江戸時代、
京都の奉行所で与力を勤めた神沢杜口の随筆、
「翁草」から、江戸吉原で全盛だった遊女・松葉屋瀬川の話を。
時代は享保、江戸時代中期、
テレビの暴れん坊将軍や「享保の改革」で有名な徳川吉宗の治世です。
尚、以下の文中、
「小庵(しょうあん)」は、小さな庵(いおり)、粗末な小宅。
多く、立身や栄華を望まず、
俗世間を超捨てて住む僧や文人の住居を云う。
「来由(らいゆ)」は、いわれ、経歴。
~~~~~~~~~~~~~~~~
【 松葉屋・瀬川の事 】
享保のころ、
江戸、浅草の辺りにて、
小庵に住める自貞尼(じていに)が来由をたずねるに、
この尼、
もとは江戸吉原の江戸町の大店、松葉屋の抱え、瀬川と云う遊女なり。
その父は、大和は奈良の生まれにて、
若きより京に出で、
富小路家に仕え、大森右膳と名乗り居たる。 (富小路家→歌道で有名な御公家さんの家)
然るに右膳、
同じ家に仕える朋輩(ほうばい)の女と不義これ有り。 (朋輩→同僚)
密通 露顕の上は、両人ともに暇出て、(暇→いとま→解職)
京都に住み居り難くなり、
その女を連れ大和へ帰り、
ここで大森通仙と名を変え、
医業並びに売薬にて、
つましく暮らし居りける内、女子を設け、これに「たか」と名づく、
即ち「瀬川」の事なり。
~~~~~~~~~~~~~
「不義」とは、道に外れた恋愛、密通の事。
昔は職場恋愛など厳禁、
いわゆる「不義密通は 御家の御法度」と云うヤツ。 (御法度→ごはっと)
だから、同じ職場の男女が「通じれば」、
それは、独身者同士であっても「不義密通」と云う事になる。
不義が見つかれば主人が処罰しても良い。
場合によっては、「手討ち」と云う事もあったようだから、
此の場合のような「解職」は、まだ穏便な処分、つまり、手加減してもらった方だろう。
京都に居づらくなり、
奈良に帰って、医者と売薬で細々とくらすうち、この物語の主人公の誕生です。
尚、当時の医者は、誰で開業できたが、
それなりの技術や知識がないと患者が集まらないのだから、
今のように、医者イコール金持ちと云う分けではない。
京都の奉行所で与力を勤めた神沢杜口の随筆、
「翁草」から、江戸吉原で全盛だった遊女・松葉屋瀬川の話を。
時代は享保、江戸時代中期、
テレビの暴れん坊将軍や「享保の改革」で有名な徳川吉宗の治世です。
尚、以下の文中、
「小庵(しょうあん)」は、小さな庵(いおり)、粗末な小宅。
多く、立身や栄華を望まず、
俗世間を超捨てて住む僧や文人の住居を云う。
「来由(らいゆ)」は、いわれ、経歴。
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【 松葉屋・瀬川の事 】
享保のころ、
江戸、浅草の辺りにて、
小庵に住める自貞尼(じていに)が来由をたずねるに、
この尼、
もとは江戸吉原の江戸町の大店、松葉屋の抱え、瀬川と云う遊女なり。
その父は、大和は奈良の生まれにて、
若きより京に出で、
富小路家に仕え、大森右膳と名乗り居たる。 (富小路家→歌道で有名な御公家さんの家)
然るに右膳、
同じ家に仕える朋輩(ほうばい)の女と不義これ有り。 (朋輩→同僚)
密通 露顕の上は、両人ともに暇出て、(暇→いとま→解職)
京都に住み居り難くなり、
その女を連れ大和へ帰り、
ここで大森通仙と名を変え、
医業並びに売薬にて、
つましく暮らし居りける内、女子を設け、これに「たか」と名づく、
即ち「瀬川」の事なり。
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「不義」とは、道に外れた恋愛、密通の事。
昔は職場恋愛など厳禁、
いわゆる「不義密通は 御家の御法度」と云うヤツ。 (御法度→ごはっと)
だから、同じ職場の男女が「通じれば」、
それは、独身者同士であっても「不義密通」と云う事になる。
不義が見つかれば主人が処罰しても良い。
場合によっては、「手討ち」と云う事もあったようだから、
此の場合のような「解職」は、まだ穏便な処分、つまり、手加減してもらった方だろう。
京都に居づらくなり、
奈良に帰って、医者と売薬で細々とくらすうち、この物語の主人公の誕生です。
尚、当時の医者は、誰で開業できたが、
それなりの技術や知識がないと患者が集まらないのだから、
今のように、医者イコール金持ちと云う分けではない。