アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

ディプログラミングとヴィパッサナー

2019-10-14 05:42:50 | マインド・コントロール
◎天災と全知全能

OSHOバグワンは、新時代の政治家養成法として、ディプログラミングとヴィパッサナーが必要だと主張する。

一般にディプログラミングとは、共産主義やカルトに洗脳された人の頭をこちらの世俗社会側に引き戻す手法。

OSHOバグワンのディプログラミングとは、それとは異なり、頭をからっぽにして真空のようにすること。まず先入観をどんどん排除して社会性を取り去っていく。カルロス・カスタネダが修行の一環として、昔の知り合いすべてを一人一人訪問して別れを告げたというのもそれの一種。禅問答も先入観を排除するという意味では似ている。

そして呼吸覚醒ヴィパッサナー。釈迦もこれで悟ったというヴィパッサナー。OSHOバグワンは、その要諦を三つ挙げる。
1.くつろいだ状態でいる。闘いもなく、制御もなく、集中もない。
2.見守る。何でも自分自身の内側で進行していることを目撃している。
3.それについて、どんな批判も評価もしない。見張り人でいる。
(出典:大いなる挑戦・黄金の未来/バグワン・シュリー・ラジニーシ/めるくまーるP46)

OSHOバグワンは、ヴィパッサナーで目撃することを実践していると、思考と感情の雲がゆっくりと消散し、自分の内なる実存が現れ始めるのに気づくとする。

これが実は結構過酷な修行である。
「自分自身に出会うことほど恐ろしいものはない/ダンテス・ダイジ」
あらゆるものが見知らぬって想像するだに恐ろしい。

エゴは常に全知全能でありたいと願っているから、未知しかないというのは、過酷で危険ではある。だが、修行ってそういうもの。

今般のスーパー台風での河川氾濫は報道されている大規模なものは20か所くらいのものだが、小さな洪水は全国で無数に起きた。千曲川などでは二階から降りられぬ人の映像が流されていた。

ダンテス・ダイジは、混乱の時代はクンダリーニ・ヨーガ(死の側から窮める)が必要とされ、平和な時代は只管打坐(生の側から窮める)が必要とされるとする。

更に、只管打坐が栄えるなら人類の生き残りは多いが、いよいよ人類がほとんど絶滅みたいになるならクンダリーニ・ヨーガが栄えるなどという不気味なことも言っている。もっとも只管打坐だけでは次の時代は不足であって、クンダリーニ・ヨーガのデリカシーも必要であるということも言っている。

天災が起こると、我が覚悟も含めいろいろなことに思いを致させられる。
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忍びの者

2019-09-10 05:36:02 | マインド・コントロール
◎天台・真言、ブラック・マジック

白黒映画で市川雷蔵主演の「忍びの者」を見た。これは、伊賀忍者の2つのグループが、天下統一を目前にする織田信長を暗殺しようというストーリーで、市川雷蔵は、忍者にして大盗賊の石川五右衛門役。

冒頭に忍者の全体会議シーンがあって、全員が手印を組み、天台・真言の流れを汲むことが述べられ、山の尾根や渓を黒装束で駆け回るシーンが描かれる。これを見ると、山谷を走り回るのは、修験と同じであることに気がついた。

土遁、火遁、水遁など定番の忍者技も紹介され、変装、罠、まきびし、くいなもあり、更に催眠術に、向精神性薬物にて相手を眠りこませる、薬をいぶした煙で殺そうとするなど忍者もそれなりに幅のあるカルチャーだったことを感じさせられた。

映画の中では繰り返し、忍者は、家族関係も捨て、女の恥も捨て、面相も捨て、秘密を守るためには、死あるのみという、政治の道具となれば、当然にそうなるだろうという統制手法も基本として出される。

ただ、起源が天台・真言の密教であり、薬物使用、催眠術も使用、心理家としての詐術をも使用、更に織田信長を大勢の護摩祈祷で殺害せんという点では、ブラック・マジックである。

さて、いまや忍者は、個々人の手元にスマホ・ケータイ、TVなどのマスコミSNSなどの形で、心に直接入り込む「忍びの者」として、生き延びている。
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オウム真理教 無罪主張と死刑

2019-09-08 06:57:18 | マインド・コントロール
◎アンチ・テーゼは呈示されたが

オウム真理教裁判で、教祖が最後の数年は行為能力に疑問を持たれるような状態で、拘禁反応か何かだろうと推測されていた。独房に長期間入ると拘禁反応は出やすいものらしいが、戦後最大の被害者を出した事件の首謀者らしい人間がそのような状況で、何年も裁判を続けるのは、傍目にも異様に感じられた。

オウム真理教事件関連本を精密に読んでいるわけではないが、どうして教祖がそうなったかは、『オウム死刑囚 井上嘉浩すべての罪はわが身にあり 魂の遍歴』などを読んで思い当たることがあった。

教祖は一貫して自分の無罪を主張し続け、いわば弟子たちの暴走が事件の構図であったというような主張を裁判ではし続けたのだが、教祖の裁判において最愛弟子井上嘉浩が、教祖の指示によって犯行が行われたことを証言したことをきっかけに拘禁反応が強く出ることになったようだ。孤立無援を実感したのだろうか。

井上嘉浩がこれを証言した時に、法廷で教祖からは「地獄に落ちるぞ」みたいな恫喝的発言があったらしい。その頃から、他の弟子たちからも一連の犯行が教祖指示によるものだという証言が増えてきたようだ。それはますます教祖自身の拘禁反応を強めたのだろうと思われる。

地獄に落ちるぞというマインド・コントロールを振り切って教祖の指示による殺人などを証言するのは、帰依が深ければ深いほど、容易なことではなかっただろう。

オウム真理教が公安審査委員会の観察処分対象となる以前の時期、オウム真理教は、いわばマスコミの寵児だった。TVの報道番組では、しばしばオウム真理教の宣伝VTRが流され、優れた修行者として井上嘉浩の他の信者とのなごやかな会食シーンの動画が流されたことは、なごやかであったがゆえに印象的に記憶している。

どんな修行をしていたかには関心があったが、彼は空中浮揚という名の膝ジャンプの修行をやらされていたようだ。宗教はすべからく、善いことをして悪いことはしないもの。正師に出会えなければ、修行は正しい方向には進まないもの。

一直線に大悟覚醒に至る者は稀にいるが、出生してくる人で、幼児は別として、生まれながらにして大悟している人間はいない。大悟する人間であっても、まず人生航路上で紆余曲折を経てそれに至る。

出生時に牛のしっぽを捕まえて生まれてきたとしても、牛に乗るまでは時間がかかるものだと思う。白牛だと思ったら、カルトの黒牛だったということもある。

『オウム真理教 偽りの救済/集英社』の著者瀬口晴義氏も似たようなことを言っているが、最初に誤った師に出会っていれば、我らもかの死刑囚になっていたかもしれないという、ヒヤリとする感覚はぬぐえないところがあるものだ。

オウム真理教は、求道とは、外的力による世界変革でもなく、超能力でもなく、神秘体験でもないというアンチ・テーゼを呈示した。その教訓を踏まえた先は、天国と地獄の結婚となるが、それは現代社会の論理の止揚という水平的展開の地平では見つからない。その辺が、事件後25年以上経つが、事件が教訓とはなり得ていない部分である。
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オウム真理教 偽りの救済

2019-09-06 05:43:01 | マインド・コントロール
◎天国と地獄の結婚に至らず

人に『悟りとは何か』とか『救済とは何かと』問えば、ほとんどの人は口ごもったり、ちゃんと説明などできるものではないだろう。

『オウム真理教 偽りの救済/瀬口晴義/集英社』は、網羅的ではあるが、実によくわかっていて、緻密に組み上げられている本だという印象を受けた。何が本当の問題だったのかがわかる本に仕上がっている。

教団内では、救済とは、地獄から天国への救済であるとして、そこで救済してくれるのは教祖の力であるとし、信者にLSD、覚醒剤などを投与して、意識レベルを低下させて、リアル地獄を体験せしめた。

著者は、そのリアルな地獄体験を有する人が今の中堅幹部だと指摘する。地獄体験の恐怖がいまも厳然として影響を与え続け、それが信仰をサポートしているであろうことは想像できる。

まともな宗教では、平素の生き方は勿論善を行い、悪をしないという天国的なものを志向する。だが、そのような現世的天国に飽き足らぬ情熱が、天国をも地獄をも突き抜けようとする方向性があるものだ。

西洋ではそれは、両性具有者の原人間アダムカドモンだったり、楽園追放以前のアダムや、天国と地獄の結婚として現れ、古事記では、女性天照大神が男神を生み、男性素戔嗚神が女神を生み、それを交換してみせることで、両性具有、天国と地獄の結婚である伊都能売を示唆する。

クンダリーニが上がるだけでは悟りではなく、破天荒な神秘体験をするのが悟りではない。悟りは人間の聖性ではあるが、社会性の縁に腰かけているところはあるものだ。人間の苦悩と無力さ、絶望は、天国と地獄をも越えて行かざるを得ないと結論できるものなのだと思う。
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他人を監視することと幸福

2019-09-05 05:26:18 | マインド・コントロール
◎他人のプライバシーへの異常な関心と巨大監視システム

かつて職場に二人の還暦越えの男性がいて、その両人の話題は、いつも組織内の人物のプライベートな境遇のことであった。その話題は、不幸であったり気の毒であったりする内容であれば、興趣が盛り上がっている風であった。たまにその様子を見て、私はいつもどうしてそこまで他人の私生活に興味を持たねばならないのかと、訝しんでいた。

それは要するに他人の生活ぶりを妬み、そねんでいたのであり、自分が不幸であれば、他人が同様に不幸であることを以って自分を慰める類のことであった。
他人の不幸は蜜の味。

そうした蔭には、同等の生活環境であれば、できれば、その中で少しでも上回りたいという願望が蠢いているのだが、その際限のない堂々巡りを繰り返しても何十年倦むことのない心的エネルギーこそ恐るべきものだと思った。

これが、他人を監視したいというものに発展していく。世の中には異常に他人を監視したいとする願望を持つ者がいる。大はGoogleやfacebookやLine、さる共産主義国家や独裁国家であり、自分が権力を持った証の一つが他人のプライバシーを握れることとでも考えてでもいないと、このように大規模な監視システムは成立しないのではないだろうか。

その結果が、大規模な強制収容所で、中国と北朝鮮では毎度話題になる。他の自由主義国家では、どんどん監視の程度が進み、やがて国家ごと巨大な牢獄と化すことを予言されてもいる。

その元をたどれば、他人より少しでも良い目をみたいとか上回りたいという競争意識である。近代社会では、それにより自己実現ができると教え込まされて来てもいる。これぞ社会まるごと自我を膨張させるシステムであり、そのシステムは人間相互の小競り合いを増殖拡大させていき、世界戦争にたどり着くまで終わらないのだろうと思う。

殺伐、乾燥したその世界の風よ。
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葉隠と魂の伴侶

2019-08-21 05:27:20 | マインド・コントロール
◎稚児の道など

日本人全体を腑抜けにするためかどうかは知らぬが、マスコミではおかまタレントが全盛である。

キリスト教世界では、同性愛は有無を言わさず異端であり、何でもありの中国では古代よりあるものはあるという立場であったから、始末におえない。ラスト・エンペラーは両刀使いだったらしい。

日本でも戦国武将、侍の衆道は広く行われ、ご禁制ではなかったが、江戸時代になると君主が衆道に入れ込み過ぎて、お世継ぎができないことがあって、周辺が苦労した逸話は出てくるもの。

なんと武士道の鑑、葉隠にも衆道のことが出てくる。鍋島藩の衆道名人にこれを語らせている。

それによると、若い頃にホモで乱倫するのは娼婦と同じ男娼であり、武士としての面目を失う。武士にとっては、殉ずる君主がまず第一であり、恋うる気持のあまりあちこちの男と浮名を流すのは、武士として恥となる。衆道といえども夫婦の道と同じで一夫一婦が原則。などと名人は説いたそうだ。

現代ではLGBTとして認めようとする動きもあるが、生来のものと嗜好としてのそれを十把一絡げに“合法”だとする動きには、何等かの意図を感じざるを得ないものだ。

人間には、魂の伴侶が存在する。恋愛の基本はそこだが、人生ドラマ場裡では、魂の伴侶に出会うことも連れそうこともレア・ケースのようではある。

ある種の洗脳効果をねらった陰間全盛の時代。それすらも本来の姿は何だったか考えなければ、思いも至らない人が日々増えている。この時代の混乱は進む。

古事記にも太乙金華宗旨にもバガバッド・ギータにもそんな妙な話は出ていない。
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洗脳と回心の違い

2019-08-10 06:07:56 | マインド・コントロール
◎価値の逆転への道

中国共産党は、2千年にわたる親孝行思想を排斥し、共産主義を絶対的崇拝の対象である「親」と入れ替えるために、「親」を徹底的に攻撃した。

1966年から10年間行われた文化大革命時には、革命的ではない「反革命」という罪状のもとに子が親を多数の他人の前で吊し上げ、暴行を加えたり、リンチ殺人を犯すことすら奨励された。
(このようなエピソードは、文化大革命時代の本を読めばいくらでも出てくる)

これによって、「親孝行」を中核とする儒教的道徳観は姿をひそめ、行儀所作が乱暴であることが「革命的」であると広く評価される共産主義洗脳社会は確立した。ところが、家族をも政治が破壊することで、もともと高いとは言えなかった公徳心を更に低下させ、強き者である政権に屈従する感情はさらに複雑さを増した。

そうした中国人が今大量に日本に住みついていて、われわれは、彼らの行動パターンの中に、そうした片鱗を見たり感じたりすることがある。

洗脳は、共産主義革命において、主にインテリ層をターゲットに行われるものだが、域内に宗教を護持する民衆がいれば、それもターゲットとされ、チベット、ウイグルで起きていることはそれである。

また洗脳は、共産主義政権下におけるほど一義的に徹底してはいないが、資本主義社会において、政治、経済、カルトなどが主体となり、情報操作も駆使しながら、様々な勢力によって、多様に多層に行われているものだ。

その究極のツールはテレビとスマホというのは共通している。

今は科学的には仮説に過ぎないが、以下の2論を挙げる。
1.外部情報の注入による洗脳は、3年程度で解ける。
2.内発的な回心(大悟覚醒)は、半永久に解けることはない。

 外部情報の注入による洗脳では、個人は個人のままで、周辺情報を入れ替えるにすぎない。一方内発的な回心(大悟覚醒)では、アートマン(第六身体、真我、神、仏、道)が個人として現れているので、世界観自体が、以前と全く別のものになっている。

民主主義というのは、個人という立場を捨てないので、回心(大悟覚醒)の埒外にあり、理解されにくい。
一方神主主義は、回心(大悟覚醒)した人間たちがほとんどである社会であって初めて成立するのであるが、民主主義や独裁至上と考える人々にとっては想像することもできない価値の逆転、世界の逆転ではある。

やりづらい時代であり、生きづらい時代である。
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ニュースを見ない人々

2019-08-03 06:01:55 | マインド・コントロール
◎戦前以上の思想統制の足音

新聞を取らずニュースを見ない人々は中高年だけかと思ったら、青少年・若い人にも増えており、愕然とした。

例えばオレオレ詐欺防止策の宣伝をテレビなどで盛んにやっているが、ニュースもほとんど見ないのでは、世の流れの変化についていけてないどころか、世の流れに関心を持たず生きているということである。

これは社会性の喪失の初まりであり、スマホを持って動画や漫画やモバゲーばかりやっていて時事ニュースを見ないけれども、人間関係はフツーにこなしてはいる人々は、一朝事あればニート・ひきこもりに転化する可能性を有している。

それほどまでに日本は平和であり、治安が良好であり、お人よしが大量に生息し得たので、期せずして家畜型人間がここまで増えてしまったのだろう。

古代ローマでは、市民に対して皇帝が見世物と食べ物を十分に与えて腐敗堕落を招き、帝国は滅亡するに至ったと同じ軌道を走っている。

日韓の対立は、ロ中朝対米日の対立の中で、どちらにも付くことを決められない韓国が最も騒ぎ立てやすい日本に対して大騒ぎしている構図。これは行くところまで行くとみている識者もいる。韓国は両陣営のどちらかに付く選択肢とスイスみたいに中立の道があるが、それを韓国自身が選択できるかどうかはわからない。

日本は日本で、ここまで時事ニュースを見ない人が増えると、政府の思想統制方針は効き過ぎるほど効いてあっというまにSNS監視を含めた非国民排除の雰囲気が完成するのだろう。「それが戦後の平和教育の総決算となるとは、夢にも思わなかった」、あるいは「こんな生きづらい社会になってしまうとは」などと慨嘆する人も出てくるのだろう。

その兆候は、先般の「丸山穂高衆院議員が、戦争による北方四島奪還発言をしたことについての吊し上げ」事件や今般の「あいちトリエンナーレ2019における元従軍慰安婦の女性を象徴した「平和の少女像」の展示中止要請問題」などに見える。

SNSなどITの進展は、国民思潮の統制速度を、戦前に比較すると圧倒的に速める効果があるものだと思う。

日本人で覚者が多数出るためには、ニュースもそこそこ見て自分でものを考えたり感じたりする習慣のある人間が多くないとならないが、どうもそういう感じではないように思う。

出口王仁三郎が玉串を座布団の下に隠し、戦前以上の思想統制があることを予言して75年。このブログも足掛け15年だが、そういう暗黒時代が目前に迫っていることを思えば、手じまいを考える時期に来たと感じさせられる。
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フェイク・ニュースの見分け方

2019-07-29 05:30:28 | マインド・コントロール
◎facebookによる投稿検閲など

『サイバー完全兵器/デービッド・サンガー/朝日新聞出版』では、facebookがアメリカ大統領選挙でロシア発の大量のフェイク・ニュースbotを放置したことにより、トランプ大統領誕生を間接的にアシストし、結果的にロシアの意向どおりの選挙結果になったらしい。そのことから、以後facebook社内では、どんな記事の投稿を削除するかについて、自社の意に染まぬ記事検閲にいやいやながら労力をかけさせられ始めた経緯が書いてある。

実際その後、「フェイク・ニュースの見分け方」がネット情報依存度の高い人々にとって喫緊のものと認識されるようになり、それに関連する投稿や本も結構出るようになっている。

真偽の判断に時間をかけられるニュースならフェイク・ニュースの見分けも容易だが、問題なのは、そうした時間の余裕のない時事ニュースの真偽の判断である。

マスコミ関係者であれば、ソースに近い有力者に真相を複数確認して誤報を防ぐのだろうが、市井のネットユーザーではそうはいかない。

日本のマスコミも新聞TVに中ロなど左寄りのメディアや高麗国寄りのメディアがあることも知られ、メディアのニュースもバイアスがかかっていることが広く知られるようになった。

ここでアカシックレコードから来るところの「勘」というか、本来の自己からくるところの「洞察」が、嘘を見分けるのだ。偽情報、嘘、フェイク・ニュースには独特の香りがあると表現すべきだろうか。
それは字面ではわからないし、文献実証主義でもわからない。ニュースのトップラインにもフェイク・ニュースが躍る時代なのだ。後でわかるのでは遅いこともある。
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サイバー完全兵器the perfect weapon

2019-07-28 05:45:35 | マインド・コントロール
◎平均的人間が狂気への縁を歩まされている時代

『サイバー完全兵器/デービッド・サンガー/朝日新聞出版』では、サイバー世界での覇権争いが、最終的には5Gと同時にIOTに拡大し、サイバー紛争がミサイル誘導を含めたリアル世界に影響し、最も被害を大きく受けるのはアメリカであるという事実が前提として浮かび上がる。

サイバー紛争は、現在でも精巧な偽動画、偽情報の応酬であり、フェイク・ニュース対フェイク・ニュースの攻防戦となっている、だが事が軍事や重要インフラへの脅威となり得る大規模フェイク情報攻撃が起こった場合、アメリカは、次回も先制核攻撃を躊躇するとは限らないというような結論だった。

先制核攻撃は、30年くらい前は主流の考え方の一つだったが、サイバー攻撃も核と同様に攻撃側の方が防御側より圧倒的に強いため、サイバーでも先制攻撃が有力となるのは自然な流れなのだろう。

そういう観点から言えば、ロシアや中国が米大統領選挙にフェイク・ニュースで印象操作するのは当然だし、日本のYahooのニュース見出しに韓国の観点からの韓国ニュースが平然と掲載されているのは、韓国への無意識な心情同調操作であり、かつ外国情報はフェイク・ニュースを紛れ込ませやすいという証左でもある。もっともそういうニュース・サイトで天皇陛下や皇室をくさすニュースを読まされても、普通の日本人なら感じが悪いと思うだけではないだろうか。

フェイク・ニュースの攻防は、既に情報戦が始まっているということである。兵法書の古典孫子に「兵は詭道なり(戦争はばかし合い)」と述べられているのは千古不変の原則である。

ネット、スマホを触る時間が長いほど、フェイク・ニュースに騙されるチャンスも増え、テレビは世界観そのものを洗脳してくるし、文明の利器をどっぷり使えば使うほど、現状認識を誤り、行動判断もずれ、果ては何が正しくて何が誤っているかわからなくなるというのが現代の平均的人間像ではなかろうか。

フェイク・ニュース群こそ個人に対するサイバー完全兵器である。平均的人間が狂気への縁を歩まされている危険な時代である。
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腐敗爛熟の果ての言論統制

2019-06-22 06:33:14 | マインド・コントロール
◎アウゲイアスの牛舎

日本では、公金横領とか賄賂は諸外国ほど発生するわけではないが、言論の自由が保証されているわりには、政治的な大きな問題に対して、公然と異を唱えることは大きな反発を招きがちなものだ。

これには、いくつかの社会的心理的原因があり、社会全体が安逸遊惰になれてしまい、「楽に、苦労しないで」欲しいものが手に入ったり、食べることに困らない一方で簡単に時間をつぶせる仕組みがあること(古代ローマのパンと見せものに似る)。

あるいは、日本は古来惟神言挙げせぬ国であって、しっかりした議論の結果何かをしたり変えたりしがちな国ではないということ。もともと万機公論で決するような風土ではなかったこと。よって有力で強引なリーダーが出れば、彼に従いがちな気分が常にあって、異端者は徹底的に取り締まる。
その例はキリシタン禁令だったり、戦前の特高や治安維持法だったりする。また集団内部のコンベンショナルな縛りがきつく、それは今でも田舎で暮らせば感じることができるのではないか。

諸外国では、役人の権限が大きく、公金横領と収賄は役人周辺で起こるが、中国などは、役人でもない末端でも平気で起こるほどの中国4千年の伝統にはあきれ果て驚かされるものである。それを抑えるためには人権を相当に蹂躙する圧政が必要だというのは、一つの理屈である。かくして強権側は誰も取り締まれないが故に腐敗が進む。

古代ギリシアにアウゲイアスという王がいて3千頭とも言われる牛を飼っていたが、30年間一度も牛舎を掃除したことがなく、不潔、堕落の極みとしても名が知られていた。

そういう場では、歴史的に言論統制が起こりやすく、牛舎掃除ができるのは、異邦人だけとなりがちなのだろうと思う。

アウゲイアスの牛舎掃除は、結局ヘーラクレスがやった。
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ライフ・スタイルとマスコミ

2019-05-06 06:30:13 | マインド・コントロール
◎非正規と清貧

スマホ・携帯で個々人が24時間情報受け入れキットを持つことになり、マスコミと個人の関係は、根本的に均一情報を大量に大衆に流す形から、ビッグデータ活用によって、個々人に合った情報を個人別に流す形に変化した。

マスコミ側も、媒体自体が、テレビ・ラジオ・新聞・週刊誌のような同一情報一斉発信のマスメディアとブラウザ、電子メール、SNSのように個別情報個別発信に2分化した。

人間の進化という点では、メディアの変化は、より人間を頭から来る情報にて洗脳しやすい環境ができただけで、流される情報の中身が、より天国的に行動しましょうとか、自分のことは差しおいて他人に親切にしましょうとかの無私、謙譲などのポジティブな情報に変わったわけではない。

相変わらず現代人の関心事の最大公約数が、自分のメリット、自分の金の最大化である以上は、特殊詐欺はそこを突いてくるのは、必然ともいえる。世のもめごとの9割は金で片付くし、民事法制は金で始末をつける仕組みもそれを下支えするともいえる。

そういう世の中であるからして、人間の本質の9割は金と利益だと信じ込む手合いが増え、一方で非正規労働者が4割になんなんとしている今、好むと好まざるにかかわらず、金に追われる人は増える。

日本には、かつて清貧を恥ずかしいとする伝統はなかったが、最近のバラエティ番組の悪影響かどうかはわからないが、清貧をみっともないことと考える人が多いのは拝金主義の裏返しである。そういう中で個人主義的ライフスタイルは更に浸透し、個人の孤立・孤独と絶望を感じる機会はますます増える。

非正規労働者の増加により国全体が貧困に沈みつつあるが、これを解消する手段は、今も昔も、持てる者が(セレブ生活をやめ)持っているものを半分などにして、清貧に安んずることである。

その実行は容易なことではないが、日本人の手でそれができなければ、結局先の大戦のように米国など(今度はロ中かもしれないが)外国勢力によってそれをやってもらうという情けない話になる可能性はあると思う。
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情報戦の時代とプライバシー

2019-02-11 06:06:50 | マインド・コントロール
◎モバゲーとSNSに興じている陰で危機は進行す

個人情報を握るのは、軍事、政治の基本。個人情報を握る政府・地方自治体の情報セキュリティが弱ければ、やがてその国は危殆に瀕する。

今GAFA4社(Google,apple,Facebook,Amazon)に加え、中国系の百度、アリババ、テンセントを加えると全体のユーザー合計は130億人と世界総人口の倍近いという。GAFAは民生情報であるが、この4社で相互に個人情報を交換しているらしいので、住所、生年月日、本名はもちろんのこと、買い物情報、人間関係、生活スケジュール、イベント予定まで、GAFAに知られるそうだから、親や担任の先生や上司などとは比較にならない個人情報の質と量である。恐ろしきかな実名SNS。

これで先回りして監視されたのならば、人に散歩して孤独を楽しむような余裕はない。むしろ公私にわたり生活を監視され息が詰まる逼塞感を持つに相違ない。

いや今まさにそういう時代となった。今は平時だから何とも思わないかもしれないが、日本が戦場になったり隣国が戦場となったりすれば、国家総動員みたいな体制となり、まもなくこうした民生の個人情報も各企業から政府に召し上げられ、非国民的な思想は容易に厳格に管理されるのだろう。

こうして日本が鉄格子なき牢獄になることを予見した人(出口王仁三郎ダンテス・ダイジ)もいる。

中国の殷代は、軍団の情報インテリジェンスの中心に巫者がいて、相手軍の最優先攻撃目標は巫者だった。

一方各戸の個人情報管理は、江戸時代に日本でも5人組制度として整備された。戦後にも残っているところがある。これは、中国の春秋戦国時代が発祥で、唐代宋代などにも継承された。

その後、今では機能の面でも量の面でもGAFAの方が優秀となれば、政府がこれを拱手傍観しているはずはない。

旧日本軍は暗号という情報を解読されて敗戦となったという側面もある。情報公開は、有事の時代には、国家として弱点となる。よって次の有事の時代には、第二次世界大戦時以上の思想統制、行動統制が敷かれることになるだろうと予想する。

個人情報を利用して脅して言うことをきかせるのが基本技?

まことに民主主義あっての情報公開であることを忘れてはいけないと思う。信教の自由も、各宗派教団は、またぞろ戦争協力の名の下に脅かされるのだろう。ゆえに、各個人の冥想こそが貴重である。
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今アニメとゲームとSNSとyoutubeが禁止になれば

2019-02-04 05:17:56 | マインド・コントロール
◎バーチャル・リアリティのジャンキーたち

明治、大正はいざ知らず、昭和20年くらいまでは、若者の政治・外交に対する関心は非常に高いものがあった。そうした波は、昭和45年の70年安保の頃までは残っていた。

若者は政治に関心が薄いようで、余暇の大半をアニメとゲームとSNSとyoutubeに向けているのだろう。

こうした中、こうしたものにハマって勉強しなくなり学業に差し支えるケースも多い。

国力を上げることを考えた場合、アニメとゲームとSNSとyoutubeを禁止するのは手っ取り早い政策の一つである。
これにより関心は、生活改善、生活向上、政治、軍事、外交に向き、学業効率、勤労効率も高まるのではないかと期待する人もいるのだろう。

若者は収入の何割かを充ててまでもスマホ・携帯を持ちたがる。それほどにアニメとゲームとSNSとyoutubeの魅力には離れがたいものがある。実際に禁止すれば、やることのなくなった小人は閑居して不善をなすものと相場が決まっている。そして現状打破を求めて若者は政治運動を起こし、政治は不安定化しがち。

このように為政者から見れば、アニメとゲームとSNSとyoutubeは、若者の政治への関心から注意をそらすことで、政治の安定を維持する道具になっている可能性がある。

巨大な複合〇〇マシーン。

何もやらずに日を過ごすより博打でもやった方がましと言ったのは、孔子だが、その時間にこそ冥想に取り組むべきである。ヴァーチャル・リアリティで相手にしているのは、天国的世界観でなく、下層霊界すなわち地獄的世界観だからである。
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中の下の人々を狙い撃ち

2018-12-20 05:04:36 | マインド・コントロール
◎広告、宣伝、報道のターゲット

テレビが想定している年齢層は8歳から12歳などと言われ、社会での営業商売でのカモは、頼まれると断れない人であり、人の言うことを信じてくれる人であって、人間の自立性とか独自の考え方、独自の判断力という点では、中の下より下の人を狙うというのは、常識である。

無料や、常識はずれに儲かるイベントを企画して、人々にある種の興奮状態を引き起こし、それをマインド・コントロールのとば口にして、高価な商品を買わせるのも昔からある手法である。こういうのは洗脳商法の教科書には最初に載っている。

これは商売の話だが、政治キャンペーンでもロシア革命の経緯の本などを読めば、大衆を扇動するデマゴーグが、デモや集会で熱狂の渦を起こし、暴動や破壊行為などに持っていく場合は、中の下の人々を狙い撃ちしていることがわかる。

自立した判断力のやや弱い中の下の人々こそは、哀れなる子羊たちである。彼らをおもちゃにしない心映えは必要である。彼らこそ無辜の民であり、イエスの山上の垂訓でいう『貧しき者』の予備軍である。彼らはそのままでは、白でも黒でもないが、洗脳や教育により白にもなりやすく、黒にもなりやすい。

『幸福なるかな、貧しき者よ、神の国は汝らのものなり。』

この時代には、無数の広告、宣伝、報道が入り組んでいるが、そのターゲットは、ことごとく中の下の人々になっている。

仕掛ける側に人間らしい惻隠の情ありせば、こういう流れにはなっていない。

こうした圧倒的趨勢の中、心ある人々に向けて、今日も冥想立国から神主主義を構想する。
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