アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

ノアとナオとの方舟(別名目無堅間船)

2021-05-15 06:41:46 | 古神道の手振り
◎神様は更に公然と世間の人民に予告は為さらぬ

海幸彦、山幸彦で、現代日本をみろくの世に渡してくれるのは、意識の極限状況を無事に通過させてくれる『目無堅間の船』であると知った。

パニック映画でよく出てくるように、善人も悪人も取り混ぜて巨大宇宙船兼潜水艦みたいな母船に動物ともども乗り組んで、天変地異をやり過ごす。
そして天変地異が終わったら、方舟に乗り組んだ善人悪人取り混ぜて、今みたいな科学の発達した地獄的時代を再建にかかるというのは、どうも違うのではないか。

ヨハネの黙示録21章では、
『第21章
わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。

また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

(中略)

わたしは、この都の中には聖所を見なかった。(中略) 汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。』
宗教のない時代が到来するが、その理由は万人が神を知っているからである。

さて全人類を千年王国に渡してくれるノアとナオとの方舟(別名目無堅間船)。最後の審判、立替立直しにおいて、ノアは破壊(修祓)、ナオは再建(復興)なので、ノアとナオとが揃わないと方舟にはならない。

ノアだけだと、パンミックやら、飢餓やら、核戦争やらで、地上は荒れ果て人口は激減し、技術文明はほとんど喪失するだけとなる。ナオがあってはじめて、人口が激減し「さびしく」なった新時代の初めに復興の萌芽を残すことができる。万人が神を知ってナオ。
※暑さ凌いで秋吹く風を待てど、世界は淋しくなるぞよ(伊都能売神諭)

以下は、『出口王仁三郎全集第5巻随筆(一)ノアの洪水と方舟』から引用。
『ノアの神勅を受けて大なる方舟を造り、世界の大洪水来ることを予言し、万民を救はむとした。然れども其時代の人は一人も信じなかつたのみならず、愚弄軽侮し、其方舟を見て散々に嘲笑したのである。(方舟とは神の誠の救ひの教の意也)

段々大洪水の日は近づけども、多くの人民は益々放逸、強情、無頓着、破廉恥漢ばかりで、日増しに罪を重ねるばかりであつた。今日の社会は恰もノアの方舟建造当時と少しも変らぬのである。不信悪行、利己の濁流は、天地に漲つて居るのである。

今日は最早山麓まで浸水して居るなれど、ノアとナオとの方舟(一名目無堅間船)に乗る事を知らぬ盲目や聾者ばかりである。

 天地の元の御先祖なる生神は、至仁至愛に坐ますが故に、世界の人民を一人でも多く救ひたいと思召し、先にはノアの方舟を造りて世人に警告せられ、今又茲に大神は下津磐根の地の高天原に出現して、明治二十五年の正月から、変性男子の御魂の宿り給ふ神政開祖、出口直日主命の手と口を以て前後二十七年間、懇切に世人に向つて日夜警告を与へ給うたのである。

然れど今も古も人の心は同じく、邪悪に充ち頑迷にして天来の福音を聞かず、神の救助船を見て散々に嘲笑する者ばかりで、神様も今の世界の人民には改心の為せ様がないので、誠に困つて居られるのである。

どうしても改心が出来ねば、已むを得ず大修祓が執行されるより外に途は無いのである。実に今の人民くらゐ暗愚にして頑固な不正直な、身勝手な者は無いのであるから、吾人は世界の前途を案じて心配するのである。

神界から堪忍袋の緒を切らして、弥々最後の日が来るにしても、神様は更に公然と世間の人民に予告は為さらぬ。』

マスコミも政府も予告などしない。
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海幸彦と山幸彦

2021-05-14 03:30:48 | 古神道の手振り
◎無間勝間(めなしかたま)の神船

海幸彦と山幸彦は古事記に出ていて、いじわるな兄海幸彦を真面目な山幸彦が見返すという物語。

ところが出口王仁三郎の講演録によれば、
海幸彦は外国、山幸彦は日本。海幸彦は、針に餌をつけ騙した魚を取るやや卑怯なやり方。山幸彦は弓矢なので心技一体とならねば獲物を取れない大和魂。
山幸彦は、海幸彦から借りた釣り針で釣りをしたが、さっぱりの結果で、釣り針まで落としてしまった。そこで、代わりの針を千個も作ったが、海幸彦はこれは貸した針ではないとして受け取らない。

苦悩している山幸彦のところに塩椎(しおつち)翁がやってきて、無間勝間(めなしかたま)の船をつくり、それに山幸彦を乗せて竜宮に送り込んだ。

無間勝間(めなしかたま)の船とは、衆生済度のことであり、神様の教えのこと。

古事記では、山幸彦は竜宮で妻子を得て、なくした針も見つけて、3年後に地上に戻り、針を海幸彦に返すと同時に呪いによる報復もする。

これは、明治維新以来、150年脱亜入欧を行ってきたが、これはつまり『三年間竜宮なる外国留学から帰国』したということで、この頃ようやく日本国にメナシカタマの船なる日本古来の宗教たる皇道が現れてきた。そして最後は、山幸彦が万国を平定されるということ。

目無堅間の神船は、大本神諭などにも出てくるが、大悟覚醒した聖者塩椎翁が日本に出現し、目無堅間なる冥想の奥義を招来するということだろう。

出口王仁三郎は、古事記上巻は、みろくの世到来前に必ず実現するイベントであり、海幸彦と山幸彦の段もそうだと太鼓判を押している。
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古事記をいつ書くか

2021-05-13 06:34:08 | 古神道の手振り
◎今再びの中国の日本占領の企てが見える

たまにはSLも走る秩父鉄道に乗ると、和銅黒谷という駅があり、ホーム真ん中に直径2メートルはあろうかと思われる巨大和同開珎のレプリカに驚かされる。このレプリカは最近新しくなった。

和同開珎は、708年、古事記は、712年成立。
日本一国の伝統文化が唐様になっていくには、まず中国による軍事占領の如きものがあって何十年か経ってほぼ完成する。

621年 日本への中国文化移入を推進した聖徳太子
645年 乙巳の変(蘇我入鹿暗殺)
646年 大化の改新
660年 百済滅亡
663年 白村江の戦いで大敗し、日本は事実上唐に軍事支配を受ける。 
666年 高句麗滅亡。王族の王若光らが武蔵国に亡命移住?
671年 唐国の使人郭務悰等2千人の唐兵や百済人が日本に上陸。
671年 天智天皇崩御
672年 壬申の乱
673年 天武天皇即位
681年 稗田阿礼に帝皇日継と先代旧辞(帝紀と旧辞)を詠み習わせた。後に筆録されて『古事記』となる
686年 天武天皇崩御
708年 和同開珎
712年 古事記

こんな具合で、唐の文化的影響が深刻化する中で、文化遺産としての“古神道”を保持する目的で古事記が編纂されたのであろう。
要するに古神道が滅亡の危機に瀕したので、古事記が編纂されたのだ。

同様の流れは、アトランティス滅亡前夜にもあった。一万二千年後の現代に向けて、エジプト、ギリシア、中米、北欧、日本などに向けて、アトランティス文明の精神科学の精華を携えた伝道グループが散って行った。

そして彼らが、それぞれの地で、旧約聖書、北欧神話、オリジナル古事記、マヤ神話など、古伝承、神話などの形でアトランティス当時のあるいはそれを上回る精神文明の開花が、フロリダ沖にアトランティス大陸が再浮上することを合図に、現代において起こるだろうことを予言したということ。

この文明は神の息吹をダイレクトに感じられる象徴は多くはないが、文明の精華は、滅亡と喪失が眼前に迫ると、次代へ残そうとする動きが出る。切羽詰まらないとやる気にならない、非人間的な悪夢が現実化し始めないと改心しないのは、人間の常とは言え、何生も輪廻転生を繰り返してきた人間なら、教訓を学んでいるいるはずではある。

そして今再びの中国の日本占領の企てが見えている聖徳太子未来記
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出口王仁三郎の見る言霊衰亡史

2021-05-12 03:25:56 | 古神道の手振り
◎古来言霊(ことたま)の幸(さちは)う国

大本教言霊学で、出口王仁三郎の見る言霊衰亡史が説かれている。

日本国は、古来言霊(ことたま)の幸(さちは)う国であって、五十連十行のカタカナが神典であって、これを学べば天地万物の根源の神理を詳知することができた。

ところが応神天皇の御代に百済国から王仁が来日し論語千字文など漢籍を多数持ち込み、以後漢学が歴代甚だしく行われたので、言霊の教えは日々に衰亡した。

一方で第四十代天武天皇の御代、天皇自ら稗田阿礼に口述された古事記を、第四十三代元明天皇の時代に太安麻呂に命じて記録させ、皇国の大道を残されたのは、誠にありがたいことだった。

柿本人麿主の歌に、

志貴島倭国者事霊之所佐国叙慎福興具
シキシマノヤマトノクニハ、コトタマノタスクルクニゾ
マサキクアレコノ

とあるように、神代の言霊を失い果てることを惜しんだが、言霊学は、神伝であって俗人の耳に入ること難く、文字の学びは人学であって俗人の目に入ること易く、1017年の長和までには言霊学は行われていたものの、以後数百年言霊学は知る人もなく衰亡した。

享保になって荷田春満が、神代の言霊があることに気づいたが、掘り下げることなく推移した。

明治になって出口ナオ、本田親徳から出口王仁三郎が霊学、真理を授けられ、ここに言霊学を復活するものである、と。

最近はどうなのだろうか。この地獄的な雰囲気の蔓延する、言霊という精妙なバイブレーションが伝わりにくいこの時代よ。
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大本言霊学序文

2021-05-11 05:37:32 | 古神道の手振り
◎黄金(こがね)の珠と黄金の釜

大本教言霊学序文として、出口王仁三郎が一筆寄せている。概要は次のようなもの。

出口王仁三郎が、金龍海の海底や弥山の高山までを、水は元伊勢、火は出雲なる玉水に照らされて捜し回ったところ、黄金(こがね)の珠と黄金の釜を拾った。

さて出口王仁三郎に長年この黄金の珠と黄金の釜を磨き洗わせ給うた理由を考えると、
黄金の珠は、水火満(しおみつ)の玉、水火干(しおひる)の玉であって、天地万物の息を治めているもの。
また黄金の釜は、霊魂(みたま)の餌(えさ)を沸かし煮るべき弥(いや)の神宝であった。

ここに出口王仁三郎は、この玉を世界に照らし輝かせ、またこの釜をたぎり沸かして鳴り鳴らせ、天下四方に広めるべくこの二つの神宝について記し奉る、云々。


霊界物語では、黄金(こがね)の珠と黄金の釜が出てくるのは、第6巻第41章桶伏山で、ここでは、東の国の桶伏山に隠し置かれ、聖代(みろくの世)に活用されることが予言されている。

また大本神諭にも、『出口直の屋敷には金の玉と黄金の釜が生けて在るから、是を掘り出して三千世界の宝と致すぞよ。昔から世に埋もれた一切の宝を掘り上げて、それぞれに目鼻を付ける世界の大本』などとあり(雑誌神霊界大正8年9月15日号(第94号)大本言霊解)、万人が神知るみろくの世に先立って、言霊の奥秘の手がかりが出てくることが示されている。

それにしても、霊魂(みたま)の餌(えさ)とは何のことだろうか。
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ダンテス・ダイジの教えの全貌-4

2021-05-10 03:46:58 | 現代冥想の到達点
◎古神道

ダンテス・ダイジと古神道の関わりと言えば、出口王仁三郎だが、あまり見えにくい。彼は、大本教の短期セミナーに参加し、立替立直しを学び、鎮魂帰神も学んだことがあるらしい。

霊界物語に三神系という主要神の系図があるが、その中の野立彦神こそダンテスであるという説明も自らしている。古神道の言霊では、返しというのがあり、NODATEはDANTEに返るのだろうか。

彼の冥想道手帳に次のものが入っている。
1.天の数歌
 「一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 百 千 万」
(読み:ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たり もも ち よろづ )
天の数歌を唱えれば、あの世もこの世もまとめて修祓できる。

2.われもなく現世(うつしよ)もなくただ一人神の御前(みまえ)に平伏(ひれふ)しをろがむ
(出口王仁三郎/大本の道 第6章 祭─惟神の大道に所載)

3.大本宣伝歌
 「朝日は照るとも曇るとも
月は満つとも欠くるとも
たとへ大地が沈むとも
まがつの神がすさぶとも
誠の力は世を救う

三千世界の梅の花
一度に開く神ののり
開いて散りて実を結ぶ
月日と土の恩を知れ

この世を救う生神(いきがみ)は
高天原(たかあまはら)に神集(かむつど)う

神がおもてに現われて
善と悪とを立て別(わけ)る

この世を創(つく)りし神直日(かむなほひ)
心も広き大直日(おほなほひ)
ただ何事も人の世は
直日に見直せ聞直せ
身のあやまちは宣(の)り直せ。

ああかんながらかんながら
たまちさちはえましませよ」

世界全体の立替立直しが発生し、誠の力により、善なる者だけが次のみろくの世に残っていくことを宣伝している。

4.冥想道手帳ではないが、「われは空行く鳥なれや」の歌を大変気に入っていて、揮毫などしていた。
この歌は、出口王仁三郎が高熊山の一週間修行で大悟した際に詠んだ歌。まるでダンテス・ダイジ自身が出口王仁三郎になったかのような心酔ぶりである。
『我は空行く鳥なれや
○○○○○○○○○○(原文のママ)
遥に高き雲に乗り
下界の人が種々(くさぐさ)の
喜怒哀楽に囚はれて
身振足振りする様を
我を忘れて眺むなり

実げに面白の人の世や
されどもあまり興に乗り
地上に落つる事もがな
み神よ我れと倶(とも)にあれ』

ダンテス・ダイジは、出口王仁三郎の古神道とのかかわりについてあまり言及していないかに見えるが、本田親徳、出口王仁三郎と続く日本近代の神業に密接にかかわっていたことは疑いもないと思われる。

だが、弟子たちに大本教に入信せよなどと指示した例は聞かない。その辺は、大本教との関わりについては距離を置いていた印象がある。

私も最近でこそ、出口王仁三郎の事績や大本教の歴史や概要についていささか承知しているが、1970年代においては、ネットもなく、さほど情報を集めることもできなかった。

ただしダンテス・ダイジが、殊更に日本に出現し、かつ出口王仁三郎に大いに関心を寄せ、その鎮魂帰神の技と生き様に大いに感銘を受けていたことは、はっきりしている。ダンテス・ダイジは、社会性、特に政治方面には関わりは薄かったが、古神道に係る部分は例外的に霊的に関与していたと見るべきだろうと思う。ここはご神業であるがゆえに隠されている部分ではある。

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ダンテス・ダイジの教えの全貌-3

2021-05-09 07:51:34 | 現代冥想の到達点
◎ソーマ・ヨーガ

求道者は、いつの時代も悟り薬を求める。何のために?
生きる苦悩と死の恐怖を超え、無上の歓喜を求めるために。

ダンテス・ダイジは、高弟の一人に対して、『死とは、水を張ったバケツから腕を引き抜くようなものだ。』と語ったそうだ。

薬物ジャングルの探検者ティモシー・リアリーが妙なことを書いている。ケタミンによって引き起こされる臨死体験に際して、『それを経験する者が誰もいないのに、宇宙の全情報が通り抜ける』のだそうだ。これは、例の『体験とは言えない体験』の別の表現である。

『ケタミンが引き起こす遊体離脱体験はしばしば浮遊感を伴い、トンネルを通り抜けている感じに近いという。またどんなに高用量のサイケデリック・ドラッグも自我の喪失感では、ケタミン投与にかなわない。それを経験する者が誰もいないのに、宇宙の全情報がどうやって通り抜けていくのか、それをR.U.シリアスは不思議に思ったという。ケタミン体験において死はとてもリアルだ。この世界と次の世界との間の薄い膜を肌で感じることができ、しかもそれは恐ろしくない。他のサイケデリック・ドラッグでの死で体験するようなパニック感が、ケタミンの場合には皆無だ。ケタミン体験の最中は、置き去りにしてきた世界のことがほとんど気にならない。』
(死をデザインする/ティモシー・リアリー/河出書房新社P220から引用)

このケタミン体験では、肉体に戻れない不安など毛ほどもないことが示される。水を張ったバケツから腕を引き抜くとは、そういう感じなのだろうか。

ヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥスに師事したカルロス・カスタネダは、ソーマ・ヨーガ(薬物冥想)を長年探求したが、そのほとんどの年月は、本番ともいうべき“飛び込む”時節までに、自分の関わってきたすべての人に別れを告げるなど、自分の準備に費やされた。

西洋錬金術書に“近道”というような表現が出てくることがある。近道として、ソーマ、向精神性薬物を一定量摂取さえすれば悟れるかといえば、決してそんなことはない。まず準備ができているかどうかが問われる。

富士山登山でも、八合目まではなんということはないが、それ以上になると低酸素により高山病を感じ、かなりの人が登山路にうずくまっていることに似る(田中陽希のTV番組グレートトラバース富士山)。

ソーマ・ヨーガと言えば、古代インドのベーダの昔から伝承され、その価値の奇天烈性は、漁師のおしっことして与えられたりすることで象徴される。

また準備が完全にできていなければ、似非サマディーなる見神見仏にとどまる。自分が死んではいないのだ。

1960年代から70年代にかけ、薬物規制のゆるかったカリフォルニアとメキシコを舞台に描かれた長編小説のカルロス・カスタネダのシリーズは、1980年代から90年代には日本でもよく読まれた。

どんな冥想でもそうだが、正しいグルのいないソーマ・ヨーガは危険である。クンダリーニ・ヨーガが危険とされるのと同様に。

ダンテス・ダイジのソーマ・ヨーガでは、常にドン・ファン・マトゥスが意識されていたのだろう。カルロス・カスタネダへの言及は多い。
只管打坐も含めたラージャ・ヨーガでは、常に先入観を壊す、先入観を排除するという修行も行われる。ソーマ・ヨーガでは、そこを飛び越えるがゆえに、それに耐えられるかどうかというポイントは常にある。

今の時代は、うつ病の蔓延により、向精神薬がどのようなものか実体験している人が多いが、治療の方向性は、社会人として適応させることに向かっているので、そもそもソーマ・ヨーガとは方向が異なる。

それでもアヤワスカにまともにチャレンジした藤本みどりのような人もいるので、危険をはらむトラップ付超特急のようなメソッドとしてソーマ・ヨーガはあり続ける。

そうやって成功せず討ち死にした無数の人もいることは、カルロス・カスタネダのシリーズに記載されているし、クンダリーニ・ヨーギ本山博が霊界で目撃したような人々の中にもいたのだろう。

道教の魏伯陽も弟子の準備ができているかどうかを確認するために毒薬をあおった。

ソーマは逃げないが、まずは自分の準備ができる時節を待たねばならない。だが時節が待ってくれるかどうかは、一生一回きりしかない我々にとっては心もとないものである。

ダンテス・ダイジのメディテーション・トラベル・ガイドには何篇かのソーマ・ヨーガをテーマにした詩があるが、その一部。
『素直であればいい
混乱や恐怖や不可解な中でも 
ただ素直であるしかない
天国だろうと地獄だろうと 
俺はあるがままでいるしかない

ドラッグ・ソーマの神は 
時にトリップ者を 
トリップの袋小路に誘い込む

それはトリップ者が 
耐えられるぎりぎりのトリックだ

そしてこの耐え難い 
トリックパズルを 
解くやり方は

素直であること 
それのみである

恐れるな
恐れにどんな根拠もない

今こそ 
君はすべてのすべてを見る 
君がすべてのすべてだ』
(メディテーション・トラベル・ガイド/ダンテス・ダイジ/ソーマ・パイロットの言葉から引用)

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ダンテス・ダイジの教えの全貌-2

2021-05-08 06:23:04 | 現代冥想の到達点
◎まず否定はせず肯定するのが常だった

ダンテス・ダイジの著書『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』に四つの章があり、マントラ禅、丹田禅、クンダリーニ・ヨーガ、只管打坐と四つの章が並んでいるので、たいていの人は、この四つの門が彼のメインの教えなのだろうと勘違いをする。

だが彼の裏主著というべき『老子狂言』では、老子という只管打坐系の覚者を看板に掲げてはいるが、悟ったままに遊ぶ、あるいは醒めたままで狂言するの如き、およそ社会性とは全く無縁の自分の運命を自由自在に生きる覚者の姿が次々と描かれている。

ダンテス・ダイジの弟子たちには、マントラ禅、丹田禅、クンダリーニ・ヨーガ、只管打坐をメインに修行した者たちが多いのだろうが、彼自身のエピソードを追ってみると、出口王仁三郎の古神道とヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥスのソーマ・ヨーガの影響も見え隠れする。

ダンテス・ダイジの基本姿勢は、誰か有名宗教家や他人の修行法について、まず否定はせず肯定するのが常だった。『それでも、いつかは窮極に至ることはできる』などと云って・・・・。真言立川流とか、宗教ではないが国家を邪境化する共産主義には否定的だったが、それは例外的である。

つまり彼は、その修行法が間違っていようが、彼の目からは誤った修行法に打ち込んでいる人も既に神であり、またそんな修行者も何生か後には大悟するという遠大なサイクルの下にそう言っているのだろうと想像される。

だがそういう姿勢は、邪教を世にはびこらせることを妨げないということにもつながっていく。ダンテスの悪影響としてそのことを自ら一章を割いて説明しているのだが、そのことですら、わかる人にはわかる類のことである。

かくして現代は、経済的利益と便利を求める罠に完全にはまったがゆえに、このcovid-19の先の視界に世界全面戦争が見え隠れすることになり、恐慌をきたしている人も増えつつある。ダンテスの悪影響なくば、次の至福千年の開花の全面性は完璧を期せなかったか。それは、あなたのせいではなく、ダンテスの悪影響のせいか。

『悟りのテクニシャン

私は宇宙のカラクリを
見抜くテクニシャン。

すべての道術家がそうであるように
私はこのテクニックに、
すべてをかけているつもりだ。

そして 
すべての答え——
私自身の愛と全智全能とを 
いくたびか知り
そして、それと合一した。 

が、
私は何も知らない。
尾骶骨が痛むように···』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

ダンテスの悪影響とは、最後の
『が、
私は何も知らない。
尾骶骨が痛むように··』
のところですね。

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核兵器による恐怖の均衡とその責任者-2

2021-05-07 03:45:36 | 冥想アヴァンギャルド
◎すべてのすべてが自分であるという実感

OSHOバグワンは、世界の現状が、個々人と密接に連動していることを知っている。世界は一であり、有であり、アートマンである第六身体であるという立場において、世界の累卵の危うきにある現状の責任を各個人の責任であるとする。

その立場では、既に世界と個人は逆転していて、すべてのすべてが自分であるという実感においては、自分が誰かを傷つけたり、殺したりすることはあり得ない。この実感を体験するのは、すべてのすべてである自分であって、それは追体験してもらわないとわからない。

この追体験のことを大悟とか、入我我入とか神人合一と呼ぶ。それを経た人は、群衆の中にあっても慈悲に生き、人類の自殺を手助けすることはない。

神々にはそうでない立場もあるが、それは俗人の関与すべきことではないと思う。

『だが、おそらく奥深いところでは、人類はそれを免れたいとも望んでいるだろう。たぶん、個人的には自殺するほどの勇気はない。だが、群衆の規模になると、彼らは準備ができている。

つねに覚えておきなさい。個人が大きな犯罪を犯したことはない。大きな犯罪を犯すのはつねに群衆だ。群衆のなかでは、個人は誰ひとりとして、「起こっていることの責任は私にある」とは感じないからだ。彼は、「私はただ、人びとといっしょにいるだけだ」と考える。個人的に何かを犯そうとするとき、あなたはそれを犯す前に三回考えなければならない。自分はなにをしているのか?それは正しいのか? 自分の意識がそれを許すのか? だが、群衆がいると、そうはいかない。群衆のなかに、あなたは消え入ることができる。あなたもまた、その一部てあったとは、誰も決して発見しないだろう。』
(魂への犯罪/OSHO/メルクマールP141から引用)

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核兵器による恐怖の均衡とその責任者-1

2021-05-06 03:37:19 | 冥想アヴァンギャルド
◎政治家の権力と悪人ぶり

核兵器による恐怖の均衡が、1945年から1991年のソ連の解体まで続き、以後米国の一強時代となった。ところが、中国が米国を凌駕しようとしていることに今頃気がついて、世界中が怖気を震っているところである。

だが、この間、世界の有力政治家が善人であったためしはない。むしろ世間では、ちょっとイカレタ方が正常とされる風潮だったから、その有力指導者がまさかの“狂人”であったとしても誰も驚きはすまい。善人とは、二度と悪事を犯さぬ菩薩や聖者のこと。

以下は、OSHOバグワンの最近の政治家像。
『現在、大きな力を持つ国は、それぞれ核兵器を保持している。かなりの量であるために、もし私たちが望むのであれば、このような地球を七百個、まさにいま破壊することでさえ可能だ。それだけ多量の核の力がそこにあり、手に入る。

それぞれの人物を七百回も破壊するために――それは必要ないにもかかわらず―――1回で充分だ。だが、政治家たちはそうしたがる。彼らの顔はすべて仮面だ。彼らはあることを言い、ちがうことをする。そして、権力はそうした人びとの手中にある。どんな気狂いでもボタンを押しかねない。それで、人類全体を終わらすことができる―――人類を地球上の全生命を。』
(魂への犯罪/OSHO/メルクマールP141から引用)

(続く)
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日本沈没、小松左京

2021-05-05 06:19:25 | 時代のおわり
◎日本民族の覚醒か犬死か

小松左京の映画『日本沈没』(1973)を見た。これは、外国が日本に侵攻してくるのではなくて、地殻変動だけで、日本全土が急速に沈降し、1億2千万人中の少々が外国に難民として受け入れてもらい助かると言うシナリオ。

印象に残ったシーンは、北陸の住民が自分たちの漁船に乗り組んで、政府の許可なく韓国、北朝鮮に向けて出港するところ。たまたまヘリコプターから主役の藤岡弘が、「韓国、北朝鮮は、難民受入れしていないので、不法入国として扱われる。津波も来るので、政府の許可なく出航するのをやめて戻りなさい」と呼びかけるところ。映画では住民は戻らず、漁船は津波に呑まれる。

ダンテス・ダイジは、日本の最後について、政府のコントロールが効かないシーンも出てくることを予言しているのだが、このシーンを見て、このようなことなのだろうと思った。

出口王仁三郎は、大正12年にモンゴルに西遷し、大和民族の活躍の場が将来モンゴルに移ることを示した。出口王仁三郎予言での日本の最後は、最後とは明示していないものの、地殻変動火の雨であることをそれとなく書いている。

今後起こるであろう、世界相剋による世界の争乱。それはITによる不満分子と敵国内通者の監視摘発体制化で進むのだろうが、戦闘は各国相互に電子機器管制を無力化する方向で戦われるのだろうから、結局文明と技術がほとんど失われ、元の原始時代みたいに戻るのだろう。

物質文明、技術文明だけ見れば、ほとんど喪失するのだろうが、その際に人が神になる道筋がついていなければ、人類は、その発達過程を何万年か前に遡ってもう一度やり直しという情けないことになる。

人が神になるとは、誰か奇特な他人が神人合一を果たして、それを皆で崇拝することでなく、自分自身が神になることである。それを体験とは言えない体験という。

映画の中で、首相役の丹波哲郎が、実際に国土が沈没し始めマスコミと外国が日本沈没を宣伝しまくれば国民もその気になるとし、「世間とはそういうものだ」と語るが、続々と神知る人が出てくれば、世間もその気になるかもしれない。だが、そのタイミングでは遅いということもまたある。

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十字架の聖ヨハネの語れない神秘-1

2021-05-04 06:34:51 | キリスト者の秘蹟
◎私が味わったことは言えない

十字架の聖ヨハネ詩集から。

『私は知らないで知らぬ処に入り
知らないままに留まった
一切の知を超えて。

何処に入ったか知らない
が、何処に居るのか知らないまま
そこに居たとき
大いなることを悟った

私が味わったことは言えない
知らないままだったのだから
一切の知を超えて。

それは、深い孤独の中で
直接(じか)に悟った
平和と愛との
完璧な知であった
それはあまりにも
密かなことだったから』 
(十字架の聖ヨハネ詩集P81から引用)

十字架の聖ヨハネは、平和と愛から『何も知らない』に至った。
1577年には男子カルメル会修道会士によってトレドの修道院に幽閉されたが、1578年8月16日に修道院から脱出した。その後、暗い小部屋での九ヶ月の幽閉生活によって、この境地に至った。

禅者だっていろいろなきっかけで大悟するものだが、幽閉生活や牢獄では、実はそういうことは起きやすいのだろう。未決勾留中に出口王仁三郎が自慰をする話を語っていることをそれとなく読むことがあるかもしれないが、暗にそういう傾向を語っているのだと思う。
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荒れ狂う季節の中をノストラダムス

2021-05-03 07:21:17 | 究極というものの可能性
◎藤井風 きらり 発売

2021年5月3日発売の藤井風のシングル“きらり”の歌詞の末尾
『荒れ狂う季節の中も 群衆の中も
君とならば さらり さらり
新しい日々もつたない過去も すべてがきらり』

これは、HONDA車のコマソンに使われているので、レジャーでの歓喜というつかみなのだが、『君』って誰?

ノストラダムスの予言詩集諸世紀の冒頭の四行詩二つ。
『真夜中に秘密の部屋に入り
ただ一人青銅のいすに休んでいると
かすかな炎が 静寂の中から飛びはねるようにして
私にすばらしきことを告げる

取りまく枝の中心で神から授かった杖を手にもって
私の足と杖を水にひたす
私の手は畏敬でふるえながら何かを待っている
すばらしきかな天なるものの輝き 神の霊がそこにましますことは』
(時の旅人ノストラダムス ミシェル・C・トゥシャール ボーダーランド文庫角川春樹事務所P122から引用)

最初の四行でノストラダムスはトランスに入る。青銅の椅子に座る冥想の姿勢。

次の四行で、足と杖に聖水をふりかけると、ビジョンが神からきらりとやってくる。

歴史上の大事件は、自分自身が体験したものではないので、まず伝聞で概要をイメージし、細部は想像で補う。ところが自分の体験した過去は、情けない自分にまつわるつたない思い出が深刻なので、さらりとはいかない。

そこで、『君』なる神がやってきたことを感じ、将来のビジョンを次々と見せられる。イエスが臨在しても、阿弥陀仏が御来迎しても、眠っていたり、スマホに眼をやっていて気がつかなかった無数の人がいる一方で、ノストラダムスは、ありありと見ていた。

『どこにいたの 探してたよ
連れてって 連れてって
何もかも捨ててくよ
どこまでも どこまでも』
彼は、何もかも捨てないと神の霊との合一は成らないのを、知っているが如くである。
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多くの見慣れぬ鳥が「今だ、今だ」と叫ぶ

2021-05-02 07:13:40 | 占星術  (冥想法6)
◎すべての人が神を知るのは、「今だ、今だ」

ノストラダムスの「アンリ2世への手紙」の最後の方に、『多くの見慣れぬ鳥が「今だ、今だ」と叫ぶ』がしばらくしてその小鳥たちはいなくなり、この後に土星が支配する黄金の時代、至福千年が来るとある。

土星と言えば、西洋占星術の影響で、土星は、大凶、悪などと思われているのだが、ホンチャンのスピリチュアリズムでは土星こそ、永遠に続く大吉のシンボルである。また土星はメランコリーだから、鬱病のサインなので不吉などということこそ先入観である。

というのは、現代の近代西欧文明こそ、大輪の向日葵(ひまわり)の如き花であって、花が落ちれば、実が生る。その実こそが土星だからである。実は地なる土星で生きる。

ノストラダムスの大予言では、土星の時代とは一貫して至福千年、みろくの世を指している。

ノストラダムスの「アンリ2世への手紙」で、『多くの見慣れぬ鳥が「今だ、今だ」と叫ぶ』のは、以下のような文明破壊によって原始時代に戻る直前の時期であって、まさに今なのだろうと思う。

「アンリ2世への手紙」では、東方の人々と結託した第三の北方の王が大軍を蜂起し、(文明を破壊して)すべてが原始の状態に戻される。この時旧約聖書、新約聖書は追放され焼かれ(宗教、思想統制の時期)、反キリストが地獄の王となる。

この時期は、純潔清廉な人の血ほど多く流される。この時同時に疫病と飢饉が起こるのだが、全ラテン地域の艱難のしるしはスペインのいなかにある。

こうして町々、市、城、他の建物が焼かれ、多くの悪が地獄の王子サタンによって犯され、世界は荒廃する。
(参照:時の旅人ノストラダムス ミシェル・C・トゥシャール ボーダーランド文庫角川春樹事務所P282-284)

見慣れぬ鳥たちは、すべての人が神を知るのは、「今だ、今だ」と叫んでいるわけだが、今日ただいますべての人が『神を知る』ほど、人間を卒業できるほどに精神の成熟が進んでいるとも思えないところは、謎である。

その謎に、人類を襲う艱難の大規模さと、人口の大減少、文明の原始時代への退行の原因と経過が秘められているのだろう。

ダンテス・ダイジは、存命当時、「神界では、次の文明にどの程度現代文明の技術を残すかが話し合われている」などと、つぶやくことがあった。
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原爆投下・10秒の衝撃

2021-05-01 06:37:49 | 時代のおわり
◎人類は核戦争をやらずに至福千年を迎えられるのか

これは、NHKスペシャルの1時間番組だったのだが、ネットでyoutubeに上がっているのを見たもの。

これは、広島の原爆の爆発の最初の10秒に焦点を当てたドキュメンタリーだが、以下のような恐ろしげな話が連続する。

1.広島原爆の構造は、ウラン235のふたつの塊を円筒の左右に分けて配置し、片側をもう片側にぶつけると核分裂の連鎖反応が猛烈な速度で拡大する。ウランの合計量は多分6kgなどといわれているもの。

2.この段階では、原爆の外形はまだ爆発していないが、爆発直前には内部の温度は250万度に達する。この段階で可視光でもなく音もない中性子線が地上を襲う。

3.爆心地から130mの距離に2階建て木造家屋の1階で食事をしていた建具屋一家五人が居間で丸く坐って亡くなっていたが、これはこの致死量を超えた中性子線とそれが当たって瓦や壁から発生したガンマ線が、即死させたとみられる。
つまり、原爆爆発以前に爆心地から半径130m以内の人は、即死していたわけだ。熱線を浴びる前に。
これを見て、後に人間だけを殺す中性子爆弾を開発する政治家とマッド・サイエンティスト、それを容認する国民達。

4.こうして初めて原爆が炸裂するのだが、0.2秒後には火球の直径は310mとなり、表面温度は6,000度。その瞬間、高度567mから1,900 - 2,200度以上の熱線が地上に降り注いだ。
つまり、原爆被害の一半である火傷は、爆発から0.2秒後に発生したのであり、逃げるも隠れるもできない。

5.わずか0.2秒で、火球が直径310mになったため急速に圧縮された空気は、衝撃波という暴風を発生させ、それによって屋外にいる人は、何十人も空中に巻き上げられ落下した。また衝撃波により、爆心に近い木造家屋は瞬時に全半壊。広島地方気象台は爆心地の南3.7kmにあり、衝撃波は9.1秒後に到達したと推定された。そこでは椀型風速計が風速200mを観測したという。いわんやそれより爆心地に近い場所でおや。

きな臭い時代とは、そういうことが近い時代ということ。核兵器による恐怖の均衡で維持されてきた戦後76年。今や中ロの抬頭と核兵器の拡散で何でもありの時代となってきた。地球を一個の人間と見立てれば、様々な自殺の道具を集めて、それでもってこれから何をするのだろうと決めあぐねているような図。

人類は核戦争をやらなければ、その先のステップである全員が神知る時代に進めないのか。人類は核戦争をやらずに至福千年、みろくの世に進む方策はないのか。それが自分が神を知ることであるが、そのことですらどうすればよいのかすら、思いもよらない人間たちよ。
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