アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

NHKスピリチュアルジャパン 坐禅

2019-10-17 05:34:28 | 丹田禅(冥想法8)
◎理屈ではなく体験、言葉では説明できない

NHKスピリチュアルジャパン 坐禅という番組を拝見した。

3人の日本語の流暢な外国人男女が、臨済宗円覚寺と曹洞宗総持寺などをめぐって、坐禅もし、禅とは何かも問うて見せるという趣向。

3人の外国人は日本語が上手いわりに禅のことは知らないし、坐ったこともない。これは、日本人が同じ立場で出て来ても同じだろうと思った。

若干の禅についての質問が出るのだが、坊さんの回答は、禅は理屈ではなく自分で体験するもの、言葉では説明できないというのはよいが、「心が落ち着く」などと言ってみせるものなのだろうか、とは思った。

坊さんが、禅の坐る姿勢は最高の技術だみたいな評価をしていたのは、門外漢にも訴えるものがあるかもしれないなどと思った。禅には何かあるかもしれないと思うもの。

円覚寺の坊さんが、鈴木大拙の無という字の掛け軸を出して、これは無だが、何もないという意味ではなくすべてという意味だというような説明をしていたのは面白かった。

無字の公案をもらってムームーとやらされれば、無字が何もない無のことなのだろうかと疑うもの。

十牛図第八図は一円相だが、それは無だが、どういう無かは日常感覚にはない。十牛図では、全体のシンボルは牛であり、牛は太母で、諸行無常で色即是空の色全体のことだが、牛は修行者が乗ったり一体化するので、個なる牛とか、個なる本来の自己とか、個であることを思わせぶるので、個と誤解しやいすいが、牛は個ではなく全体のことである。

第三図で牛のしっぽを見るとは、そのことか。禅に取り組むということは人生を卒業しましょう、輪廻転生を卒業しましょうということではある。平たく見れば、肉体死では卒業できないことを見聞きするものだから。
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不躾に物をねだる

2019-10-01 05:34:18 | 丹田禅(冥想法8)
◎謙虚・謙譲など思わない学生

清貧、無欲を奉じる真面目な修行者には、物をねだるという発想はない。饗応を受けたり、プレゼントをもらうにしても、独特の細かいルールがあり、それを守って生きているものだ。

かの120歳まで生きた唐代の禅僧趙州は、超有名師家ではあったが、自室に食器を置く棚もなく、椅子の脚は折れていたが、別の棒を添えて縛って使っていた。更に近隣の人が食事をねだりに来ることもあった。

こうした中、ある科挙を目指す学生がやってきた。
学生『仏は衆生の願いを退けないというのは本当ですか』
趙州『本当だ』
学生『それでは、和尚の手にしている拄杖(しゅじょう:つえ)を頂戴したいのですが』
趙州『君子は人の好んでいるものを奪わないものだ。』
学生『私は君子ではありません』
趙州『わしは、仏ではない。』

これでは、ほとんど無駄話に堕している。

愛があれば他人からものを奪うことなどできなし、いわんや他人を殺すことなどできない。そういう趙州から拄杖を奪おうという不心得者のこと。このような問答をしかける時点でアウトである。

言論の自由、思想の自由、信教の自由の名の下に、謙虚、謙譲はなりを潜め、欲望を掻き立てるプロパガンダ全盛の時代。SNSもマスコミも触れれば洗脳・マインドコントロールされることになる環境で、正気を保っていくことに努力を要する時代である。

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世界の終りのブラック・ホール

2019-09-28 06:29:02 | 丹田禅(冥想法8)
◎趙州録

趙州は、60歳になってから各地の有名禅者に教えを請うて回った。40年間師事した南泉、そして臨済、薬山、寒山拾得等々に行脚して回った。80歳になってようやく狭い庵に居を定めそこで弟子の教化にあたって120歳で寂滅。

120歳なら現代日本でも最高齢だが、唐代の平均寿命おそらく30代の時代にあっての120歳というのは、粗食で生活環境も悪い中、それだけでも驚異である。

日本の天海も108歳と言われ、単なる長寿に意味あるところではないが、長寿して伝道したいという願いなかりせば、それはならなかっただろうと思う。

さて当時は、世界の終わりには、すべてが崩壊して黒い穴(ブラック・ホール)になると信じられていたのだろうか、次のような問答が趙州録に残っている。

『Q.世界が変じて黒い穴になると申しますが、どの路に落ちるでしょうか。

A.どの路にも行かない。

Q. どの路にも行かないのはどなたですか。

A.田舎者だ。』

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寒山

2019-09-25 05:15:26 | 丹田禅(冥想法8)
◎生活を楽しんでいるようには見えないが

寒山という坊さんは、浙江省天台国清寺の西70里の寒巌という場所に隠棲していた。時々国清寺の炊事係の拾得のところに来ては食べ物を恵んでもらっていた。

拾得は料理の残りを竹筒に貯めておいて、寒山が来るとそれを背負って帰らせたのだ。

当の寒山は、面貌は痩せて乞食のようだった。寒山は国清寺の長い廊下をだらだらと歩きつつ、愉快そうに言い、独り言を言い、一人笑いをする。時に寺僧につかまり、罵り打たれ、追い払われる段になるとじっと立ち止まり、手を叩いて大笑いして後、立ち去ったという。

統合失調症で、離人症気味だが、光明を得て生存している、いわゆる聖胎長養の時期だったのだろうと思う。社会的適応という点では問題だが、見性、見仏、あるいは即身成仏を経た直後は、そのようになるものであることが、中国の禅者たちにも知られており、そこに寒山詩の評価がある。

寒山詩から。

『荘子は送終を説いて 天地を棺槨(かんかく)と為す
吾の帰ること此に時あらば 唯だ一番の箔(すのこ)を須(もち)いん
死して将に青蝿を餧(か)わんとす 弔うに白鶴を労(わず)らわさざらん
首陽山に餓えて著(あ)らば 生きては廉(きよ)く死するも亦た楽し』

(大意)
荘子はおのれの臨終に際して、天地を棺おけとせよ(何も要らない)といった。
私の死期が来たならば、ただ遺体を包む一枚のすのこがあれば十分、と。
死んだら青蝿の餌になろうと思う。
白鶴の迎えなどの立派な弔問などまったく不要である。
昔の伯夷・叔斉が清廉を守って米を食わず蕨だけを食べて首陽山で飢え死にした覚悟があれば、生きては廉(きよ)く、死ぬこともまた楽しみである。


これの底流には透徹した孤独感がまずあって、すべてが未知、見知らぬというのがあるのだろうと思う。

それを未悟の者が評価することはできないと思う。
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肚(はら)と芸術の両立は可能か

2019-09-12 05:33:09 | 丹田禅(冥想法8)
◎肚出し作業の必要性

NHKの連続テレビドラマ『なつぞら』で北海道の開拓者、酪農家にして絵画家の天陽が死んだ。開拓者、酪農家という現実とパワフルに向き合い改変していく生業であって、デリケートにしてクリエイティブな画家は、いないことはないのだろうが、きれいごと、作りごとに近い人物設定であることは、感じる人は感じていたのではないだろうか。

そして、重要な脇役は死ぬの原則のとおり、亡くなってストーリー全体に香辛料を振りかけることになった。

ダンテス・ダイジの言葉に『肚が出てきたら、もう本当の芸術作品を創ることはできない。』というのがある。

開拓者として雄々しく、たくましくあればあるほど、芸術家としては二流になっていく。

臨済禅みたいに肚をつくるタイプの冥想法もあるが、一日何時間も坐るような人は、現実に適応していく力(肚の力)は、だんだん失われて行きがちなもの。知者、芸術家が一般に生命力が弱いなどと言われるのはこの辺を指している。

肚の力が弱まったと感じたら、適宜肚出し体操、肚出し呼吸法、肚出し冥想をやる必要はあると思う。それが知性の発達した現代人の習いでもあると思う。
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一休、謙翁和尚の葬式を出せず

2019-08-24 06:00:05 | 丹田禅(冥想法8)
◎観音様を心から求める

17歳の一休は、謙翁和尚を師匠として修業を始め、既に20歳の時にその悟りを認められていた。

21歳、謙翁和尚が亡くなってしまった。ところが葬式を出したくても金がないので、いたずらに心の中で哀悼の気持ちに苦しむだけであった。

壬生の寺を去って清水寺に参詣したが、折しも大晦日から正月15日までは寺全体が、人の出入りを禁じ、断食し香を焚いて経を読む時期に入っていた。仕方なく母親のところに行き、再び清水寺に参詣し、大津に出た。

穴倉に入ったような一休の喪失感を見て、一人の人が、暮れによく作るきな粉餅数枚をくれ、それを食べながら、ふらふらと石山寺に向かった。

石山の観音像前で、自分の道心の堅固なることを七日間祈っていると、これを見ていた曹洞宗の僧が一休を自分の庵に招いて手厚くもてなしてくれた。かの僧が曹洞宗の古則百則を書写することを求めてきたので、さっさと書き上げたところ、喜んで旅費のたしにせよとて、お金をくれた。

一休はその足で、琵琶湖にかかる橋で身投げをしようと向かうが、胸騒ぎを覚えた母の差し向けた使者が一休の自殺を止めた。
(一休和尚年譜から)

21歳で、頼り切っていた師匠を失い、金もなく、母のところに行ったが何も変わらず、観音様を頼もうとして、清水寺に行ったが中に入れず、がっかりしてこれまた観音様の石山寺に行く。

青年一休は、真っ暗な喪失感の中で観音様の暖かみを求めていったのだ。20歳で印可がなんだ。全くものの役には立っていないではないかと。神、仏を心から求めるというのは、そういうことなのだろう。
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一休骸骨、肉体だけでなく、魂も死ぬ

2019-08-20 05:23:45 | 丹田禅(冥想法8)
◎死がちゃんと理解されていない

一休骸骨から。
『何事も皆な偽りの世なりける
死ぬると云うも真ならねば

みんなの迷いの眼から、肉体は死ぬが魂は死なないというのは、大きな誤りである。悟っている人の言葉では、身も種(魂)も同じく死ぬという。仏というのも虚空である。天地国土一切の本分の田地に帰るべきものである』

これは、サラサラと読めるような気がするのだが、さに非ず。魂も死ぬとはどういうことか説明がないからである。

ダンテス・ダイジ流の輪廻転生観では、Aさんは、死後本分の田地に帰り、Aさんによく似たA‘さんとして出生してくるが、それはAさんそのものではないから、厳密に言えば輪廻転生ではない。

一休骸骨は、そういう立場で言っているのか、そこをわかっていっているのかが、非常に興味の沸くところである。

これは禅の伝統的な言説より突っ込んだもの言いだが、若年の頃の一休の猛烈純粋な修行ぶり異類中行的な中年晩年の生き方を見ると、おそらくわかっていたのではないかと思える。
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一休骸骨、マーヤとしての現実

2019-08-18 05:53:22 | 丹田禅(冥想法8)
◎本当の息の一筋(ひとすじ)

マーヤは幻想。あらゆるものは、すべて滅び、あるいは死ぬ。だから現実とはマーヤでもある。そういう真相を知る人があるかと思って、人気のない仏堂に籠って一夜を眠れぬままに明け方になって、まどろんだ。

その夢の中で仏堂の後ろに行ってみたら多くの骸骨たちがいて、その振る舞いは別々であって、まるで生者のようだと見ていると、ある骸骨が歩み寄って詠むには、

思ひ出の有るにもあらず 過ぎ行かば
夢とこそなれ あぢきなの身や
(何か特に思い起すこと(求道)がないままに一生を過ごしてしまえば、夢のようなものである、味気ないこの身よ)

仏法を神や仏に別かちなば
真の道にいかが入るべき
(仏法を本来一つである神道と仏教に分けてしまえば、真(まこと)の道に入ることはできない)

しばし げに息の一筋(ひとすじ)通う程
野辺の屍(かばね)もよそに見えける
(わずかの間でも本当に息の一筋が通っている間(生きている間)は、野辺に晒されている死骸もよそよそしく思える)

さて死の世界に分け入り、
このように骸骨と親しく慣れ遊ぶうちにその骸骨は、まるで自分となったかの如く世を捨て僧となり諸方の経典を調べ、善知識たちを訪問しまくり、我が心の源を明らかにした、と思えば、夢から覚め、松風の音と月の光が残るばかりであった。

「息の一筋(ひとすじ)通う程」の短時間にそれは起こるのだろう。
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西郷隆盛沖永良部で万事休す

2019-07-27 04:54:59 | 丹田禅(冥想法8)
◎その冥想修業を語らず

西郷隆盛は、流刑に2度遭遇し、一回目は奄美、二度目は、沖永良部。沖永良部は奄美と沖縄の間にある。

老西郷大島流竄中の事跡によれば、非常にお粗雑な造りで狭隘な牢(二間四方)に閉じ込められ、日光も浴びれず、脚を伸ばせば枕は便所に接し、臭気は我慢できるものでなかったほど(トイレは室内)。

また与えられる食事も粗末で量も少なく、もともと巨体で肥満していた西郷の肉体も日に日にやせ細り、ついに歩行の自由を失うに至った。

このような状態であるにも拘わらず、君命重しとして、敢えて牢を出ることなく、三度の食事以外は水も口にせず、端座し続け、読書や冥想をしていた。(出典:維新を創った男西郷隆盛の実像/粒山樹/扶桑社P144など)

こうした状態が2か月続き座敷牢に移してもらった。

狭い牢獄で暫く暮らすと歩けなくなるのは、黒田官兵衛の有岡城の土牢の件でも知られる。

こうした冥想しかできないような環境に置かれ、かつ絶望に陥らず冥想を続けるというのは、万事休したが、坐ることはできるので坐ったということ。
社会性は失ったが、冥想しかできなかったので冥想したということ。

簡単にできるが如く書いてはいるが、洞窟での感覚遮断実験のようなもので、自分が振れると気が触れる可能性はある。

飲まず食わずの冥想は長く続けられるものでなく、2か月で打ち止めとなった。イエスも荒野の冥想は40日。

その後、西郷隆盛は写真を残さないまま、戊辰戦争など明治維新前後の戦役をほとんど一人で主導し、西南戦争で没した。西郷隆盛は悟っているが、更に沖永良部でその冥想を深めることで、その後の人生と日本の維新を一気呵成に進めたというべきだろう。

覚者の長期の冥想修業は軽々に見るべきではなく、その間の出来事は、聞ける相手が出現して初めて語られるものであって、結局そういう相手は出ずに終ったのだろうと思う。
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正受老人『一日暮らし』

2019-07-21 06:16:33 | 丹田禅(冥想法8)
◎今日只今の心

正受老人は白隠の師匠。彼に短文ながら一日暮らしという文がある。

この文の前半は、明日もあるから明日やろうと思うと怠け心が出て、今日もやらず明日に回すという下世話な教訓に始まる。

だが、本旨は、『死を限りと思へば、一生に、はたされやすし一大事と申すは、今日只今の心也。』という部分だけである。

今日が最期の日であって、明日はないかもしれないと思えば、一生のうちで最もやるべきことをやるものではないかと言っているだけのこと。

すべてのものは一つながりにつながっていて男女の区別も上下の区別もない(第六身体)のと、「なにもかもなし」(第七身体)は、同時にあるのではないとも戒めている記述に時々出くわす。

そこの部分こそ体験とは言えない体験である。

正受老人『一日暮らし』
『或る人の咄(はなし)に、吾れ世の人の云うに『一日暮らしといふを工夫せしより、精神甚だすこやかにして、又養生の要を得たり』と。如何とならば一日は千年万歳の初なれば、一日よく暮らすほどのつとめをせば、其の日過ぐるなり。それを翌日はどうしてこうしてと、又あいても無い事を苦にして、しかも翌日に呑まれ、其の日怠りがちなり。

つひに朝夕に至れば、又翌日を工夫すれば全體にもちこして、今日の無きものに思ふゆゑ、心氣を遠きにおろそかにしそろや、兎角翌日の事は命の程も覚束なしと云ふものの、今日のすぎはひを粗末にせよと云ふではなし。今日一日暮す時の勤めをはげみつとむべし。如何程の苦しみにても、一日と思へば堪へ易し。楽しみも亦、一日と思へばふけることもあるまじ。愚かなる者の、親に孝行せぬも、長いと思ふ故也。一日一日を思へば退屈はあるまじ。一日一日と務むれば、百年千年もつとめやすし。何卒一生と思ふからにたいそうなり。一生とは永い事と思へど、後の事やら翌日の事やら、一年乃至百年千年の事やら知る人あるまじ。死を限りと思へば、一生に、はたされやすし一大事と申すは、今日只今の心也。それをおろそかにして翌日あることなし。

総ての人に.遠き事を思ひて謀(たくら)むことあれども、的面の今を失うに心づかず。』
(古今名僧手紙禅/丸山小洋編/須原啓興社P122-124から引用(国会図書館デジタルアーカイブ))

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大応と戦争

2019-07-19 05:47:53 | 丹田禅(冥想法8)
◎印可をうけて後に外交

大応は、鎌倉建長寺の蘭渓道隆の膝下で修行していたが、25歳にして宋に渡って、杭州の径山の虚堂智愚の門を叩いた。6年間ここで修行し、印可を得て、1267年帰国し、故地鎌倉の建長寺に戻った。
(1276年に径山に近い首都杭州の臨安が陥落し、南宋は事実上滅亡)

ところが、南宋情勢の緊迫とモンゴルからの圧力で、中国語に堪能で交渉力もある政僧として期待されたのか、1270年には筑前に移り、文永の役の2年前1272年には博多崇福寺の住持となって70歳になるまで博多を動かなかった。

1274年文永の役、1281年弘安の役と密教修法にて国家鎮護するのではなく、おそらくは自ら外交交渉もしていたのだろう。そのかいもなく2度元軍に侵攻された。

実際に大応が外国高官と出会ったことを歌う詩もある。

亡国にならなかったのは、北条時宗以下日本国全体が一丸となって戦ったからだとか、神風が吹いたとか言われ、第二次世界大戦の時も神風が吹くものと信じて、皇国の興廃この一戦にありなどと頑張ったが、甲斐もなく敗戦となった。

この度も最初の一歩は踏み出した感じがある。戦争は、ある日突然起こるものでなく、霜を履んで堅氷至るもの。この度こそ自分自身がどうかが問われるのだろうと思う。
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臨済が達磨の墓参り

2019-07-18 05:17:51 | 丹田禅(冥想法8)
◎仏も祖師も両方とも礼拝しない

禅の初祖達磨の墓は、河南省熊耳山定林寺にあるという。ある日、臨済がその墓にやって来た。

墓守の僧曰く、「あなたは、先にを礼拝しますか、まず祖師達磨を礼拝しますか。」

臨済、「仏も祖師も両方とも礼拝しない。」

墓守の僧曰く、「あなたは、仏や祖師達磨と何か仇敵ででもあるのですか」

臨済は、さっと袖をうち払って出て行った。


臨済は、河北省の本拠から河南省の達磨の墓所にまでやってきて、気のきかない墓守に墓参を邪魔された。禅の修行者であってもわかっていない者は多い。

禅家であれば、わかっていない修行者に、このように仏法の大意を示して見せねばならないという、禅家のつらいところが見える。


臨済は、仏であって祖師達磨でもある。七つの身体論でいえば個人でありながら、第六身体アートマンなる全体を生きるのだから、仏であって祖師達磨でもある。よって仏を礼拝する必要もなく、祖師達磨を礼拝する必要もない。

そこは論でも哲学でも考え方でもなく、臨済の生きる現実がそうなのだ。
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臨済が鍬を奪う

2019-07-17 05:11:11 | 丹田禅(冥想法8)
◎臨済録行録から

黄檗は、臨済の師匠。ある日、寺全体で普請の工事を総出でやっていたところ、皆の後ろから臨済は、とことこと鍬も持たずについて行った。

手ぶらの臨済を見とがめて、黄檗が「鍬はどこにあるのか」と問うと、
臨済「誰かが持っていってしまいました。」
黄檗「そのことについて議論しよう」と言うやいなや、黄檗は鍬を振り上げて「天下の誰も持ち上げられないぞ」
臨済は、黄檗からその鍬をひったくり「どうして今度は私の手に鍬があるのだろう」
黄檗「今日は、大普請をしてくれた人間がいたぞ」と言って、そのまま寺に帰った。

普請は、人を作ること。鍬は、第六身体アートマンであって、この一つながりの世界全体。黄檗にアートマンがあるように臨済にもある。それがわかるか、というもの。

だが、後に禅僧仰山が、これだけでは味も素っ気もないと思ったのか、臨済はとっさに鍬を奪った泥棒だが智慧は君子を越えるなどとコメントしている。泥棒なものか。

禅問答は、いつでも問答が起こりえる常在戦場だが、いつでも真理を持ちながら緩まない厳しさを求める一方で、この遊び心が気に入らない人はいるものだ。
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茶人武野紹鴎門弟への法度十二か条

2019-06-05 05:31:11 | 丹田禅(冥想法8)
◎侘て、仏法の意味をも得知り

安土桃山の茶人武野紹鴎がその門弟への法度として12か条を上げた。その中に、
『高慢多くいたす間敷事』がある。
高慢はいささかもあってはならず、多いも少ないもないが、茶の湯はハイ・ソサエティのカルチャーだったのだろう。

さらに、
『道具を専に茶の湯いたし候は甚だ不宜事』
『数奇者は捨れたる道具を見立て茶器に用候事、況や家人をや』
物を集めるというのは、個的自我の肥大にて大悟覚醒とは逆方向である。当時、一城相当額の茶道具があったとしても。

『数奇者といふは隠遁の心第一に侘て、仏法の意味をも得知り、和歌の情を感じ候へかし』
わびて、仏法の意味を知るならば、禅の十牛図でいえば第三図
和歌の心は恋う心であって、添う心。これは無味乾燥な仏法の本質とは、関係ないが、人間が人間らしく人生を楽しむためにはあっても良いものである。情の勝った日本人には普通に見られる心性。

茶の湯は、セレモニーであって、社交だが、そのスタンスはわびであり、人間の無力さに根差した謙虚とその先にある石ころの心

栄西は喫茶養生記により、ただですら短命で健康を損ねがちな日本でも、喫茶により五臓を調整でき、鬼魅を排除できるとした。

冥想もある程度深まれば、内分泌腺が活性化し、ぽかぽか暖かくなるもの。茶は一服にてそのような効果がある。茶は、シンプルに冥想修業の友である。茶をおいしくいれてくれる人はありがたいものである。

チベットみたいにツンモをがんばらなくても坐れる日本は恵まれている。
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熟睡中に眠らなければ夢も見ない

2019-05-24 05:03:36 | 丹田禅(冥想法8)
◎信心銘でアートマンの後先

信心銘の続き。
『眼(まなこ)若し睡らざれば 諸夢 自ずから除く
心 若し異なざれば 万法一如なり
一如体玄なれば 兀爾(こつじ)として縁を忘ず
万法 斉しく観ずれば 帰復 自然なり』

※眼(まなこ)若し睡らざれば:
熟睡中に眠らない自分。ウパニシャッドの頻出テーマ。荘子大宗師篇にも寝ても夢見ないというのがある。ケン・ウィルバーが、自分では悟ったと思っていた時期に、熟睡中に眠っている自分を発見して愕然として、修行をし直した例もある。

※心 若し異なざれば:
臨済録に、『如何なるか是れ心心不異の処?」と弟子が問うと臨済が云く、「あなたがこれを問おうとしていることは、既に異であって、いけない。』というのがある。これに続く言葉である万法一如(ア―トマン)と心が異なってはならない。

※一如体玄なれば 兀爾(こつじ)として縁を忘ず:
万法一如(ア―トマン)は、この一つながりのものであって、万物も時間も空間も物質もあらゆる生物無生物の想念も感情も意思も含まれる今ここしかない今。これが玄(神秘)なのだが、ごつごつとした石くれのように取り付くしまがなく、非人間的な乾いたもの。
そこでは、あらゆる人間ドラマを起こす原因である縁すら忘れられている。

※万法 斉しく観ずれば 帰復 自然なり:ここで斉(ひと)しく観ずるのは、男女、天地、有無、善悪、貧富、貴賤などあらゆる区別。万法アートマンという石ころの心から一歩出て区別がスタートしたら、以前とは別の本来のナチュラルな自分らしい自分が始まる。
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