アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

ドン・ファン・マトゥスがアメリカ・ライオンに追われる

2020-05-30 06:17:02 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎真っ暗闇の絶壁を登り切る

1961年8月末、カルロス・カスタネダは、ソーマ・ヨーガのマスターであるドン・ファン・マトゥスの指導の下にフィールド・ワークを行っていた。

さる断崖絶壁の下で、カスタネダは、ドン・ファンの指導の下に、アメリカ・ライオン(ピューマ)を仕留めるための枝と釘で作った罠を造った。

二人は、木の上に居てアメリカ・ライオンが罠にかかるのを待ちかまえていた。

カスタネダは、アメリカ・ライオンに見つからないようにするために、木と同化せよと命じられた。

意外なことにカスタネダは、ライオンが来てわなにかかりそうになったら荷物を投げつけろと命じられた。

夜半にアメリカ・ライオンがやってきた。カスタネダは、言われたように荷物を投げつけると、驚いたアメリカ・ライオンは遠くに馳せ逃げた。

ドン・ファンは、アメリカ・ライオンは馬鹿ではないから、しばらくしたら必ず戻ってくる。そして、わしらの跡をつけてくるので一刻も早く、ここを離れなければならないと言った。そして暗闇の中を走り出した。カスタネダは、枝から眼を守りながらついていくと断崖絶壁の前に出た。

ドン・ファンは、ライオンにつかまらずに絶壁のてっぺんまで登り切れば助かると言って、二人は闇の中を一歩一歩登り始めた。頂上に近くなって、妙な動物の鳴き声が聞こえた。

ドン・ファンは、登れ、登れとせかしたので、真っ暗な中、カスタネダはドン・ファンより先に登り切ったほどである。

ハーハー言いながら、ドン・ファンは、それを大笑いした。

二人は数時間、何も話さずに座り込んだ。
(イクストランへの旅 呪師になる/カルロス・カスタネダ/二見書房/P158-173から要約)

ドン・ファンは、ソーマ・ヨーギながら、ソーマをきっかけにしか使っていない。よってその言葉は、クンダリーニ・ヨーギのようである。

だからカスタネダの心象描写をあまりあてにしてはならないということでもあるが、カスタネダの試行錯誤の後を辿ることなくして、彼の進んだルートを再確認することはできない。

真っ暗闇の絶壁を登り切るのだ。
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ニルヴァーナに向け感情の抵抗をなくす薬物

2019-12-21 06:25:06 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎ケタミンと自我の喪失感

薬物ジャングルの探検者ティモシー・リアリーが妙なことを書いている。
『ケタミンが引き起こす遊体離脱体験はしばしば浮遊感を伴い、トンネルを通り抜けている感じに近いという。またどんなに高用量のサイケデリック・ドラッグも自我の喪失感では、ケタミン投与にかなわない。それを経験する者が誰もいないのに、宇宙の全情報がどうやって通り抜けていくのか、それをR.U.シリアスは不思議に思ったという。ケタミン体験において死はとてもリアルだ。この世界と次の世界との間の薄い膜を肌で感じることができ、しかもそれは恐ろしくない。他のサイケデリック・ドラッグでの死で体験するようなパニック感が、ケタミンの場合には皆無だ。ケタミン体験の最中は、置き去りにしてきた世界のことがほとんど気にならない。』
(死をデザインする/ティモシー・リアリー/河出書房新社P220から引用)

ティモシー・リアリーは、LSDの人間に対する可能性を人道的に宗教的目的で探求し続けていた学者さんだったが、米国官憲に睨まれて、非常に不遇な後半生を送った。

ケタミンは、Wikipediaにも出ているが、麻酔薬でもある一方「麻薬及び向精神薬取締法の麻薬」でもあって一般人が濫用することはできない。

ティモシー・リアリーは、薬物によって自我の死を体験するという目的があって、ほとんど生還できるが如く薬物使用による死の体験からの帰還を描いている。だが、それは生還したからこそ語れるのであって、分量を誤って生と死の「薄い膜」の向こう側に行ってしまって帰れなかった人もいるのだろうと思う。

なにより、このケタミン体験の記述はティモシー・リアリーにして伝聞形なのだ。

薬物ヨーガとはソーマ・ヨーガ。インド・ペルシャが同一文化圏であった古代、ベーダにおいては、ソーマなる向精神薬がニルヴァーナである宇宙の全情報を開示することが賛歌として歌われるほど主要な冥想手法であった。

現代のソーマ・ヨーガと言えば、ヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥスとその弟子のカルロス・カスタネダ。

カスタネダは、薬物による死(精神的死)を迎えるに際し、かつて出会った人々に別れを告げに行くなど相当に事前準備をしたものだ。

死を迎えるというのは、まず心理的抵抗が怒りとして現れるなどキュブラーロスの研究であるように一筋縄ではいかない。

いかに効き目の強烈な薬物を使用しても「置き去りにしてきた世界」を去ってしまう心理的反発は少なからぬものがある。

ケタミンを踏み台に感情的抵抗なくニルヴァーナに入っていくというのは、社会の一員、家族の一員としての自分にとっては、容易に受け入れがたいところがあるように感じる。

ところがそのような行き方も是であるという考え方もあるのだろうと思う。
人間が鳥になるのにぐずぐずする必要はないという考え方。

その彼は、人間を卒業する時期だったのか、そうではなかったのかはよくよく冥想してみたい。
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私はソーマを飲んだのか?

2019-12-03 05:40:44 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎天上の神々なぞ私の爪の垢にも匹敵せぬ

ソーマ賛歌は、古代インドのヴェーダの中にも類似したものがあり、向精神性薬物であるソーマにより大悟徹底、神人合一、宇宙意識への突入を目指すものであるという立場が明らかにされているが、散佚したのか、最初からバラバラに採録されたのかは解らないが、通して読んでも盛り上がりを欠く。

そこで、ダンテス・ダイジが、それを翻案し、『ソーマ賛歌』を歌い上げた。

『ソーマ賛歌
果てしなく吹きあれる嵐のごとく
それが私の眼を目覚ましめた
私はソーマを飲んだのか?

たくましき軍馬が戦車を引いて天翔るように
それが私を限りなく成長させた
私はソーマを飲んだのか?

母なる牛が子牛を抱くように
激しい歓喜が私を包んだ
私はソーマを飲んだのか?

戦士が戦車のうちに魂をこめるように
私はこの歓喜にすべてを委ねた
私はソーマを飲んだのか?

世界のあらゆる国々なぞ
私の眼のちりほどにも価値はない
私はソーマを飲んだのか?

天上の神々なぞ私の爪の垢にも匹敵せぬ
私はソーマを飲んだのか?

輝かしい光明のうちに
私は天空と大地のかなたを越えた
私はソーマを飲んだのか?

私は地球やあらゆる星星をつまみあげ
ここに あるいはあそこに置いてみては戯れる
私はソーマを飲んだのか?
それともソーマが私を飲んだのだろうか?

ハリ・オーム・ソーマ
ソーマ・アムリタ・ソーマ』
(ダンテス・ダイジ/メディテーション・トラベルガイドから引用)

不思議なことに似たような情景を歌った出口王仁三郎の歌もある。
『日地月あはせて造る串団子星の胡麻かけ喰ふ王仁口

日地月星の団子も食ひあきて今は宇宙の天界を呑む』
(出口王仁三郎著作集 第2巻第2部社会批判の展開/吾人の現代観)

出口王仁三郎は、明らかにソーマ・ヨーギではないが、その境地は卓絶したソーマ・ヨーギ、例えばヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥスと同様のものであることがうかがい知れる。

ドン・ファン・マトゥスは、カルロス・カスタネダにより、1960年代、70年代アメリカのドラッグ・シーンに大きな衝撃を与え、その影響は未だに続いているし、悪影響も大きい。

ソーマ・ヨーガは廃人になったり日常生活ができなくなる危険性をはらむが、クンダリーニを勝手に上げたり、我流で気を回したり、ただ固定した姿勢で静坐し続けたりしても、妄想にとり殺される様なことがある。またセックス・ヨーガであるカーマ・ヨーガにも依存性とカルマをぐちゃぐちゃなものにされる危険性をはらむ。

どんなまともな行法であっても、人生のすべてを賭けねば大きなリターンはないという原則は共通しており、賭けたからといって必ずしも成功するとは限らないものである。

だが道教の魏伯陽の故事を見てもすべてを賭けられるものだけが、道に至る。

それでもソーマ・ヨーガは、古代インドでもゾロアスターのペルシャでもハオマと尊称され、重要な悟りに至るメソッドとして命脈を保ち続けている。

ダンテス・ダイジの別の詩にはソーマを水先案内人と見ているものもあり、もう少しで大悟しそうな人や、一度大悟した人がもう一度それをゲットしたり、維持したりするためにソーマを用いる場合もあることが唆めかされている。

酒をソーマとして使う人もいる。
北欧神話では、ミーミルの泉の水である。
インドラ神は、卑しい漁師の姿になって、不死の聖水アムリタを多量の尿として、ウッタンカ仙人に与えようとした。この尿もソーマである。
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フェンタニル

2019-08-07 05:35:34 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎アメリカの薬物ジャンキーなライフ・スタイル

2019年8月1日ドナルド・トランプ米大統領は、中国からの輸入品3000億ドル(約32兆円)相当に10%の制裁関税を課すと発表した。さらにトランプ氏はTwitterへの投稿で、「習近平国家主席はフェンタニルの米国への売却をやめると言ったが、これも実現せず、多くの米国人が死に続けている!」と主張した。

フェンタニルの方は聞きなれないので、スルーした人も多かったかもしれない。

フェンタニルは強力で依存性のあるオピオイド系鎮痛剤。

オピオイドと言えば、トヨタ自動車のジュリー・ハンプ常務役員(55)が2015年6月18日、麻薬取締法違反の容疑のため、滞在していた都内のホテルで逮捕された事件があった。中身が「ネックレス」と記載されていた米国からの国際宅配便の小包に、麻薬成分の「オキシコドン」錠剤57錠が隠すように入っており、密輸の疑いがあったためだそうだ。

オキシコドンは、オピオイド鎮痛薬とよばれる医療用麻薬の一種。オピオイド鎮痛薬は本来は医療として疼痛を和らげるために用いられる。日本では、主にがん性の疼痛に処方されるそうだから、相当に強力なやつだ。オピオイド鎮痛薬の代表格はモルヒネ

人間は、起きている時間の快適と眠りの時間の快適を求めるものだが、麻薬で快適を求めるのは、起きている時間の快適。

トランプ大統領が、30兆円の関税引き上げと並べて言及せざるを得ないほど、オピオイド鎮痛薬ジャンキーは、アメリカに多く、オピオイド鎮痛薬だけではないのだろうが、アメリカの平均寿命を押し下げている原因が薬物乱用と自殺にあると言われるので、アメリカの国家的危機の原因と認識されているのだろう。

アメリカの平均寿命は78歳代だが、2015年以降減少傾向という説がある。また2017年だけで薬物の過剰摂取による死亡者数が7万人に上っているとも言われる。

アメリカの薬物ジャンキーなライフ・スタイルは、日本は見習わなくて幸いだった。音楽、絵画、彫刻など、薬物摂取するのが良いものができるみたいな先入観がある人が多いのかもしれないが、日本にはそうではない『清よ明き心』(スサノオノ命が誓った心)というものがある。
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ソーマ・ヨーガと麻薬経済

2019-06-24 05:29:05 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎麻薬を食べる国、麻薬で食う国

カルロス・カスタネダのドンファン・シリーズを待つまでもなく、ソーマ・ヨーガは古代インドの昔から窮極に入る手段として、厳然として存在していた。

既に悟った者が、悟りを維持するために酒や大麻入りドリンクを飲んだりするのは、スピリチュアル系の本を読んでいれば、時々出くわすものである。

どのボディにもヘルメスが、窮極への水先案内人として立たれており、そのヘルメスが死後の閻魔大王役でもあったりするのだが、まともなソーマ・ヨーギであれば、ソーマをパイロットに立てて、なにもかもないイーグルを目指す。

その道は薬物依存に陥りやすいものであるから、正統な指導者に就くのは必須である。

最近ベネズエラに2つの政府(反米左派と親米右派)が登場し、生活インフラが崩壊しているので隣国に難民が何十万人も押し寄せているというニュースを見聞きすることがある。

もともと隣国コロンビアには、麻薬組織としてメデジン・カルテルとカリ・カルテルが存在し、アメリカの支援を受けた麻薬組織の撲滅運動が成果を上げた結果、両カルテルは主たる活動の場をベネズエラに移した。

麻薬組織は、力をつけてくると国家そのものの司法、警察、経済を脅かすものであるから、またマネーローンダリングの金で兵器も手に入るものだから、外国勢力も容易にベネズエラの主導権を得るようなことになってしまう。

中南米諸国は、コロンビア、ベネズエラに限らず、多かれ少なかれ麻薬経済が相当の規模に達しているものであり、麻薬以外の経済規模が小さい場合は、麻薬が主たる産業となってしまうこともあるらしい。

1970年代、1980年代に最貧国と言われた国家群(北朝鮮、カンボジア、ラオスや中南米の小国家など)が、今見てみると麻薬経済が国のマネフローを支える規模に育っているようであるのは奇怪なことである。

こうなったのは、1990年代以降発展途上国にインフラ開発資金名目で大量に資金供給されたことと、世界最大の麻薬消費国アメリカの麻薬輸入額は年間20兆円規模とも言われるがそれが継続していることが挙げられる。麻薬はマネーローンダリングで決済されるが、経済規模は基幹産業並みになってしまったのだろう。

かくして古代インドに隆盛となり、各地のシャーマニズムなどで正統な命脈を保っていたソーマ・ヨーガは、ドンファン・マトゥスの一瞬の煌めきを見せながら、その非社会性の故に、世界の小国の経済を支え、日米欧の薬物依存症患者を日々増加させているだけに終わっているのは残念なことである。

世界には、日本のような食べ物と水が手に入りやすい国とペルー、ボリビアのようにそれが難しい国がある。食べ物と水が一定量生産されても、中国、カンボジアのように苛政は虎よりも猛であるが故に、暮らしにくい国もある。

食べられる国では麻薬が蔓延し、食べられない国では、麻薬が経済を支えているのは、21世紀の逆説である。
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脳内のある物質が世界を変える

2019-06-23 07:05:29 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎無用に異世界を覗き込む

脳科学の立場ではエーテル体もアストラル体もないので、悟りを脳科学で考えれば、脳内のある物質が、自分という像を、あなたも私も同じとか、一切衆生あらゆる万物はひとつながりの世界であるという、統合失調症的な世界認知をさせているという見方もあり得る。

これについては、いろいろなドラッグを自らキメてみたオルダス・ハックスレーも似たようなことを言っている。
『つまり別のいい方をすれば、われわれは誰でも、その少量が与えられれば自分たちの意識に深刻な変化をもたらすものとして知られている化学物質を、自分自身の体内でつくることもできるのだ、ということになってくる。そしてその物質によって意識が変化させられた結果として生じる徴候のうちには、二O世紀の特徴的な世紀病、精神分裂病の中で見られる徴候とよく似たものが少なくないのである。』
(知覚の扉/オルダス・ハックスレー/河出書房新社P7から引用)

これは、メスカリンの作用についての言及。欧州の薬物付き野外コンサート、レイブでもアメリカの高校、大学、家庭でも広くドラッグが蔓延していると聞くが、ストレスや悩み解消でドラッグをやるのだというようなせりふを映画やテレビ・ドラマで見ることが多い。

ところが、向精神性ドラッグの効果は人によってまちまちなところがあり、その効果は、世界観そのものを一変させてしまうことがあり、その変化に堪えられない場合は、社会的不適応やゲシュタルト崩壊ということがあり得る。

ドラッグ服用により、ストレスや悩み解消どころではない、この皆が社会だと考えている世界ではない、全く別の世界に飛び込んでしまう可能性があるのだ。

霊的感覚を得ることをさも良いことのように吹聴する人もいるが、霊的感覚を開くというのは、ドラッグにより別の世界をのぞき込むことと同じ。

卒業
の準備ができていない人間が無用の霊道を開くことについては、デビッド・ニールがその危険性を指摘しているとおりである。ドラッグも同様の危険性をはらむ。薬物依存も問題だが、こちらも深刻な問題であると思う。
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ドラッグと正気

2017-12-23 06:56:37 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎音楽が見え色が聞こえ

向精神性薬物を投与すると、人は時間、空間の認識を失い見当識すら失うこともある。
LSDでは、アルチュール・ランボーではないが、音楽が見え色が聞こえるなどという。

出口王仁三郎の道歌
『耳で見て目できき鼻でものくうて 口で嗅がねば神は判らず』

クンダリーニ・ヨーガで見ているこのような世界は、私たち自身があるがままに世界を見ているのだろうが、その世界は、奇しくもラリッた世界に近いところがある。

クンダリーニ・ヨーガや、ドン・ファン・マトゥスのソーマ・ヨーガでは、いわゆる秩序とコントロールと正気のもとに、その世界にコンタクトし活動する。

一方このような師匠なしで、『科学的に』向精神性薬物を投与した場合、このような時間・空間の認知を失う状態が一時的に発生するが、元に戻ることになっている(戻らないケースもあるようだ)。

臨死体験ですら、その体験したとされる中身は、非常にばらつきがあり、こうした向精神性薬物投与でも、得られる状態は、バッド・トリップが多く、この一なるものやキリストや釈迦を見たなどの成功例は少ない。

シャクティ・パットはエネルギー注入などではなく、口を切るだけだといわれる。こうしたドラッグ投与も同様の位置づけなのだろう。ドラッグ投与は、不必要な霊道を開くことでもある。

クンダリーニ・ヨーガとかソーマ・ヨーガの師匠からみれば、真正の宗教体験を持たない人間がこうした危ない薬物を投与するのは、あらゆるろくでもない結果が待っているということなのだろう。

自分自身に準備ができているか、すべてを捨てる覚悟があるか、そのグルは本物か、など求められる条件は厳しい。

それでもそうしたドラッグを、無慈悲にも実験しようとした人はいたようだ。

『一九五一年、ポワンサンテスプリというフランスの小さな村が、一夜にして全村狂ったようになった。村のおえら方がいく人か、窓からロ一ヌ川へ身を投げた。かと思うと、ライオン、虎、そして「ロバの耳を持つ強盗」が追いかけてくると悲鳴をあげながら、通りを走り抜けた。たくさんの死者がでた。
生き残った者も、数週間はふしぎな後遺症に苦しんだ。
ジョン・C・フラーは自著『聖アントニウスの火がおそった日』で、このふしぎな事件を麦角菌がついたライ麦粉のせいだとしている。』
(アシッド・ドリームズ CIA、LSD、ヒッピー革命 マーティン・A・リー/共著 第三書館P49から引用)

こうしたものを群集鎮圧とか、都市ゲリラ戦などで使おうと発想する人がいるのもまた事実なのである。

このレベルはひどいかもしれないが、こういう意味でも、まことに人の意識・無意識は心理現象でなく、現実直結ではある。きれいごとでない部分がある。ノン・デュアリティとはそういうものである。
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オウムの薬物乱用と記憶抹消

2017-07-16 02:47:04 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎従順な仔羊信者たちの悲劇

最近オウム関連本を何冊か読んだ。

1.未解決事件オウム真理教秘録 NHKスペシャル取材班/編著 文藝春秋
2.オウム事件17年目の告白/上祐史浩/扶桑社
3.検証・オウム真理教事件/瀬口晴義/社会批評社

オウム関連本をまとめて読む人はそう多くはないだろう。というのは一冊一冊が刺激が強すぎて、一冊読めば他のことも想像できるみたいな気分にさせられるからである。

特に気になったことは2点あり、その一つは、LSD(と覚せい剤)入りドリンクを信者に大量に飲ませたが、その影響からか、サティアンでは統合失調みたいになった人を時々見かけたという点。教団内では、こうした人たちに十分なケアは与えられなかっただろうから、この人たちはその後どうなったのだろうか。

もう一つは、ニューナルコと呼ばれる薬物(睡眠導入剤?)と脳への電気ショック+洗脳情報強制投与による記憶抹消を施術された人数は約100人で、一人で20回以上やられた人もいること。

これをやられると、ある期間の記憶の一部が欠落して、人生上のセンシティブな部分が荒廃してしまう。

この記憶抹消をやられた人は、教団の殺人やサリンなどの犯罪を偶然知ってしまった人たちであって、素直で従順な信者であったがゆえにこのような目にあった側面があり、結構古参信者が多いことも目に付く。

グルへの絶対服従は、法治の観点からすれば、信者の人権無視人権侵害にあたる。だが、たとえば観想法でいえば、カトリックでも正教でもチベット密教や比叡山でも、何か月も籠って観想やマントラをやらせる修行法はあるものだ。また道教でも魏伯陽が、弟子二人に毒を飲ませることを強要した事件もある。

だからグルへの絶対服従がだめとは、一概には言えない。
宗教の修業は、生死を賭けるものだから、出家修行では、日常生活は捨離される。

よってオウムではグルが問題だったということにはなる。

古参信徒の中には、グルの悟境を見極めてさっさと脱会した人もあるという。さもありなんである。

ことほど左様にお人よしの多い日本人。正師とは悟った人のことだが、悟っていない人が師匠や教祖が悟っているかどうかを見極めることなどまずできない。

その行為が合法であっても善行であるとは限らないし、最も厳しい見方では、悟っていない人間の行為などほとんど悪という見方すらあるのだ。

それでも坐る。

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日本文化は麻で成る

2017-04-14 05:45:04 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎衣(ぬの)としての大麻

海外で大麻の規制が緩いせいか、日本でも大麻解禁を意図した本が時々出版される。

しかしどうも議論が、ためにする議論が多いように思う。

スピリチュアリストとしては、大麻と言えば伊勢神宮の「神宮大麻」というお札。大麻は日本文化の中核なのだ。

そもそも古代日本で衣類の素材は基本は麻(大麻)だった。絹と木綿はあるにはあったが、とても貴重な品である時代が続いた。庸や調で収めた布は麻だった。

木綿は大量生産が可能になった戦国時代頃から普及していった。

人間の生活は衣食住と信仰だが、15世紀以前は、日本の衣料の素材の大半は大麻だったのだ。貴重な衣服の材料だからこそ喫煙するなどという伝統は起こらなかった。

古神道は、チャネリングとクンダリーニ・ヨーガで成り、ソーマに類する物は用いないし、仏教に薬物冥想はない。

もし大麻喫煙の非社会性から大麻がタブー化されたなら、日本の意匠文化には大麻がなかったはず、布地のデザインでも木工芸でも「麻の葉」は最も多用されるモチーフなのだ。

戦後米軍がそうした文化への理解浅く、大麻を規制したのは、何も知らない寝た子を起こすようなものだったのかもしれない。
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一点と世界全体、一瞬と永遠

2017-02-28 05:25:37 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎華厳経とドン・ファン

華厳経から
『一一の微塵の中に仏国海が安住し、仏雲が遍く護念し、弥綸して、一切を覆う。
一つの微塵の中において、仏は自在力を現じ、神変することもまたかくの如し。
諸仏及び神力は、盧遮那の示現したもうなり』
(華厳経盧遮那仏品 第二之二)

一粒の微塵の中に巨大な仏国土が存在している。

これに対してヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファン・マトゥス
『「一瞬が永遠にもなるということを知ってるか?これはなぞなぞなんかじゃないんだぞ。事実なんだ。
ただし、お前がその瞬間に乗って、自分の全体性をどの方角へも広げていけるようにそいつを利用すれば、
の話だがな」』
(力の話/カルロス・カスタネダ/太田出版P16から引用)

さらにドン・ファン、
『いまこの瞬間、お前が不滅というものに囲まれているのがわかるか?そして、お前が望みさえすればその不滅というものを利用できることを知ってるか?』
(力の話/カルロス・カスタネダ/太田出版P16から引用)

ドン・ファンは、一瞬が永遠であることを示し、それすらも利用できることをほのめかす。この言葉に続いて彼は、自分の全体性をまとめて、肉体という境界を越えて出ることすらもできると言う。

自分の全体性とは本尊のことであり、アートマンのこと。一即全、一瞬即永遠とは、無味乾燥な戯言にも聞こえるが、そこには体験とはいえない体験の裏打ちがある。

肉体から出ると言ってもヘミシンクのことではない。神人合一を見ているわけだ。

例の広島県三原の隠遁者エスタニスラウ・マリア・ヨパルト神父も華厳経のことは評価していたようだ。

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トナールとナワール

2016-11-01 05:26:53 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎生と死、光と影

トナールとナワールはドン・ファン・マトゥスの世界を語る代表的概念。

一見するとトナールは、顕在意識の側である。トナールは自己なのだが、その大きさは、いわゆるみじめでちっぽけな自分から極大の自己であるアートマンにまで拡大する場合がある。自己ではあるがそれは、世界全体を指す場合すらもある。

だからトナールは、「トナールへのどんな脅威も、必ずトナールの死という結果をもたらす」(力の話/P209)。この死は、大死一番のことを指し、死ならなんでもよいということではあるまい。

だからトナールが死ねばその人間は死んでしまう。戦士はバランスをとるためにナワールを出現させる。

ナワールは明らかに無意識、潜在意識の属性を備えている。だからナワールが表面に出てくることを学ぶとトナールにひどいダメージを与えることがあるなどと言われる(力の話/P209)

ナワールは、こうして見ると、ユング心理学などでいう影みたいなものでもあると思う。トナールは生、ナワールは死というのもこの見方にマッチしている。

ドン・ファンの世界には、これらとは別にイーグルがある。イーグルこそ大神である。ドン・ファンの言い回しの中にトナールも神などというのも出てきて混乱するが、本来の自己(本尊)も神みたいなものであることを考えれば、トナールも神という表現に問題はないと思う。

自己、自我の多次元性とその広がりを目撃すれば、トナールについての表現はこのようなものになるということについて違和感はない。

カスタネダシリーズの太田出版による再版も喜ばしいが、講談社学術文庫に入っていたのは知らなかった。ただその手法たるソーマ・ヨーガは、日本ではほとんど難しい。
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自分の判断を疑わずに幸福感に包まれて死へと向かう

2016-10-19 05:33:55 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎不思議な悲しみ

弟子カルロス・カスタネダに対して、ドン・ファンが語る。
『「逃げ出して場当たり的に行動するのではなく、自分の判断を疑わずに幸福感に包まれて死へと向かっていくかもしれないんだ」

ドン・ファンのことばには、不思議な悲しみがこもっていた。たぶんのその悲しみはわたしの悲しみだったのだろう。わたしたちは長いこと黙り込んでいた。』
(力の話/カルロス・カスタネダ/太田出版P146から引用)

人は死と隣り合わせに生きている。若いときは、総じて死を意識するサイクルは少ないものだが、親が老いて弱って来たり、自分の肉体の老化を感じるとき、死を意識するものだ。

最近は、東日本大震災、熊本地震と突然の死を意識する時が増えた。

現代文明は、死を忌避するという特徴が文化、社会通念全般に行きわたっており(アポロン型文明)、死から逃げ出して場当たり的に行動するということが起こっても、世間的にはまずその行動に疑念を抱かれることはない。

ところが、このドン・ファンの自分の判断を疑わずに幸福感に包まれて死へと向う生き方とは、死の世界をクリアして生が何の問題もないことを承知しながら天命を生きるということ。死生両全。

換言すれば、悟りを持ちながら人生を押しわたっていくこと。悟りとは命の悲しみのこと。このシーンには、その悲しみがしみ渡っている。
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ソーマ・ヨーガと現代社会

2016-10-10 06:57:06 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎疑わしい日常生活の現実性

ドン・ファン・マトゥスは、ペヨーテばかり使っていたと思いこんでいたが、何十年ぶりにカスタネダ本を見返してみると、ジムソン・ウィード(チョウセンアサガオ属の一年草)とプシロシベ(マジック・マッシュルーム)も摂取していたことを発見。

ドン・ファン・マトゥスはペヨーテのことを“メスカリート”と呼び、優しい教師であり守護者と位置づけ、
ジムソン・ウィードとプシロシベのことは“盟友”と呼び、人間があやつることができるものと位置づけ、ペヨーテとは別の扱いだった。

ドン・ファンがキノコを使うときの手順は、まずそれを小さなヒョウタンに入れて乾燥した粉末にする。そしてそのヒョウタンに封をし、一年間そのままにしておく。それから粉末を五種類の別な植物と混ぜ合わせて、パイプでふかすきざみを作った。

思い切り強烈な向精神性薬物を3種をあやつるのだが、分量を一歩間違えればあの世行き。カスタネダは、ドン・ファン・マトゥスの弟子として1961年から5年を過ごし、彼は「日常生活の現実性は疑う余地のないものだというわたしたちの誰もがもっている確信を失いはじめたのだ」と述懐する。荘周胡蝶の夢となったのだ。

堅気の社会人として日本でやっていくためには、こんなことには近づくことはできない。でもちょっと求道あるいは冥想というものを真剣に学び始めれば、この善良な社会人の通念としての世界が絶対堅固なものではないという言説(たとえば色即是空)にあふれていることに気がつくものだ。

さて、女優高樹沙耶さんは、話題の人気映画にでたり、人気の連ドラに出たりと芸能界の寵児だったが、大麻合法化活動みたいなことを掲げた瞬間、芸能界から干された。

また酒井法子や、ASKA、清水健太郎 など、有名人の薬物事犯は枚挙にいとまがないが、そういう単なる快楽増進目的でやるのと、カスタネダのそれは違う。しかし「オウム真理教では、LSDドリンクで洗脳していたではないか」と反論されると、宗教におけるソーマ・ヨーガという看板そのものが、現代社会では十把ひとからげで危険なものとされてしまうことに対して、説得力ある効果的な説明は極めてむずかしい。

カルロス・カスタネダは、恵まれた環境と正師に恵まれ、ソーマ・ヨーガの可能性を世に示したが、現代社会では、その道を持続的に発展させることは不可能なのではないか。

ソーマ・ヨーガは、ヴェーダの昔からあるとはいえ、次の千年王国において初めて公認され得るものなのではないか。
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蓮喰いびと

2016-09-30 05:19:16 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎車内でモバゲー、漫画

オデュッセイアに、国全体がアヘン窟のようになった蓮喰いびとの国が登場する。

オデュッセウスはトロイアからの帰途、御承知のように長い年月の間各地を漂流し、十年目にようやく故郷の島イタケーへ帰りつくのだが、これはその放浪の船旅のひとつのエピソードである。

オデュッセウスはキコネス族(多分エーゲ海北岸の蛮族)の国で戦った後、大嵐に見舞われ、九日間漂流をつづけて十日目に《蓮喰いびと》の国に上陸する。この奇妙な名をもつ国の住民がどんな人々かを調べるために部下を派遣すると、蓮喰いびとたちは別に害を
加える様子もなく、ただ蓮の実をとって食べさせてくれる。

部下のうちで、この蓮の、蜜みたように甘い果実を啖(くら)った者は、
みなもう帰ろうとも、報告をしに戻ろうとも思わなくなり、
ただひたすら、そのまま蓮の実喰いの族(やから)と一緒に実を貪(むさぼ)って、
居続けばかりを乞い願い、帰国のことなど念頭にない模様
(『オデュッセイア』第九書 呉茂一氏訳)

そこでオデュッセウスは、ここに居残りたいと泣き叫ぶ連中を無理やり船に連れ戻し、漕座の下に縛りつけて大急ぎで出帆する、という次第である。家郷を忘れて恍惚と暮らす、というところから、蓮喰い人(ロートプァゴイ)とは現実を思いわずらうことのない浮世離れの人々の代名詞のようになっている』
(花の神話学/多田智満子/白水社P165-166から引用)

この譬えは、古代の異国の伝説のことでなく、すべてを忘れスマホゲームに打ち込む老若男女が大勢棲む我が日本国のことでもある。

最近の日本の若者は外国に出なくなったと言われるが、その理由の一つは世帯所得の低下であり、もう一つは、モバゲー隆盛であろう。電車、バスに乗る人には、スマホ、携帯でゲームをしたりマンガを見ている人ばかりである。

日本人が蓮喰いびと化してきている。周囲の状況に注意を払い、その情報で思考するという当たり前の習慣を失った人々の行く先は亡国である。

9月の一か月のうちまともに晴れたのは一日あったかどうか。関東大震災は、長雨の後だったそうだ。人心晴れなければ、天変地妖も起きがちなものである。
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マンドレイク=恋なすび

2016-09-06 06:07:16 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎レアとラケルの寵愛争い

マンドレイクは、根の形が人間の二本の足に似ているため、様々な想像を掻き立てるものだ。

これが、聖書の創世記第30章に登場してくる。姉レアと妹ラケルでは、ラケルの方が美人で、夫ヤコブは、ラケルの方ばかり寵愛し、レアのところにはあまり寄り付かなかった。

ところが神の側には、まず姉を寵愛すべきというルールがあり、レアはさっさと4人も子供を産んだが、ラケルはヤコブの寵愛を一身に受けているにもかかわらず、いつまでも子供ができないことを不満に思っていた。

ある日レアの子供が麦畑でマンドレイク(恋なすび)を見つけたところ、妹ラケルが「それを私に頂戴」とねだった。

するとレアは、「あなたがわたしの夫を取ったのは小さな事でしょうか。その上、あなたはまたわたしの子の恋なすびをも取ろうとするのですか」。ラケルは、「それではあなたの子の恋なすびに換えて、今夜彼をあなたと共に寝させましょう」。

というわけで、レアは首尾よく夫ヤコブと久々に寝ることができた。

ラケルは、この媚薬マンドレイクが効いたのか、初めて子供を産むことができた。

マンドレイク(恋なすび)は、旧約聖書のお墨付きを得たので、この後西洋社会では催淫剤として、夜の褥(しとね)や怪しい儀式で頻繁に用いられた。

マンドレイク(恋なすび)を服用すると、変性意識状態を生じる。変成意識には、トランスが代表的であるが、変性意識を体験したほとんどが悟るわけではないように、マンドレイクを服用したらまず悟るというものではない。臨死体験しても皆悟るわけでもなく、天国に進む死者が皆悟るわけでもない。

ただ変性意識は、無用の用の入り口として在る。


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