漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

松葉屋 瀬川の事、①

2009年05月28日 | Weblog
江戸時代、
京都の奉行所で与力を勤めた神沢杜口の随筆、
「翁草」から、江戸吉原で全盛だった遊女・松葉屋瀬川の話を。

時代は享保、江戸時代中期、
テレビの暴れん坊将軍や「享保の改革」で有名な徳川吉宗の治世です。

尚、以下の文中、
「小庵(しょうあん)」は、小さな庵(いおり)、粗末な小宅。

多く、立身や栄華を望まず、
俗世間を超捨てて住む僧や文人の住居を云う。

「来由(らいゆ)」は、いわれ、経歴。
  
  ~~~~~~~~~~~~~~~~

  【 松葉屋・瀬川の事 】

享保のころ、
江戸、浅草の辺りにて、
小庵に住める自貞尼(じていに)が来由をたずねるに、

この尼、
もとは江戸吉原の江戸町の大店、松葉屋の抱え、瀬川と云う遊女なり。

その父は、大和は奈良の生まれにて、
若きより京に出で、
富小路家に仕え、大森右膳と名乗り居たる。 (富小路家→歌道で有名な御公家さんの家)

然るに右膳、
同じ家に仕える朋輩(ほうばい)の女と不義これ有り。 (朋輩→同僚)

密通 露顕の上は、両人ともに暇出て、(暇→いとま→解職)
京都に住み居り難くなり、 

その女を連れ大和へ帰り、

ここで大森通仙と名を変え、
医業並びに売薬にて、
つましく暮らし居りける内、女子を設け、これに「たか」と名づく、

即ち「瀬川」の事なり。

  ~~~~~~~~~~~~~


「不義」とは、道に外れた恋愛、密通の事。

昔は職場恋愛など厳禁、
いわゆる「不義密通は 御家の御法度」と云うヤツ。 (御法度→ごはっと)

だから、同じ職場の男女が「通じれば」、
それは、独身者同士であっても「不義密通」と云う事になる。

不義が見つかれば主人が処罰しても良い。

場合によっては、「手討ち」と云う事もあったようだから、
此の場合のような「解職」は、まだ穏便な処分、つまり、手加減してもらった方だろう。

京都に居づらくなり、
奈良に帰って、医者と売薬で細々とくらすうち、この物語の主人公の誕生です。

尚、当時の医者は、誰で開業できたが、
それなりの技術や知識がないと患者が集まらないのだから、

今のように、医者イコール金持ちと云う分けではない。





コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。