漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

【 山内昇氏の告白 】

2013年08月14日 | ものがたり

【 山内昇氏の告白 】

いまから話すことは、
一生、誰にも告げず、墓場まで持って行くつもりでした。

しかし妻は末期癌で死の床に臥し、
しかも夫婦で信仰を得た以上、告白して妻とともに懺悔しなければなりません。

あれは私が十九歳の春、
いよいよ戦地への配属も近いと思われるころ、
急に休暇がもらえることになり、帰省して実家にいたのですが、

その休暇も終わり、いよいよ明日は兵舎に戻ると云う日の夕暮れでした。

いつにない険しい顔つきをした長兄が、
ほぼ整理のついた私の部屋へぬっと入って来て、

自分で座布団を取って対座すると、思いもよらぬ事を言い出したのです。

「お前も知っての通り、
 俺は演習中の事故で負傷し除隊となったが、

 その時、俺には重大な障害が残った。

 知らぬ他人から見ればそれはビッコと云うだけのことだが、
 実は、砲弾の暴発で下肢を負傷した際、俺は男としての機能も失ったのだ。」

その言葉が何を意味するか、
女性経験はなくとも、すでに解かる年齢に達していた私は、

兄の告白を聞いても冷静でしたが、
そのあとに続けた兄の言葉は、私をうろたえさせるに充分でした。

「俺はこんなことになって、
 今、この家に正統な跡継ぎはなく、
 もしお前が戦線へ出て、
 そのまま帰らなければ、この由緒ある山内の家の血が絶えてしまう。

 父の病状を考えれば、
 このことを言って負担をかけるべきでないし、

 母に言っても無用に嘆かせるだけだ。

 また村の連中に知れても不名誉で、俺自身もそんな屈辱には耐えられない。

 そこで、俺が熟考を重ねた末にたどり着いた結論は、だ。

 ここは血のつながった弟であるお前の胤を残し、
 この家の正統な血を引き継いで行くべきで、

 またそれこそが俺やお前の責任と云うものだ。

 だから今宵お前は、俺たちの部屋へ忍んで、
 我が妻の加代と情交を交わし、山内の家の胤を妻の体内に残すのだ。

 既に妻にはこのことを話して承知させてある。

 お前が不貞だとか不倫だとかつまらぬことを考えて逡巡することはない。

 夫であり、この家の跡継ぎである俺が承知していて、
 しかもこの家の正妻であり、私の妻である加代も納得していることなのだ。」

そこでひと息ついだ兄は、茶を一口すするとこう続けたのです。

「これはお前にも決して悪い話ではなかろう、

 遠からず御国のためにその身を捧げるであろうお前の血が、
 この家の子々孫々にまで残せるのだから。

 ただし、強制はしない。

 お前が不承知ならそれはそれでいい、

 今宵もいつもどおり、
 この部屋で一人だけの一夜を過ごせばいいだけのことだ。

 ともかく、お前がどう判断しようと俺に異存は無い、

 ここまで腹を割って話すからには、
 どんな結果になろうと受け入れる心構えは俺にも出来ているのだ。」

それだけ云うと兄は立ち上がり、

「今から村の寄り合いがあり、そのあと酒になる、
 俺は何人かの村人とそのまま集会所に泊るから朝まで帰らぬ」と云い捨て、

そのまま家を出たのです。

兄が去ってその場に取り残された私は、
呆然としていたのですが、

兄と私が漂わす異常な空気を察したのでしょうか、

母が二階に上がってきて、
「どうかしたのかい」と声を掛けて来たのです。

「いや、別に何も・・・、
 俺が家を出たあとのことを話し合っていただけだよ」と、

無理にも平静を装い、
私は階下に降りたのですが、

台所にいる兄嫁の横顔が見えて、心が騒いだのを白状しなければなりません。

あの古風な顔立ちで、
貞女と評判の兄嫁が全てを承知しているなら、

今宵、道ならぬ情交を交わすかもしれぬ義弟の声を聞きながら、
心に動揺はないのだろうか。

寝たきりの舅に仕え、
不能となって戻って来た夫と生きると云う過酷な暮らしの中で、

取り乱すことなく淡々と生きているように見える兄嫁が、

まだ十九で、世間も知らぬその時の私には、
なんだか得体の知れぬ生き物のようにさえ思えたのです。

しかし後に考えてみれば、
兄たちの計画は綿密に計算されていたのです。

だからその時、
そんな風に取り乱していたのは、きっと私だけだったのでしょう。

私が明日から家を出て、
もはや再び帰らぬであろうこの日は、

秘密の企てを実行しても、
翌日から複雑な思いで一つ屋根の下で暮らすこともない、絶好の夜だったのです。

兄たちは何度もこのことを話し合っていたはずですから、
ずっと早くから、
この夜の来ることを承知していたのです。

兄嫁が淡々としていたのは、
年齢から来る余裕だけだけではなかったのだと思います。

その晩の食事も終わり、風呂を済ませた私は、
落ち着かぬ思いで鴎外の全集などを読んでおりましたが、

それまでなら気にもならなかった、
階下の兄嫁の入浴の気配を、妙に意識するなど、

本の内容などそっちのけで、
今夜どうするか、そればかりを考えていたのを覚えています。

兄たちの部屋は離れにあるので、
その気になれば、外にある便所へ行くふりをして、
表に出ればよいだけのことで、両親に怪しまれる気遣いはないのです。

その夜の家族が寝静まった気配は、
理性が拒否するのに、いよいよ動物としての本能をうずかせました。

暗闇の中で長い間、天井をにらんでいたのですが、
階下で柱時計が二時を打った気配がすると、

とうとうたまらなくなって立ち上がりました。

そっと裏口から出ると、
早春の夜の冷んやりとした空気の中、空一杯に星が広がっていました。

秘密の企てを実行するべき時に、
暫しの間とは云え、その夜空に見とれてしまったのですが、

子供のころから見慣れた夜空を見て立ち尽くすなど、きっと私はまだ迷っていたのです。

その時、スッと星が流れました、
それを見て、私の心は決まりました。

燃え尽きる星屑を見て、
自分もこの世に生きた証しを残したい、そんな気になったのだと思います。

目が星明りになれた私は、そのまま離れへ向かいました。

戸口に内からのしんばり棒はなく、
蝋でも引いてあったのでしょうか、重いはずの板戸がすべるように開きました。

農具の並んだ土間を横切り、
わら草履を脱いで座敷に上がれば、その右手奥に兄夫婦の寝間があります。

寝間の前に立ち、
息を殺して中の気配をうかがうのですが、

物音はおろか寝息らしきものも聞えません。

私が寝間の襖に手を掛けた時、
それまで平静だった胸が急に高鳴りました。

この襖を開けて良いものだろうか、
もし騒がれたら、どう言い分けしたものか、

そんなことが頭の中でクルクルと回ります。

その時さっきの流れ星が思い浮かび、
「どうせ長生きはせぬ身だ」と云う心の声がためらう私の背中を押したのです。

そうだ、兄も兄嫁も承知しているのだ、

そう踏ん切りをつけた私は、
深く息を吸うと手に力を込め、襖を一尺ほど開けました。

何も音がしません。

部屋の中は暗く、よく目が利かず、
兄夫婦たちが寝ているあたりにおよその見当を付けそろりそろりと踏み出します。

そのうち足先に布団らしきものが触れます、
腰を落としてさぐると、布団の間に手が入りました。

微かに人の息づかいがして、
そのぬくもりが布団を通して伝わって来ます。

そっと布団を持ち上げ、
静かに身をすべり込ませ、手を伸ばすと、

兄嫁の背から脇の下あたりへ触れたようです。

さらに体を寄せ両の手をまわすと、
後から抱え込むような形になり、私の手に兄嫁のやわらかな弾力が触れます。

そのまま首筋に顔を近づけ、
「ねえさん、ほんとにいいのかい、」と小声で問うと、

かすかにうなずいたらしい兄嫁が、
ゆっくり体を回し、私の方に向き直ったのです。

あの慎み深いはずの兄嫁が、
目に意思を込め、両手を伸ばし私を抱取りました。

その時、私が見たのは、まぎれもない大人の女の顔でした。

その、女の思わぬ大胆さに、

カッと頭へ血がのぼった私は、
きおい立って兄嫁の体を引き寄せ抱きしめたのですが、

強すぎたのでしょう、

吐息のような声で、
耳元に、「昇さんきつい、もっとやさしくして、」とささやかれ、

また動転し、

今度は男としての威厳を見せねばと
焦る思いで兄嫁の寝間着を荒々しく脱がそうとしたのですが、

無理に腰紐を引っ張ってしまったようで、
いっそう結び目が固くなり、中々解けないのです。

その時です。

兄嫁の手が静かに私の手を押さえてゆるゆると腰紐を解き、
続いて私の着物も脱がすと、

自分の寝巻きの前を広げて、
愛しむように私の体を包み込んだのです。

つまり、私は抱き取られ、
双の乳房に顔をうめるような恰好になったのですが、

こうなると五つと云う歳の差は大きく、
ましてこちらは初めてのこと、

その時は、
思う通りに振る舞っているつもりの私でしたが、

後から考えれば、
手ほどきを受ける初心者のようなあんばいになっていたのかもしれません。

それでも、夢中になした熱情の時が過ぎ、
すべてが終わったと云う思いで、まだ体にほてりのある私が部屋を出ようとする時、

思いがけず私の背にそっと顔を寄せた兄嫁が、

「ごめんなさいね、こんなことさせて、
 でも、私、ずっと昇さんのことを好いていたのよ」と言ってくれたのです。

その言葉を聞いたことで、
私の心にあった負担も、ずいぶんと軽くなったような気がしました。

私は翌日の朝早く家を出て、
そのまま、鹿児島の賀屋航空基地へ向かったのですが、

その三月ほどあと、
六月の梅雨の晴れ間、

雨後の蕨 (わらび) を採りに、
近くの里山へ入った兄は、

足を踏み外して水かさの増えていた急流へ滑落、

あっけなく亡くなってしまったのですが、

特攻で死ぬはずだった私の方は、
思わぬ敗戦によって生き延びてしまうのですから、

人の運命とは分からぬものです。

結局、生きて帰った私は、
周囲の勧めを受け入れ、
未亡人となっていた兄嫁加代を妻にし、山内の家を継ぎました。

私の心の中には、
兄は自殺かもしれぬと云う思いと、
幸うすかった兄の短い生涯への哀悼などで複雑でしたが、

それは私の妻となった加代も同じで、

兄に申し訳なく、
互いに罪深いあの夜のことを語ることなく今まで生きてきました。

ただ、あの夜があったからこそ、
私も加代も「兄亡き今、この人と添い遂げよう」と心を決めたのは確かです。

あの夜、互いの心が通ったことを、共に全身で受け止めていましたから。

妻の癌は手遅れでしたが、
あの辛抱強い性格が、返って災いしたのかもしれませんし、

もしかすると、これ以上の長生きは、
最初の夫である、薄幸の兄に申し訳ないと云う思いもあって、

異常を感じながら、医者にかからなかったのかもしれません。

さぁ、これで懺悔すべきことは全て話しました。

あ、子供は三人、男、男、女です、

このうち、
長男だけは、兄の戸籍です。

下の二人は、私の籍に入ってます。

あれから幾星霜、
もう心を許した友人もみんな逝ってしまいました。

これで妻が亡くなれば、
昔話のできる相手はいなくなります。

あとは神に召される日を待つだけですが、
こうなってしまうと、長生きと云うのは、ホントに寂しいものだなと思います。


  ===================











コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。