漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

喜劇作家

2011年11月10日 | 

恋愛モノや悲劇の芝居で、
主演の役者が、自分で脚本を書くと云うことはまぁ無いが、

どう云うわけか、喜劇に限っては役者にして脚本家と云う人は案外多い。

コレ、人を笑わせようと思えば、
役者に併せて登場人物を描く方が笑いが取り易いからかもしれない。

つまり、喜劇の多くは、
台本に合わせて役者を集めるのではなく、
先に出演者が決まっていて、その演者に合わせて脚本を書くようだから。

二代目・渋谷天外は喜劇役者にして名脚本家、
松竹新喜劇の名作とされる作品は、多くこの人が書き演じたものである。

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喜劇はどうも客の入り、不入りに左右されるものである。
もっともどんな芝居でも不入りだと面白くないものだが、喜劇はその影響が極端である。

ビロウだが、
古川柳の「屁をひっておかしくもないひとり者」、
笑いは伝染性をもつものだけに、客席次第になりやすい。

まして女のお客の多い方がよく笑って頂ける。

といって女ばかりだと、これもやりにくい。
キャーッと笑いが急上昇して、すぐ停止する。

男の笑いは、ゆるやかに頂点に達して、緩やかに静まってくる。

男と女の笑いの相違は、
なにかの雑誌によく出ているあの方のグラフと反対現象である。

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氏の名著、「わが喜劇」の中の一節。

この人が、「小学校中退」の学歴だと知ったら,
学歴が無ければ何も出来ないと思っている今の若い人たちは驚くだろうなぁ。







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