中国の今回の「高速鉄道事故」に関する報道で、
「なるほどな」と思わせたのが、
某紙にあった、
「中国は独立採算制の新聞を増やしたが、
その結果、
わずかながらも競争原理が働くようになり、
個々の新聞が売れる記事を目指して書くようになった。」と云う解説。
つまり、
大本営発表のニュースをそのまま記事にしていては読者が喜ばず、
売るためには、
国家権力側の顔色をうかがいながらも、突っ込んだ記事を書く必要がある。
結果、被害者寄りの記事が多く書かれることになり、
「鉄道当局に抗議する被害者家族」への国民的な共感を呼び起こした。
それが中国政府首脳もあわてるほどの事態を生んだと云う分けです。
鉄道技術と云うのは、
ある程度完成されたシステムですから、
現在では、アフリカの貧しい国でもそんなに事故は起きない。
現に、「寄せ集めの技術だ」と云われる中国の高速鉄道でも、
しょっちゅう事故が起こっている分けではない。
事故は不幸なことですが、
私にとっては「中国の鉄道の安全性」より、
「不都合な事態は強圧的に隠蔽を謀る」と云う、
毎度、お馴染みの中国政府の対応が、
わずかづつとは云え、
「ほころびを見せ始めたのかな」と云う事の方が興味深かったのであります。