漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

○観世新九郎修行自然の事

2009年07月04日 | ものがたり
きのうの続き。

「鼓(つづみ)」に関し、
江戸時代の御奉行様が書いた随筆「耳袋」にこんな話がある。

主人公は、能、鼓方(つづみかた)の「観世新九郎」。

能は、役どころによって、
「シテ方」「ワキ方」「狂言方」「囃(はや)し方」に職分が別れており、
鼓は、「囃し方」の中の「鼓方」が受け持つ。

注記に、新九郎を紹介して、

「豊重。
 新九郎豊勝の第四子。
 十四歳から観世の頭取をした名人。」と、あるから、

能、観世流の鼓方の頭取で、
観世新九郎の名は、先代の実父から継いでいる。

尚、以下の文中、

「姥(うば)」は、召し使いの老女。
  
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  ○観世新九郎修行自然の事
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近きころ名人と称され、
公より紫衣 賜(たまわ)りし新九郎、まだ権九郎と云いしころ、

日々、鼓を出精しけれども、
いまだなお 心に落ちざる折から、

年久しく召し使いし姥(うば)、
朝ごとに茶持ち来たりて、権九郎へ給仕しけるが、

或(あ)る時、申しけるは、

「主人の鼓もはなはだ上達」の由(よし)、申しければ、

権九郎もおかしき事に思いて、
女の事、
常に鼓は聞けど、手なれし事にもあらず、

我が職分の上達を知る訳をたずね笑いければ、

老女答えて、

「われ乱舞のさま知るべきようなし、

 しかし、親、新九郎が鼓を数年聞きけるに、
 朝々、煎じける茶釜へ音ごとに響き聞えける。

 これまで権九郎が鼓はその事なく、

 しかあれども、
 この四.五日は、鼓の音ごとに茶釜へひびきけるゆえ、
 さてこそ上達を知りはべる」と答えけるとなり。

年久しき耳なれば、
微妙に善悪もわかるものと、権九郎も感じけるとなり。

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「紫衣(しえ)」は、紫の衣、

普通は、
高僧が、朝廷から許され
着用する「紫の袈裟(けさ)・法衣」を指す事が多いが、

ここでは、能の鼓方が賜ったのだから、
将軍、あるいは幕府から賜った紫の舞台衣装だと思われる。

「乱舞」も、普通は乱れ舞うことだが、
「能の一節を謡い舞う意味」でも使うと云うことだから、ここではそれだろう。

長年つかえている召し使いのバアヤが、
朝の茶を入れながら、

「しかし、若旦那も腕を上げなすった」と云うから、
何を小癪なと思いながら、
からかい半分に「なぜだい」と聞いてみると、、

「イエね、わたしゃ、鼓の良し悪しなど分かりゃあしませんがね、
 でも、
 親旦那さまが打ちなさると、茶釜の湯が音に合せて、さざめくようでござんした、

処が、若旦那の時はそんなことは少しもない、
しかし、この四.五日は違ってきましたからね。」

と、云う処だろうか。

尚、
標題の、「自然(じねん)」は、
仏教の言葉で、人為によらず、本性にて自ずから成ること。

  
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【耳嚢/耳袋】 みみぶくろ

江戸中期の随筆。10巻。根岸鎮衛(ねぎしやすもり)著。
佐渡奉行・勘定奉行・町奉行を務めた著者の見聞録で、未刊ながら写本で伝わる。




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