アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

ゾシモスの賢者の水銀

2019-04-24 05:13:43 | 錬金術
◎すべての中のすべて

心理学者ユングは、ゾシモスと呼んだが、この本では、ゾシムス。以下は彼の「権威ある報告の一部」。ここで、彼は賢者の水銀とは聖水のことだと言っている。

『〈聖水(1’eaudivine)について。ここに,とりわけ入を魅する,聖なる偉大な神秘がある。それがすべてである。二つの自然と一つの源。

というのは,それらのうちの一つが他方を導き,支配するからである。これは液体の銀(水銀)であり,常に動いている両性のものである。

なにごとも経験しない聖水である。その性質は,理解しがたい。それは,金属でも,水でも,物体(金属性)でもない。人は,これを征服することはできない。

これは,すべての中のすべてともいいうる。これは,生命とその息吹きをもっている。この秘密を理解するものは,金と銀を所有することになる・・・・・・・力は隠されている。それは、色情根エロティル(Erotyle)の中にある。』
(錬金術の起源 古典化学シリーズ 1/ベルトゥロ/内田老鶴圃P167から引用)

二つの自然とは、男性女性、光と闇、火と水などあらゆる二元対立。双方を具備した両性具有が、聖水である賢者の水銀。

賢者の水銀は、常に変動しているが、すべての中のすべてであるので、これは「この一つながりのもの」なる一者を指し、有の側であり、第六身体アートマン。

なにごとも経験しないとは、見ている自分がないということ。

最後に、金と銀なる二元性を征服する力が色情根エロティルにあるとし、修行の基本は禁欲であることも示す。
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水銀の取り扱い

2018-08-31 05:06:21 | 錬金術
◎ささいな誤りひとつで命を失う技法

クンダリーニ・ヨーガは、死を扱う技法なので、ささいな誤りひとつで命を失う技法である。

さて水銀が中国の煉丹、西洋の錬金術、インドの錬金術でも重要なファクターになっていることをスワミ・ラーマは承知している。

だが水銀は常温で液体だが、猛毒であり、水銀化合物が水俣病となったなど、水銀の扱いに関しては、ささいな誤りひとつで命を失うことは知られている。

一日、スワミ・ラーマは、弟子の求めに応じ、水銀による覚醒そのものは実演しなかったが、ペニスから水銀を吸入し云々という技法があることに言及したところで、実際に体温計を割って水銀を取り出し(当時は体温計の中に水銀が封入されていた。)、手のひらからその水銀を吸収し、いつでも水銀を尿とともに排泄できると宣言して、直後に尿の中に排出してみせた。

スワミ・ラーマは、水銀を体内に吸収する技法の存在は肯定したが、その手法ができる人間は一握りであり、その手法の体系は消失したと強調した。

現代に残る文献では、水銀を治療に用いるにも覚醒に用いるにも不十分であり、わずかに残るその手法の継承者は、現代の人類がこうしたテクニックの誤用、乱用、歪曲するのにたけているから公開することはないとも彼は説明している。

(参考:ヒマラヤ聖者最後の教え -伝説のヨガ・マスターの覚醒と解脱 スワミ・ラーマその生と死-下 パンディット・ラジマニ・ティグナイト/著ヒカルランドP197-206)

だが、世界核戦争後、多かれ少なかれ被曝している人類にとっては、福島以後の東北関東の人にとって放射能の体外排出がテーマだったように、再びこのテクニックが真剣に求められる時節があるのだろうと思う。

こうしたテクニックができるには、猛毒を摂取しても耐える肉体と猛毒を意図的に排出するテクニックが必要だが、それは、ささいな誤りひとつで命を失う技法でもあるのだ。
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ベルトロの錬金術研究

2018-01-13 06:30:28 | 錬金術
◎薬物と脳と大悟

一八八八年と一八九三年にフランス人化学者、M・P・E・ベルトロが、膨大な錬金術の資料を調査した。
その結果、彼は、入手できる最も古いものは、二千年以上も昔のものであることを突き止めた。さらに彼は、金属を細工しメッキする冶金学の技術書類を発見したのだが、それは、職人の手引書で、その記述は、霊的な内容のものと綯(な)い交ぜになっていた。

ベルトロはこれを踏まえて、『錬金術とは、一種の逸脱であり、エジプトのギリシア人によって行なわれていた、ごく初期の化学と治金学が退化し変質したものである』(スーフィー 西欧と極東にかくされたイスラームの神秘 イドリース・シャー/著 国書刊行会P240から引用)と結論づけた。

中国でも最初は、外丹が注目され、唐代になって内丹が優勢になっていく。だが、現代でも、ドン・ファン・マトゥスに代表されるソーマ・ヨーガがあり、薬物を契機として、絶対なるものにい飛び込んで行こうとする道筋もまた連綿として続いている。ソーマ・ヨーガはソーマ賛歌に登場するように紀元前のインドの頃から既にメジャーな冥想手法として存在していた。

外丹、内丹と区分するのではあるが、外丹とは、きっかけとしての薬物を外に求めるという部分だけが内丹との違いであるとみれば、外丹、内丹もほぼ一体の求道手法であるとみることもできる。

どの時代でも薬物を入手するのが容易な社会的立場は、鉱物冶金職人もその一つ。自分が試したことのない薬物をこっそり自分の研究室にこもって試食して、トランスに入ったり、戻ったりしながら研究という名の求道を継続していたというのは、ありそうなことである。

よってそうした試行錯誤の記録が「霊的な記録と綯い交ぜになった冶金学の技術書類」だったというのは自然なことでもある。

大科学者ニュートンも密かに錬金術研究を大々的に行っている(多数の証拠メモが発見されている)。

というポイントは肉体ではあるが、きっかけを薬物で脳に与えるという点では、大悟に至るプロセスを見ていく上で、無視はできないものがある。

そして、大悟そのものが、必ずしも外部注入による薬物刺激をきっかけとするわけではない。だが、脳の中ではそういうきわどい薬物変成が発生しているということもまたあるのだろうと思う。だから、OSHOバグワンは、大悟者の9割が戻ってきてもそれを語れなくなるなど、少なからず脳へのダメージがあることをほのめかしている。
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賢者の石の生成過程

2017-12-09 05:55:47 | 錬金術
◎白化、黄化、黒化、赤化

15世紀イギリスの錬金術師ジョージ・リプリーは、賢者の石の生成過程を、「叡知の城」に至るまでの12の門として表現した。

それは、以下の12段階であって、金属の変成に仮託されている。
1.煆焼(かしょう)
2.溶解
3.分離
4.結合
5.腐敗
6.凝固
7.滋養強化
8.昇華
9.発酵
10.高揚
11.増殖
12.投入
(以上出典:図説錬金術 [ふくろうの本] 吉村正和/著 河出書房新社p12-13)

この書物は、時のエドワード四世に献呈された。俗人に献呈してどうするのかと思う。

この内容は、金属変成なので、煆焼(かしょう)とは金属を焙焼して金属灰にすることで不純物を除去するなどと、金属になぞらえた表現ではあるが、実は十牛図うしかひ草のような冥想過程ではある。

もしもこの12段階が正統的なものであれば、後世に盛んに言及引用されるはずなのだが、さほどででもないようだ。だから、心理学者ユングは、12段階重視でなく、白化、黄化、黒化、赤化の4段階こそが多数の錬金術師のスタンダードだとする(結合の神秘)。

無数の錬金術書で何が正統かは、その著者が覚者かどうかになるが、ユングがパラケルススを高く評価していることから、世間の悪評は高いもののパラケルススは、注目して良い一人なのだろうと思う。

中国錬金術(錬丹)では、呂洞賓など音に聞こえた達人が何人も知られているが、西洋錬金術では、金属精錬の人としては存在しても、冥想家としては生きていけなかったのだろう。

あの、人が生きるのに過酷な中国よりも、更に西洋というのは本質的に、錬金術というクンダリーニ・ヨーガ型の冥想者が生きにくい社会だったのだろう。

そして、窮極を知る人として、キリスト教以外の人を認めてこなかった狭量な社会と人間たち。その総決算の時代を、今すべての先進国が迎えている。
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パラケルススの中心太陽突入と帰還

2017-12-06 05:30:01 | 錬金術
◎アルキドクセンから

パラケルススの錬金術では、秘薬としてのチンキ剤(染色)というのが登場し、七つの器官を染め、人間の第一質料(プリママテリア)を全く根絶せず、身体の全体を新たなものにする。

プリママテリアは、最初は肉体のことかと思うが、この言い方ではコーザル体。

七つの器官は、七つの内臓ではなくて、七つのチャクラ。

『各器官の精髄を用意せよ。
そこから元素を分離せよ。
そして、火を付け、浸漬せよ。

それが上昇してしまうと。底には何も残らず、いかなる物質も実体として見えないだろう。

その後、ヘルメスの粘土で密閉したガラス容器に取り、冷えて湿った場所に置け。それが溶けると再び目に見える物質になる。

この目に見える物質こそは、私たちが今述べたものだ。』
(アルキドクセン/パラケルスス/ホメオパシー出版P150-151から引用)

七つのチャクラが上昇してしまうと底には何も残らない。またそこはすでに物質レベルでもなく、すべての物質が実体がないという空の状態。

そのピーク・エクスペリエンスから帰ってくる。

『ヘルメスの粘土で密閉したガラス容器』とは、帰還できた肉体ということになるだろうか。

冷えて湿った場所に置き、それが溶けると再び目に見える物質になるとは、これぞ聖胎長養、悟後の修行。

パラケルススは、中心太陽突入と帰還という体験とはいえない体験をしたのかどうかわからないが、それをなぞったようなこのような文が残っているのは奇特なことである。

パラケルススの錬金術では、チンキ剤以外の秘薬として、生命の水銀、賢者の石、第一物質(質料)を並列して挙げるが、全然並列でないと思う。
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パラケルススのあらゆる宇宙の滅亡

2017-08-17 05:36:09 | 錬金術
◎神と人との合一について

悟る直前にはあらゆる宇宙が滅亡する。パラケルススは、そのことを、その文章だけ読んだのではわからないが、わかる人にはわかるみたいな書きぶりで、記している。

パラケルススは、かんしゃく持ちの気難しいお医者さんであって、時にその書いている文章からは聖性と全くかかわりのない医術パートもあるが、そのものズバリについて書かれたものも交じっている。

心理学者ユングが、パラケルススを高く評価しているのもこのせいかと思う。

パラケルススの「神と人との合一について」を見ると、現世の最後の時代には、裁きの日がやってきて各人はその犯した罪を問われ裁かれ、人は以後子を産むことはない。

というのは、裁きの後、人すべてとこの世が滅び去り、死すべきもの一切が消滅するからである。その後、死はなくなり宇宙は、永遠のパラダイスに変貌する。

この時、先の汚れたアダムは死に、第二の純潔なアダムが生まれる。キリストとは第二のアダムのことであり、永遠のパラダイス=千年王国に生きる人も、キリストと同様の業を行うようになる。この時、一人の羊飼いのもとにすべての群れが一つとなるとは、出口王仁三郎あたりの言う181位階のことだろうと思う。

そして現宇宙は火によって焼き尽くされ、そこにあった万象は一つとして存続するものはなく、エレメントも星辰もその中にあるものもすべて消滅する。そしてすべてが新たなものに作り変えられる。不死なる者だけが復活し、永遠に存在する。

パラケルススは最初に、裁きの日にはノアのような大洪水が起こるのではないと断っているので、この世界観は、神が人と万象に展開する世界全体の滅亡と復活のことだとわかる。

要するに、肉体と欲望の世界と意識の世界、無意識の世界全体のことを言っているが、ここでいう意識の世界、無意識の世界とは、心理だけのことでなく、世界を生成化々させている姿・パワーのことでもある。

『参考:キリスト教神秘主義著作集 第16巻 近代の自然神秘思想 教文館 パラケルスス 神と人との合一について』
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魔術とは何か

2017-08-16 05:33:59 | 錬金術
◎パラケルススの定義

密教とは、微細身レベルのパワー操作を人間のために生かすというテクノロジーなのだが、パラケルススが魔術を定義する。

パラケルススには、魔術についてという文章がある。これによると
1.魔術とは天の力を人間に引き入れ、人間の中で天の働きを発揮させる術である。

2.天の星位は、天の力を人間に引き移すことができるのだが、同様のことができる人間がいる。これを魔術師(賢者)と呼ぶ。

3.また逆に魔術によって天の様々な力が導入された魔術師からは、天上に輝く星と同じような星が数々の不思議な力、神秘的な力を伴って生まれてくる。

4.魔術師が教えを乞う師匠は、星辰のみであって、人間の師匠ではない。

5.また魔術と魔術師は別個に生まれてくるのではなく、一緒に生まれてくる。人間が他の人間に魔術を教えることはできない。人間に魔術を教えられるのは、魔術だけである。

と、このような具合である。

パラケルススは、天意・神意を『自然の道』『自然の光』と表現しており、『自然の道』を踏まえた在り方で魔術と魔術師が同時発生していると見ているのだろうと思う。

つまり、大悟覚醒し、身心脱落あるいは、神人合一した場合に、六神通のような超能力が発現するのだが、それを指して、魔術、魔術師と呼んでいるように思う。

このような魔術師は、星辰をもコントロールする。

つまり、毎日大小なりとも悪事をまき散らしているダメman、ダメwomanが自分勝手な欲望を念力で実現しようと頑張るのは、パラケルススの言うところの魔術なんぞではないのである。

パラケルススは、姦淫、偽善、暴利などをしている輩は、神の道にはないので、魔術はできないとも言っている。
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パラケルススの腐敗の意義

2017-08-13 06:40:17 | 錬金術
◎爛熟と腐敗

パラケルススの『自然の光』から。

腐敗はあらゆる発生の始源である。
・・・・・それは自然の形姿と本質、諸力と効能を転換する。胃の中の腐敗があらゆる食物を粥状に転換するのと同じような仕方で、腐敗は胃の外でも起る。

腐敗はまことに大いなる諸物の産婦である。多くのものが腐敗によってさらに多種多様なものとなり、そこから一つの高貴な果実が生まれる。

なぜなら腐敗はあらゆる自然的事物の根元的本質の逆転、死、破壊なのだから。再生と新生はこの腐敗を何千倍も改善して成立する。

しかしこの事実は神の最高にして最大の神秘であり、神が死すべき人間に啓示し給うた最も深い秘密であり奇跡なのである。』
(自然の光 パラケルスス/[著] 人文書院P193から引用)

逆転、死、破壊に先行して腐敗が起こる。

それでは、人の腐敗とは何か、倦怠であり、エネルギー余剰であり、巨万の富や、名声や賞賛や、強大な権力を得ても本当のところはしっくり満足できていないことである。それは、既に自己実現によっては、真に納得できないということであり、どんな社会的成功を収めても自分の寿命には限りがある、死が必ずあることが兆すということ。

そうした人の多い時代の風潮は、爛熟となる。これが「腐敗」である。

誕生→成長→「腐敗」→逆転、死、破壊。

この法則は、個人の一生にも通用するし、文明の興亡にも通用する。

ただ、パラケルススの狙っているのは、高貴なる果実だけである。
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黒化、白化、赤化

2017-05-25 03:46:44 | 錬金術
◎冥想とその結果の不確実性

黒化、白化、赤化は、心理学者C.G.ユングが錬金術研究の結果、心理の統合過程として分類しえたプロセスとされる。

心理の統合と言うと何のことかわかりにくいが、実は、その深層では、心理どころか現実そのものとなる。

黒色、黒化、ニグレドは、プリママテリア第一質量そのものであって、要するに本来の自己を悟っていない状態のことである。

この最初の黒化では、世俗的欲望実現の経験を蓄積拡大することによって自我が膨張し、とある絶望に至る。それによって、プチ自我の死が起こる。ニグレドという言葉は死を示す。

次の段階は白化。白化には三種あって、洗滌(沐浴)や洗礼によって、直接白化するケースと、死に際し体外離脱した魂が、体に生還し、肉体が蘇生するケースと、多くの色を経て白に至るケースとある。

これは銀あるいは月の状態であり、最終目的ではない。最終目的はもちろん黄金あるいは太陽である。

最終目的は、「永遠なる水」とも「われらが火」とも賢者の石とも表現されるが、その方法は、対立物の結合とシンボリックに言われるが、手番の順序の記述も錬金術書によっててんでんばらばらであり、具体的に何を指すかは判然としない。

これは、ある一つの冥想を行ったからと言ってその結果が一つではなく、その結果は何が出てくるかどうかはわからないという冥想特有の性質が絡んでいるように思う。

最後は神人合一、大悟覚醒なのだが、ある冥想を行えば、確実に悟りに至れるというような単線な進行は取らないということ。

換言すれば、冥想とその結果はリンクするものではないということ。これが冥想とその結果の不確実性である。
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アルキドクセン

2017-05-14 05:24:28 | 錬金術
◎4つの秘薬

アルキドクセンとは、パラケルススの4秘薬の解説書。その4秘薬=4アルカナとは、

1.第一物質プリマ・マテリア
2.賢者の石
3.生命の水銀
4.ティンクトゥラ

この4秘薬を用いて人はどうやって悟りに至るかということになる。

1.第一物質プリママテリア
これは肉体のことである。微細身だけでは人が覚醒するのは時間がかかって仕方がないと言われるので、肉体こそ万人が共通に与えられたスタート地点である。

2.賢者の石
卑金属を黄金に変える話が西洋錬金術には多数出てくるが、その中で、溶融した鉛や銀などに加えられる賢者の石は、菜種の半分程度の大きさなど、極めて微量である。このことは、現実あるいは物質レベルに影響する程度については極くわずかだが、物事全体を真善美なる方向に根本的画期的に変成せしめることを示す。

これでは、賢者の石とは、冥想以外に考えられないと思う。

3.生命の水銀
パラケルススは、水銀の中のあらゆる不潔なものを取り除いて水銀の精髄を抽出せよ、それをアンチモンとともに昇華させ、この二つを蒸発させて結合し、最後に大理石の上で溶解させ凝固させると生命の水銀ができると説明する。

生命の水銀とは、その形象から、白銀あるいは黄金のクンダリーニのエネルギーコード以外ではないと思うが、それがクンダリーニのエネルギーコードであると知覚する段階は肉体をメンタル体で離脱して以後であろう。それが水銀の精髄を抽出するということであると思う。

それだけでは、体外離脱しただけであるが、次にアンチモンに擬せらる男女の別、生死の別、聖と俗のような対立物との結婚を経て、生命の水銀に精製されるというところではないか。

4.ティンクトゥラ
これは第四のアルカナム(秘薬)であって、人を健康にし、高貴なものに変え、不壊に変貌させる。
これで連想されるのは、ダンテス・ダイジの窮極から帰還後のエネルギーのシャワー

これら4アルカナを並列な4元素と見ようとするとはずれるし、いわんや地水火風の展開にも充てられない。

人は主より出で、再び主の御許に帰る。

パラケルススは著書「自然の光」において、独特の世界創造、宇宙論を披歴しているが、そういうのを語りたがるのが、一瞥した者の常である。
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トロギールの大聖堂

2017-02-10 05:46:08 | 錬金術
◎天の露を受ける

このレリーフは、クロアチアの人工島トロギールの島の大聖堂にあるもの。古都トロギールは世界遺産。人物は錬金術師であり、天井から吊るされた炉に何かをくべている。そして左手の聖杯を高々と上げそこに天使からの天の露を受けている。

この大聖堂は13世紀から建造されたが、当時既に、錬金術なるクンダリーニ・ヨーガ冥想が認識されていて、このダルマチア海岸の大聖堂の目立つところに、この異教的なレリーフを彫らせるほど、訳のわかった冥想修行者がいたことは、特筆される。

禅なら卒啄同機であって、人間の努力に加え天から来る如きものがないとそれは成らない。

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ヤコブ・ベーメの決定的な15分間

2017-02-05 06:27:36 | 錬金術
◎隠された自然の最も内奥の根底へ

ヤコブ・ベーメは、1575年にボヘミアに近いドイツの小村アルトザイデンベルグに農家の五人兄弟の4番目として生まれた。彼は靴職人として靴屋に徒弟として入り、24歳で親方になり、結婚もした。

靴屋の遍歴修行時代の18歳の頃、彼は魂が輝かしい安息に導き入れられ、神的光に包まれて七日間の間、神の観照と大歓喜のうちにあった。

そしてベーメ25歳のときに決定的な15分間の体験とは言えない体験が起こる。彼は再び神的な光に捉えられ、錫の容器にしばらく見入るうちに、彼のきらめく魂の霊とともに隠された自然の最も内奥の根底あるいは中心へと導き入れられたという。

残念ながらこの時起きたことを彼は語るすべなく、そのことが文章に昇華されたのは12年後の37歳の時であり、それがアウローラ(黎明)という著作になった。それまでは、それは起きることは起きたが、彼には理解できなかったというものである。

アウローラの内容は全体的には霊がかりではあるが、世界の創造のあり様をも幻視しており、それなりのレベルではある。

それと15分は、黄梁一炊の夢の時間にも相当し、本人は15分だと感じているが、実際は数秒だったかっもしれない。なんとなれば、彼は蘇生し、生還したからであって、目立った肉体の損傷もなかったように見受けられるからである。

15分も血流が止まっていれば、肉体はいろいろな後遺症を抱えるものなのではないか。

またやはり、「世界の秘密を見た者はそれを語りたがる」の法則があるのだろう。
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中国錬金術での五行と三尸

2017-01-11 05:37:02 | 錬金術
◎五行での火に克つ議論

中国錬金術の基本書参同契では、金属のできあがりは実のところあまり関心が払われていなかった。

セビンの「中国の錬金術と医術」によれば、参同契では不死を理解することと不死身になることとが別の段階であると認識されていたが、時代が下がって太古土兌経では、
『「もしある熱心な人がこのような五行のはっきりとした鋭い理解に到達したら、火に克つ議論に進んで、かれに金属変成の「道」(すなわち術)について話すことができる。

かれが五行のあらゆる面を悟ってしまったら、かれは釣りあいのとれた悟りの人になるだろう。そして三尸がかれの肉体を去るだろう」』
(中国の錬金術と医術/セビン/思索社P48から引用)

錬金術における卑金属は未悟の人、黄金は大悟の人。

正しい五行についての理解を観想法によって行うのか周天によって行うのか、坐忘によって行うのかはわからない。こうしてディテールである五行についてあらゆる面を悟れば、三尸が身体を去るという。

上尸は頭の中、中尸は腹、下尸は足にいて腰から上の病気を引き起こしたり、淫欲を好ませたりするという。三尸説から連想されるのは三丹田だが、肉体を去るイメージからすると三尸とはクンダリーニのことかもしれないと思う。

火に克つとは死に克つということだが、その時に火に表象されるメカニズムに錬金の奥義が秘められているのだろう。
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逃げるアタランタ

2016-11-20 07:17:01 | 錬金術
◎古事記の黄泉比良坂の桃

これは錬金術文書で有名な逃げるアタランタの話だが、出典は、ギリシアの変身物語。

西洋では、逃げる死を人が追いかけ、東洋では、死の世界から人が逃げようとする。

さて年頃になったアタランタは、自分の将来の結婚について神託を請うた。アポロンは、「結婚は避けるべきだが、結婚は避けきれないだろう。そして生きながら本来の自分をなくすだろう」と告げた。

これに驚いたアタランタは、うるさい求婚者たちを振り払うために、彼女と徒競走をして、負けたら死ぬこと、勝ったら彼女と結婚できるという条件を出した。

この厳しい条件にも係わらず、何人もの若者がこのレースに応募し、全員亡くなった。

ある日ネプチューンの子孫のヒッポメネスは彼女の美貌に負けて、この無謀なチャレンジに挑むことにした。彼はレースの前に必勝を女神ウェヌスに祈り、3個の黄金のリンゴを手に入れた。

レースでは、地力ではアタランタが圧倒的に有利だったが、勝負所で、ヒッポメネスが黄金のリンゴを投げる都度、アタランタがそれを取りに遠回りするという展開が3度あり、ヒッポメネスが勝利を収めた。

この夫婦は、女神ウェヌス(アフロディーテ)にお礼参りをしなかったことと、キュペレ神殿で不敬にもこの夫婦が一戦交えたので、キュペレ神殿の番をするライオンに変身させられたというオチが付いている。

これは、勝利を金で贖った科により、帰途その罰を受けたという読みが本筋だろう。チベット密教のマルパの秘儀伝授のチャンスを、準備のできていなかったミラレパが宝石で買って罰を受ける話があるが、それと同じ。

さて、アタランタは死である。人は、生死の違いを乗り越えねばならないが、古代ギリシアでは、生の側から死を乗り越えようとするが、チャレンジャーはことごとく死ぬ。

純粋な道心があって、三つのリンゴを持つ者だけが、それを成功させられる。リンゴのヒントはない。

これは、古事記で黄泉比良坂からの逃避時に3個の桃の実を投げて、逃げ切るのと同じ。

西洋では死を追い、東洋では死から逃げる。錬金術文書の表題は、逃げるヒッポメネスでなく、逃げるアタランタであるところを考えねばならないと思う。

出口王仁三郎では、三個の桃の実を大悟徹底、解脱とみる。
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錬金術の求道者ニュートン

2016-08-02 06:40:40 | 錬金術
◎一生をかけて禁じられた修行に挑む

アイザック・ニュートンは、何はさておき錬金術を最優先に、一生をかけて研究し続けた。全蔵書の十分の一が錬金術関係であり、錬金術の合間に公務をこなしていた。
彼の助手のハンフリー・ニュートンの主たる仕事の一つは火を焚く炉の番だった。

表向きの大科学者、アイザック・ニュートンは、錬金術の全伝統に関する大がかりな研究に取り組み、歴代の錬金術師たちの業績の整理をし、事典、索引まで作成していた。

『錬金術は彼が最も持続的に情熱を傾けた対象であったように思える。ニュートンの他の研究がほんの短い問しか彼の注意をひきつけなかったのに対して、錬金術はほぼ三〇年間にわたって、大きな中断もなく彼の注意をひき続けたのである。

一六六四年から六五年にかけての一年間、ニュートンは数学に圧倒的な時聞を割き、微積分の萌芽的思想を生み出したが、その後は数学への興味を失っていき、それヘ関心を集中させるためには、ますます外からの刺激を必要とするようになっていった。

光学にかかわったのは六〇年代初期のごく短い期間にすぎなかった。そして二度と真剣に光学に立ち戻ることはなかった。

機械学および動力学に没頭したのは、たった二度の限られた期間だけだった。一度は六〇年代であり、次いで『プリンキピア』を書いた二年半の間である。一方、錬金術への傾倒は途絶えることなく持続した。

彼の死後明らかにされた蔵書目録から、蔵書の一〇分の一以上が錬金術関係のものであることが知れる。八〇年代初期には、実験に没頭するあまり、その日が何曜日か失念するほどであった。彼自身が記入した日付けはしばしば暦と喰い違っている。

われわれがハンフリー・ニュートンを思い浮かべるのは、『プリンキピア』の印刷用原稿を清書した秘書としてであるが、彼自身のケンブリッジ滞在中の記憶は、火を焚いた炉に集中している。

ニュートンの記録が示すところでは、『プリンキピア』の決定稿が完成する前の一六八六年の春、彼はでの作業のために原稿書きを中断している。
(中略)

何より重要なことは、『プリンキピア』出版後五年たらずの九〇年代初頭には、錬金術の全伝統に関する大がかりな研究に取り組んでいることである。

その研究からおよそ全体の半数近くの文書が生まれている。そこで次のような疑問を禁じ得ない。すなわち、われわれはひょっとしてニュートンの生涯を衝き動かしたものについて誤解してきたのではないか、という疑問である。』
(科学革命における理性と神秘主義/M.N.R.ボネリ編/新曜社P164-165から引用)

一般的な錬金術修行者の日課は、冥想し、炉を絶やさぬようにし、物質変成実験を繰り返し、生活の資を稼ぐために、勤労したりパトロンのところを訪ねたりというようなイメージである。

インドのクンダリーニ・ヨーギは、炉で火を焚かないから、西洋の錬金術師たちが炉で求めていたのは、世界構成元素として物質変成のメカニズムを実証しつづけることにより、修行の前途についてのインスピレーションを得ようとしていたのではないか。

錬金術文書という体系化なき経典群に体系を与えるのは、炉による実験しかなかったのではないか。

錬金術が禁止されていた時代に錬金術を行うというのは、唐末のような仏教禁止政策の下で禅修行するようなもの。

ニュートンも命をかけて錬金術修行していたのだ。
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