漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

三畳一間で良かったら

2017年10月17日 | はやり歌 文芸 漫画
先日なにかで読んだんですが、
「貧困」には二種類あるだそうですね。

ひとつは、、
住む所もなければ食うものもないと云う、これは「絶対的な貧困」。

もうひとつは相対的なもので、
寝る処はあるけれど、汚い安アパートとか、

食うモノはあるけど、
間に合わせのインスタントラーメンとか腹さえふくれればと云うさみしい食事。

このごろ問題になってる
「貧困家庭の子供たち」はこちらの方ですね。

学校では「だれもが平等」と教えるのに、
自分の家庭が貧しい、人並みではない、と気付いた時、

子どもは ひどく傷つく。

「新宿情話」と云う流行り歌があります。

その歌詞の中に、
狭くて小さな都会の飲み屋がつぶれ、

行く先のなくなった少女店員に、
好意があったらしき男が掛ける言葉、

「♪♪ 三畳一間で よかったら 
        ついておいでよ ぼくんちに ♪♪ 」

新宿情話の出たのが、1968年、
東京オリンピックから四年も経ってますからネ、

高度経済成長の真っ盛り、
日本中が豊かになりだしたころです。

このころ「あなたの生活レベルは?」と云う質問に、
ほとんどの人が「私は中流」と答えた、と話題になりました。

でも、世の中が豊かになるからと云って、
誰もが等しく豊かになれると云うわけでもないんですよね。

だからこの、
みんなが中流を意識しだした時代は、

世間の流れに乗り遅れたと感じる人たちが、
「余計にみじめさを感じた時代」でもある分けなんです。

この歌は発売当初、
そんなに売れなかった、

私が思うに、
「三畳一間」では、みじめ過ぎたんだと思う。

処が時を経るにつれ、
じわじわと人気が出、歌われるようになった。

つまり、多くの人が豊かになるに連れ、
「時代に取り残された」と感じる人もまた増えたが、

それでも、
三畳一間と歌えるぐらいの余裕は持てるようになった。

三畳一間の安アパートなんて見かけなくなった時代になってから、
この歌が流行ったんですよね。

ただし三畳一間よりマシな、
六畳・四畳半の文化住宅に住んでても、

時代の趨勢からは、
「とり残されている」と感じる人が増えたんでしょうね。

つまり、「おれは中流じゃないな」と感じる人が増えた。

でも「六畳・四畳半で良かったら」と歌っては、
この歌の持つ、身につまされるせつなさは味わえない。

この歌で味わうべき、
「みじめでせつない甘さ」に耽溺できない。 (笑)

曲の最後の歌詞、

♪♪ 風呂敷包を 中にして
     つなぐ手と手に
・・・・・にも、

「3LDKのぼくんちへおいでよ」では、
「貧しくても添い遂げたい」と云う覚悟が、こもらない。(笑)


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【耽溺/】たん‐でき
 一つのことに夢中になって、他を顧みないこと。
 多く不健全な遊びにおぼれることにいう。

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昭和43年は、

水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」が一世を風靡し、

ザ・タイガースの「花の首飾り」や、
いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」が流行った年です。




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