アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

監視、そして祭りの禁止、そして暴発へ

2019-10-25 05:27:45 | マインド・コントロール
◎陰謀論の実践とはこんな風に行われる

渋谷は、映画バイオハザードの冒頭の舞台となったことで、世界の有名観光地となった。渋谷区では、ハロウィーンでのトラブルが渋谷駅周辺で相次いだことを受け、路上での飲酒などを禁じる条例が、2019年10月25日から実施される。条例には罰則がないが、ハロウィーンシーズンの10月25~27、31日の午後6時から翌午前5時(27日)駅周辺の路上や公園での飲酒が禁止。大音量で音楽を流す、街路灯に登るなどの迷惑行為も禁止。

古来祭りには、無礼講というのがあって、年に一日は、酒や踊りの乱痴気騒ぎは勿論のこと、身分の上下、貧富の差を無視して、嘘や好きなことを言ってよいとか、性的放縦が見て見ぬふりをしてもらえるとか、若い男女の出会いの場を提供するとか、社会の相互監視や因習のくびきをはずす日があったもの。

そういうガス抜きの一日のない社会は、社会全体の緊張が高まり、反政府、反社会、反秩序な運動を招きがちなものであることを為政者は肌感覚で知っていた。

街頭に監視カメラが張りめぐらされ、何か珍しい事件、パフォーマンスがあれば、スマホの動画撮影が行われる稠密な相互監視の社会。キャッシュレス、ポイント制という監視も日常となった。秩序が保たれて、酒も飲めてはいるが、その息苦しさ、逃げ場のなさは、秩序を遵守する側にいてさえ耐え難いものに感じられるタイミングがあるのではないだろうか。いわんやアウトサイダーにおいてをや。
『私を見ないでください!』

バッカス祭、ワルプルギスの夜、ハロウィンなどは、心的な余剰エネルギーの爆発を無礼講にて紛らして爆発を避ける仕掛けだが、そうした『紛らす』仕掛けはどんどんなくなっていく。

禁煙、分煙の強化などもその一つ。紛らせられなければ、ストレスは、部下に向かい同僚に向かい家族に向かい、組織に向かい、隣人に向かい、家族に向かい、薬物に向かい、ギャンブルに向かい、セックスに向かい、自分に向かう。全体として見ると、それはお互いの不機嫌さが、社会全体を不安定にし、相互の争闘を頻発させ、最後は世界戦争を惹起する方向へ向かっている。

かくして『金と便利』の大義名分のもとに社会と自分の内的圧力は高まって、暴発の危険はますます人類滅亡の方向をも向く。陰謀論の実践とはこんな風に行われるのだろうとつくづく感じさせられるところである。

21世紀、この金と便利で、カタルシスなき社会よ。
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出口王仁三郎28歳の頃-3

2019-10-24 03:16:00 | 古神道の手振り
◎石ころから恋、そして言霊

出口王仁三郎の歌集霧の海の続き。
石ころの心は、恋心、言霊、天の音楽オリオン座と変じ、エロの女神にも出会い、玉手箱も与える。

『艶麗なる花の姿にあこがれて足のあゆみもおのずと止まりぬ

天地万有みな言霊(ことだま)を発すとは聞けどもわれには不思議なりけり

いかにして花の言霊(ことだま)さとらむとこころくだきて神に祈りぬ

かむながら御霊幸(みたまさち)はへましませと くり返しつつ神に祈りぬ

いづくともなく神言(かみごと)の声ありてさっと吹き来る時津山風

山風に吹きなびきつつ花の野は片寄りかたよりわが道ひらけり

右左(みぎひだり)花のかをれる大道をそよろそよろにわれたどりたり』
(出口王仁三郎の歌集霧の海P194-195から引用)

花の言霊を悟ろうとしたが、それは叶わなかった。だが、その後風雨雷霆も叱咤できるようになり、出口王仁三郎は言霊をマスターすることになった。

只管打坐の身心脱落の無味乾燥、無機質から、恋心、言霊、天の音楽、オリオン座と変じ、エロの女神にも出会い、玉手箱も与える。これがクンダリーニ・ヨーガのデリカシーの展開というべきものだろう。

個々のビジョンは霊がかりとも言えるものだが、愛の展開の中には、どうしてもエロが顔を出すことは避けられないものなのだろうと思う。

この霊界ツアーが出口王仁三郎の大悟以降に起こったものとして、ここは肯定的に評価したい。
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即位礼正殿の儀の晴れ

2019-10-23 03:44:00 | 超能力・霊能力
◎晴天の真贋

2019年10月22日の東京地方は、台風崩れの低気圧が直撃し、ほぼ一日雨ではあるが、昼過ぎに曇りの時間帯があることが予想されてはいた。

さて午前11時35分頃から13時頃までの間の強い風雨により、正殿に向かって右奥に立てられた26本の旛のうち、菊花章大錦旛、菊花章中錦旛と、万歳旛が相次いで落ちた。

ところが、即位礼正殿の儀の始まる13時直前に日の光が顔を出し、セレモニーの関係者を驚かせた。

俗に晴れ男、晴れ女、雨男、雨女ありと申すが、雨男、雨女の優勢であるところ、即位礼正殿の儀の間だけは晴天とせしめたのだろう。

出口王仁三郎は、どこへ行っても晴れ男であった。なお彼は、晴天としたり、大雨を降らせたりすることは平気でやってのける能力があった。だが、そういう超能力であるからこそ私心のままに用いることはできないもの。

この即位礼正殿の儀の間だけは晴天とは、どんな晴天だったのだろうか。

※出口王仁三郎(日出雄)、蒙古で天候操作する(晴→大雨→晴)
『日出雄は思ふ所ありと見え、温長興を轎車に乗らしめ、自らは真澄別其他の護衛兵と共に馬に鞭ち、法衣を風に靡かせつつ下木局子に向ひ、仮殿を出発した。

一方下木局子の西北自治軍司令部にては、各分営の団長以下悉く来集し、『斯くの如き蒙古晴の空より雨を降らすなど、幾ら神様でも嘸困難であらう』などと、とりどりに噂をし乍ら、日出雄一行の来着を待ち兼ねて居た。

時しもあれ、魏副官の先導にて日出雄の一行は総員整列出迎への中を堂々と乗込んで来た。少憩の後、日出雄の目配せを合図に、真澄別が何事か黙祷すると見るや、司令部の上天俄に薄暗くなり、瞬く間に全天雨雲に蔽われ一陣の怪風吹き来ると共に、激しき暴風雨窓を破らむず計りに襲来して来た。

一同驚きあわて、窓を閉めるやら、記念撮影の為とて庭に列べてあつた椅子を持込むやら混雑一方ならず、皆々呆気に取られて、暫し言葉もなかつたのである。

稍あつて『大先生、二先生、今日は写真は駄目でせう』と、さも失望らしい声が聞える。

真澄別は日出雄の顔を見て『ナアニ五分間経てば大丈夫だ』と云へば、日出雄はやおら身を起して雨中に降り立ち、天に向つて『ウー』と大喝すれば、風勢頓に衰へ雨は漸次小降りとなり、果して向ふ五分間てふ真澄別の宣言に違はず、如何に成り行くかと案ぜられし暴風雨は、夢の如く消え去り、再び日は赫々と輝きわたり、空は元の如く晴朗に澄み切つたのである。』
(霊界物語入蒙記 第25章 風雨叱咤から引用)
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出口王仁三郎28歳の頃-2

2019-10-22 06:00:16 | 古神道の手振り
◎緑の野が花園に転ずる

天国の一つの相である緑の野。そこに鳴きすだく虫の声に、出口王仁三郎は、恋のバイブレーションを感得した。

その恋心に感応したのか、緑の野原は、百花繚乱の花園と化す。

出口王仁三郎の歌集霧の海の続き。
『目路の限り青野が原は たちまちに薫りすがしき花園となりぬ

春秋のけじめも知らに咲く花の一つびとつに銀の露うく

木も草も花一面にもちてり ほころびそめし花のつぼみを

吾がゆくてふさぎて咲ける百花(ももばな)を足に踏むさへ をしく思へり

ふみて来しあとふり返り眺むれば 露にほころぶ花ばかりなる

霊界は不思議なるかな 百花(ももばな)のわれに向かひて何かささやく

囁ける花の言葉はわからねど 何か親しく恋はしく思ひぬ』
(出口王仁三郎の歌集霧の海P192-193から引用)

神仏のことといえば、無味乾燥で木で鼻をくくったような禅問答をイメージする人も少なくなく、伊勢神宮内宮の幔幕が風で翻って向こうが見えた時、金目のものとか凝った彫刻などが何も置かれてはいないことを見て、肩透かしをくらったように感じる人も少なくないのではないかと思う。

緑の野、緑の高原というのは、それだけでも豊穣を感じさせてくれるものではあるが、基本的には素(す)であり、純白のイメージであって、禅的、只管打坐的行き方、達磨大師の示した境地というのはそういうものである。

これは石ころの心

ところが一片の恋心を感じた途端に、三冬暖気なしとも思われた野原は馥郁たる花園に転ずる。
これぞ古神道家、クンダリーニ・ヨーギ出口王仁三郎の面目躍如たるところである。

石ころから愛、恋が流れ出たのだ。
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出口王仁三郎28歳の頃-1

2019-10-21 05:15:44 | 古神道の手振り
◎天も地も青きが中に唯一人

出口王仁三郎の事績を見るに、いわゆる大悟覚醒は、28歳の頃の高熊山の1週間の修行の時である。

われは空行く鳥なれや』で始まるその時の感激を歌った歌は、輪廻転生を繰り返す孤独な鳥が単に空を飛ぶだけでなく、人間を越え時空をも超えたことを暗示している。

出口王仁三郎の歌集霧の海にも「28歳の頃」というパートがあり、出口王仁三郎の超越体験の中の白眉が28歳の頃起きていることを示す。

『緑の野辺
  二十八歳の頃

天も地も青きが中に唯一人こころ清しく笛の音を聞く

笛の音は虚空にひびき笙の音は地上を流れてわが魂おどる

さっと吹く風に裏葉のひるがへる緑の野辺のかんばしきかな

さみどりの栄ゆる野辺にただ一人立てども淋しと思はざりけり

天地をただ一人のものとして生まれしごとき霊界の旅

さえわたる虫のなく音を聞きながら霊界にさへ恋あるを知る』
(出口王仁三郎の歌集霧の海P191から引用)

『精神は澄みきらひつつ自ずから
まだ見ぬ国に踏み入りにけり』(上掲書P175から引用)

 覚者の心境のキーワードは、絶対的な透徹した孤独と見知らぬ、未知ということ。そして世界全体が、自分と一体であるということ(天地をただ一人のものとして生まれしごとき・・・)。

そうした目で見て見れば、この一群の歌にもそれを発見することができる。
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日本列島龍体論

2019-10-20 06:52:35 | 古神道の手振り
◎二重の縮図

日本列島が龍体であるというのは、私にとっては常識だが、東アジア動乱を思う際に常に念頭にある見方である。

出口王仁三郎は、上から
龍の宝冠が台湾
頭が九州
尾は北海道であって
全体として龍体とする。

また一般に、天皇陛下に関して、龍体、龍顔などと称す。


またこの日本列島龍体論とは別に日本列島が世界の陸地に対応する地図も出口王仁三郎にはある。

これを見ると、神示のアフリカが九州、オーストラリアが四国、北米が北海道、南米が台湾、そしてユーラシア大陸が本州。

さらに東アジアについては、神示の朝鮮半島が牡鹿半島、神示の黄海が石巻湾、神示の黄河が阿武隈川、
肝腎の神示の日本列島については、(牡鹿半島の外側になるせいか)奇妙なことに何も書いていない。

台湾は、今は日本とは別の国だが、霊界的には、日本と一体であって、中国が武力行使をも躊躇せず台湾併呑の意向を明らかにしているのは、その反作用があることが予想されるのではないかと思う。

そして二度にわたる中国要人の北海道訪問も、北海道たるアメリカをも侵そうという野心を隠していない霊的サインとも受け取れるのではないかと思う。

また台風19号では、郡山、須賀川、本宮、丸森町など阿武隈川流域の氾濫も大きかったが、これは、霊的黄河の氾濫であり、中国国内も大規模な「水に象徴される」大混乱があることにシンクロしているのではないかと思う。

日本は神床(床の間)、中国は座敷、まずは神床から掃除というのは出口王仁三郎の見方だが、政治もこの世も政治家だけがやっているわけでもなく、まず自分が日々善いことを行い悪いことをしない。神を畏れ、神に祈る。
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金への妄執と亡国、呂洞賓の所作

2019-10-19 05:52:08 | 冥想アヴァンギャルド
◎政治家も政治家だが国民も国民だ

2019年10月18日、日本国政府は閣議で、政治資金規正法が原則禁じている政治家個人への企業や個人からの寄付(献金)を巡り、仮想通貨(暗号資産)は規制対象に当たらないとする答弁書を決定した。

これによって、仮想通貨での政治献金はし放題となる。

ものの本によれば、仮想通貨は、米ドル支配をつき崩すためにロシアが開発したもので、仮想通貨の取り扱い高は中国がトップだそうだ。

仮想通貨の政治献金を規制しないということはますます中ロ寄りに売国せんとする政治家が増えるということだろうと思う。

出口王仁三郎は、ロシアの日本空襲のビジョンを見、更に中国が京都などの日本を空襲するビジョンを見たなどということはご存じない人が多いのだろう。

さて中国最大の覚者の一人呂洞賓が外出したところ、盗賊が忍び込んで、彼の多くもない家財道具をことごとく盗み去り、朝夕の食事の用意にさえ差し支えることになった。だが彼は少しも惜しいと思う様子はなく、その後も他人の田畑を耕して、その賃金で少しづつ道具を買い求めていた。

ある日、呂洞賓がいつものように畑を耕していると、数十個の硬貨が出てきた。その時彼は、その硬貨をそのままそこに置いて、その上に土をかぶせて元に戻してしまった。

またある日、呂洞賓が市場で数個の銅器を買ってきた。よくよく見てみるとそれは、すべて黄金の器物であることがわかったので、大いに驚き、購入した店に行き、銅器に変えてもらった。

呂洞賓のこの事績をみると、およそ無欲などというものではなく、全く別のルールでもって生きていることがわかる。
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笑いと覚醒

2019-10-18 05:08:51 | 冥想アヴァンギャルド
◎緊張からの解放理論

噺家は、聴衆の緊張を次第に高めて行き、そのピークにおいて意外なオチを持ってくることで緊張を解放し、笑いを引き起こす。

人間は日常生活の中で、食べたり飲んだり呼吸をすることによって余剰エネルギーが発生し、蓄積していくのだが、その蓄積が緊張を生む。社会的に思想や文化、生活習慣での抑圧がきついと緊張は更に高められる。

そのような緊張の典型例が金縛り。

緊張は心理的にはストレス、焦慮などとして現れ、解放を求める。解放されると、人は寛ぎ、幸福を覚え、眠る。

代表的な余剰エネルギー解放手段はセックスだが、弱者を虐げるというのもその一つになっているのは、日常見聞きするところである。ゆえに関西ではどつき型漫才がいまだに隆盛である。

覚者たちは、余剰エネルギーのコントロールが至福へのルートであることを承知していて、禁欲が冥想修業の定番として存在している。修行の山は女人禁制というのは、男性修行者に禁欲を厳守させるためには仕方のないところがある。

男女不平等だが、冥想の本流は、男性の修行である。
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NHKスピリチュアルジャパン 坐禅

2019-10-17 05:34:28 | 丹田禅(冥想法8)
◎理屈ではなく体験、言葉では説明できない

NHKスピリチュアルジャパン 坐禅という番組を拝見した。

3人の日本語の流暢な外国人男女が、臨済宗円覚寺と曹洞宗総持寺などをめぐって、坐禅もし、禅とは何かも問うて見せるという趣向。

3人の外国人は日本語が上手いわりに禅のことは知らないし、坐ったこともない。これは、日本人が同じ立場で出て来ても同じだろうと思った。

若干の禅についての質問が出るのだが、坊さんの回答は、禅は理屈ではなく自分で体験するもの、言葉では説明できないというのはよいが、「心が落ち着く」などと言ってみせるものなのだろうか、とは思った。

坊さんが、禅の坐る姿勢は最高の技術だみたいな評価をしていたのは、門外漢にも訴えるものがあるかもしれないなどと思った。禅には何かあるかもしれないと思うもの。

円覚寺の坊さんが、鈴木大拙の無という字の掛け軸を出して、これは無だが、何もないという意味ではなくすべてという意味だというような説明をしていたのは面白かった。

無字の公案をもらってムームーとやらされれば、無字が何もない無のことなのだろうかと疑うもの。

十牛図第八図は一円相だが、それは無だが、どういう無かは日常感覚にはない。十牛図では、全体のシンボルは牛であり、牛は太母で、諸行無常で色即是空の色全体のことだが、牛は修行者が乗ったり一体化するので、個なる牛とか、個なる本来の自己とか、個であることを思わせぶるので、個と誤解しやいすいが、牛は個ではなく全体のことである。

第三図で牛のしっぽを見るとは、そのことか。禅に取り組むということは人生を卒業しましょう、輪廻転生を卒業しましょうということではある。平たく見れば、肉体死では卒業できないことを見聞きするものだから。
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念仏は行者のためには非行非善なり

2019-10-16 05:10:37 | マントラ禅(冥想法7)
◎歎異抄のその八

マントラも本来言霊であるのだが、その精妙なバイブレーションの違いは、この粗雑な感性の時代ではあまり問題にはなるまいと言ったのはダンテス・ダイジ。

歎異抄のその八、
『念仏は行者のために非行・非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば、非行といふ。

わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。

ひとへに他力にして、自力をはなれたるゆゑに、行者のためには非行非善なりと云云。』

南無阿弥陀仏というマントラを繰り返し唱えることで、マントラシッディに至る。やがてすべてが南無阿弥陀仏である世界を経て、辺地浄土にいる自分を確認できる。そこで更に精進修行してほんまものの極楽に進む。

「わがはからひにて行じない」というのは、既に自分がないということだから、第六身体、本来の自己、アートマンを承知している境涯。

辺地浄土での修行は、死の世界の修行なのだが、それよりもまず、個なる自力でなく、全体である他力にあって、非行非善。

既に全体でなければ、非行非善とは言えないと思うが、「行者のために」敢えてそう言う。
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人口密集地の危機一髪

2019-10-15 05:29:28 | 時代のおわり
◎神を恐れる人

宮城県丸森町はまだ水が引かない。丸森町はほぼ山の上にあり、東に抜けると、山元町、新地町、相馬市など海岸の町に出る。その周辺の海岸は軒並み東日本大震災で津波により被災し、丸森町にもその被災者たちが住んでいたという。

千曲川も栃木、佐野もひどかった。マスコミには出ないが局地的な水害はtwitterで追うといくらでも出てくる。

多摩川も無堤防の二子玉川付近でいろいろ起きたし、入間川水系は、東松山市南部で大型ショッピングが水没するなど起きた。

武蔵小杉のタワーマンションの水没による、停電、断水、トイレ使用禁止、換気できないからガス使用禁止、エレベーター停止は、ほとんど全電源喪失による原発危機を思わせる。

それらもさることながら、大氾濫に至らなかった人口密集地の大河川が危機一髪だったことの方も大きな問題として今後出てくるのではないか。

それは、荒川であり、利根川。荒川は、下流の墨田川防衛のため、赤羽岩淵水門を閉じ、荒川の墨田川への流入を停止。そのおかげで江戸川区、江東区、墨田区は守られたものの、岩淵水門は、氾濫危険水位を一時オーバーし、はらはらさせた。

さいたま市西部の彩湖は、荒川の水を引き入れることで巨大な遊水池と化した。

更に中流鴻巣の日本最大の川幅(2.6キロ)の川原は、これまた何十年ぶりで満々と水を流し、本当に広い川幅であることを証明したが、水位も氾濫危険までに迫った。こんな具合で流域の平時はほとんどレジャーエリアに化した遊水池をすべて活用したが、それでも各所の荒川の水位は氾濫危険水位を越えたり越えなかったりで、危機一髪のところが多かった。

利根川は下流域で水害が今まさに起きている。また上流秋山川は決壊。中流栗橋の利根川の写真を見ると、何だか栗橋側の堤防より栃木県古河側の堤防の方が高く見えるような気がする。

さらに小規模な内水氾濫は、各所で数知れず起きたのだろうと思う。小さな小川があふれるもの。

いくら河川水位データ監視が発達しても、川が氾濫するしないは、ある程度までは人為だが、トータルで見れば神意。

出口王仁三郎は、東条英機が全く神助を頼まないことを慨嘆した(そして敗戦に至った)のだが、こういう時は神助を頼むというのも重要な心構えだと思う。

気にしない人、気がつかない人、恐れる人、恐れない人と様々だが、恐れる人が一番神仏に近いのではないかと思う。
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ディプログラミングとヴィパッサナー

2019-10-14 05:42:50 | マインド・コントロール
◎天災と全知全能

OSHOバグワンは、新時代の政治家養成法として、ディプログラミングとヴィパッサナーが必要だと主張する。

一般にディプログラミングとは、共産主義やカルトに洗脳された人の頭をこちらの世俗社会側に引き戻す手法。

OSHOバグワンのディプログラミングとは、それとは異なり、頭をからっぽにして真空のようにすること。まず先入観をどんどん排除して社会性を取り去っていく。カルロス・カスタネダが修行の一環として、昔の知り合いすべてを一人一人訪問して別れを告げたというのもそれの一種。禅問答も先入観を排除するという意味では似ている。

そして呼吸覚醒ヴィパッサナー。釈迦もこれで悟ったというヴィパッサナー。OSHOバグワンは、その要諦を三つ挙げる。
1.くつろいだ状態でいる。闘いもなく、制御もなく、集中もない。
2.見守る。何でも自分自身の内側で進行していることを目撃している。
3.それについて、どんな批判も評価もしない。見張り人でいる。
(出典:大いなる挑戦・黄金の未来/バグワン・シュリー・ラジニーシ/めるくまーるP46)

OSHOバグワンは、ヴィパッサナーで目撃することを実践していると、思考と感情の雲がゆっくりと消散し、自分の内なる実存が現れ始めるのに気づくとする。

これが実は結構過酷な修行である。
「自分自身に出会うことほど恐ろしいものはない/ダンテス・ダイジ」
あらゆるものが見知らぬって想像するだに恐ろしい。

エゴは常に全知全能でありたいと願っているから、未知しかないというのは、過酷で危険ではある。だが、修行ってそういうもの。

今般のスーパー台風での河川氾濫は報道されている大規模なものは20か所くらいのものだが、小さな洪水は全国で無数に起きた。千曲川などでは二階から降りられぬ人の映像が流されていた。

ダンテス・ダイジは、混乱の時代はクンダリーニ・ヨーガ(死の側から窮める)が必要とされ、平和な時代は只管打坐(生の側から窮める)が必要とされるとする。

更に、只管打坐が栄えるなら人類の生き残りは多いが、いよいよ人類がほとんど絶滅みたいになるならクンダリーニ・ヨーガが栄えるなどという不気味なことも言っている。もっとも只管打坐だけでは次の時代は不足であって、クンダリーニ・ヨーガのデリカシーも必要であるということも言っている。

天災が起こると、我が覚悟も含めいろいろなことに思いを致させられる。
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水の御恩

2019-10-13 06:23:06 | 時代のおわり
◎人間は水でできている

台風19号では、いつもの豪雨の2、3倍は降った。おかげで中小河川の氾濫は各所で起き、大河川の氾濫や氾濫危険も多発することとなった。

政治では、昔から道路は票になるが、ダム堤防治水は票にならないと言われ、道路中心の土木建設政治が行われてきた。故に地方に行くと過疎の町村の中を多数の美田を潰した新たな高速道路ができていて唖然とさせられることがある。これも今般の水害の原因の一つではある。

ところが昨今の異常気象多発により、治水の重要性が再認識されつつある。

世界的な温暖化傾向に歯止めが利かなければ、今の低地・海浜文明を維持することはあまりに高コストとなり、やがて低地海浜の居住はあきらめられ、高地文明移行していくのだろう。

それまでに既存文明が喪失するであろう既成インフラ、快適で安全な生活インフラの喪失は、膨大なものとなるのだろうと思う。

中国の三人の聖天子の一人は、特に黄河を中心とした治水に一生を捧げた。自宅の前を通りかかっても何十年もその入口を入れず、自宅で休めなかったなどとその精勤ぶりが伝えられている。

偉大なチャネラー出口ナオは毎年大晦日の晩に子供を前に「お水のご恩というものは、この世の中で一番大きいのじゃが、誰もその恩を返すことを知らぬ。
お水のご恩は毎年大晦日に夜通し起きて、何でも手にある仕事をして、もって返すものじゃよ。は決して無駄に使わないように」と諭しながら、繕いものなどをして徹夜したという。

また出口王仁三郎も、大晦日の徹宵と水への感謝を説く。曰く、「大晦日は、お水の御恩を返すべき日である。それで殊に夜になったらお水を決して粗末にしてはならぬ。又徹夜するのが本当である。」

お水に感謝するとは、お水に冥想すること。水害の危機が終わったタイミングでお水に冥想するのがよいと思う。

一人一人ができることは、大したことではないが、その思いが世界を正していくのだ。
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米国国璽の表と裏

2019-10-12 07:06:39 | 冥想アヴァンギャルド
◎次の時代は「裏も表も」

およそ物事には表と裏が存在する。ある説明をしながらもそうはならないケースや道筋のことを思い浮かべるというのは、表裏両方を承知している人間の習いである。

米国国璽にも表と裏がある。
表は合衆国独立当時の13州の星ということになっているが、生の側偏重の旧秩序の12+死の側1で合計13。これが丸く囲まれており、全体としては目である。

鷲は神。片足に13本の矢、片足に平和のオリーブを持ち、戦争を司る外征国家であることを示す。

口にくわえているリボンは、E pluribus unumで多から一へ。多であって個である人間には救済なく一にしか救済はない。

全体としては星の国アメリカだから、13星が13の光条を引いている。

以上が表の説明。

裏には砂漠に立つ13段ピラミッドの上に三角に囲まれた世界を見通す目。
三角は、父と子と聖霊であり、三位一体であり、弥勒三会

上方の文字はAnnuit cœptisで(何かが我々を支持している)。米当局見解では、神が我らの行動を支持しているとなっている。ただ、より神に近い者が世俗の戦争や争いなどで必ずしも勝つというものではないことはよく知られている。殉教者は、キリスト教においてもイエスだけではなく、あらゆるまともな宗教では見かけるものだ。

底辺の文字は「新世界秩序」。真の新世界秩序は内なる新世界秩序だが、その時代へわたる埠頭がアメリカだと言わんばかりである。
  
上方の目はピラミッドの上だからホルスの目、神の目。ホルスの目は、エジプトだけでない。北欧のオーディンは片目を失っている。アジナー・チャクラは第三の目だが、すべてを見渡すとは、個の人間の目ではない。

理性である13段の人間の営為は、三位一体で十全なる神に至るのだ。これが新世界秩序。

次の時代は「裏も表も」なのだ。地獄の釜を開けて総ざらえというのはそういうことなのだろう。

【今日の卦/今日のタロット・カード】
ラグビー・ワールドカップたけなわに未曽有のスーパー台風が襲う。

“天地(あめつち)の自然の力に抗すべき 何物もなしと省みるべし”
出口王仁三郎。

星の国アメリカに翻弄され続ける日の国日本。

表(Wikipediaから)


裏(Wikipediaから)

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タロットwheel of fortune

2019-10-11 05:35:49 | 現代冥想の到達点
◎自分だけは大丈夫バイアス

運命の輪の上に首を回した鷲イーグルが超然と立つ。これは、nefertariタロットの運命の輪。マルセイユ版などの一般的タロットの図柄では、鷲ではなく2頭の動物がグルグル運命の輪を回している上に立つ黒い顔をした剣を持つ有翼の動物であり、青い肌でもあるから閻魔大王、ヘルメスが連想される。

回る運命の輪は有の世界。その上に超然とするのだからアートマン第六身体。有の世界は、常に善悪、正邪、美醜、貧富、長寿短命などの二元の変転を繰り返す。

この時代は神を知らない人間であることが当たり前な人たちばかりで成る火星の時代、臍のマニピュラ・チャクラの時代。
次の時代は神を知る人間であることが当たり前な人たちばかりで成る金星の時代、胸のマニピュラ・チャクラの時代。

人間の進化とは、実に「神を知らない」から「神を知る」に進むことであって、他のことではないが、マスコミに代表される文明思潮はそれを見失い、果てしなき混乱に翻弄されている。

そして今スーパー台風19号がある予感を伴って上陸しようとしている。大地震は、予告なく起きるが、予告されて起きるのはきつい。超弩級の異常気象よ。事前に人間の回心を試すかのようだ。

ネガティブ予言の共通ルールというのは、あまりひどいところはほのめかしも言わないということである。

人は気象衛星画像の台風の目に見いることで、自分の中をも覗き込む。

Nefertari 運命の輪


マルセイユ 運命の輪


台風19号
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