明日は日曜日、来週週末からはいよいよ待望のGWスタート、遠出したいのですが先立つものが・・・!不足!!それでも何とか節約してト・・・4月はひっそりとこもりっきり、おかげで過去記事ばかりとなりはてました。それでは更にト!過去を遡ってみました。
時は春、春と言えば青春???とこじつけ、大学生活最後の年、昭和39年(1964)春五月、現代では“合コン”ですが当時は“合ハイ(ハイキング)”全盛の時代、級友から員数合わせに誘われて3+3人で行ったのは、富士の見える三ツ峠でした。
新宿から河口湖行きの直通電車、何と夜行列車でした。3時間程コンコースに行列で並び、乗り込んだのがベンチシートの国電通勤用車両、当然座席数は少なく、やっと確保した座席は女性軍に譲り男性群は床に新聞紙、何しろ男性は山男ばかり、4等寝台(夜行列車の床で眠る移動を当時はこんな呼び方をして、当然の事態でした)は慣れたもの、青春真っ只中、翌朝の登山にはいささかの疲れも感じない時代でした。
リーダーは山岳部の猛者、軽い夜行日帰りのハイキングには不似合いの重装備のキスリングを担いで、おかげで簡易テントからラジュース・コッフェル迄揃い、豪華なランチでした。
以来三つ峠には縁がありませんが、広々とした大地に青空に聳える富士山、眼下には河口湖が広がり、今でも人気の山なのです。
榊原淳さんのblog「山とランニングの日記」にはしばしば三つ峠が出て来ますが、写真のような穏やかな草原ではなく、切り立った岩壁で、ザイルを使った登攀の訓練の場の画像が随所にあります。硬軟両端を備えた人気の山であることが分かりました。
帰路は河口湖バスターミナルから新宿直行のバスが予約してあり、時間まで河口湖で水遊びをしています。貧乏学生にしては珍しく、モーターボートをチャーターして水面を飛ばしていました。
中央道はまだ出来ていない時代ですから帰りのバスは、往復2車線の曲がりくねった甲州街道を走ります。余談ですが、バスセンターへ行った時乗る筈のバスの姿はなかったのでした。時間ぎりぎりだったので出発してしまったと思ったのでしたが、しばらくしてバスが現れました。運転手さんによれば、時間間際でも我々が現れないので、湖畔に経由停留所があり、そちらでの乗車かもしれないと廻ったが姿が無く、6名ものお客を置き去りにする訳にもいかず戻ってきたとのことでした。古き良き時代でした。
余談の余談ですが、3名の女性の中の約1名が、今も我が家に居座っている妻なのでした。
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