レトロの小部屋

紙物を中心に古物を集めています。

翻刻 小學讀本

2022年03月22日 08時11分33秒 | 浮世絵 絵草子 古本 古教科書

讀本とは何ぞや、物語の載ってる国語の本かなと思って開く。

いろは順に挿絵の物の説明がされています。
輪にページ数が打たれていて、二枚で一ページです。

ここからは巻頭に説明しているように五十音(アイウエオ)順です。

マサカリを「よき」と言いました。明治生まれの祖父もマキ割の時「よき」と「ナタ」を区別して使用していました。

イノシシはヰノシシです。
「い」と「ゐ」「イ」と「ヰ」、「え」と「ゑ」「エ」と「ヱ」、「お」と「を」「オ」と「ヲ」はそれぞれの使い方がありました。

現在も「お」と「を」も、それぞれの使い方をしますが、「お、を」には別にもあったようです。

平民の記載は差別の表れだったと聞きました。


翻刻 小學讀本

2022年03月22日 08時11分33秒 | 浮世絵 絵草子 古本 古教科書

讀本とは何ぞや、物語の載ってる国語の本かなと思って開く。

いろは順に挿絵の物の説明がされています。
輪にページ数が打たれていて、二枚で一ページです。

ここからは巻頭に説明しているように五十音(アイウエオ)順です。

マサカリを「よき」と言いました。明治生まれの祖父もマキ割の時「よき」と「ナタ」を区別して使用していました。

イノシシはヰノシシです。
「い」と「ゐ」「イ」と「ヰ」、「え」と「ゑ」「エ」と「ヱ」、は違う使い方がありました。
「お」と「を」「オ」と「ヲ」にもありましたが、現在の違う使い方の他もあったようです。

平民の記載は部落民では無いとの区別(差別)の表れだったそうです。
古い戸籍にも必ず平民と記載されました。


明治大正 子供写真

2022年03月19日 13時24分39秒 | 民具、雑貨

男性は早くに髷を下ろしましたが、特に既婚女性は明治時代は髷を結っていたそうです。



大正時代でしょうか?

女学生です。

裏面です。明治元年、羽前と羽後に分かれた山形県です。

仲良し3人。

夏姿です。

裏に明治3X]年X月5日と書いてあります。✕はアルバムの紙で読めません。

上の写真の兄妹の夏姿です。兄は霜降りの学生服です。
裏面に、明治43年6月19日、兄妹の名前が書いてあります。

この兄弟の家族です。

兄が成人しました。

兄が結婚して長女です。

二人目が生まれました。

兄の子供達です。裏面に誕生日が描いてありますが紙がくっついて読みにくい。
O子 大正
昭三 昭和3年11月
次雄 昭和5年XX


京都の写真館の古い写真

2022年03月18日 09時04分24秒 | 民具、雑貨

記念写真は写真師が撮る。

大正3年の卒業記念写真です。
義務教育の小学校を卒業後、進学の制度。
両サイドに建てられた札の文字は、もう読めなくなっていますが、入手した当時は読めました。
男子、大正3年2月高等科卒業生、女子は大正3年3月手芸科卒業生です。


撮影は  伏見 新大黒 大手筋北入  竹中 尚武軒。

私の祖父は明治28年(1895)の生まれで、義務教育は小学校4年間、祖母は明治35年(1902)生まれで義務教育が小学校6年間でした。
7歳違いの二人の間で義務教育期間に変化があったそうです。

こちらは幼い様子の全員下駄ばきの女学生で、義務教育が4年だったのではと思いそうです。
卒業写真でしょう。 
卒業こそが値打ちでもあり謝恩の意味もありました。
昔は、4月に羽織りバカが着るといって、11月から3月までしか羽織は着ません。
撮影は 大日本福知山歩兵第廿聯隊御用 岡ノ町 清玉軒 辻川謹寫

家族写真です。母、二人の娘、孫でしょうか。
頭にリボンは未婚(次女)、女性の黒の羽織は既婚者(母と長女)です。
長女の子である小学生の二人の男児、幼い女児を抱く祖母と推察しました。


撮影は 京都 独立軒。

着飾って四姉妹、長じてそれぞれの人生が小説になりそうな風情を感じます。


撮影は 北野 中の森 小寺翠雲洞。

人形の髪形かと思っていたのにと、人形師の奥さまの弁でした。

私が嫁入りに持参した人形(元賀章介 作)がそうです。