きのうの続き。
「鼓(つづみ)」に関し、
江戸時代の御奉行様が書いた随筆「耳袋」にこんな話がある。
主人公は、能、鼓方(つづみかた)の「観世新九郎」。
能は、役どころによって、
「シテ方」「ワキ方」「狂言方」「囃(はや)し方」に職分が別れており、
鼓は、「囃し方」の中の「鼓方」が受け持つ。
注記に、新九郎を紹介して、
「豊重。
新九郎豊勝の第四子。
十四歳から観世の頭取をした名人。」と、あるから、
能、観世流の鼓方の頭取で、
観世新九郎の名は、先代の実父から継いでいる。
尚、以下の文中、
「姥(うば)」は、召し使いの老女。
~~~~~~~~~~~~~~
○観世新九郎修行自然の事
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
近きころ名人と称され、
公より紫衣 賜(たまわ)りし新九郎、まだ権九郎と云いしころ、
日々、鼓を出精しけれども、
いまだなお 心に落ちざる折から、
年久しく召し使いし姥(うば)、
朝ごとに茶持ち来たりて、権九郎へ給仕しけるが、
或(あ)る時、申しけるは、
「主人の鼓もはなはだ上達」の由(よし)、申しければ、
権九郎もおかしき事に思いて、
女の事、
常に鼓は聞けど、手なれし事にもあらず、
我が職分の上達を知る訳をたずね笑いければ、
老女答えて、
「われ乱舞のさま知るべきようなし、
しかし、親、新九郎が鼓を数年聞きけるに、
朝々、煎じける茶釜へ音ごとに響き聞えける。
これまで権九郎が鼓はその事なく、
しかあれども、
この四.五日は、鼓の音ごとに茶釜へひびきけるゆえ、
さてこそ上達を知りはべる」と答えけるとなり。
年久しき耳なれば、
微妙に善悪もわかるものと、権九郎も感じけるとなり。
~~~~~~~~~~~~~~~~
「紫衣(しえ)」は、紫の衣、
普通は、
高僧が、朝廷から許され
着用する「紫の袈裟(けさ)・法衣」を指す事が多いが、
ここでは、能の鼓方が賜ったのだから、
将軍、あるいは幕府から賜った紫の舞台衣装だと思われる。
「乱舞」も、普通は乱れ舞うことだが、
「能の一節を謡い舞う意味」でも使うと云うことだから、ここではそれだろう。
長年つかえている召し使いのバアヤが、
朝の茶を入れながら、
「しかし、若旦那も腕を上げなすった」と云うから、
何を小癪なと思いながら、
からかい半分に「なぜだい」と聞いてみると、、
「イエね、わたしゃ、鼓の良し悪しなど分かりゃあしませんがね、
でも、
親旦那さまが打ちなさると、茶釜の湯が音に合せて、さざめくようでござんした、
処が、若旦那の時はそんなことは少しもない、
しかし、この四.五日は違ってきましたからね。」
と、云う処だろうか。
尚、
標題の、「自然(じねん)」は、
仏教の言葉で、人為によらず、本性にて自ずから成ること。
~~~~~~~~~~~~
【耳嚢/耳袋】 みみぶくろ
江戸中期の随筆。10巻。根岸鎮衛(ねぎしやすもり)著。
佐渡奉行・勘定奉行・町奉行を務めた著者の見聞録で、未刊ながら写本で伝わる。
「鼓(つづみ)」に関し、
江戸時代の御奉行様が書いた随筆「耳袋」にこんな話がある。
主人公は、能、鼓方(つづみかた)の「観世新九郎」。
能は、役どころによって、
「シテ方」「ワキ方」「狂言方」「囃(はや)し方」に職分が別れており、
鼓は、「囃し方」の中の「鼓方」が受け持つ。
注記に、新九郎を紹介して、
「豊重。
新九郎豊勝の第四子。
十四歳から観世の頭取をした名人。」と、あるから、
能、観世流の鼓方の頭取で、
観世新九郎の名は、先代の実父から継いでいる。
尚、以下の文中、
「姥(うば)」は、召し使いの老女。
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○観世新九郎修行自然の事
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近きころ名人と称され、
公より紫衣 賜(たまわ)りし新九郎、まだ権九郎と云いしころ、
日々、鼓を出精しけれども、
いまだなお 心に落ちざる折から、
年久しく召し使いし姥(うば)、
朝ごとに茶持ち来たりて、権九郎へ給仕しけるが、
或(あ)る時、申しけるは、
「主人の鼓もはなはだ上達」の由(よし)、申しければ、
権九郎もおかしき事に思いて、
女の事、
常に鼓は聞けど、手なれし事にもあらず、
我が職分の上達を知る訳をたずね笑いければ、
老女答えて、
「われ乱舞のさま知るべきようなし、
しかし、親、新九郎が鼓を数年聞きけるに、
朝々、煎じける茶釜へ音ごとに響き聞えける。
これまで権九郎が鼓はその事なく、
しかあれども、
この四.五日は、鼓の音ごとに茶釜へひびきけるゆえ、
さてこそ上達を知りはべる」と答えけるとなり。
年久しき耳なれば、
微妙に善悪もわかるものと、権九郎も感じけるとなり。
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「紫衣(しえ)」は、紫の衣、
普通は、
高僧が、朝廷から許され
着用する「紫の袈裟(けさ)・法衣」を指す事が多いが、
ここでは、能の鼓方が賜ったのだから、
将軍、あるいは幕府から賜った紫の舞台衣装だと思われる。
「乱舞」も、普通は乱れ舞うことだが、
「能の一節を謡い舞う意味」でも使うと云うことだから、ここではそれだろう。
長年つかえている召し使いのバアヤが、
朝の茶を入れながら、
「しかし、若旦那も腕を上げなすった」と云うから、
何を小癪なと思いながら、
からかい半分に「なぜだい」と聞いてみると、、
「イエね、わたしゃ、鼓の良し悪しなど分かりゃあしませんがね、
でも、
親旦那さまが打ちなさると、茶釜の湯が音に合せて、さざめくようでござんした、
処が、若旦那の時はそんなことは少しもない、
しかし、この四.五日は違ってきましたからね。」
と、云う処だろうか。
尚、
標題の、「自然(じねん)」は、
仏教の言葉で、人為によらず、本性にて自ずから成ること。
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【耳嚢/耳袋】 みみぶくろ
江戸中期の随筆。10巻。根岸鎮衛(ねぎしやすもり)著。
佐渡奉行・勘定奉行・町奉行を務めた著者の見聞録で、未刊ながら写本で伝わる。