で川の上を渡って行くので、実は仙人だったということがわかるという話もよく出てくる。

精神的価値を理解する社会というのは、まず食えなければならないが、それだけであってほとんど先に行けていない社会が日本社会だと思う。
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印堂の秘密

2018-07-15 06:35:03 | 道教
◎光が凝結して法身となる

西郷隆盛も維新の元勲らもみんな漢文素読で初等教育をスタートした。四書五経や老荘は普通に読んでいる。医学も医心方以来の中国伝来の医学だった。

そんな中に鍼灸の経絡がある。手元の経穴マップでは、大周天でおなじみの任脈、督脈も示されている。また金面玉掌という人相の本を読むと頭部顔面の部位名が経絡によるものであることがわかる。

代表的な十四経を頭頂で吊るすとすれば、それはしぼんだ傘の骨に似る。これが半物質であるエーテル体の形状であると示したのがダンテス・ダイジ。

世の中に霊が見えると称する人は多いが、3つある微細身をきちんと見分けられる人はほとんどいないのだろう。ルドルフ・シュタイナーもメンタル体については不分明だった印象がある。

太乙金華宗旨の第二章では、人が胎内に入る時、目と目の間の方寸に元神(アートマン=本来の面目)があり、下方の心臓?に識神(個別ボディ)があるとする。

目と目の間の方寸(一寸四方)は、経穴マップや人相学では印堂と呼ばれ最重要とされる。

方寸とは、アジナー・チャクラのことであり、この中の「真意」は動ずるものではないが、動ずる場合は、精妙ではなくなる。だが、この精妙なるものは、死する時もまた動ずるものであるが、これもまた精妙ではないと。

翻って最も精妙なものとは、光が凝結して法身となり、だんだんと神秘的エネルギーが浸透し、欲念すらもコントロールされること。
これぞ千年来伝えられたことのない秘伝である。


このように太乙金華宗旨では「法身が形成される」ということを漠然と示唆するが、後代の慧命経では一歩進んで体外への出神イラストにまで秘伝が明かされている。
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アニマとアニムス

2018-07-14 06:18:40 | 道教
◎純陽へ

OSHOバグワンは、黄金の華の秘密の中で、クンダリーニ・ヨーガは、もともと動いているものを止めようとする技術であるから不自然であり難しい。これに対して大周天は光を回す技術であり、もともと動いているものを動かす技術だから自然であるというようなことを言っている。

確かにクンダリーニ・ヨーガでは、聴き守る見守るというのはある。
だからと言って回光の方が簡単だなどということはない。

太乙金華宗旨では、左の目と右の目に当てるものとして、第二章元神・識神において、魂と魄を出して来ている。

元神とは本来の面目だといきなりわかりやすい禅的解説が登場。これに対して識神とは、元神を全体であり上とすれば、個であり下であるので、より肉体や現象な部分を謂う。


ここで太乙金華宗旨の二元的人間観を整理すると

元神・・・識神
全体(アートマン)・・・個(コーザル体以下)
魂・・・魄
陽・・・陰
精神・・・肉体
男性・・・女性
生・・・死
アニムス・・・アニマ
天国・・・地獄

人間は、肉体(魄)を持つ以上は、物質、時間、空間という制限から逃れることはできない。だが、人間の主体は、意識(魂)であり、それに付随してボディ(魄)は姿を変えていく。

これにより、呂洞賓は、回光(大周天)とは、魂を錬って魄をコントロールするテクニックだと規定する。魄を消し魂をパーフェクトにするだけのことだと。

第二章元神・識神の最後の部分。
『一にして霊(くしび)なる真性、既に乾宮に落ちれば、便ち魂魄に分かれる。

魂は天心にあって、陽なり。軽清の気なり。これは太虚より来たり。元始と同形なり。

魄は陰なり。沈濁の気なり。有形の凡心に附く。魂は生を好み。魄は死を望む。』

魂は軽清の気とは、クンダリーニのエネルギー・コードのことか。

呂洞賓は、ここで魄なる陰は、ほっておいて何もしないと陰のままである。つまり引き寄せとか現世利益ばかりやっていると、生きていても死後も、いつまでも神・仏・道にはたどり着かないとする。だが修行者が陰なる魄を錬りつくせば、これを純陽に転換できるとする。

純陽とは、天国と地獄の結婚の一表現である。
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Odd Eyes

2018-07-12 05:37:29 | 道教
◎太乙金華宗旨冒頭

先日道端で白い野良猫を見た。その野良猫は遠くから何回か見かけたことがあるのだが、偶然にも数メートルの距離から正面から出会った。するとその猫の目は左右の色が違っていた。

これがOdd Eyes。初めて見るような気がして、神秘的なインスピレーションを触発された。

太乙金華宗旨では、道は名も相もなく、天光にシンボライズされるが、見ることはできない。これが両目の間にある。

OSHOバグワンは、左目は男性であり陽、右目は女性であり陰。両要素が合体して天光が起こるとする。その合体時に爆発が起こり、老子もゾロアスターもそれを指摘しているという。

この時、プロティノスは一者になると表現し、道家は、太乙になると表現する。人はここで神になる。

この近代西欧文明は男性を強調しすぎる文明であり、最後は今の時代のように反作用として『女がはばる』(出口王仁三郎)時代になった。

またこの時代は、人間心理の1割にすぎない意識(男性)偏重で、9割の無意識(女性)抑圧の時代でもある。その中間に天光(道(タオ)、元神)がある。

この天光のことをその見かけから金華とも称し、古神道では日の出などとも言う。
そして金華には、一つの光が隠されている。
『水郷の鉛はただ一味なり』と。

なお、この大周天の教えは上根の人々のための教えであって、誰もがトライすべきものではないのだ。

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虚室生白

2018-02-20 03:30:46 | 道教
◎道は虚に集まり、虚こそ心斎である

荘子の内篇人間世篇では、孔子が弟子の顔回の冥想のやり方について注文をつける。

顔回は、孔子に心斎とは何かと問うと、孔子は、アートマンたる『気とは、虚しくして物を待つものだ』(この『気』は一気の意味にて個別性の分化以前)とし、『道は虚に集まり、虚こそ心斎である』と答える。

さらに孔子は、『あの闋(むな)しきものを見れば、虚室に白を生ず。吉祥は止に止まる。』とする。

はニルヴァーナであるので、虚はアートマンと読めば、『道は虚に集まる』というのは、無と有の関係性を示すと解く。

『虚室に白を生ず』とは、アートマンたる本来の自分に居れば、白で表象されるあらゆる肯定的なものが発生する。

『あの闋(むな)しきもの』とは、道=ニルヴァーナのことだろうと見当がつく。そこで不退転の善と至福を吉祥と評す。
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命と性

2018-02-15 05:37:13 | 道教
◎修行者も人間

道教内丹家では、命と性という、命は身体・生命であり、ボディの側。性は、心・精神の側。

肉体・エーテル体と精神・心は日夜相互に影響を与え合っている。

だが、内丹家は、最後に元神は、肉体を離脱して昇天する主体とし、同時に元神は、あらゆるものが一つながりである、元気=一気=アートマンであるともする。

肉体からの離脱があることを思えば、体外離脱時には、心・精神は残っているが、肉体との連動は絶たれている。

命と性と言う場合、命=ボディの側は、肉体からエーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体と遷移することを見れば、性(心・精神)の乗り物と例えるのが妥当である。

ただし、元神という用語は、最初は個々人としてボディに乗るが、最後は、もはや個性のない一気未分の元神(ア―トマン)に回帰する。

内丹修行者も微細身での火水のコントロールだけでやっていけるわけでなく、衣食住の手当て、呼吸法(気功)、柔軟体操(導引)、食事コントロール(菜食)など、ロハスな生活全体が修錬そのものになっている。

中国では、こうした無数の修行者の伝統から老子、荘子、列子、呂祖が出て、現代に至るが、共産中国初期には迷信の打倒と称して、宗教各派は徹底的に破壊・弾圧を受けたので、道統を継いだ人たちは、台湾などに流出したであろうと言われている。

特に親子でも批判しあった文化大革命のやり方は、まともな修行者であればあるほど大陸では生きられないと感じただろうと思う。
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