アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

2万4千年周期と次の疫病禍

2020-09-23 05:49:03 | 究極というものの可能性
◎ヴィシュヌナビー(宇宙大中心)に大接近

この夏の真夏日は50日以上であって、今年も暑いが、来年以降もそうだったら大変だという予想もあって、二重に猛暑に気もふさぐ夏だった。

地球の歳差は、約25,800年であって、地球人類の精神の周期は約24,000年。

19世紀インドの聖者ユクテスワによれば、地球文明は2万4千年で1周期。最も神に近づく時代を頂点(ヴィシュヌナビー=宇宙大中心に最接近)として、1万2千年は下降し、続く1万2千年は上昇する。前回の頂点の時期は紀元前11500年。これから1万2千年間、人間精神は下降を続けた。現代は最も神から遠ざかった時代からわずか1200年ほどを経過したポジションにある。

カリ・ユガ期の西暦500年が下降のボトムで、最も神に遠ざかった時代。これより1万2千年は上昇の時代になる。それからカリ・ユガ期は1200年続き、西暦1700年にはドワパラ・ユガ期(2400年間)に入った。

現代は、ドワパラ・ユガの300年ほどを経過したところ。ドワパラ・ユガの時代のテーマは、物質界を作り出している原理である精妙な電気的力を理解することだと言われる。電気的力とは、エーテル体レベルの諸力なのだろうと思う。

渡米したパラマンサ・ヨガナンダの師がユクテスワ。ユクテスワの師がラヒリ・マハサヤ。そして彼の師が大聖ババジ。大聖ババジは、パイロット・ババジとは全く別の人物。ダンテス・ダイジの出会ったのは大聖ババジの方。
大聖ババジは、何百年周期で現れると言われる人物で、出会うのは幸運であって、相当に準備ができているということ。コネや金でアポイントを取れる人物ではない。
ダンテス・ダイジがクンダリーニ・ヨーガの奥秘を開陳したが、それは大聖ババジから伝授されたもの。

次の至福千年は、数万年前のアトランティス最盛時を上回る世界的に素晴らしい時代になると言われるが、夜明け前の闇は一層深い。

新型コロナの第一波は過ぎたが、朝鮮の神人姜甑山が見た病劫(パンデミック)は、人類を絶滅しようというほどの勢いであったようだから、こんなものではないのだろう。『この後、怪病が蔓延する時は、寝ていても死に、食事中でも死に、往来する途中で死んでも弔う者がなく云々』

日々冥想を
コメント

釈迦に引導を渡した男チュンダ

2020-09-22 06:54:56 | 究極というものの可能性
◎恐ろしく深遠なものを覗き込む

釈迦は、何人もの信者から是非食事を差し上げたいという申し出を受けていたが、晩年のある日、金属職人チュンダの家で食事の饗応を受けることとした。

インドでは、雨季に入る前にきのこを採れるだけ採って置き、乾燥させて雨季における総菜として用いると云い、チュンダもそうしたとっておきの茸を調理して釈迦に出したのだろう。

ところが茸の毒が当たったのか、茸が腐っていたのかはわからないが、この食事をきっかけに釈迦は体調を崩し、結局亡くなることとなる。

釈迦は、何千何万といる釈迦の信者から、故意ではなかったが、教祖を殺害した犯人としてチュンダが狙われるのを防ごうとする意図からか、「釈迦が初めて悟りを開いて成道したときに、よく食事を布施することができた者と、釈迦がこれからまもなく入滅しようとする直前によく食事を布施することができた者との功徳は、まさしく同等であり、何らの違いはない。」と語って、チュンダをかばった。

釈迦並みの世間に知られる覚者が現れるのは、何千年に一回。そうした人物が大悟した再生後の最初の食事を与えるのも何千年に一回。また彼に末期の食事を与えるのも何千年に一回。

相当に神聖な縁のある人物にしかそれは起きないだろうということは、見てとれる。チュンダは単に無学な食材管理の甘い職人と見ることはできない。釈迦に末期の食事を与えるために生まれてきた人物なのだ。それにふさわしい人物だったのだ。

それで思い起されるのは、どんな素晴らしいチャネリングを行うシャーマンであっても、その真贋を見極める審神者は、常にシャーマン以上の境涯でなければならないということ。

人生最後の食事を与えるというのは、人間関係という卑俗な意味合いを超えた恐ろしく深遠なものを覗き込むような気分に捉われる。
コメント

中国ドラマ「花散る宮廷の女たち」

2020-09-21 06:55:21 | 丹田禅(冥想法8)
◎禅の六祖壇経

東京12チャンネルで中国宮廷ドラマ「花散る宮廷の女たち」を放映している。
中国宮廷ドラマは、時々見ることがあるのだが、今回のドラマの特徴は、キスシーンが多いこと。それと、いつも必ず出てくる「皇帝が何枚もある夜伽の女性札から一枚をひっくり返すと、簀巻きにされた当の女性が皇帝の寝室に運び込まれるシーン」がないこと。

康熙帝には、35男20女の子がいて家康もびっくり。後継者争いは年長の9男くらいで争ったが、後継者争いのしこりは、四男雍正帝が即位してからも残った。

雍正帝は自らの後継者問題を防止するために皇太子を置かず、後継者の名は錦の箱に入れて乾清宮の正面の額の裏に置いて、皇帝の死後に衆人立会いの下でこれを開くという「太子密建の法」を採った。

この方法で後継者争いは起きなかったとされるが、太子密建の法は先帝が何度も中身を変更できるというメリットはあるものの、大盗賊やら有力宦官やら大物政治家が密かに中身を変更しても、開いた中身が先帝の意図したものだったかどうかは死後ではわからない。

一方日本の将棋タイトル戦においてすら封じ手を書いた封筒は三枚用意するもので、まだ太子密建の法よりも公正のように思われる。

もっとも仏教の信仰厚いチベット密教でもダライラマ後継者選定は毎度問題になっていて金瓶掣定というくじ引きをやっていたので、清朝のことは笑えない。

おやっと思わされたのは、四男が禅の六祖壇経の
『菩提本(もと)樹無く
明鏡も亦(また)台に非ず
本来無一物
何れの処にか塵埃を惹かん』を読み上げるシーンがあったこと。

これは、禅の五祖弘忍禅師の最上位の弟子神秀が、「この身は悟りの本だからいつも努力して汚れを掃除していないければならない」と偈を出して来たのに対し、一介の米つき男慧能が、「本来無一物なのだから元々汚れなどない」と大逆転シュートを放った故事。

清王朝はラマ教であり、禅籍を学ぶことはまずないはずなのだが、後の禅僧弾圧からヒントを得たのだろうか。中国人がアメリカに大勢渡りアメリカの禅ブームに刺激を受けたのか。アメリカでは、小粋くらいの意味の形容でzenが使われるのだが、そういう逆輸入か。

禅は日本に入って、臨済系と只管打坐系で残っているが、中国でも禅僧禅刹が残っているから禅が残っているとは言わない。禅で大悟した人がいてなんぼである。
コメント

共産主義洗脳、カルト洗脳、コマーシャル洗脳を称して中有的という

2020-09-20 07:02:19 | 冥想アヴァンギャルド
◎たった二つのアプリで行動が支配される

共産主義国が建国されると、何しろなじみのない共産主義思想で国民を洗脳しにかかる。そして共産主義をよく学びよく実践した人は共産党に入党できたりする。共産主義には、宗教も、神も仏も天皇陛下もなく、人は死んだら相手にされない。

そしてカルト。カルト内のメンバー間の主たる話題は、しばしば「神仏からの恩寵、祝福、功徳」、「現代文明の終わり、世の終わり、最後の審判」、「悪魔の邪魔、霊障」だったりして、ほぼカルト内メンンバーの頭の中においては、論理的思考を停止するような教義上のストッパーが至るところに組み込まれているものだ。

さらにコマーシャル。昔はテレビとラジオ、新聞、週刊誌くらいのものだったが、最近はネットが加わり、洗脳の内容も政治あり経済あり世界観あり歴史観あり労働観あり私生活の指針までと、マクロからミクロまで何でもありの時代となった。

日本では、明治から記憶力偏重の教育が継続されていて、折に触れ論理的思考力も大事だなどとは言われている。七チャクラでは、智は額の中央のアジナーに配当されているが、智とは何かというのを考えて来て、確かに記憶力の側面、論理的思考力の側面はあるが、もう一つ洞察力という側面があるのではないかと思うようになった。

これらの洗脳というのは、論理的思考力や洞察力を阻害するように作用するもので、高度な洗脳になると感情に訴えたり、金や家族のことから攻めたり、最後は脅迫、監禁まであることはオウム真理教だけの話ではない。

一方カルト内で敬虔、従順な信者として育成された青年夫婦が結婚すると、セックスの仕方がわからず数か月苦労した例もある(ドアの向こうのカルト/河出書房新社P164)

いまやカルト教団の信者や共産主義国の国民でなくともあらゆるブレイン・ウォッシュにさらされて人は生きている。

アメリカで禁止が取沙汰されているTiktokは動画主体アプリだが、中学生から20代まで動画を見始めると何時間でも止まらない思考停止人間が増加し、いわばバカ製造アプリとして高く評価されているのではないか。Tiktokで思考を停止し学ぶ時間を奪い、wechatで〇〇政府からの指示を伝達され金も管理されてしまうのでは、たった二つのアプリで洗脳も行動規制も完結してしまっているのではないか。

昔カルトは駅頭に立って勧誘していたが、今はスマホのアプリを2つ入れると、自分でも気がつかない内に、あなたは立派なカルト候補にされているわけだ。

かくして人は何が正しくて何が邪なのかわからなくなり、神仏に連なる洞察へは冥想が近道であるなどという情報も無数のどうでもよい情報の中に埋もれていく。そういう救いの見えにくい世界を中有的という。
コメント

宗教と道徳が壊れていく過程で

2020-09-19 06:48:18 | 冥想アヴァンギャルド
◎邪境と魔境

宗教と道徳が壊れていく過程といえば、まず万人が神知る至福千年の時代には、自ずと宗教はなくなり、そこから発する道徳というものもなくなる。なぜならば、人の行動に悪は見られず、善行のみ行われるからである。よって、そんな世界を見ている人が現代を見れば、「バカどもの生きている狂った世界」というような一見理解不能な表現をとることがあり、一般の常識的社会人は面食らってしまう。

だが宗教と道徳が壊れていく過程といえば、歴史上に有名なのは、ロシア革命の時代と中国の文化大革命の時代。これは、万人が神知るとは逆方向の時代であって、人間の善意、自己犠牲などあらゆる神性に連なる美点をどんどん排除していった時代。

具体的には、社会の人々全体が、愛と善意、健全な感情が卑しく頽廃的なものと考え、廉潔であることは悪いことだとされた。行動面では、破壊、特に公共物の破壊は奨励され、道徳的で丁寧な挙措は忌むべきこととして批判されもした。

こうした礼儀正しく道徳的な行為をせず、歪んだことや過去何年も築き上げたものを破壊することは、文化財破壊や親子家族の紐帯を切ることまでよしとする風潮を生んでいった。

中国では文化大革命中の10年(1966-76)は、全国的にそのような時代であったが、流石に人倫に悖りすぎることからやや揺り戻し、それが以後の経済発展の原動力にもなったことは承知しておくべきだろう。その間の政治的な変動については政治好きの人に任せておくとして、中国人は文化大革命によって、礼儀と公衆道徳を失い、親子家族への信頼も薄められ、「善」を行えば、周辺に糾弾され排除される時期が必ず来ることを学んだ。

その結果、中国に見るべき文化財がほとんどなくなって、自然遺産ばかりになっている。

中国の歴史と言えば、ネットでは天安門事件のタブーのことばかり言われるが、中国人の精神にとって、文化大革命の悪夢の10年の方が影響が大きかったのではないか。

ロシアについては、ロシア革命の時期もしかりだが、1991年のソ連崩壊後大半の人が失業したと言われ、自殺者も激増した時代があるのだが、その方が現代ロシア人の精神性に影を落としているのではないだろうか。

いずれにせよ、共産主義国では、神仏の視点から見て「悪を奨励し善を貶める」大衆運動が組織された時期があり、それは共産主義洗脳の一環なのだろうと思うが、大きく国民の精神性と行動にネガティブな影響を与えているように思う。

中国人が単に拝金なだけでなく、道徳無視なところを日本でも見かけることがあると思うが、それはそういう時代背景を過ごしてきた影響があり、かつチベットやウイグル、最近ではモンゴルなど少数民族への抑圧も、その発想の基本に「悪を奨励し善を貶めてもよいのだ」という考え方が仄見える。
日本では知られていないかもしれないが、日本だって、中国から見れば大和族という中国に服属すべき少数民族の一つにしか見られていないという面もあるのだ。

かつてダンテス・ダイジは、文化大革命の中国を邪境と評し、冥想の古典テキスト摩訶止観で天台智顗は、冥想中に魔境あることを示した。

事程(ことほど)左様に、人は神仏を知らねば何が正しくて何が邪なのかはわかるものではないと思う。
コメント

仕事シーンと冥想シーン

2020-09-18 05:44:48 | 丹田禅(冥想法8)
一休水鏡

仕事をしている時には、リラックスしていては、精度が落ちて仕事にならない。そういう時は、何か自分は何か特別な人であって、永遠に居るように思って仕事をしているものであることは否めない。

だが、冥想シーンではその真逆を行く。
一休水鏡から、
自分は何か特別な人であって、永遠に居るように思う人に

何事も皆な偽りの世の中に
死ぬるというもまことならねば
これを不老不死の薬と云ふ。

死ぬということすらも真実ではない立場とは、すべての物質現象、精神現象すらも実体がない、空の立場、色即是空の立場である。これが時間のない立場、不老不死に之(い)く。

それを前提に、釈迦の説く八正道など三十七分法についていたずらだと云う。

釈迦といういたづら君の世に出でて
多くの者を迷わするかな

さらにそれすらもないという。

本来も無き古(いにし)えの我なれば
死行方(しにゆくかた)も何もかもなし
コメント

王褒

2020-09-17 05:50:11 | 道教
◎身体が金色の光を放ち頭に円光

王褒は、范陽の人で、漢の安国侯七世の孫。幼少の頃から仙道を好み華山で修行を積むこと九年。すると有る夜、天から神人が下って、天帝の命により、仙籍を司る大役を命ぜられ、以後も修行に励むように言いつけられた。

その後彼は、洛障山で修行、ここで南極夫人、西城真人の二人から仙書を授けられ、三人は雲車に乗って玄州に到着した。玄州は四方を海に囲まれた孤島で、中央にリーダーの太上丈人が居る。王褒は、雲碧陽水、晨飛丹腴二升を与えられて、この仙薬を飲んでたちまち仙道成就した。

また彼は、宝芝を貰って、これを服して身体が金色の光を放ち頭に円光を現すようになったという。そして彼は、天地間の秘密の文書はすべて彼が監理するところとなったという。

これは、霊界物語風の神霊譚。外丹風に書いてあるが、内丹での仙道成就なのだろうと思う。

身体が金色の光を放ち頭に円光というのは、それを見た人物だけが描き得るひとつのサイン。

また王褒は、羽車でもって全国の仙洞を巡る役目もあったが、この羽車も一つの特徴であって、単にアストラルトリップと大くくりすべきでもないと思う。
コメント

短時間に真剣に

2020-09-16 05:42:15 | 古神道の手振り
◎真心をこめし祈言(のりごと)短くも 恵みの神は聞こし召すらむ

主婦だったり、外で働いていたり、学生だったりすると、休日を除けば長時間の冥想時間はとれるものではない。

かの教祖だった出口王仁三郎は、中年以降は他の教団のトップのように朝晩時間をかけて礼拝とか勤行をしなかった(巨人出口王仁三郎P328)。

むしろ短時間に集中してやることを好み、一般参拝者と一緒にやる朝拝では、自分だけ早いペースで祝詞を奏上しさっさと帰っていった。あるいは一人で短時間に集中してやる時は、他人が声を合わせるのを嫌い、邪魔するなと叱ったりした。

彼は神前に正座して神様の言うことを聞いていることもあったが、日常生活の必要なシーンでは、必ず神様が必要な相手の情報を知らせてくれた。例えば、この病人は助かるか、出征した兵士が生還するか、この人物はちゃんとした人だと紹介されたが殺人シーンが見えた云々。

こうした時宜に応じ必要な超能力に比べれば、右翼の大立者頭山満にお茶を少女に持っていかせたが、その足が10cmほど床から浮いていたなどは児戯のようなもの。

ただ彼の姿勢は、常に敬虔

真心をこめし祈言(のりごと)短くも
恵みの神は聞こし召すらむ

大前にそなえまつらむものもなし
ただ赤心(まごころ)の清きのみなる

安らけく御前にまをす太祝詞(のりごと)は
神に捧ぐるみつぎものなり

なにひとつ世に功績(いさをし)はなけれども
きみのちからに栄えゆくかな

コメント

クリシュナの不倫-2

2020-09-15 05:26:28 | ザ・ジャンプ・アウト
◎恋に生き、恋に死ぬ

インドでは、大聖クリシュナが牧畜の村全体の人妻、少女、独身女性、乳飲み子を抱えた婦人まで、その魅力で虜にし、全員しばらく帰宅しようとしなかった故事がある。

クリシュナは、彼女らに窮極を見せ、感じさせたので、自宅に帰るように諭したが、一向に彼女らは帰宅しようとせず、魅力あふれるクリシュナのもとを去ろうとしなかった

そうしている間に、村の方から早く妻や娘を返してくれるように矢の催促が繰り返される。

困り果てたクリシュナは、自ら姿を消した。その結果、村の婦人たち、娘たちは、夫や父の元に帰っていったのだが、帰った後も彼女らはクリシュナに未練たらたらだった。

これは、紀元前のインドの話だから、クリシュナの方が先に消えることで決着した。ところが、これが現代に起きれば、クリシュナの消えることを待たず、意識高い系の女子は自ら先に消える方を選ぶのだろう。

男女の問題は、女性が何のために生まれて来たのかという問題を抜きにして、カルマの解消だ、解脱だ、西方浄土に転生だなどということは論じることはできないとつくづく思う。

女性にとっては、女を生きるためにまず人生があるのだということがわかるには、何年もかかった。

冥想修行の多くが、男性の側の修行法であるのはよいが、そこで女性の立ち位置は何なのかということは、必要のある人は察するべきなのだろうと思う。

彼女ら全員がクリシュナを恋人と思い定めたが、相思相愛となるべくもなかった。

離婚率3割で、生涯未婚率も高いこの時代にあっても、女性は恋に生き、恋に死ぬのだ。
コメント

あるマイノリティ

2020-09-14 07:37:58 | 時代のおわり
◎コップの中で水をかき混ぜる

最近は、日本人も外国勤務、外国旅行する人も増えて、外国にあってふとした夕暮れに感じる異邦人あるいはマイノリティとしての心細さを感じたことのある人も多いのではないか。

先住民族に対して後から来た民族はマイノリティとして入っていく。後から来た民族は、その異国が気に入らなければ祖国に帰国すればよい。

だが歴史のいたずらか、長い目で見ればその民族自身が選び取った道なのか、祖国を失うケースがある。

ユダヤ、アルメニア、最近ではチベットなどがその例。
戦前ドイツにおけるユダヤのホロコーストなどは、いきなりユダヤ人住民が全員逮捕されて強制収容所に入れられたわけではなく、段階を踏んでそうなっていった。

その段階とは次のようなものである。
第一次世界大戦での債務返済に苦しむドイツは、国民が窮乏していた。
1.1933-35年
ドイツの学会や文化界からユダヤ人を追い出す。これにより才能あるユダヤ人4、50万人が出国したという。アインシュタインが帰国放棄したのもこの時期。

2.1935-38年
ニュルンベルグ法実施により、国家公務員や軍隊からユダヤ人を締め出し、ドイツ人とユダヤ人の結婚禁止、劇場公園などの公共の場所へのユダヤ人の出入り禁止。
当時頻繁にユダヤ人の店が破壊されたり、ユダヤ人が街頭で集団リンチされたりしたという。

3.1938-41年
ドイツ・ポグロムの時期。ユダヤ住民の積年の恨みが、ユダヤ人対ドイツ人の衝突、暴動の形で各地で噴出。これをきっかけに1938年11月7日ナチスは、一晩でユダヤ人2万人を逮捕。これ以後ユダヤ人の経済活動、商売は一切禁止された。

4.戦時中の強制収容所ガス室での大量虐殺。
(参考:十字架のユダヤ人 誤解されし民族と日本人/小谷瑞穂子/著 サイマル出版会P207-212)

霜を履んで堅氷至る。物事は突然に起こるかに見えて必ず前兆はあるもの。
いくら平和憲法を護持していても隣国が領土を奪いに来ているのであれば、空念仏のようなもの。平和平和と言っているうちに軍備が弱体すぎて亡国となったチベットのような先例もある。

日本が、実質的な軍備やインテリジェンスを持たないことは、いつでも諸外国の草刈り場となるべくとって置かれているという見方もあり得る。

一方で米国の長期的衰退は、最後はその軍事力の衰退に及ぶ可能性がある。平たく言えば、真面目に働かない人の多い国は遠からず衰退していくもの。
また共産圏には中国や北朝鮮のように強制収容所があって、そこの人々はよく働くらしい。わざわざ塀で囲わなくとも自発的に一生懸命働いてもらった方がベターだと、その為政者も考えてはいるのだろうが。

心の中に神なき人々、特に経済的利得と便利だけに凝り固まった人々が集まれば、その経済的利得と便利は必ずピークに達して自壊していく運命を持つ。

米中対立とかアングロサクソン対ユーロ・ドイツとか、ユダヤのグローバリズムとか言っていても、神仏の自覚なければコップの中で水をかき混ぜるようなものだ。

心の中に神仏なき運動、キャンペーンもそのようなものだと思う。
コメント

ヒトラーは私たち全員の中にいる

2020-09-13 06:06:59 | 究極というものの可能性
◎強制収容所ガス室の壁に描かれた無数の蝶

『ヒトラーは私たち全員の中にいる』と語ったのは、戦後まもなくポーランドのマイダネック強制収容所でエリザベス・キュブラーロスに出会ったゴルダという気高い美人。彼女は、ガス室の扉の前まで行きながら、偶然が重なり、家族の中で一人生き残り、浮浪者として生き抜いてきたのだ。
この言葉が、キュブラーロスを死の研究に駆り立てた。

そして、マイダネック強制収容所ガス室の壁に描かれた無数の蝶。

キュブラーロスがポーランドからスイスへの帰途、彼女は腸チフスで瀕死となって動けなくなった。その際、彼女はポーランド娘と周りから思われていたせいか、『ポーランドの豚は死ねばいいのさ』という死にゆく者に対する尊厳のかけらもない言葉を何度も投げつけられた。

死は存在しないとは、生は死の一部であるという立場からのものである。

一方で死に行く者に手を差し伸べるというのは、何か忌むべき汚れたものという感じを持たれ、村八分されがちなものだろうか。

死にゆく人間がどこに行くのかのケース・スタディを積み重ねたエリザベス・キュブラーロスは、最後まで一般人の感覚に受け入れられることはなかった。

1980年代半ば、彼女は、アメリカのヴァージニア州に300エーカーの土地を買って、自然の中にあるヒーリングセンターを開設した。

ところがそこにエイズ感染児を受け入れるという計画を発表して以降、そしてその計画をあきらめた後も、彼女の自宅の窓は銃弾で撃ち抜かれ、家畜たちは撃ち殺され、と脅迫は続いた。

その挙句1994年10月6日、その自宅は放火され、自宅は全焼、家財の他、二万件もの死後の生に関するケース・スタディや論文が灰燼に帰した。

当時はまだエイズはほとんど不治の病だったのだ。

それにしても、「人間は瀕死になったら人格はなく、諸事情が許せば、瀕死の他人は見殺しにしたり棄て去るべきものだ」という社会性の感覚が今の世界では共通のものと思われる。

だから彼女に対する忌避が一般社会、一般常識としてまかりとおる。

かくして『ヒトラーは私たち全員の中にいる』という状況は戦後75年不変であって、米中がヒトラーAとヒトラーBに分かれて戦うシーンが広がっている。
コメント

バハイ教

2020-09-12 07:04:15 | 古神道の手振り
◎日本の覚醒を予言

バハイ教は、出口王仁三郎と同時代人であったアブドル・バハーが活躍したイランの宗教。

バハイ教の窮極はハーフート(”かの”領域)と呼ばれ、神の顕れざる本質、「隠された宝」、絶対一性であり、まさに正鵠を射ている。

バハイ教は、19世紀半ばにイランでバハー・ウッラーが創始した一神教。イスラムではムハンマドが最後の預言者なのに、バハー・ウッラーも自分は預言者であると主張したために、当初からイランでは布教禁止で、いまでも迫害が続いているという。ただし出口王仁三郎は、これに着目していた。

アブドル・バハーは日本について注目すべき発言をしている。
『日本は炎々として燃え立つ時があろう。日本は神の御力の伝播に対して、非常に驚くべき能力を付与されている。日本は全世界が注目するが如き、各国民の精神的覚醒の先駆をなすであろう。』
(日本と世界の前途/人類愛善会/P23から引用(昭和8年2月))

当時の日本は現人神を中心に国家神道をやっていたので、八紘一宇で国家神道ジャパンが世界を統一するのだろうと夢想した人も多かったのだろう。

だが今見て見れば、二度の大本教弾圧事件をプロトタイプにして、その後世界の大洗濯である世界の立替立直しが日本を先駆けにして起こることを言っている。

立替立直しは、米中が核戦争でやるのでもなく、極ジャンプやスーパー台風でやるのでもなく、自分自身が神を知り、神となることである。

立替を世人のこととな思ひそ立替えするは己が身魂(みたま)ぞ
(出口王仁三郎)
コメント

一休の母

2020-09-11 05:32:40 | 丹田禅(冥想法8)
◎言えば言わず言わねば胸に騒がれて

一休の母は、浄土宗であって、時間があれば念仏を唱えていた。一休は、そんな母に水鏡仮名法語などを送って気にかけていた。

一休は母に、「人はいくら道に迷っても、最後には自宅に行きつくものだ。それが悟りにたどり着く迷いの道というもの。」などと説示した。

一休はさらに『「釈迦や阿弥陀の教えはたわいのない独り言ではないか。」という者は、それもまた単なる独り言ではないか。』と言うなり押し黙ってしまった。

すると母は、
言えば言わず言わねば胸に騒がれて
思わぬ先や仏なるらん
(言えば言ったで正解ではなく、言わなければ言わないで胸が騒ぐ、そうした思いの先に仏があるのでしょう。)

これを聞いて一休が喜んで、
『今ははや心にかかる雲もなし
月といるべき山しなけれど』
(母上は、心にかかる煩悩もない、アートマン第六身体なる満月とそれが入る山もないのだけれど)

流石の一休の母である。
コメント

軽い慢性的熱中症のような日々

2020-09-10 05:41:41 | 時代のおわり
◎食べていけないこと

東京でも今年の真夏日は50日を越え、猛暑日も10日を越え、毎日軽い慢性的熱中症のような日々が続いている。かつてアマゾンの赤道直下に入植した日本人は、高温多湿の中、冷房もなかったので、日に何十リットルも水を飲まなければならなかったというが、そういう状況すら理解できる気分になるほどである。

アメリカで、警察官による黒人殺害をきっかけにポートランドやニューヨークなどで暴動BLMが起きている。コロナ禍で、2020年3月頃には全米の就業者数の半数が職を失ったと言われた。だがアメリカは食料配給制度の充実した国で、貧困層ほど肥満が見られることは知られている。それでも暴動が起きるのは某国が影で扇動しているからだなどと政治的に見る人もいるが、この精神的な価値の方を求める時代に人は食べ物と見世物を与えられるだけでは満足しなくなっているせいでもあると思う。

一方日本も非正規雇用者の5割以上が収入減で、求人件数も激減している。日本では、低所得者向けの食料配給制度は充実しておらず、収入減は治安の悪化に結びつきやすい。これも過去三十年にわたる国民の貧困化に対してコロナ禍が追い打ちをかけた結果であって、歴代政権が実業振興策や正味の国民所得の向上策に対してあまり真剣に向き合ってこなかった結果とも言える。

日本では、国民が食べられなくなれば、米騒動、大塩平八郎の乱二二六事件など、治安を脅かす大事件が過去発生してきたものだ。

そういう危機感が異常気象を後押しすることもある。世界は政治や経済や軍事だけで動くものでなく、人の心が動かすものなのだ。

また安倍首相の突然の辞任は、米中対立が政権内部にまで深く影を落としていることを明らかにしてしまった。

この連日の熱帯夜は、火力文明の断末魔だが、商工業中心文明という外的なパワーと経済性と便利を求め過ぎた内的なパワーの結果でもある。

日々冥想を。
コメント

王可交

2020-09-09 05:47:25 | 道教
◎九月九日

王可交は、華亭の人。毎日河へ行って釣りをしていたが、ある日河の中流に七人の道士を乗せた一艘の船がやってきて、しきりに彼の名を呼んでいるように思われた。

王可交は不審に思いながら、その船に自分の船を接舷したところ、中から一人の道士が現れて、「貴殿は仙人の骨相を備えているから務めて道を修養するがよい」といって二つの栗を与えた。食べてみると飴のように甘かった。

その時、件の道士たちは一人の黄衣を着た男に命じて彼を岸まで送り返したが、岸に戻ってから振り返って見ると、自分の乗って来た船も黄衣の男もかき消すように見えなくなった。

そしてふと頭を上げてあたりを見回すと、そこは天台山の瀑布寺の門前であった。

王可交は、しばらく夢見心地でそこに立っていると、一人の僧が出て来てかれを見とがめたので、道に迷ってここに来たことを告げ、かつ自分が家を出たのは三月三日であると告げた。すると件の僧は、今日は九月九日だから、貴殿が家を出てから半年ばかりになるぞと言ったので、彼はますます驚いた。

その後彼は、五穀を断って道を修め、妻子を連れて四明山(寧波の西方)に登ったが、どこへ行ったのかその後彼の姿を見た者は一人もいなかった。

中国外丹とは、ソーマ・ヨーガのこと。栗は外丹のこと。ソーマ修行者のカルロス・カスタネダの日常をみても、夢がうつつなのか、現実が夢なのかわからない日々を過ごしている。そのことからしても外丹修行者が、半年くらい日数の感覚がないのは不思議とも思えない。

妻子を連れたのは、そこまで行き詰まっていなかったせいか。禅家でもホウ居士のように父娘同日昇天というのもあるにはある。

奇しくも今日は重陽の節句である。
コメント