将棋に、「鳥刺し」と呼ばれる古来から伝わる戦法がある。
大駒の角の効きに乗って銀が進み、敵陣を攻撃する、と云う戦法。
角と銀の連携する形が、
小鳥を捕獲するのに使う、
「竹竿とその先につけた鳥モチのようだ」と云うのでこの名がある。
むかしは、こう云う方法で小鳥を狙うことを、
「鳥を刺す」あるいは、単に「鳥刺し」と言ったのですね。
処で上方に、「天狗刺し」と云う落語がある。
もう長いあいだ絶えていて、
やる人もなかったのを、戦後、桂米朝師が復活させた。
落語家をやめていた古老を訪ね原形を採取、
改良、工夫を重ね、どうにか上演できそうな形にまではしたが、
さてその肝心の下げがよくわからない。
落語と云うぐらいだから、
オチが大切なのだが、さて、そのオチの意味が通じなくなっているのだ。
その古老に聞いても、
「さぁ、ワシは教えられたとおりにやってただけやから、そこまでは知らんで」と云う返事。
そのことで困っていると、
ある放送で言ったところ、京都の視聴者から手紙が来た。
むかし、京都の五条にあった物指し屋が、
「念仏尺(ざし)」書いた大きな看板を掲げていたが、
その由来は、
京都の竹藪は寺の横にあるから、
そこの竹は毎日毎日念仏を聞いて育っている、
その竹から作っている当店の物指しには功徳がある、
と云うもので、江戸財代から明治初期までは有名だった。
その「念仏指し」のことではないか。
と、まぁ、そう云う内容。
米朝さん、ハタと手を打ち、
長年の疑問が解けた、と喜んで、礼状を出した。
と、云うエピソードを先日のNHKでやってました。
以下にその話の概略を。
~~~~~~~~~~~~~~
ある男、すき焼き屋でも始めようと思ったが、
並のすき焼き屋では流行るまい、なにか目新しいものを、と思案するうち、
鞍馬の山へ行って烏天狗を刺して来て、
これをすき焼きにしたら流行るだろうと、不思議なことを考え付いた。
山に入ってさがしたが、なかなか天狗は現れない。
しかたなく、
大きな杉のたもとならいるだろうと、隠れて待つうち、とろとろと眠ってしまった。
夜もふけて、
夜間の行を終えた坊さんが通りかかった物音で目を覚ました男、
「こんな夜更けに山奥にいるのは天狗ぐらい」と、
飛びつくや、トリモチでからめとり、
物も言わさず、猿ぐつわをかませ、ぐるぐる巻きにした。
青竹に縛りつけて意気揚々、
かついで下りるうち、向こうから竹を担いでくる男がいる。
「なんと、世間はすばしこい、
早くも天狗のすき焼き考える競争相手が出たか」、と思いつつ、
「お~い! そこの竹かついで来る奴ぅ」
「何じゃ~い、わしのことかぁ」
「そうじゃ、お前のことじゃ~、お前も鞍馬の天狗を刺しに来たのかぁ~」
「わしか、わしは五条の念仏さしじゃ」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
普通の落語家なら、
古い話を復活するにしても、
意味の通じないようなサゲは捨てて、
新しく分かりやすいオチを考えそうなもの。
それを古い形のままでで通じるようにしようとするあたり、
米朝さんの思考形態としては、芸人よりも学者に近い。
この人が、文化勲章を受賞したのも、もっともなことです。