漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

松葉屋瀬川の事・②

2009年05月29日 | Weblog
きのうの続き。

時は流れ、「たか」は、美しい娘に育つのだが、と云う辺りからが今日の話。
  
  ~~~~~~~~~~~~

たか、十六・七歳のころ、
町奉行与力、玉井与一右衛門が若党、源八と云う者、 (若党→その家の家来) 
たかに恋慕して、
たかが父、大森通仙が下男、与八を頼みて艶書を送りたり。 (艶書→えんしょ→恋文)

然(しか)るに、たか、身持ち堅く、
これに従わざるを逆恨みして、
夜中に源八、秘そかに鹿を殺して通仙が家の表に置き去る。

奈良は、鹿を殺す事、古来、堅く御禁制なり、
これ、鹿は春日大社の御使いなるゆえの由(よし)。 

もし、鹿に対する過ち、
これ有る時は、人を殺せしよりも罪重し。

翌朝起き、鹿の屍を見つけた通仙、
はなはだ驚きしが、
最早、止むを得ぬ仕儀なれば、奉行所へと届ける。 (仕儀→しぎ→有り様、事態)

これにより、奉行所より検使を差し越され、
色々に吟味(ぎんみ)有りと云えども、
誰の仕業とも見えぬゆえ、先ず通仙、牢屋入り申し付けらる。

段々に詮議の処、
通仙が所業とは見えざれども、
下手人不明の上は、
通仙、そのまま許し置かるべきにあらずとて、所払いとなる。

 (所払→ところばらい→居住地追放)

それより通仙、一旦は京へ出で、
名も山脇通仙と改め、わずかの営みを始めけるが、
様々の難儀に会い、
再び京を捨て、
大坂へ流れ行き、暮らし定まらぬまま死す。

  ~~~~~~~~~~~~~~ 


与力の若党と云えば、武士でも最下級に属する。

しかも、此の跡の展開を見ると、
源八は、武家奉公の渡り者、
つまり、臨時雇いの流れ者に過ぎなかったようだ。







コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。