漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

春の七草

2012年01月07日 | せけんばなし

せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、

このうち、畑で栽培する野菜とよべるのは、
大根とカブラの若菜であるすずなとすずしろぐらいか。

私の子供のころ、
セリは水辺に自生しているモノで、わざわざ、栽培する人などいなかった。

あとは、まぁ、
野生の植物で、普段は食べる人などいないし、
畑に生えていたら邪魔者として引き抜かれて捨てられると云う雑草。

私の子供のころは、七草粥と云っても、
ナズナ、つまり、畑の邪魔物ぺんぺん草を抜いてきて刻んで入れるだけ、

私の生まれた家では、
そこへ餅を小さく刻んで入れたのが七草粥だった。

当時の山仕事や百姓仕事は、
今のように機械化されてなかったから、かなりの重労働。

朝から粥だけでは、力が出ないから餅を入れたのだろうか。

朝、腹一杯メシを食って山仕事に出る人が、
「たのむさかい、
 飯だけは弁当箱にギュウギュウに詰め込んどいてくれ」と、

切実な顔つきで嫁サンに頼んだ、と云う話を聞いたことがある。

風呂敷で包み、腰にくくりつけて仕事に出た時、弁当箱はタテになっている。

昼、その弁当をあけた時、

飯が片寄っていて、
いくばくかのすき間ができていると、
「あれほど、情けなくて力の抜けることはない」と云うのである。

今朝の新聞に、
昔のオカズは「米を沢山食うための食欲増進剤」と書いていた人がいたが、

まったく当時のオカズは、
塩のカタマリのような干物かタクアンで、塩味の調味料に近かった。

つまり、
肉や魚のように栄養価の期待出来る物は殆どなく、

米こそが唯一のエネルギー源だったのだ。

七草粥とは、
おせち料理に飽きた貴族が野に出て野草を摘み粥にしたのが起源だそうだから、

つまりは、貴族のピクニックの副産物だったわけだ。

それがこのごろでは、七草がセットになってスーパーで売られている。

つまりは、野に出て運動もせぬ人々が、
カロリーも低くて「ダイエットに役立つ健康食」として、

七草粥を重宝にしているのだとしたら、

人々が重労働から解放されたのだから、
それはそれで結構なことで、

もはや私のような年寄りが口を出すべきことではないのだけれども。











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