アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

一つの肉体に複数の魂

2019-08-08 05:10:24 | エクスタシス 夢の夢なる
◎OSHOバグワン説

一つの肉体に複数の魂があり得ることをOSHOバグワンも語っている。

彼は漠然と人間全体はマンツーマン輪廻転生であることを仄めかし、普通の人は、チベット死者の書に見るように、死後何百組の人がセックスしているのを目撃し、その場で次の転生のための適当な子宮を決めるとする。
ところが、特に優れた魂と特に劣った魂は、適当な子宮がみつかりにくく、そうした場合に、転生先が見つかるまで『肉体なしの魂』が発生する。

ところが、劣った魂ほど肉体にまつわる食欲、性欲などが旺盛なものだから、隙あらば空いている肉体になんでもいいから入り込もうとする傾向がある。

さて、ここに臆病な人がいて、やたらに恐怖する。幸福だと、人は膨らむが、恐怖すると人の魂は縮まる。すると肉体の大きさはそのままに魂は縮むので、肉体の側に魂が入り込む空っぽの間隙ができる。(肉体もアストラル体も別次元だが、これは何を意味するのか?)

この隙間に一つでなく、複数の劣った魂が入り込むことがある。

よってOSHOバグワンは、臆病な人間は、いつも縮み上がっているので、よその客に母屋をいつでも乗っ取られる可能性があり危険だとする。
(参考:死・終わりなき生/OSHOバグワン/講談社P143-144)

この実例は、霊がかりものを読んでいくと、霊に憑依されて無茶苦茶な大食いや乱倫を繰り返す行者や身体の弱い人の話が時々あるものであり、特に違和感なく納得できるのではないだろうか。

また厄介なことに憑依した魂が霊能力を発現させることもあるのも知られている。
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空海の死

2018-10-19 03:28:45 | エクスタシス 夢の夢なる
◎肉体を残す

空海は、亡くなる三年前から、五穀断ちをしている。832年12月12日に「深く世味を厭ひて、常に坐禅を務む」となり、五穀を食べないで、メディテーションだけをやる状態となって、残り2年ほどを過ごすのである。

こうして冥想三昧の2年が経過し、835年の正月に水や飲み物も受け付けなくなった。困惑した弟子たちは、なおも水や飲み物を勧めるが、空海は、「やめなさい、やめなさい、人間の味を使わないで下さい」と峻拒する。

十万枚大護摩供でも、断水七日が限度であるが、空海は3月21日に亡くなるまで、凡そ2か月、これを続けるのである。

熟達したクンダリーニ・ヨーギは、肉体を変成して「霞を食べて」も生きられるものだというが、水分をとらなくなる正月の時期には、既にそういう肉体に変成し終えていたのだろう。

あれだけ超能力を使いこなせる空海のことだから、肉体の変成などはお茶の子だったのだろう。最後の数年を冥想に生きたのは、一流の神秘家として当然の生き方だったのだろう。列仙伝などの仙人を思わせる行状ではある。既に肉体に執着なく、アストラルな生き方が中心になっていたのだろうか。

3月21日に右を下にして亡くなるのだが、空海としては、肉体を残す死に方を選んだということになろう。水分も取らずに生きられるのだから、やろうと思えば屍解もできただろうが、殊更に肉体を残して死んで見せたところに、空海の意図を感じる。
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空海の死亡予告

2018-10-18 00:11:23 | エクスタシス 夢の夢なる
◎スピリチュアリストの作法

超能力を使えるイエスがその予見された磔刑を回避しなかったり、他人の病気治しは結構やる出口王仁三郎が、自分の持病は治さなくて、卒中か何かで死んだり、親鸞の死には奇瑞は起こらず、超能力者や有名宗教家の死は時に物議をかもす。

空海の死もそうしたものの一つ。
宗教に何かあるとか、超能力に何かあるとか期待してはいけない部分がここにある。


空海が亡くなる6日前に書かれた空海御遺告によれば、

1.真言の法は、大日如来、金剛薩タ菩薩、龍猛菩薩(三祖)と伝えられ、唐の不空で6代目、恵果が七代目で、空海は8代目で、いずれも師匠から弟子へ師資相伝されてきた教えである。
2.高野山は、自分の冥想(入定)の地として、朝廷よりもらい受けた。
3.832年11月12日より穀類を摂るのをやめた。私はもともと100歳まで生きて仏法を護持しようとも考えていたが、835年の3月21日の午前4時に逝去することにした。62歳である。

師匠から弟子へ師資相伝は、クンダリーニ・ヨーガでは当然の作法。クンダリーニ・ヨーガでは、一対多のいわゆる大衆仏教的な伝法はあってはならない。秘密にされないと危険だからである。

冥想の場所として高野山を選定したこと、逝去日に春分付近を使っていること、そして穀断ちをして肉体改造(あるいはエーテル体改造)を数年前から行っているのは、まさしくスピリチュアリストの作法である。

高野山では、バスに乗るといきなり観光案内アナウンスが流れて他との違いを感じさせられるものだが、高野山は観光地ではなく、もともと冥想の適地として選ばれたのだから、一本坐って空海の臨在を感じるのが本当は望ましいのだと思う。
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死と現代文明のウィークポイント

2018-10-17 05:15:38 | エクスタシス 夢の夢なる
◎既定路線からのズレ

これまで、死を受容し、マンツーマン輪廻説の妥当性を検証し、輪廻の主体と死のプロセス、死からの復活、そして肉体乗り換えから屍解まで語ってきた。

現代文明のウィークポイントとは、死と向き合わず、死を無視し、死がまるでないかの如く振る舞っていることである。

現代文明とは、いわば人間はほとんど肉体のことであり、金や地位や名誉や恋愛が最優先である通念のもとに組み上げられているもの。

この文明において、神仏という体験とは言えない体験をする人は、極小となり、神仏を肌感覚として知る人は稀になり、特に日本では、深まって神仏を見たり、感得したりしようとする話題すら恥ずかしいことのように思われる、ほぼ無神論者の社会になっている。

こうした社会、こうした世界は、神仏と人とが共に生きる既定路線からすれば大きく針路をはずしたズレたルートに入っている。

これでは、個々人が日々冥想を習慣とすることで、矯正を始めないと、地球滅亡は遠くないということになる。

米中貿易戦争の勃発で、第三次世界大戦は既に開始された。戦争とは物理戦だけでなく、経済戦、情報戦も立派な戦争である。

異常な猛暑の連続や、スーパー台風の来襲、大規模な水害発生、地震の多発も現代社会のウィークポイントに対する反作用と見ることができる。

現代で客観的真理とされていることは、多くの場合、多数決によるもの。自分たちが人間の姿、自分のあり方と考えているものすらほとんどそうだ。

冥想の窮極にある自我の死の先に全体あるいは神仏との合一があり、すべてがひっくり返ると言われる。その時多数決による通念は崩壊し、人が神とともに生きる、人が一個の神として生きると言われる。

今日も空海と同行するお遍路さんは行く。「現代文明あるいは現代人のウィークポイント」のパートの最後に空海の死を上げたい。

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砕霊について

2018-10-16 05:22:20 | エクスタシス 夢の夢なる
◎肉親の親愛と死のプロセス

大本教のご神体を崑崙に返還した道人笹目秀和によれば、水難火難の死者は、砕霊になると言われる。
砕霊とは、精霊がばらばらに粉砕され、蚊、蜂、虻、蝿のような地表の昆虫や、海にあっては砂虫とか蟹のようなものに転生することだそうだ(ストップ ザ 富士山大爆発/笹目秀和P75)。

さる妄念執念を持ち続けて死んだ動物が蟻の集団になって生前狙っていた動物を襲うなど、人間の譬えではないが、類似の話は、霊異譚を探せば出てくるものである。

さて笹目秀和は、砕霊となると死後、生前のような一個の人間としての精霊で存続するのが難しいというようなことを言っている。よってバラバラになった砕霊を再結集して一個の精霊に戻す修法もあるなどと説明している。

キリスト教、ユダヤ教に輪廻転生はないので、そもそもこうした議論は成り立たない。

チベット死者の書の死のプロセスの流れでは、人は必ず原初の光に戻って行くのだから、砕霊となろうがなかろうが、問題などないと考えることもできる。

肉親への親愛という点で砕霊は問題となるのだろうが、このように死のプロセスを見れば、そんなに慌てる話でもないような気がする。

砕霊を忌む人がいる一方で、海洋散骨や空葬もある時代となった。
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出口王仁三郎の尸解論

2018-10-12 03:13:51 | エクスタシス 夢の夢なる
◎自然の法に従う尸解など

出口王仁三郎が尸解を論じている。

『虎、狼、猪、熊、狐、狸など野山に住む獣類、さては鳩、鳶、烏、雀の鳥類に至るまで、死骸と云ふものを此土にのこさぬ。

人に殺された場合は別だが、自然に死んだこれ等の屍と云ふものを誰も見た事があるまい、此等の動物は一定の時が来ると、尸解の法によつて体をもつて霊界に入つて仕舞ふのである。

これ皆神様の御恵によるもので彼等が死して醜骸を此地上に残す時、誰も葬式をして埋めてやるものが無いからの事である。それに彼等には欲と云ふものがないし、執着心も何もないので、実際綺麗なものである。』(出口王仁三郎随筆集水鏡の尸解から引用)

さらにこれを前提に、
『加藤『尸解(しけ)の法についてお伺い致したいのですが』

出口氏『ガット虫が蝉になるのもみな尸解の法である。

ガット虫に羽が生えて変わるだろう。麦の中から虫が発生(わ)いて蝶になる。これもみな尸解の法だ。天狗になったとかいうのは人間のうち尸解の法によってなったのだ。

鳥などは自然に従っているから何でも出来る』

加藤『尸解の法によって霊界に入る以外に霊界に入ればそれらの血液はどうなるのですか』

出口氏『鶏なんかは大抵食うようになっているから、殺された時に霊が抜ける。それが霊身を作って、鶏なら鶏になっている。

人間の体は死ぬと血が黒うなってしまう。霊のある間は霊が流通させているけれども、霊が抜けてしまうと肉体の中に入ってしまう。

滓(かす)が残っているが血が血管の中を廻っているのは霊が動いているからで、人間の血は霊なのだ。

霊が入っているから赤い。霊がなくなってしまったら、水分が体内へ吸収されてわからんようになる。

静脈血は初めから黒いが、本当に良いやつは融和してしまう。水気が屍体と一緒になってしまうのだ。血液は元通りあるのだけれども、屍体の中に一緒になってしまうので分からなくなってしまうのだ。霊というものは形のないものだから、形のないものが血液の中を廻っているから赤いのだ』』
(『出口王仁三郎全集第二巻第四篇P370-371から引用(国会図書館デジタルアーカイブにあり))

以上は、動物も含めて普通に屍解があることを指摘している。血液は霊だとは言っているが、七つの身体論でいえば、血液といえども物質レベルだから、血液についてはOSHOバグワンはほとんど気にしていない。チベット死者の書でも血液については、体液の流出として描かれてはいるが、その程度の言及だったように思う。
出口王仁三郎も霊は形がないとして物質レベルではないことを前提にしている。

覚醒から尸解に至るロジックは、通常の社会通念の外側にある。そして尸解も輪廻転生の一シーンである。

動物は、自然において屍解しようとして屍解するわけでなく、自ずと屍解する。人間はさる境地にあるものだけが、屍解が可能となる。
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尸解仙

2018-10-11 03:11:42 | エクスタシス 夢の夢なる
◎アストラルでの交流・修行
◎微細身だが、悟りをテーマにはしていない

中国の古典、真誥では、修行者が尸解仙と交流のあることが記されている。尸解仙は仙人の中でも下位の者とされているが、四平山の洞窟に集まる五人の得道者中四人が尸解仙である。

つまり尸解仙とは亡くなって肉体を持たない者であるが、そういう人と憑依の形ではなく、平気で交流しているわけである。つまり、アストラル体オンリーの存在と平然と交流して修行の助けを受けているのである。

この雰囲気は、カルロス・カスタネダ風でもある。

ここでいう尸解仙とは、完全に虚空中に雲散霧消しているのではなく、化して剣となる者、化して杖となる者、火災によって焼死した者、水によって溺死した者などがあり、また人が死んで生きている人みたいな者は皆尸解であるとする。

つまりある程度クンダリーニ・ヨーガ技で微細身のコントロールを得た人が、死してその技術を死体の処理に際して露顕させたのが屍解ということになろうか。



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縮身

2018-10-10 03:06:18 | エクスタシス 夢の夢なる
◎宗教のお国ぶり

かのチベット密教で呪殺を繰り返したドルジェタク。彼は午年の4月10日の太陽が昇ったときに、身体が縮み、天界に上ったという。

正木晃氏はボン教屈指の学問寺院であるツァンのユンドゥルリン寺に調査のため滞在していた時に、ボン教ゾクチェンの権威として高名なシェーラブ・テンジン師が真顔で、縮身は、大の大人が赤ん坊くらいの大きさに縮むものであって、実際に起こる、と語るのを聞いたそうだ。

臨終時の屍解と縮身は、チベット密教では、頻出の話題である。屍解は他宗派でも見られる。どちらも死後の肉体の姿のことであり、本筋とはあまり関係のない話ではあるが、見なければ信じない人々が多い場合には、そういうことも起こして見せるということなのだろう。

現代科学は、再現させ、第三者に見せなければ、信じない手法である。誰もが知覚がアストラル体まで感得できるようになれば、そして神知ることができるようになれば、この粗い感性を大前提とした肉体レベル、物質レベルだけを相手にした片手落ちな科学は、その権威を身の丈に合ったものに変えていくだろう。
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生娘アスパリスの屍解

2018-10-09 05:57:26 | エクスタシス 夢の夢なる
◎官憲到着前にあわただしく死す

アントニーヌス・リーベラーリスの変身物語集の第13話に、処女のまま自殺したアスパリスの逸話がある。古代ギリシアの神々は好色であって、なぜか処女であることに異常に関心を示す。

メリテー市の暴君タルタロスは、周辺の町村で誰か美しいと評判の立つのがいると、その娘を連れて来させて、結婚前に暴力で凌辱するのが常だった。

あるときタルタロスは貴族アルガイオスの娘アスパリスを連行してくるように命じた。

ところが美女アスパリスは、タルタロスの臣下が到着する前に、あわただしく首をくくって自殺した。
神はこの心根を憐れんで、彼女の肉体を消し去った。屍解である。

アスパリスの兄アステュギテースは、死せる妹の身体が辱められる前に暴君タルタロスを殺してしまおうと暴君の館に向かい、武装もしておらず、警護の者もいなかったタルタロスを殺害できたのだった。

メリテー市の人々は、この殺害を喜んで、アステュギテースに花冠を授けて町中を行列したという。

古代ギリシアの変身物語は、鳥に変身する物語が多いが、屍解もある。でもってディテールはなぜか伝承されない。
そうなるまでの熟成と修行が問題なのだが、それは門外漢が知って益はないということなのだろう。
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孫不二の屍解

2018-10-05 03:47:41 | エクスタシス 夢の夢なる
◎あるスーパー女性道士

孫不二は、金代の女性道士。全真教の開祖王重陽には、七真と呼ばれる七大弟子がいるが、孫不二はその中で唯一の女性。七大弟子の一人馬丹陽の第二夫人だったので、『二』の字があるという。

彼女は、洛陽のそばの鳳仙姑洞という洞窟に住み、髪はぼうぼうで、時に気ちがいじみた行動をとったが、既に内丹を極め、すべての竅(チャクラ)を開放し、弟子もいた。

1182年12月29日彼女は、自らの死期を悟り、斎戒沐浴し、遺偈を歌った後、蓮華座に座り、太陽が天頂に達したことを確認して後、屍解したという。

弟子にしてかくの如し。

屍解したのに棺があったのは、禅僧普化と同じ。日本では、火定はあるが、屍解は聞かないが、それは日本人の民族性の問題なのか、風土の問題なのか、いずれにしても理由のあることと思う。
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謙虚の聖者パオハリー・バーバー

2018-10-04 03:38:45 | エクスタシス 夢の夢なる
◎霞を吸う聖者

ヴィヴェーカーナンダがベナレスをめざして旅をしている時に、ガージープルで「かすみを吸って生きている聖者」パオハーリー・バーバーと知り合いになった。

パオハーリー・バーバーは、ベナレスの近郊でバラモンの両親の下に生れた。
青年時代に、彼はインド哲学の諸学派を学んだ。後に世を捨てて、禁欲生活に入り、ヨーガやヴェーダーンタの教えを実践し、そしてインド中を旅して歩いた。最後に彼はガージープルに落ち着き、その街のガンジス河畔の人目につかないところに、小屋を建て、時間のほとんどを瞑想のうちに過ごした。

そして何もしないで暮らしていた。それで人々からは、「かすみを吸って生きている聖者」というあだ名をつけられた。
すべての人は、彼の謙虚さと奉仕の精神には、感動を受けたのである。

ある時彼はコブラに咬まれた。激しい痛みに耐えながら「おお私の最愛の方からの使者よ!」と言った。

またある日、犬が彼のパンをくわえて逃げた。後を追いかけながら、「どうぞ待ってください。私の主よ、あなた様のためにパンにバターをぬらしてください」と慎ましやかに言った。しばしば彼は乞食や遊行僧に自分の乏しい食物を与えてしまっては、飢えているのだった。


パオハーリー・バーバーは、ラーマ・クリシュナのことを聞き、彼を神の化身として大変尊敬し、自分の部屋に師の写真を飾っていた。遠くからまた近くから人々がバーバーを訪ねてきた。瞑想をしていないとき、彼は壁の陰から彼らと話をするのだった。

死ぬ前の数日間、彼は家に閉じこもっていた。それからある日、肉の焼ける匂いと一緒にひっそりした小屋から、煙の立ち上っているのに人々は気づいた。』
(スワミ・ヴィヴェーカーナンダの生涯/法律文化社P95から引用)

彼は、屍解したのである。

ヴィヴェーカーナンダは、何度もパオハーリー・バーバーに弟子入りを申し入れたが、彼は最後まで弟子入りを認めなかった。

まず、コブラに噛まれても、犬にパンを奪われても、自分のことなどどうなっても自分の知ったことではないという姿勢が自然にあることに驚嘆させられる。
そして自分の乏しい食物を与えねばならない場面がきたときに、それを与えることに躊躇がなく、与えることに勇気すらも必要としていないことに真の謙虚さを見る。

最後には屍解して肉体に執着のないことを見せている。屍解の動機は、自ら解説しないので、それは一つの謎である。
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メキシカン仙人への道

2018-10-03 03:28:23 | エクスタシス 夢の夢なる
◎死の隠れた選択肢

仙人が肉体を持っているかどうかというのは、議論のあるところ。

メキシコのヤキ・インディアンの呪術師にとって、死とは、自分のエネルギーを残らず動員して、その肉体全部を、分解されない意識を有するエネルギーに変換すること。これは、屍解である。

ドン・ファン・マトゥスは、カスタネダに言う。
『おまえはこう尋ねたくてうずうずしてるのだろう。わしが言っているのは、地獄や天国へ行く魂のことなのか、と。

ちがうぞ、魂なんかではない。

呪術師が死の隠れた選択肢を選び取ったときに何が起こるかというと、彼らは非有機的存在へと変わるのだ。極めて特殊化した、高速の非有機的存在、途方もない知覚の技を発揮できる存在へと変わる。

そのあと呪術師は、古代メキシコのシャーマンたちが最後の旅と呼んだものを開始する。そのとき、無限が彼らの活動領域になるのだ。』
(無限の本質/カルロス・カスタネダ/二見書房p240-241から引用)

非有機的存在とは、アストラル体のようであるから、霊のことでもある。ドン・ファンによれば、この霊には、地球に寿命があるが如く寿命の尽きる時があるとする。

ドン・ファンによれば、死の隠れた選択肢とは、呪術師のためのものであるともいう。この変成した肉体は肉眼では見えなくなるそうだから、屍解の真相とはこれを言っているのかもしれない。またこれを持って仙人と同じかどうかという議論もできない。

エドガー・ケーシーのリーディングによれば、アトランティスの滅亡の時、アトランティスの本質的なところは、エジプトとマヤに逃避したそうだから、メキシコにアトランティス密教の正統的なものが伝承されていても不思議はない。

カルロス・カスタネダ・シリーズといえば、ソーマ・ヨーガだが、その手法そのものをいささか興味本意で知ることよりは、こうした正統な密教的世界観を現代語で語っていることのほうに注目すべきだと思う。
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禅僧普化の屍解

2018-10-02 03:15:55 | エクスタシス 夢の夢なる
◎天意を読み順う

唐代の禅僧普化の例を挙げる。彼は臨済録で知られる臨済の同僚である。

ある時普化が、「俺もそろそろ冬支度なんかで、ちゃんとした服装がほしくなった。」と言い出した。すると周りの本当に普化の価値をわかっている檀家が、きれいな衣を普化にあげるが、普化は「そんなもの駄目だ」と断る。

そうすると臨済だけがわかって、棺桶を作ってあげた。
普化は「臨済が俺の服を作ってくれた。」 「臨済が俺の服を作ってくれた。」と言って棺桶にひもをつけて、引きずりながら、村中を練り歩く。
それを見に村の野次馬が集まったところで、普化は、「俺は、明日北の門で死ぬことになる。俺は午後3時に死ぬぞ」と宣言する。

翌日午後3時、物見高い村人が、北の門にそれはそれは大勢集まった。ところが普化は大分遅れてやってきて「今日はちょっと日が悪いな。うん明日にしよう。俺は、明日南門で死ぬから。」とまたも予告する。

その翌日午後3時、好奇心旺盛な村人が、南の門にそれは大勢集まった。ところが普化は大分遅れてやってきて「今日はちょっと肌寒いしな。うん明日にしよう。俺は、明日東門で死ぬから。」と予定変更する。

そのまた翌日午後3時、本当に物好きな村人が、東の門に若干名集まった。集まった村人は、「普化は、きちがいだとか聖者だとか言われているが、さっぱりわからないけれど、死ぬ時にはわかるかもしれない。」などと考えている。

ところが普化は遅れてやってきて「今日もはちょっと調子悪いなあ。うん明日にしよう。俺は、明日西門で死ぬから。」とまたも延期する。

そのまた翌日午後3時、西門には誰も来なかった。普化が棺桶を引っ張ってきて、周りを見ていると、一人の旅人が通りかかる。普化がその旅人に「頼むからここに穴を掘って、俺が棺桶に入ったら、そこに釘を打って、それから埋めてくれればいいから。」と頼む。
それで、普化が棺桶に入って、釘を打ってもらって、土をかけてもらった。

旅人はびっくりして、「なんか乞食坊主みたいなのが、西の門の原っぱで生き埋めにしてくれって言うから、そのとおり棺桶に入れて生き埋めにしたけれど、あれどうなっているんだ。」などと言うと、村人は、驚いて西門に駆けつけて、掘ってみると棺桶に釘が打ってある。それをこじ開けて中を見ると草履が片方残っているだけで、もぬけの空。そして突然ちりーん、ちりーんと音がして、ずっと空の方に上がっていって、『ワッハッハッハ』なんて大笑いが聞こえてくる。

これは、もともと臨済録に出てくる話で、それをダンテス・ダイジが座談で語っているのをアレンジしたもの。(素直になる/ダンテス・ダイジ講話録4)


普化は、「北の門で死ぬ」と天意を図り、翌日になると、「日が悪いから明日南門で死ぬ」と天意の変化を告げた。また次の日になると、「肌寒いから明日東門で死ぬ」と天の予兆が変わったことを告げた。最後に「今日は調子悪いから明日西門で死ぬ」とさらに変化した前兆に順うことにした。

もとの文を素直に読めば、観客がいなくなるまで、日を変え、場所を変えたのだろう程度にしか読めない。しかし真相は、神意、天意の転変に随って死すべき場所と時間を何度か変えたのだと思う。

こういうのはバカバカしいとか児戯に等しいと思う人も多いかも知れないが、白魔術師の作法というのは、冷厳、精密である。臨済を超えるほどの悟境の普化の死が、適当な気まぐれで起こるはずはない。

時には質の違いがある。それを利用して、中国の禅者ホウ居士は、時を選んで坐脱し、日本中世の虚空蔵求聞持法修行者は、満行に時を選んだ。もっとも時を選ぶのは白魔術師だけではないのだが・・・・。

またアヴィラのテレサの言うように、奇蹟には時を選ぶタイプのものと時を選ばないタイプのものがある。白魔術師は、時を選ぶタイプの奇蹟に熟達しているのだ。

そして私たちは生まれてくる子宮を自らセレクトし、生まれてくる時刻を自らセットして誕生してきた。この生誕というある種の魔術については、万人自ら執り行ってきたわけである。

屍解も白魔術の一種と見ることができる。
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死体を残さないということ

2018-10-01 03:11:00 | エクスタシス 夢の夢なる
◎古今東西に分布

死体を残さないということを屍解(しけ)と呼ぶ。
屍解のことは、知らない人は知らない。死に際して、自分のからだを大気中・土の分子に分解して、死体の肉も骨も残さないことである。
 
巷間の昔の言い伝えでは、猫は死体を残さないとか、野鳥は死体を残さないなど言われていたが、人間でもそんなことがあることはあまり知られていない。

チベット密教を調べていると屍解の実例だらけなので、まず一つを紹介しておきたい。

1970年頃の話。
アチョクというチベット人行者が、ある日弟子たちに、「ダライ・ラマ法王の長寿を願う儀式を行いなさい」と命じた。
そして儀式が終わると、「わたしは、逝く」と宣言して、皆を驚かせた。

アチョクは僧衣をまとい、七日の間自分を部屋に閉じ込めておくようにと言った。
弟子たちがアチョクの言葉を忠実に守り、一週間して、部屋に入って見ると、アチョクの姿は完全に消え、僧衣だけが残っていた。
ダラムサラのダライ・ラマのもとに、弟子の一人と、彼について修行をしていた者が、尋ねて来て、その話をし、残された僧衣の一片を贈ってくれた
《ダライ・ラマ死と向き合う智慧/地湧社》 

屍解は、意思の力によって、肉体を化学変化させ、大気または土に変えてしまう技術であるから、クンダリーニ・ヨーガの技術であり、錬金術のテクニックでもある。分解できずに髪や爪が残るのも、その技術の一つの特徴を示しているのかもしれない。

屍解は、人目に触れることは非常にまれで、密教を除けば各宗教で実例とされる例は多いわけではないが、古今東西に分布しており、禅者にも見られる。これも坐法や宗派が出来上がりの境地と必ずしも連動しないという証拠だろうか。

また熱核戦争で、放射能に犯された肉体を、健康な肉体に改造する技術は、この技術の延長線上にあるのかも知れない。今は、それは夢物語としか考えられていないが。
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乗り物としての肉体

2018-09-13 05:34:47 | エクスタシス 夢の夢なる
◎孤独な鳥

現代社会では、人間は肉体と不可分の意識であって、それに権利と義務が付随するというやや面倒なことになっている。

だが、人間は稼いでためた金を一円たりともあの世に持っていくことはできず、無神論的世界観では、人間は死によって何も残らず消滅するなどと考えたりもする。

だが、深い冥想を体験した覚者にとっての人間は、意識と肉体と微細身である。しかし、これはいわゆる世間やマスコミの言うところの定説にはなっておらず、学者もそれを語ることは避ける。あいにく真実はそちらの方にあり、それを実体験していない大部分の人間に対して証明する方法などない。

それを証明できる唯一考えられるシチュエイションは、意識と微細身があることを一斉トランスのような何かの拍子に万人が感得することである。それを経れば、「人間は意識と肉体と微細身」というのが証明を俟つまでもなく当たり前となる。

この認識を前提に肉体は乗り物であるという見方が出てくる。仏教では、天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の六道に輪廻転生を繰り返すが、常に佛という全体とのリンクを忘れない。佛あっての六道輪廻。

さて、神秘家は、六道以外の転生がある可能性をも見越している。人間いやあらゆる生物無生物にはそれぞれの生きる無数の宇宙があるのだが、生きる宇宙という場をチェンジすることがある。チェンジした先の生を時に「鳥」と呼ぶ。

鳥は、エメラルド・タブレットにも出てくるし、かつてのヒッピーのベスト・セラーかもめのジョナサンでは、かもめの求道者として登場した。

その孤独。透徹した孤独。孤独な鳥には救いなどないが、その神秘を生きるのが覚者なのだろう。

その鳥は、シリウスから来たり、オリオンから来たりしたのかもしれないが、そのことを強調するタイミングは今ではない。そこにひっかかると貴重な時間を無駄にしがちだからである。


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