アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

宗教と道徳が壊れていく過程で

2020-09-19 06:48:18 | 冥想アヴァンギャルド
◎邪境と魔境

宗教と道徳が壊れていく過程といえば、まず万人が神知る至福千年の時代には、自ずと宗教はなくなり、そこから発する道徳というものもなくなる。なぜならば、人の行動に悪は見られず、善行のみ行われるからである。よって、そんな世界を見ている人が現代を見れば、「バカどもの生きている狂った世界」というような一見理解不能な表現をとることがあり、一般の常識的社会人は面食らってしまう。

だが宗教と道徳が壊れていく過程といえば、歴史上に有名なのは、ロシア革命の時代と中国の文化大革命の時代。これは、万人が神知るとは逆方向の時代であって、人間の善意、自己犠牲などあらゆる神性に連なる美点をどんどん排除していった時代。

具体的には、社会の人々全体が、愛と善意、健全な感情が卑しく頽廃的なものと考え、廉潔であることは悪いことだとされた。行動面では、破壊、特に公共物の破壊は奨励され、道徳的で丁寧な挙措は忌むべきこととして批判されもした。

こうした礼儀正しく道徳的な行為をせず、歪んだことや過去何年も築き上げたものを破壊することは、文化財破壊や親子家族の紐帯を切ることまでよしとする風潮を生んでいった。

中国では文化大革命中の10年(1966-76)は、全国的にそのような時代であったが、流石に人倫に悖りすぎることからやや揺り戻し、それが以後の経済発展の原動力にもなったことは承知しておくべきだろう。その間の政治的な変動については政治好きの人に任せておくとして、中国人は文化大革命によって、礼儀と公衆道徳を失い、親子家族への信頼も薄められ、「善」を行えば、周辺に糾弾され排除される時期が必ず来ることを学んだ。

その結果、中国に見るべき文化財がほとんどなくなって、自然遺産ばかりになっている。

中国の歴史と言えば、ネットでは天安門事件のタブーのことばかり言われるが、中国人の精神にとって、文化大革命の悪夢の10年の方が影響が大きかったのではないか。

ロシアについては、ロシア革命の時期もしかりだが、1991年のソ連崩壊後大半の人が失業したと言われ、自殺者も激増した時代があるのだが、その方が現代ロシア人の精神性に影を落としているのではないだろうか。

いずれにせよ、共産主義国では、神仏の視点から見て「悪を奨励し善を貶める」大衆運動が組織された時期があり、それは共産主義洗脳の一環なのだろうと思うが、大きく国民の精神性と行動にネガティブな影響を与えているように思う。

中国人が単に拝金なだけでなく、道徳無視なところを日本でも見かけることがあると思うが、それはそういう時代背景を過ごしてきた影響があり、かつチベットやウイグル、最近ではモンゴルなど少数民族への抑圧も、その発想の基本に「悪を奨励し善を貶めてもよいのだ」という考え方が仄見える。
日本では知られていないかもしれないが、日本だって、中国から見れば大和族という中国に服属すべき少数民族の一つにしか見られていないという面もあるのだ。

かつてダンテス・ダイジは、文化大革命の中国を邪境と評し、冥想の古典テキスト摩訶止観で天台智顗は、冥想中に魔境あることを示した。

事程(ことほど)左様に、人は神仏を知らねば何が正しくて何が邪なのかはわかるものではないと思う。
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仕事シーンと冥想シーン

2020-09-18 05:44:48 | 丹田禅(冥想法8)
一休水鏡

仕事をしている時には、リラックスしていては、精度が落ちて仕事にならない。そういう時は、何か自分は何か特別な人であって、永遠に居るように思って仕事をしているものであることは否めない。

だが、冥想シーンではその真逆を行く。
一休水鏡から、
自分は何か特別な人であって、永遠に居るように思う人に

何事も皆な偽りの世の中に
死ぬるというもまことならねば
これを不老不死の薬と云ふ。

死ぬということすらも真実ではない立場とは、すべての物質現象、精神現象すらも実体がない、空の立場、色即是空の立場である。これが時間のない立場、不老不死に之(い)く。

それを前提に、釈迦の説く八正道など三十七分法についていたずらだと云う。

釈迦といういたづら君の世に出でて
多くの者を迷わするかな

さらにそれすらもないという。

本来も無き古(いにし)えの我なれば
死行方(しにゆくかた)も何もかもなし
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王褒

2020-09-17 05:50:11 | 道教
◎身体が金色の光を放ち頭に円光

王褒は、范陽の人で、漢の安国侯七世の孫。幼少の頃から仙道を好み華山で修行を積むこと九年。すると有る夜、天から神人が下って、天帝の命により、仙籍を司る大役を命ぜられ、以後も修行に励むように言いつけられた。

その後彼は、洛障山で修行、ここで南極夫人、西城真人の二人から仙書を授けられ、三人は雲車に乗って玄州に到着した。玄州は四方を海に囲まれた孤島で、中央にリーダーの太上丈人が居る。王褒は、雲碧陽水、晨飛丹腴二升を与えられて、この仙薬を飲んでたちまち仙道成就した。

また彼は、宝芝を貰って、これを服して身体が金色の光を放ち頭に円光を現すようになったという。そして彼は、天地間の秘密の文書はすべて彼が監理するところとなったという。

これは、霊界物語風の神霊譚。外丹風に書いてあるが、内丹での仙道成就なのだろうと思う。

身体が金色の光を放ち頭に円光というのは、それを見た人物だけが描き得るひとつのサイン。

また王褒は、羽車でもって全国の仙洞を巡る役目もあったが、この羽車も一つの特徴であって、単にアストラルトリップと大くくりすべきでもないと思う。
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短時間に真剣に

2020-09-16 05:42:15 | 古神道の手振り
◎真心をこめし祈言(のりごと)短くも 恵みの神は聞こし召すらむ

主婦だったり、外で働いていたり、学生だったりすると、休日を除けば長時間の冥想時間はとれるものではない。

かの教祖だった出口王仁三郎は、中年以降は他の教団のトップのように朝晩時間をかけて礼拝とか勤行をしなかった(巨人出口王仁三郎P328)。

むしろ短時間に集中してやることを好み、一般参拝者と一緒にやる朝拝では、自分だけ早いペースで祝詞を奏上しさっさと帰っていった。あるいは一人で短時間に集中してやる時は、他人が声を合わせるのを嫌い、邪魔するなと叱ったりした。

彼は神前に正座して神様の言うことを聞いていることもあったが、日常生活の必要なシーンでは、必ず神様が必要な相手の情報を知らせてくれた。例えば、この病人は助かるか、出征した兵士が生還するか、この人物はちゃんとした人だと紹介されたが殺人シーンが見えた云々。

こうした時宜に応じ必要な超能力に比べれば、右翼の大立者頭山満にお茶を少女に持っていかせたが、その足が10cmほど床から浮いていたなどは児戯のようなもの。

ただ彼の姿勢は、常に敬虔

真心をこめし祈言(のりごと)短くも
恵みの神は聞こし召すらむ

大前にそなえまつらむものもなし
ただ赤心(まごころ)の清きのみなる

安らけく御前にまをす太祝詞(のりごと)は
神に捧ぐるみつぎものなり

なにひとつ世に功績(いさをし)はなけれども
きみのちからに栄えゆくかな

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クリシュナの不倫-2

2020-09-15 05:26:28 | ザ・ジャンプ・アウト
◎恋に生き、恋に死ぬ

インドでは、大聖クリシュナが牧畜の村全体の人妻、少女、独身女性、乳飲み子を抱えた婦人まで、その魅力で虜にし、全員しばらく帰宅しようとしなかった故事がある。

クリシュナは、彼女らに窮極を見せ、感じさせたので、自宅に帰るように諭したが、一向に彼女らは帰宅しようとせず、魅力あふれるクリシュナのもとを去ろうとしなかった

そうしている間に、村の方から早く妻や娘を返してくれるように矢の催促が繰り返される。

困り果てたクリシュナは、自ら姿を消した。その結果、村の婦人たち、娘たちは、夫や父の元に帰っていったのだが、帰った後も彼女らはクリシュナに未練たらたらだった。

これは、紀元前のインドの話だから、クリシュナの方が先に消えることで決着した。ところが、これが現代に起きれば、クリシュナの消えることを待たず、意識高い系の女子は自ら先に消える方を選ぶのだろう。

男女の問題は、女性が何のために生まれて来たのかという問題を抜きにして、カルマの解消だ、解脱だ、西方浄土に転生だなどということは論じることはできないとつくづく思う。

女性にとっては、女を生きるためにまず人生があるのだということがわかるには、何年もかかった。

冥想修行の多くが、男性の側の修行法であるのはよいが、そこで女性の立ち位置は何なのかということは、必要のある人は察するべきなのだろうと思う。

彼女ら全員がクリシュナを恋人と思い定めたが、相思相愛となるべくもなかった。

離婚率3割で、生涯未婚率も高いこの時代にあっても、女性は恋に生き、恋に死ぬのだ。
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あるマイノリティ

2020-09-14 07:37:58 | 時代のおわり
◎コップの中で水をかき混ぜる

最近は、日本人も外国勤務、外国旅行する人も増えて、外国にあってふとした夕暮れに感じる異邦人あるいはマイノリティとしての心細さを感じたことのある人も多いのではないか。

先住民族に対して後から来た民族はマイノリティとして入っていく。後から来た民族は、その異国が気に入らなければ祖国に帰国すればよい。

だが歴史のいたずらか、長い目で見ればその民族自身が選び取った道なのか、祖国を失うケースがある。

ユダヤ、アルメニア、最近ではチベットなどがその例。
戦前ドイツにおけるユダヤのホロコーストなどは、いきなりユダヤ人住民が全員逮捕されて強制収容所に入れられたわけではなく、段階を踏んでそうなっていった。

その段階とは次のようなものである。
第一次世界大戦での債務返済に苦しむドイツは、国民が窮乏していた。
1.1933-35年
ドイツの学会や文化界からユダヤ人を追い出す。これにより才能あるユダヤ人4、50万人が出国したという。アインシュタインが帰国放棄したのもこの時期。

2.1935-38年
ニュルンベルグ法実施により、国家公務員や軍隊からユダヤ人を締め出し、ドイツ人とユダヤ人の結婚禁止、劇場公園などの公共の場所へのユダヤ人の出入り禁止。
当時頻繁にユダヤ人の店が破壊されたり、ユダヤ人が街頭で集団リンチされたりしたという。

3.1938-41年
ドイツ・ポグロムの時期。ユダヤ住民の積年の恨みが、ユダヤ人対ドイツ人の衝突、暴動の形で各地で噴出。これをきっかけに1938年11月7日ナチスは、一晩でユダヤ人2万人を逮捕。これ以後ユダヤ人の経済活動、商売は一切禁止された。

4.戦時中の強制収容所ガス室での大量虐殺。
(参考:十字架のユダヤ人 誤解されし民族と日本人/小谷瑞穂子/著 サイマル出版会P207-212)

霜を履んで堅氷至る。物事は突然に起こるかに見えて必ず前兆はあるもの。
いくら平和憲法を護持していても隣国が領土を奪いに来ているのであれば、空念仏のようなもの。平和平和と言っているうちに軍備が弱体すぎて亡国となったチベットのような先例もある。

日本が、実質的な軍備やインテリジェンスを持たないことは、いつでも諸外国の草刈り場となるべくとって置かれているという見方もあり得る。

一方で米国の長期的衰退は、最後はその軍事力の衰退に及ぶ可能性がある。平たく言えば、真面目に働かない人の多い国は遠からず衰退していくもの。
また共産圏には中国や北朝鮮のように強制収容所があって、そこの人々はよく働くらしい。わざわざ塀で囲わなくとも自発的に一生懸命働いてもらった方がベターだと、その為政者も考えてはいるのだろうが。

心の中に神なき人々、特に経済的利得と便利だけに凝り固まった人々が集まれば、その経済的利得と便利は必ずピークに達して自壊していく運命を持つ。

米中対立とかアングロサクソン対ユーロ・ドイツとか、ユダヤのグローバリズムとか言っていても、神仏の自覚なければコップの中で水をかき混ぜるようなものだ。

心の中に神仏なき運動、キャンペーンもそのようなものだと思う。
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ヒトラーは私たち全員の中にいる

2020-09-13 06:06:59 | 究極というものの可能性
◎強制収容所ガス室の壁に描かれた無数の蝶

『ヒトラーは私たち全員の中にいる』と語ったのは、戦後まもなくポーランドのマイダネック強制収容所でエリザベス・キュブラーロスに出会ったゴルダという気高い美人。彼女は、ガス室の扉の前まで行きながら、偶然が重なり、家族の中で一人生き残り、浮浪者として生き抜いてきたのだ。
この言葉が、キュブラーロスを死の研究に駆り立てた。

そして、マイダネック強制収容所ガス室の壁に描かれた無数の蝶。

キュブラーロスがポーランドからスイスへの帰途、彼女は腸チフスで瀕死となって動けなくなった。その際、彼女はポーランド娘と周りから思われていたせいか、『ポーランドの豚は死ねばいいのさ』という死にゆく者に対する尊厳のかけらもない言葉を何度も投げつけられた。

死は存在しないとは、生は死の一部であるという立場からのものである。

一方で死に行く者に手を差し伸べるというのは、何か忌むべき汚れたものという感じを持たれ、村八分されがちなものだろうか。

死にゆく人間がどこに行くのかのケース・スタディを積み重ねたエリザベス・キュブラーロスは、最後まで一般人の感覚に受け入れられることはなかった。

1980年代半ば、彼女は、アメリカのヴァージニア州に300エーカーの土地を買って、自然の中にあるヒーリングセンターを開設した。

ところがそこにエイズ感染児を受け入れるという計画を発表して以降、そしてその計画をあきらめた後も、彼女の自宅の窓は銃弾で撃ち抜かれ、家畜たちは撃ち殺され、と脅迫は続いた。

その挙句1994年10月6日、その自宅は放火され、自宅は全焼、家財の他、二万件もの死後の生に関するケース・スタディや論文が灰燼に帰した。

当時はまだエイズはほとんど不治の病だったのだ。

それにしても、「人間は瀕死になったら人格はなく、諸事情が許せば、瀕死の他人は見殺しにしたり棄て去るべきものだ」という社会性の感覚が今の世界では共通のものと思われる。

だから彼女に対する忌避が一般社会、一般常識としてまかりとおる。

かくして『ヒトラーは私たち全員の中にいる』という状況は戦後75年不変であって、米中がヒトラーAとヒトラーBに分かれて戦うシーンが広がっている。
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バハイ教

2020-09-12 07:04:15 | 古神道の手振り
◎日本の覚醒を予言

バハイ教は、出口王仁三郎と同時代人であったアブドル・バハーが活躍したイランの宗教。

バハイ教の窮極はハーフート(”かの”領域)と呼ばれ、神の顕れざる本質、「隠された宝」、絶対一性であり、まさに正鵠を射ている。

バハイ教は、19世紀半ばにイランでバハー・ウッラーが創始した一神教。イスラムではムハンマドが最後の預言者なのに、バハー・ウッラーも自分は預言者であると主張したために、当初からイランでは布教禁止で、いまでも迫害が続いているという。ただし出口王仁三郎は、これに着目していた。

アブドル・バハーは日本について注目すべき発言をしている。
『日本は炎々として燃え立つ時があろう。日本は神の御力の伝播に対して、非常に驚くべき能力を付与されている。日本は全世界が注目するが如き、各国民の精神的覚醒の先駆をなすであろう。』
(日本と世界の前途/人類愛善会/P23から引用(昭和8年2月))

当時の日本は現人神を中心に国家神道をやっていたので、八紘一宇で国家神道ジャパンが世界を統一するのだろうと夢想した人も多かったのだろう。

だが今見て見れば、二度の大本教弾圧事件をプロトタイプにして、その後世界の大洗濯である世界の立替立直しが日本を先駆けにして起こることを言っている。

立替立直しは、米中が核戦争でやるのでもなく、極ジャンプやスーパー台風でやるのでもなく、自分自身が神を知り、神となることである。

立替を世人のこととな思ひそ立替えするは己が身魂(みたま)ぞ
(出口王仁三郎)
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一休の母

2020-09-11 05:32:40 | 丹田禅(冥想法8)
◎言えば言わず言わねば胸に騒がれて

一休の母は、浄土宗であって、時間があれば念仏を唱えていた。一休は、そんな母に水鏡仮名法語などを送って気にかけていた。

一休は母に、「人はいくら道に迷っても、最後には自宅に行きつくものだ。それが悟りにたどり着く迷いの道というもの。」などと説示した。

一休はさらに『「釈迦や阿弥陀の教えはたわいのない独り言ではないか。」という者は、それもまた単なる独り言ではないか。』と言うなり押し黙ってしまった。

すると母は、
言えば言わず言わねば胸に騒がれて
思わぬ先や仏なるらん
(言えば言ったで正解ではなく、言わなければ言わないで胸が騒ぐ、そうした思いの先に仏があるのでしょう。)

これを聞いて一休が喜んで、
『今ははや心にかかる雲もなし
月といるべき山しなけれど』
(母上は、心にかかる煩悩もない、アートマン第六身体なる満月とそれが入る山もないのだけれど)

流石の一休の母である。
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軽い慢性的熱中症のような日々

2020-09-10 05:41:41 | 時代のおわり
◎食べていけないこと

東京でも今年の真夏日は50日を越え、猛暑日も10日を越え、毎日軽い慢性的熱中症のような日々が続いている。かつてアマゾンの赤道直下に入植した日本人は、高温多湿の中、冷房もなかったので、日に何十リットルも水を飲まなければならなかったというが、そういう状況すら理解できる気分になるほどである。

アメリカで、警察官による黒人殺害をきっかけにポートランドやニューヨークなどで暴動BLMが起きている。コロナ禍で、2020年3月頃には全米の就業者数の半数が職を失ったと言われた。だがアメリカは食料配給制度の充実した国で、貧困層ほど肥満が見られることは知られている。それでも暴動が起きるのは某国が影で扇動しているからだなどと政治的に見る人もいるが、この精神的な価値の方を求める時代に人は食べ物と見世物を与えられるだけでは満足しなくなっているせいでもあると思う。

一方日本も非正規雇用者の5割以上が収入減で、求人件数も激減している。日本では、低所得者向けの食料配給制度は充実しておらず、収入減は治安の悪化に結びつきやすい。これも過去三十年にわたる国民の貧困化に対してコロナ禍が追い打ちをかけた結果であって、歴代政権が実業振興策や正味の国民所得の向上策に対してあまり真剣に向き合ってこなかった結果とも言える。

日本では、国民が食べられなくなれば、米騒動、大塩平八郎の乱二二六事件など、治安を脅かす大事件が過去発生してきたものだ。

そういう危機感が異常気象を後押しすることもある。世界は政治や経済や軍事だけで動くものでなく、人の心が動かすものなのだ。

また安倍首相の突然の辞任は、米中対立が政権内部にまで深く影を落としていることを明らかにしてしまった。

この連日の熱帯夜は、火力文明の断末魔だが、商工業中心文明という外的なパワーと経済性と便利を求め過ぎた内的なパワーの結果でもある。

日々冥想を。
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王可交

2020-09-09 05:47:25 | 道教
◎九月九日

王可交は、華亭の人。毎日河へ行って釣りをしていたが、ある日河の中流に七人の道士を乗せた一艘の船がやってきて、しきりに彼の名を呼んでいるように思われた。

王可交は不審に思いながら、その船に自分の船を接舷したところ、中から一人の道士が現れて、「貴殿は仙人の骨相を備えているから務めて道を修養するがよい」といって二つの栗を与えた。食べてみると飴のように甘かった。

その時、件の道士たちは一人の黄衣を着た男に命じて彼を岸まで送り返したが、岸に戻ってから振り返って見ると、自分の乗って来た船も黄衣の男もかき消すように見えなくなった。

そしてふと頭を上げてあたりを見回すと、そこは天台山の瀑布寺の門前であった。

王可交は、しばらく夢見心地でそこに立っていると、一人の僧が出て来てかれを見とがめたので、道に迷ってここに来たことを告げ、かつ自分が家を出たのは三月三日であると告げた。すると件の僧は、今日は九月九日だから、貴殿が家を出てから半年ばかりになるぞと言ったので、彼はますます驚いた。

その後彼は、五穀を断って道を修め、妻子を連れて四明山(寧波の西方)に登ったが、どこへ行ったのかその後彼の姿を見た者は一人もいなかった。

中国外丹とは、ソーマ・ヨーガのこと。栗は外丹のこと。ソーマ修行者のカルロス・カスタネダの日常をみても、夢がうつつなのか、現実が夢なのかわからない日々を過ごしている。そのことからしても外丹修行者が、半年くらい日数の感覚がないのは不思議とも思えない。

妻子を連れたのは、そこまで行き詰まっていなかったせいか。禅家でもホウ居士のように父娘同日昇天というのもあるにはある。

奇しくも今日は重陽の節句である。
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意識が無意識に転ずる瞬間に悟りあり

2020-09-08 05:03:20 | 究極というものの可能性
◎隙間が主、前後が従

OSHOバグワンは、隙間が主であって、その前後が従だと語る。
換言すると、隙間の方が中心で、前後の方が周辺。そうなれば、隙間の方が悟りであって、前後の方が迷いであると気づく。

彼は、ここで、前後から隙間に進むことには連続性がなく、爆発だと表現する。彼の口ぶりでは、爆発とは、個から全体に連続性なく一足飛びに進むことをいう。

前後の方が夢であって、隙間の方が現実。現実とは、永遠不壊であるという意味。

隙間を知るにはとにかく醒めているしかない。
隙間に入る技法として彼はとりあえず実例を挙げる。
1. 息が出て、隙間、息が入る、のを見つめる。これを繰り返す。ヴィパッサナー、呼吸覚醒。
2. 眠ろうとする時に、眠ろうとする自分に醒めている。眠ってもおらず醒めてもいない自分がある。
また眠りから目を覚ましていない状態にも同じチャンスがある。(心理学者のユングもこれをやっていた。)
3. 意識が無意識に変化する瞬間に気づいている。麻薬を投与して、意識をまさに失おうとする瞬間に気づいている。禅の師匠が弟子を殴って縁側の下に蹴り落とす瞬間(正受が白隠を蹴り落とすなど)に気づいている、など。
(参照:未知への扉/第六章 精神的な爆発)

普通の人は、意識や思いや記憶は連続したものと何の疑いもなく、思い込んでいる。実際はそうではないと示唆のみできる。証明などはできない。

こうした言説は、探検者を宝の山に導く地図のようなものだ。宝の噂を聞かなければ、その重い腰を上げないというのも真実なのだ。
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信じること、そして疑うこと

2020-09-07 05:39:03 | 究極というものの可能性
◎七つの身体論ですら仮の見方

およそ古典的宗教の教義に対して、信じなさいと言われて無批判に信じるようでは、窮極にたどり着きにくい。

よって古典的宗教では、入門者向けの知的好奇心を満たすための哲学や思考方式を用意しておく。

だが求道者には、これから何回も転生する人(入門者など)ともう転生しない人の2種類がある。もう転生しない人とは、人生を卒業しかけている人のことであって、彼らは、窮極、神仏に関する知的説明はほとんど必要としない。冥想により、真っ直ぐに深いところに入って行く。

もう転生しない人は、窮極、神仏については、先験的に信しかない。そこまで行っていない人だけが窮極、神仏について疑いを持つ。無神論というのは、最近も盛んだが、そういう人たちの産物でもある。

公案禅では、疑団を推し進める。「現代人は生きること自体が公案になった」とも言うのは、「窮極、神仏については、自ずから明らか」となっていない人々の状態のことである。

釈迦から2500年、イエスから2000年。OSHOバグワンは、当時彼らの周辺に居た者の大半は解脱済みであり、今現在残っているのは皆三流だ(未知への扉P18)などと身も蓋もないことも言っている。

OSHOバグワンは、七つの身体論でこれまでの神秘生理学の伝統を総括したが、人間に対しての見方は、いくつかに限定できるようなものでもないことも繰り返し述べている。

万人が悟っている時代、至福千年、七福神の楽遊びの時代とは、そういう世界観、人間観の時代である。
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拈華微笑からダンテスの悪影響まで

2020-09-06 06:41:26 | 冥想アヴァンギャルド
◎秘密を隠したままにしておくこと、明かすこと

拈華微笑とは、秘密を隠したままにしておくこと。
拈華微笑(ねんげみしょう):釈迦が大勢の弟子たちとともに霊鷲山にいた。釈迦は一輪の花を手にして弟子たちに示したが誰一人その真意を理解しなかった。だが、摩訶迦葉だけはその真意を悟り、微笑した。釈迦は、「私のニルヴァーナは、摩訶迦葉が継承する」と宣言した故事。
その際、何が継承されたのか、ギャラリーは全く理解されなかった。これが秘密を隠したままにしておくこと。

一方のダンテスの悪影響:ダンテス・ダイジは、著書『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』において、大脱身であるクンダリーニ上昇の秘儀を公開している。ことほど左様に何でもフランクに教えてくれるというのが基本姿勢だった。だが教えを受ける側が準備ができていなければ、あらゆる誤解、曲解から始まって、人は簡単に隘路に陥りがちになる。
またダンテス・ダイジは、他宗派や他の師匠のやり方の批判をしなかった。これは日蓮とは逆の生き方。他の師匠のやり方が誤っていても、いつかは、何生か後には正統なルートに戻って来ることを見越していたのだろう。

OSHOバグワンは、白人の美人の誉れ高いヴィーヴェック(初期からの側近の一人、前世は中国道教の僧。)の弟子入りに際して、秘されるべき真理について言及している。
1. 議論は理性的になればなるほど明かせる真理は少なくなっていく。理性で証明できる真理は大したことはない。
2. より深い真理は理性では証明できない。
3. 理性が入り込む余地のないほど師匠への共感があってはじめて、師は重要な事柄を語り得る。その共感がなければ、明かすことは害になる。
(参考:未知への扉/和尚ラジニーシ/瞑想社P117-118)

ダンテス・ダイジは明かすことの害を承知の上で、明かしたのだ。よって明かされた内容が正当に評価されるには、何世代か待たなければならないのだろう。

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エンペドクレス

2020-09-05 07:44:16 | 究極というものの可能性

◎爛熟の街アクラガスで超能力を見せる

酒は憂さを晴らすと言っても、酔いが醒めればその悩み苦しみは何も解決してはいないことを内心わかっていながら飲むもの。

一方向精神薬は、その効き目がある間は別の世界に行って本当に問題が解決したことを確認するが、効き目が切れれば元の木阿弥になるものだ。もっとも向精神薬については、それを契機にしてドン・ファン・マトゥスの言うところのイーグル、本来の自己、あらゆる多次元宇宙全体と合一する道もある。

古代ギリシアでは、前者は水平飛行、後者は垂直飛行と明確に意識せられていた形跡がある。

エンペドクレスは、当時の華の都シチリアの南西の80万都市アクラガス(現在のアグリジェント)に住んでいて、この大都会の住民について、その贅沢な暮らしぶりは、明日にでも死ぬかのようであり、住居の方は永遠に生きるつもりであるかのような家だと評す。

またこの町には数万のエンペドクレスのファンがいたが、彼らの大半は利殖の道や占いの結果や、病気を癒す方法ばかり聞いてきた。だが、彼は既に自分は死すべき者としてではなく、不死なる神としてあなた方の間を歩いていると注意を促した。

これは、紀元前の古代イタリアのことだが、生活スタイルや人々の関心の有り様はこのように現代と酷似している。爛熟の時代には聖者が出るものだ。

さてエンペドクレスは、ピタゴラスと同様にソーマを用いていた。以下は、エンペドクレス自作の詩。(神と自分が逆転している立場で歌われている)
『そしてお前は、病気や老齢を防いでくれるすべての麻薬について学ぶだろう。というのも、お前だけにはこの私がすべてをなし遂げさせてあげるからだ。お前は、突如湧き起り、大地を吹き払い、麦畑を荒廃させる疲れを知らない風の猛威を抑えるだろう。そしてお前にその気さえあれば、仕返しに風をふたたび呼びもどすだろう。お前は暗い雨のあとで、季節にふさわしい日照りを人々にもたらすだろう。そして夏の日照りのあとでふたたび、お前は木々をはぐくむ水の流れを、天から降り下らせるだろう。お前はハデス(冥界)から死者の力を取りもどすだろう(ディオゲネス・ラエルティオス/ギリシア哲学者列伝)』
(麻薬の文化史 女神の贈り物 D.C.A.ヒルマン/著 青土社P257から引用)

彼はロバ皮で袋を作り、山の頂や尾根に配置し、強風を抑え込んだこともあった。

引用文の最後のハデス(冥界)から死者の力を取りもどす技こそ神の技。
傍証として、エンペドクレスは、呼吸もせず脈も打っていなかった女性を、30日間維持してやったという。
超能力を披露してみせる時代だったのだろう。

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