アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

人は正統性を信じたい

2019-01-17 05:38:47 | 冥想アヴァンギャルド
◎体験する正統性へ

人は何を信じるかと言えば、正統性のあるものを信じる。自分が何が正統性あるものかを判別できなければ、合法であって自分にメリットがあって人気のあるものが正統だろうと考えがち。

こうして、西欧文明は、イエスの磔刑を最大のシンボルとして、一番弟子ペテロを教団トップに据え、イエス亡き後の正統性をペテロ以後のローマ教皇に付与し、世界宗教として成功するための骨組を備えた。

だが、これは自分が神を体験しないのが前提の時代のやり口。信者の大半が神を体験しないのが前提だから、闇雲に教祖と教団の正統性を聖書などの教義により下支えすることで、正統性を確保していく。

20世紀になり、時代は急速に、自分が神を体験しなければ、神を信じることができないほどに自我は膨張し、それに伴って知性は発達した。

キリスト教の輪廻転生のない人生観は、この人生は一発勝負という切迫感が強いものだ。その切迫感の背後に、容易に絶望に陥りやすいという心性が伴う。

そして欧州の長く農業生産性が低いことから来る飢餓の不安は、隣国(日本や中国から見ても小国の規模)との争闘の頻発を引き起こし、20世紀の2度の世界大戦の土壌となった。

キリスト教の神は第一身体ニルヴァーナでよいが、聖霊は、あまりにも意味が広く単純に第二身体アートマンと称するには問題があるが、キリスト教世界観における第二身体とは聖霊であると言わざるを得ない。

キリスト教では、母が不在で、「父なる神」。全能者に性があるのは異様であって、他宗派の覚者は、これをして二位一体と見ているケースがある。

それでも人は自ずと父・男性だけのバランスを調整するもののため、母なきキリスト教は、マリア信仰を認めてきた。

現代では、正統性を信じたいが信じきれない人ばかりで、自ずと自分で体験できる神仏道コーナーみたいなところがないとしっくりこない人が増えた。

正統性を求め、金やブランドやアイドルやスポーツ・ヒーローに熱狂する時期にも終わりが来ている。

自ら正統性を確認する時間だとアラームが鳴っている。その正統性は、個にはなく、全体にしかない。
個は第五身体コーザル体まで。全体とは、第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナ。

人は何を神仏と見るかと言えば、第六身体、第七身体だけでなく、第五身体コーザル体を神仏と見ることがあるそうだ(ダンテス・ダイジ)。
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NGT48事件と朝鮮半島情勢

2019-01-16 05:38:18 | 時代のおわり
◎不安定が不安定を呼び拡大するタイミング

過去、日本は朝鮮半島が不安定な情勢になるとそれに呼応して、日本国内でも政変が起きがちであった。

古くは646年大化の改新と661年白村江の戦。国内ではこの前後、中央集権の強化が進められた。
1274年文永の役、1281年弘安の役での蒙古襲来。その時は国家一丸となって防いだが、1324年1331年の2度にわたる後醍醐天皇の倒幕計画が発生。
さらに豊臣秀吉の朝鮮出兵と徳川の政権奪取。
征韓論に発し、日清戦争、日露戦争を経て1910年の日韓併合。

沖縄が長崎からも上海からも台北からもほぼ等距離にあり、戦略的要衝であることは、ペリー提督の綿密な調査でも知られているところ。

一方越の国新潟も、朝鮮半島や沿海州を望む要地であり、昔は北朝鮮の万景峰号もよく寄港し、中国領事館まである。

昨今、韓国の文在寅政権は、北朝鮮と韓国は国際法的には交戦中でありながら休戦しているだけなのに、「2018国防白書」から北朝鮮を「敵」と位置づけていた従来の表記を削除したり、米韓軍事演習の規模を縮小したり、次々と親北朝鮮政策を打って、米国や日本を当惑させている。韓国が対北朝鮮という点では軍事的空洞化しつつあるわけだ。

こうした時勢で思い起こされる予言といえば、朝鮮の神人姜甑山の予言と出口王仁三郎の意識した『東魚来つて西海を呑む。日西天に没すること三百七十余日、西鳥来りて東魚を喰む。』という聖徳太子未来記の予言。

こうした西北の天が騒擾を始めようとする時に、全国を騒がすNGT48事件が西北新潟で起きたのは単なる偶然ではないのだろうと思う。

予言といえば、人は他人の予言を読みたがるものだが、今自分の心を澄ましてみれば、真相もこの後の成り行きも自分の胸中で感じ取ることができるのではないだろうか。
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OSHOとダンテス・ダイジの性愛冥想の違い

2019-01-15 03:04:01 | カーマ・ヨーガ(性愛冥想)(冥想法4)
◎バグワン流

OSHOバグワンもダンテス・ダイジも性愛冥想には、わずかなヒントしか残していない。

だが、二人の性愛冥想には決定的な違いがある。ダンテス・ダイジは、不倫というようなわだかまり的なものがある場合は成就しないというようなことを言っているのに対し、OSHOバグワンは弟子の間での性愛パートナー交換は日常的だった。この点はクリティカル。

OSHOバグワンは、タントリズムはじめいろいろな宗派の経典をひいては性愛冥想についてコメントしているが、どうもダンテス・ダイジのそれとは全く別のものを言っているように思えるのだ。

OSHOバグワンのプーナに移る以前で、わずか25人程度のグループだった時代に弟子になったヒュー・ミルン。彼の著書『ラジニーシ・堕ちた神(グル) 多国籍新宗教のバビロン ヒュー・ミルン/著 第三書館』は敬して遠ざけるみたいにしていたが、改めて今読んでみると、冷静で緻密な書きぶりの求道者であり、のっけから、自分は20台だけどOSHOバグワンの指図で年齢が倍の面識のない婦人(小教団のリーダーで30人の弟子をインドに連れてきていた!)と、夜、メイク・ラブすることを指示された話が出てくる。

幸運にも、これは見事に失敗した。

当時から教団周辺のインド人からは、OSHOバグワンは、セックス・グルで、セックス教団と陰口をたたかれていた。OSHOバグワン自身もオルガズムに導く技法について解剖学よろしく細かく講義もしていたという話も出てくる。だが、信者同士のフリーセックスは奨励し、自らもパートナーを次々に変えていたらしい。

ところが教団内は、上水道などの問題で、もともとあまり清潔ではなく赤痢が蔓延した上に性病も蔓延。こうしたやり方もやがて下火になったという。エイズが出てくる前の時代のこと。

男性がパートナーを変えるのと女性がパートナーを変えるのは、意味が異なると思う。

平たく言えば、OSHOバグワンは、相手の心理を読む神通力は持っていたが、女心を理解することにはあまり関心がなかった。それに対して、ダンテス・ダイジは、女心のことは十分に理解していた。その辺がダンテス・ダイジの不倫はダメみたいな話につながってくる。

よって、そこから出てくる性愛冥想へのアドバイスは、二者間で自ずと異なる。

これは私の想像だが、前世で、生真面目なチベット密教修行者だったり、孤独なクンダリーニ・ヨーガ行者だったOSHOバグワンは、性愛方面では経験不足であり、大いにカルマを残していたのではないか。

これに対して、モテ男クリシュナの後身であるダンテス・ダイジは、女性のことは何でも掌を指すように理解していた。


OSHOバグワンは、集団の裸体冥想もやっていた。ヒュー・ミルンは、その写真を目にした。

そういう風景は天国(出口王仁三郎の霊界物語に指摘あり)にはある。また家の宗教がジャイナ教だったバグワンらしく、ジャイナ教風でもある。だが、インド人ならずとも、どの国でもそれをやれば皆顰蹙する。

覚者の合理的判断は尊重すべきではある。だが、それが社会の迷惑を全然顧みないで出ることも時にある。その一例がこれ。

ダンテス・ダイジは、OSHOバグワンが、コミューンでチャレンジしていることは評価していたが、弟子たちに対して真摯であったかどうかは疑問であるみたいなことを言っている。そういうのがバグワン流なのだろうと思う。


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バルドル神は復活せず

2019-01-14 06:19:03 | 冥想アヴァンギャルド
◎世界中の生きている者も死んだ者も彼のために泣く

北欧神話エッダで、不死を謳歌するバルドル神をアース神たちが、その不死を試すために弓で射たり剣で切りつけたり石を投げつけたりする遊びを行っていた。何をやってもバルドル神は、傷一つ負わなかった。

そこでいたづら者のロキが盲人のヘズをけしかけて、弱点のヤドリギの矢でバルドル神を射て殺した。

さてバルドルの弟のヘルモーズが、死の国に九日間を費やして馬を進め、死の国の女王ヘルにバルドル神を返してくれるよう要請した。

するとヘルは、世界中の生きている者も死んだ者も彼のために泣くならば、彼を返そうと言う。

やがてアース神たちからこれを聞いて、人も動物も大地も石も木も金属も泣いた。

ところが洞窟に棲むセックという女巨人だけが泣かなかったので、結局バルドルは生き返ることはなかった。
(『スノリのエッダ』第一部『ギュルヴィたぶらかし』から)

バルドル神は、人間の正の部分、明の部分のシンボル。バルドル神は生命を謳歌する時期はあったが、やがて翳りを見せ、死を迎えた。

結局、世界全体が泣ききって復活させるシナリオとこの話のようにこの世に未練を残して復活しないシナリオとがあったはずだが、『スノリのエッダ』では、死の不可逆なること、厳正苛酷であることを強調した。

バルドルを復活させるという目的を持った冥想は結局成功せず、今度こそ世界は本当に、自分の無力に絶望し泣かねばならなかったのだ。その時に本当の復活が起こるのだと思う。
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Bluetoothとルーン文字

2019-01-13 07:12:30 | 冥想アヴァンギャルド
◎アトランティス滅亡から神代文字まで

イアホンは、Bluetoothが出始めた頃から無線なので、私は結構古いBluetoothユーザーなのだが、初期のBluetoothで音楽を聴くとカスカスなひどい音ではあったが、今は有線イアホンと遜色ないまでに進化し、Bluetooth専用スピーカーが登場するまでになった。

Bluetoothのアイコンは二つのルーン文字の組み合わせ。私のような北方転生系は、ルーン文字に本能的に関心が高く、いろいろとルーン関連書を読んでみたが、あまり感心できるものはなかった。

ルーンでは地表に露出している石にルーンが彫られているものを資料として扱うことが多いのだが、断片的でもあり、1万2千年前のアトランティス滅亡時からの経緯を示唆するようなものはないようだ。

また石碑は、好太王の碑や、群馬の多胡羊大夫の碑のように土中に埋まっていたり、風化していたりするので、大量の事績を伝えるには向かないと思う。

するとアイヌのユーカラや古事記(稗田阿礼が口述)のように人間の記憶術を記憶媒体として口承するというのも大容量記憶の有力選択肢だった可能性がある。先進国だった古代ローマの記憶術の記述を見ると、ますますその可能性を感じる。

Bluetoothのアイコンは、10世紀のデンマーク国王、ハーラル・ブロタン(Harald Blåtand)の頭文字のHとBのルーン文字を一つに合体させたもの。

1万2千年前のアトランティス滅亡時に、エジプト、北中米、北欧、インドなどに残党が脱出。それぞれの国で、この21世紀の至福千年の始まりに向けた神話を創造して残した。それらが、エメラルド・タブレットであり、旧約聖書であり、古事記であり、マヤ・アステカの神話であり、北欧神話、バガバッド・ギータなどである。救世主入門というのは、そうしたものの一種と見ることもできる。

明治初期の文章であっても、もう読みにくいように、言葉は、文字も含めて千年2千年で考えると全く変わってしまう。

古事記以前は公式には日本は無文字だったということになっているが、神社の神璽などを見ると神代文字を見る場合があり、古事記以前は神代文字が日本の国字であった可能性がある。

平仮名片仮名漢字以外のものを全部神代文字と分類しているが、神代文字は何十種類もある。ハングル似のもある。

出口王仁三郎の見るようにアトランティスの係流のスサノオは当初ユーラシア全体を支配していたが、その後領地を次第に縮小し、最後は日本だけになったとみれば、神代文字は、その何千年にもわたって使われてきた文字であって、神代文字そのものも時代とともに変化してきた。

663年白村江の大敗から日本への唐の干渉きつく、ついに神代文字を放棄することを迫られ、その約50年後に古事記が編まれ、万葉集という明らかに別言語を漢字表音で充てた歌集が作られたというシナリオは可能性があると思う。

ルーン文字も何千年使われてきたのだろう(ルーン文字も何種類もある)が、呪術的なシンボルらしい程度のことしか今はわかっていない。

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落ちた中国人の公徳心

2019-01-12 06:02:20 | 時代のおわり
◎観光客という名の中国難民

日経ビジネスオンラインの『世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」 最終回 中国・国家にも「古希」の寄る年波 12年9カ月、通算569回の連載を振り返って』を読んだ。

今や公徳心のない国民といえば中国人の代名詞になっているが、彼はその淵源を文化大革命に求める。

現代中国では、急病人やけが人を救護せず、放置する風潮。なんとなれば、救護したばかりに、急病人やけが人の家族から、無実なのに加害者に仕立てられたり、莫大な損害賠償を負う可能性があるからである。

かくの如く善人の善意がバカを見る事件が全国的に相次いで、中国では公徳心のないほうが平和に日々を過ごせるという社会通念となった。

そういう風潮を誰が主導しているのかを、筆者は、“毛沢東”が主導した“文化大革命”(1966~1976年)時代に青少年期を過ごした世代だと見る。これは、習近平の世代であって、今の老人の世代である。

当時は、造反有理のスローガンのもとに旧世界の秩序を破壊するのが何でもよしとされ、学校や公共施設の設備や備品を破壊することが称賛され、道徳そのものが徹底的に排除されたと聞く。そういう環境で、幼少から青年期まで過ごせば、公徳心のないことがむしろ是であるとなってしまうのだろう。

清朝末期でも、まだ道徳を学びに日本人が中国に留学したもの。ところがいまや中国人が日本の公徳心のレベルを見て一様に驚くほどに中国人は落ちてしまった。中国の方がキャッシュレスが進んでいるなどと目を見張っている場合ではないと思う。

中国は、天安門事件以降、日本の高度成長政策を研究し急速に豊かになった。だが、急速に大をなしたものは、しぼむのも急速なもの。土台が弱いからである。

2016年から二人っ子政策になったが、生活が厳しいので人口が増えない。一方で野放しの残留農薬の影響で、男性の精液中に含まれる精子数が受精限界に近付いていて、不妊治療5千万人。

文化大革命時も中国からボート・ピープルが大量に発生したが、中国経済がさらに疲弊すれば、観光客という名の中国難民が大量に日本に押し寄せるのも夢想とは言えまい。

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世界のおたずね者となったOSHOバグワン

2019-01-11 05:32:13 | 究極というものの可能性
◎神仏の原理と既得権者の相剋

1980年代前半にアメリカに瞑想コミューンを作るべく、OSHOバグワンは大いに動いた。だが、1985年11月彼はノースカロライナ州シャーロットで逮捕され、生涯苦しむことになるタリウムを投与されるなど何度も殺されかかった。以後世界のどこに行ってもアメリカの意向で彼は滞在を認められなかった。(OSHOアメリカへの道

当時のアメリカの法務長官チャールズ・ターナーによると、OSHOバグワンへの対処方針には3つあり、
1.コミューンを破壊する。
2.OSHOバグワンを殉教者にしない(殺さない)
3.OSHOバグワンには、何らの犯罪を犯したという証拠がなかった。

この背後で、アメリカは、OSHOバグワンのいた刑務所内に爆弾を置いたり、三度彼を殺そうとトライしていた。(ニュー・ウーマン誕生 バグワン・シュリ・ラジニーシ 講話 ラジニーシ・エンタプライズ・ジャパンP142)

OSHOバグワンは、まともで美しいことを沢山主張している。だが、世間には、神仏の原理から言えば、禍々しい法規制、社会の慣習、社会通念がいくらでもある。それを根拠に既得権を得ている有力者、権力者もいくらでもいる。

民主主義国家の存立の基盤は、軍備と法と秩序、中国のような独裁国家にあっては、軍備と独裁者の意向。そうした中でいきなり神仏の原理に生きるコミューンが世界各国で増殖するのは、官憲にとってはもちろん好ましいことではなかった。

そこで今、実現可能で存続可能な千年王国をビジョンすると、小国寡民(老子)とか、十万都市は山陽に一個、山陰に一個(出口王仁三郎)みたいなものすごいことになってしまうのだろうと思う。

世の中のソフト・ランディングは容易ではなく、かつての日本がそうであったように困窮した国が戦争を起こすということはあるのだろうと思う。
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女性のティルタンカラ

2019-01-10 05:34:54 | 究極というものの可能性
◎裸行と女性の解脱

ジャイナ教は、裸行で有名。性器も露出するので現代では困惑するかも。開祖マハーヴィーラに先行して23人の彼と見解を一にする聖者ティルタンカラがいた。

ジャイナ教では、女性は女性のままでは悟れないとし、男性にならなければ悟れないとする。この見方は法華経と同じ(法華経を信じる女性はどう思っているのだろうか。)。

計24人のティルタンカラのうち一人だけ女性がいた。彼女の名はマリブハイ。ジャイナ教の女性は服を着ることを許されているが、彼女は服を捨て解脱にまい進することを男性僧達に宣言し、果たしてティルタンカラの境地に達した。修行のできていない周りの僧には混乱した者が多かったことだろう。

禅での尼さんには時々こういう示すべからざるを示さざるを得ない逸話があることが知られるが、まともな宗教では必ずこういう話があって、ことさらに女性も成道できることを示すのだろう。

ジャイナ教ですら、女性のままでは解脱できないとする。女性の人生の目的とは何か。それがクリティカル・イシューである。
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女丹 女の悟り-3

2019-01-09 05:37:13 | 道教
◎オルガズムを生涯一度も体験したことがない女性が多い

ある日、ダンテス・ダイジがとある喫茶店でとても静かなバイブレーションを放つ女性がいることに気がついた。

そのバイブレーションが起こる原因は、彼女のオルガズムにあると彼は言った。世に夜のむつ言を交わす男女は多いが、女性がいかに十分なオルガズムを得ることが稀なことよ。

その事情は、単身世帯が増え、結婚する人が減り、4割がおひとりさまで暮らしている現在では、更に悪化しているのだろう。

エロスとタナトス、性と死を語る識者、マスコミは多い。だが死を語るのでは本も売れずアクセス数も増えず、コンビニに並ぶ本の主流はエロ系である。紙メディアでもwebでも男性の性的満足の視点で書かれるものばかりで、女性の性的満足で書かれるものは女性週刊誌の一部くらいのものではないか。

黙示録では、世の終わりの原因は叫びであって、平たく言えば、自己実現しないことへの欲求不満と男女の性的欲求不満から来るものが叫びとして表現されると思う。性的欲求不満はより女性において問題は大きい。

世界平和は夫婦の和合からという古いスローガンもそれを暗示している。

ウーマン・リブ、女性解放運動は、いろいろな側面はあるのだろうが、昔は性倒錯とされていたレズビアンが、LGBTとして公認されるという逆流を見ている。

だがそれは、本来の課題である女性のオルガズムの実現とは何の関係もない。

女性の悟りの位置づけは、女性にとってのオルガズムの位置づけと切り離せないところがある。

女性のオルガズムの問題では、オルガズムを生涯一度も体験したことがない女性が多く、“女性のオルガズム”をまともに議論するのがとても難しいという側面がある。

それは男性の側の問題でもあり、社会全体の問題でもある。
この議論は、世情大いに誤解を招くだろうが敢えて出さざるを得ない。


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死にゆく時に意識をはっきりさせておく

2019-01-08 05:27:39 | 密教
◎元気な時に最終解脱する努力

チベット死者の書の技術は、自分の死の瞬間に、意識をはっきりさせておいて、何が起きるか見てやろうという技術。

死んでいく人がそんなことをしても、火葬されるだけなのに何になるのかと、メリデメ、儲けに凝り固まった頭は疑問を呈すだろう。

チベット死者の書では、瀕死となった人の耳元で、眠りこまないで意識をはっきりさせるように話しかけるし、さらにこれから見えることどもを簡単に説明する。

日本でも念仏では、臨終正念という死にさいして(意識をはっきり持ち)極楽往生を願うという作法がある。意識がはっきりしていなければ、極楽往生の思いは混濁する。

死の闇が瀕死となった人間をひしひしと取り囲む時に、一瞬生の光が燦然と輝く瞬間が訪れる。これをチベット死者の書では原初の光と呼ぶのだが、体力がどんどん落ちて、五感も衰退していく中で、意識だけをはっきり清明に残しておけるのは、生前にそのような訓練をした者だけである。

そのような非常事態において人は通常は、無意識に落ち込んで何が起きているのか知らないままに、パノラマ現象とか、別のボディに遷移して、三途の川あたりで意識が戻る。輪廻転生から逃れられなかったのだ。

人生、輪廻転生を苦悩と絶望の繰り返しと観ずる人にとって、そこから抜け出すチャンス、明確なチャンスは数少ないものだ。

この時代は、核戦争の他に、風水火の大三災いなどにより大量死のビジョンもないわけではなく、「私は死にそうだから、意識を清明に持とう」という時間的余裕もないままに死を迎えることもあるかもしれない。

それを思えば、わざわざ人生の終わりの臨終時のみを待つ冥想修行などより、平生の元気な時に最終解脱する努力をする方がベターだと思うのが自然である。

臨終は誰にでも起こるクリティカルな人生上の出来事だが、それ以外にも日常の覚めた意識の連続は実は不連続であり、連続と連続の間に隙間があるという。これを認識するには、相当に精妙な感性を必要とする。

クンダリーニ・ヨーギ出口王仁三郎は六度死に、ダンテス・ダイジは、クンダリーニ上昇の秘儀に肉体死ありとし、OSHOバグワンも『瞑想とは、いかにゆるやかで自発的な死にいたるかという試みだ。』(死・終わりなき生 オショー・ラジニーシ/著 講談社P64から引用)とする。

この文では肉体死を強調しているが、実は眼目は自我の死の方であることは言うまでもない。

自発的肉体死を強調するのは、世間的、皮相的マスコミにとっては物議をかもすところだが、密教の伝統、古神道の伝統テクニックというのはそういうものであると思う。
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映画フラットライナーズ(2017)

2019-01-07 03:30:17 | 究極というものの可能性
◎死を正面から取り扱う心意気

この映画は1990年のフラットライナーズのリメイク。5人の若いお医者さんが組んで、うち4人のお医者さんが薬物投与と電気ショックで、1分~4分程度の臨死体験を自発的にする話。

臨死時には、脳死が進行するので、蘇生作業は時間との闘い。その緊迫感よりは、臨死体験した4人が神に出会うかどうかに注目して見ていったが、神には出会わなかった。

誰かチベット死者の書ばりに、死のプロセスが進行する映画を作ってくれないものかとも思った。

キリスト教国では、輪廻転生は描きにくいだろうから、仏教国日本で、死と成仏、転生を描き、肉体乗換もあるという映画なら見どころ一杯なのだが。

本作では、臨死体験した四人が、過去に犯した自分の罪にさいなまれる「心の鬼」への取り組みが後半の中心だが、臨死体験者4人全員霊道が開けてポルターガイストなどホラー映画的展開になったのはいただけなかった。

私から見れば出来は今一つだが、死を正面から取り扱おうというアメリカ映画の心意気、フランクさは高く評価したい。スピリチュアル分野の映画ファンとしては、いつまでもホラー映画とかオカルト映画、カルト映画を見たい人ばかりではないと思うのだが。
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女丹 女の悟り-2

2019-01-06 06:49:24 | 道教
◎太陰煉形で月経を止める

道教では、男性は射精を止めて太陽煉氣で気を用いる。女性は月経を止めて太陰煉形で、血を気に変える。月経を止めるのは斬赤龍(太陰煉形の主目的。月経が止まった後は男性と同様の冥想法となる由)と呼ぶが、その過程で乳房は小さくなり童女のような身体に戻るという。男性への性転換はしない

さて仏教における女人成仏の代表的な話は、法華経提婆達多品で、8歳の龍王の娘が、大神力(超能力)により、公衆の面前で性転換を遂げて男性になり成仏したエピソードである。

月経が止まるようになりホルモンバランスが崩れると、乳房が小さくなるようなことはあるのだろう。
それにしても女性の肉体は神人合一に耐えられるものなのだろうか。

スピリチュアル・シーンでは、女性はチャネリングの媒体として登場してくることが多いが、成道のエピソードはほとんどない。数少ない道教での女性成道者としては、孫不二が代表的だが、そのエピソードを見ると男性成道者と遜色ない境地であると思う。

女性の内丹を研究するのにどの書物が本当らしいかということの他に、誰が真の成道者であるかという点と、本当に男性並みの神人合一を目指す女性が多かったのかという視点は捨てることはできない。

法華経では、女性の成仏を強引に性転換エピソードとし、女性が男性と同様の死を賭したニルヴァーナへの進む道をあきらめさせようとしたふしがある。それはなぜなのか。

そのあたりに、プロセスとテクニックに行く前の、女性の覚醒、女性本来の人生の目標が隠れているように思う。


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ロハスな環境とカルトの忌避

2019-01-05 06:28:48 | 究極というものの可能性
◎人間本来の生き方を人前で公然と議論できない

武道にも黙想はあって、町にはヨーガ教室がたくさんある。大型ショッピングセンターにも、ロハスを標榜する自然食(オーガニック)屋さんも至るところにあって、パワー・ストーン屋さんもある。こうしたもののテレビ・コマーシャル、ネット・コマーシャルもいくらでも出て来る。

こうした恵まれた環境にありながら、人間本来の生き方を人前で公然と議論する風潮は全くない。

議論するには、同僚、隣人にはそれと察せられないように配慮して、場所を選んでしなければならない。日陰者の扱いである。

本屋によっては、フルフィルメント瞑想とか横文字瞑想本が平積みになっていたりするのだが、それでも冥想ブームなどというものではないように思う。

その原因の一つは、目的を持った冥想と目的を持たない冥想の意味を全く区別していなかったりすること。

また一つには、客の耳目を引くには、健康回復、ストレス解消、引き寄せ、願望成就などどうしても現世利益を看板に掲げないとならないという部分があること。

また一つには、習い事の常として、高い金を出せば、いい先生につくことができたり、金を積めば優れた秘密のノウハウを伝授してもらえるなどという先入観があること。そして、拝金主義の裏返しとして金を払うことで自分が本気になるという傾向も少なからぬものがある。

さらにもうひとつのファクターがある。人によって実体験できにくい、あるいは科学的証明のできにくいことは、なべて相手にされないという「科学的姿勢」である。

科学的検証、論証を否定すると自家撞着に陥りがちだが、最も科学的に動いていないものは自分自身の心理(表層意識・潜在意識)であることを無視して科学的議論をしているところはある。

意識論で言えば、意識は肉体で、七つの身体では、エーテル体以上が無意識。無意識は議論しづらい。

物質論でいえば、七つの身体で、肉体は物質、エーテル体は半物質、アストラル体以上は物質でない。科学は、半物質も非物質も対象にしていないので、科学にはなりえない。

こうした議論しづらいものには、2種あり、揺れ動いて常に変化し、いつかはなくなってしまうものと、永遠不滅のもの。

揺れ動いて常に変化し、いつかはなくなってしまうものとは、肉体からコーザル体まであり、肉体はせいぜい130年の寿命、エーテル体の寿命も肉体随伴だから同様。アストラル体からコーザル体は寿命は何万年なのだろうがいつかは滅する。

これに対して、アートマン(有)とニルヴァーナ(無)だけが、永遠不滅と言えるが、どちらも時間を超越しているので、便宜的に永遠不滅と言っているきらいはある。

そして別のファクターとしてそれは体験できるかということ。

肉体からコーザル体は、個生命であるから体験できるというか、何時でも体験している。だがそれを意識化、体感するには、それぞれを感得できるトランスという無意識状態に入っていかなければならない。
だがその手法は無意識のうちであるがゆえに科学的証明の手段はない。

アートマン(有)とニルヴァーナ(無)は、個ではなく全体なので、体験できるかどうかという点では、体験する個がいないので、それは体験とは言えない体験である。他者に対する証明は、他者自身がその「体験とは言えない体験」をすることしかありえない。

かくして、オカルト雑誌や目的のある冥想をやっているものは、大雑把にいえば肉体からコーザル体までを扱っているのに対し、まともな宗教あるいは純粋冥想だけがアートマン(有)とニルヴァーナ(無)を取り扱っている。

肉体からコーザル体までには人間的な苦悩と絶望からの根本的救済はなく、一時的改善、気休めあるいは単なる混乱にとどまる。それを求めるならば、アートマン(有)とニルヴァーナ(無)を目指すしかない。

そしてその冥想修行には師匠との出会いが必要だ。まともな師匠ほど金から遠いので、弟子による場所、食事、金の支援は必要であるものだ。だが師匠自ら高額の会費・月謝を求めるのは、徹底していないとはいえる。
(この点で、臨済録で、普化がご馳走を蹴り倒す逸話は参考になる)

そして、こうした純粋な求道グループであればあるほど、他人にまともな冥想修行グループであることを証明することはできず、
カルトでないというお墨付きを得るのも難しい。

ここに21世紀になるも依然として、まともな求道者ほど潜航せざるを得ない環境が厳然としてある。冥想・瞑想全般に対するオウム真理教事件の悪影響も無視できないものがある。状況は中国唐代に仏教廃止体制の中で禅修行せざるを得なかった禅僧たちと同じくらい厳しいかもしれない。

しかしながら、第六身体アートマン(有)と第七身体ニルヴァーナ(無)だけは、別格であるという説明を一般人にはしていかなければ突破口は開けないと思う。
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バーヤズイード・バスターミーが髑髏に出会う

2019-01-04 03:00:28 | 究極というものの可能性
◎実は聖者の頭蓋骨

バーヤズイード・バスターミーは、9世紀イランの神秘家。彼はファナーと呼ばれる神秘的合一に関する最初の理論家であった。
『バーヤズイードは道の途中で一つの髑髏(されこうべ)を見つけた。その上には「聾で唖で盲目なので彼らは引き返せないであろう」(コーラン第二章一八節)と書いてあった。

彼は叫び声を上げてその場に倒れこんだ。そして、その頭蓋骨に何度も接吻しながらこう言った。

「これは神の中に消融し、無と化した一人のスーフィのものに相違ない。神の語る声を聞く耳も、滅びることなき美神を見る目も、神の偉大を称える言葉も、全能の英知の片鱗を伺い知る知性もない。
この節は彼にこそふさわしいものだ」』
(イスラーム神秘主義聖者列伝 ファリード・ゥッディーン・ムハンマド・アッタール/著 国書刊行会P155から引用)

イスラムでも神人合一を語っているのがまず驚きであり、さらにきわどく異端とされなかったのは彼の幸運だった。その点は、明らかに神人合一を語ったが、生前にはぎりぎりで異端にならなかったエックハルトを思い起こさせる。

今の時代は、言論は自由だが、語る人の方に実がなさすぎる。反キリストや偽預言者が多数出る時代と相なった。

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女丹 女の悟り-1

2019-01-03 07:12:11 | 道教
◎女丹合編通俗序

先日、久々に神田神保町に行って、新刊の『煉丹術の世界/大修館書店』が平積みされていたのを買った。

その中に女性の悟りについてヒントとなるようなことが書いてあった。

女丹合編通俗序:
『男の命(生命エネルギーの源)は、炁穴(下丹田)の中にあり、女の命は乳房の中にある。・・・男は精を作り、その色は白く、名づけて白虎といい、女は血を作り、その色は赤く、赤龍という。』
(上掲書P238から引用)
【該当部分の原文:男命在炁穴中女命在乳房中、男以腰爲腎女以血爲腎、男爲精其色白名白虎、女爲血其色赤名赤龍。】

下丹田は、スワジスターナ・チャクラ

更に、
『男は先に本源を煉成してその後に形質を煉成するが、女は先に形質を煉成してその後に本源を煉成する。

男の陽気は下へ漏れていき、女の陽気は上へ昇っていく。

男は修練すると精液が漏れないようになり、これを「白虎を降す」という。女は修練すると経血が漏れないようになり、これを「赤龍を斬る」という。

男の精液は逆行して(上に昇ることで)神仙となり、女の経血はまっすぐ上へ昇って心竅(中丹田)に帰っていく。』
(上掲書P239から引用)
【該当部分の原文:
男先煉本元後煉形質、女先煉形質後煉本元、男陽從下洩、女陽從上升、男修成不漏精謂之降白虎、女修成不漏經謂之斬赤龍。
男精逆行而成仙、女血直騰歸心竅。】

以上は、男性はスワジスターナ・チャクラ(下丹田)をスタート地点として、サハスラーラから出神を目指す一方で、女性は、乳房にある気の中心から胸のアナハタ・チャクラを目指すということを述べている。

要するに男性は、体外離脱からの昇仙、つまり天上(中心太陽)に遊び帰って行き、死の世界の至福(坤徳)を味わうことを目標とする。それに対して女性は、ハートの充足、満足が最終的なゴールであるとしている。

求道というのは、おおむね人間からの超出だが、女性の場合は、必ずしもそうではないと言っているわけである。

原文では、これに続いて【男七蓮難放易收、女七蓮易放易收。男修曰太陽煉氣、女修曰太陰煉形、男曰胎女曰息。】とあり、

男の7チャクラは、開くのは難しいが、閉じるのは簡単、女の7チャクラは、開くのも閉じるのも簡単ということだろう。

これは、女性はスワジスターナ・チャクラがもともと開いている(肝が据わっている、できているということ)が、男性は閉じており開く努力をせねばならないということだろう。 

また一般論として、中途半端にチャクラが開くのは百害あって一利なしとされる。
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