漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

天狗刺し

2015年06月22日 | テレビ 映画 演芸

将棋に、「鳥刺し」と呼ばれる古来から伝わる戦法がある。

大駒の角の効きに乗って銀が進み、敵陣を攻撃する、と云う戦法。

角と銀の連携する形が、
小鳥を捕獲するのに使う、
「竹竿とその先につけた鳥モチのようだ」と云うのでこの名がある。

むかしは、こう云う方法で小鳥を狙うことを、
「鳥を刺す」あるいは、単に「鳥刺し」と言ったのですね。

処で上方に、「天狗刺し」と云う落語がある。

もう長いあいだ絶えていて、
やる人もなかったのを、戦後、桂米朝師が復活させた。

落語家をやめていた古老を訪ね原形を採取、
改良、工夫を重ね、どうにか上演できそうな形にまではしたが、

さてその肝心の下げがよくわからない。

落語と云うぐらいだから、
オチが大切なのだが、さて、そのオチの意味が通じなくなっているのだ。

その古老に聞いても、
「さぁ、ワシは教えられたとおりにやってただけやから、そこまでは知らんで」と云う返事。

そのことで困っていると、
ある放送で言ったところ、京都の視聴者から手紙が来た。

むかし、京都の五条にあった物指し屋が、
「念仏尺(ざし)」書いた大きな看板を掲げていたが、

その由来は、

京都の竹藪は寺の横にあるから、
そこの竹は毎日毎日念仏を聞いて育っている、

その竹から作っている当店の物指しには功徳がある、
と云うもので、江戸財代から明治初期までは有名だった。

その「念仏指し」のことではないか。
と、まぁ、そう云う内容。

米朝さん、ハタと手を打ち、
長年の疑問が解けた、と喜んで、礼状を出した。

と、云うエピソードを先日のNHKでやってました。

以下にその話の概略を。

    ~~~~~~~~~~~~~~

ある男、すき焼き屋でも始めようと思ったが、
並のすき焼き屋では流行るまい、なにか目新しいものを、と思案するうち、

鞍馬の山へ行って烏天狗を刺して来て、
これをすき焼きにしたら流行るだろうと、不思議なことを考え付いた。

山に入ってさがしたが、なかなか天狗は現れない。

しかたなく、
大きな杉のたもとならいるだろうと、隠れて待つうち、とろとろと眠ってしまった。

夜もふけて、
夜間の行を終えた坊さんが通りかかった物音で目を覚ました男、

「こんな夜更けに山奥にいるのは天狗ぐらい」と、

飛びつくや、トリモチでからめとり、
物も言わさず、猿ぐつわをかませ、ぐるぐる巻きにした。

青竹に縛りつけて意気揚々、
かついで下りるうち、向こうから竹を担いでくる男がいる。

「なんと、世間はすばしこい、
早くも天狗のすき焼き考える競争相手が出たか」、と思いつつ、

「お~い! そこの竹かついで来る奴ぅ」
「何じゃ~い、わしのことかぁ」
「そうじゃ、お前のことじゃ­~、お前も鞍馬の天狗を刺しに来たのかぁ~」

「わしか、わしは五条の念仏さしじゃ」

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~


普通の落語家なら、
古い話を復活するにしても、

意味の通じないようなサゲは捨てて、
新しく分かりやすいオチを考えそうなもの。

それを古い形のままでで通じるようにしようとするあたり、
米朝さんの思考形態としては、芸人よりも学者に近い。

この人が、文化勲章を受賞したのも、もっともなことです。

  




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