先日なにかで読んだんですが、
「貧困」には二種類あるだそうですね。
ひとつは、、
住む所もなければ食うものもないと云う、これは「絶対的な貧困」。
もうひとつは相対的なもので、
寝る処はあるけれど、汚い安アパートとか、
食うモノはあるけど、
間に合わせのインスタントラーメンとか腹さえふくれればと云うさみしい食事。
このごろ問題になってる
「貧困家庭の子供たち」はこちらの方ですね。
学校では「だれもが平等」と教えるのに、
自分の家庭が貧しい、人並みではない、と気付いた時、
子どもは ひどく傷つく。
「新宿情話」と云う流行り歌があります。
その歌詞の中に、
狭くて小さな都会の飲み屋がつぶれ、
行く先のなくなった少女店員に、
好意があったらしき男が掛ける言葉、
「♪♪ 三畳一間で よかったら
ついておいでよ ぼくんちに ♪♪ 」
新宿情話の出たのが、1968年、
東京オリンピックから四年も経ってますからネ、
高度経済成長の真っ盛り、
日本中が豊かになりだしたころです。
このころ「あなたの生活レベルは?」と云う質問に、
ほとんどの人が「私は中流」と答えた、と話題になりました。
でも、世の中が豊かになるからと云って、
誰もが等しく豊かになれると云うわけでもないんですよね。
だからこの、
みんなが中流を意識しだした時代は、
世間の流れに乗り遅れたと感じる人たちが、
「余計にみじめさを感じた時代」でもある分けなんです。
この歌は発売当初、
そんなに売れなかった、
私が思うに、
「三畳一間」では、みじめ過ぎたんだと思う。
処が時を経るにつれ、
じわじわと人気が出、歌われるようになった。
つまり、多くの人が豊かになるに連れ、
「時代に取り残された」と感じる人もまた増えたが、
それでも、
三畳一間と歌えるぐらいの余裕は持てるようになった。
三畳一間の安アパートなんて見かけなくなった時代になってから、
この歌が流行ったんですよね。
ただし三畳一間よりマシな、
六畳・四畳半の文化住宅に住んでても、
時代の趨勢からは、
「とり残されている」と感じる人が増えたんでしょうね。
つまり、「おれは中流じゃないな」と感じる人が増えた。
でも「六畳・四畳半で良かったら」と歌っては、
この歌の持つ、身につまされるせつなさは味わえない。
この歌で味わうべき、
「みじめでせつない甘さ」に耽溺できない。 (笑)
曲の最後の歌詞、
♪♪ 風呂敷包を 中にして
つなぐ手と手に・・・・・にも、
「3LDKのぼくんちへおいでよ」では、
「貧しくても添い遂げたい」と云う覚悟が、こもらない。(笑)
============
【耽溺/】たん‐でき
一つのことに夢中になって、他を顧みないこと。
多く不健全な遊びにおぼれることにいう。
~~~~~~~~~~~~~~~~
昭和43年は、
水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」が一世を風靡し、
ザ・タイガースの「花の首飾り」や、
いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」が流行った年です。
「貧困」には二種類あるだそうですね。
ひとつは、、
住む所もなければ食うものもないと云う、これは「絶対的な貧困」。
もうひとつは相対的なもので、
寝る処はあるけれど、汚い安アパートとか、
食うモノはあるけど、
間に合わせのインスタントラーメンとか腹さえふくれればと云うさみしい食事。
このごろ問題になってる
「貧困家庭の子供たち」はこちらの方ですね。
学校では「だれもが平等」と教えるのに、
自分の家庭が貧しい、人並みではない、と気付いた時、
子どもは ひどく傷つく。
「新宿情話」と云う流行り歌があります。
その歌詞の中に、
狭くて小さな都会の飲み屋がつぶれ、
行く先のなくなった少女店員に、
好意があったらしき男が掛ける言葉、
「♪♪ 三畳一間で よかったら
ついておいでよ ぼくんちに ♪♪ 」
新宿情話の出たのが、1968年、
東京オリンピックから四年も経ってますからネ、
高度経済成長の真っ盛り、
日本中が豊かになりだしたころです。
このころ「あなたの生活レベルは?」と云う質問に、
ほとんどの人が「私は中流」と答えた、と話題になりました。
でも、世の中が豊かになるからと云って、
誰もが等しく豊かになれると云うわけでもないんですよね。
だからこの、
みんなが中流を意識しだした時代は、
世間の流れに乗り遅れたと感じる人たちが、
「余計にみじめさを感じた時代」でもある分けなんです。
この歌は発売当初、
そんなに売れなかった、
私が思うに、
「三畳一間」では、みじめ過ぎたんだと思う。
処が時を経るにつれ、
じわじわと人気が出、歌われるようになった。
つまり、多くの人が豊かになるに連れ、
「時代に取り残された」と感じる人もまた増えたが、
それでも、
三畳一間と歌えるぐらいの余裕は持てるようになった。
三畳一間の安アパートなんて見かけなくなった時代になってから、
この歌が流行ったんですよね。
ただし三畳一間よりマシな、
六畳・四畳半の文化住宅に住んでても、
時代の趨勢からは、
「とり残されている」と感じる人が増えたんでしょうね。
つまり、「おれは中流じゃないな」と感じる人が増えた。
でも「六畳・四畳半で良かったら」と歌っては、
この歌の持つ、身につまされるせつなさは味わえない。
この歌で味わうべき、
「みじめでせつない甘さ」に耽溺できない。 (笑)
曲の最後の歌詞、
♪♪ 風呂敷包を 中にして
つなぐ手と手に・・・・・にも、
「3LDKのぼくんちへおいでよ」では、
「貧しくても添い遂げたい」と云う覚悟が、こもらない。(笑)
============
【耽溺/】たん‐でき
一つのことに夢中になって、他を顧みないこと。
多く不健全な遊びにおぼれることにいう。
~~~~~~~~~~~~~~~~
昭和43年は、
水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」が一世を風靡し、
ザ・タイガースの「花の首飾り」や、
いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」が流行った年です。