江戸の暮らしぶりを記録した物の中にある話。
尚、以下の文中、
「夜鷹(よたか)」は、夜、路傍で客を引いた街娼のこと。
宿を取らず、物陰などで売春する私娼であるため、
公許である吉原などに比べ格安、
今のカネに直せば、千円~二千円ぐらいだったと云う。
「不義(ふぎ)」は、人道に外れた行い。
ここでは、妻による他人との行為。
「四つ半」は、夜の11時ごろ。
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江戸は芝あたりに住む浪人、
毎夜、女房を夜鷹に出し、
その稼ぎをもって一日一日を暮らし居りそうろう処に、
隣に住み、
これも同様の稼ぎにてその日ぐらしの浪人に向かい、
「何と致しそうろうても、
我が女房を、
見知らぬ男共に次々と不義を致させるは、はなはだ苦痛に存じぞうろう間、
貴殿さえ同意ならば、
それがしが、そなたの女房を連れ行き、
貴殿は、我が女房を連れ行くは如何」と持ち掛けそうらえば、
「いかにも。
それがしも同じ思いに存じそうろう間、
早速、今晩より、その通りに致しそうらわん」とて、
互いに代えあい、召しつれ出でそうろう由(よし)。
しかる処に、
早や四つ半時分に成りそうろう故(ゆえ)、
浪人、連れの女房に申しそうろうは、
「もはや四つ半時分に成りそうろう故、まかり帰るべくそうろう。
長屋の門を閉じられては、入り難くそうろう間、
早々にまかり帰りそうらわん」と申した処、
その女房、落ち着いて申すに、
「お気遣い成されまじくそうろう、
今晩ばかりは、九つ、八つ時分まで居りそうろうてもくるしからずそうろう」。
浪人、「何ゆえに」と申せば、
「今晩は大家さまのかみさまも、お出でに成られそうろう故に」と申しそうろう由。
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「九つ」は、深夜0時、「八つ」は午前2時ごろ。
当時、「大家(おおや)」の多くは、雇われで、
今で云わば、ちょっと責任範囲の広い「アパートの管理人」のような立場。
ホントの資産家ではないから、
この大家も、何かと物入りだったのだろう。