漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

さすがはコウモンさま

2010年05月24日 | Weblog
きのうの続き。

江戸時代の商都大坂の町、
その市井の噂話や小事件を記録した「浪花見聞雑話」からひとつ、

「おもよ」と題する記事を紹介。
  
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安永のころ、(1772~81)

南堀江に茂右衛門とて、古着を商う人あり。
常に素人芝居へ出て女形(おやま)の役をする。

普段も万事が女風俗にて、
使用人を我が男のごとくあつかい、
縫い物や洗い物そのほか世帯まわりを引き受け、
我が名を茂右衛門と云わずして、「おもよは、、おもよは、」と云う。

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これ、わざわざ書いているぐらいですから、
世間で、かなりの評判になってたんでしょうね。

ただ、世間が「馬鹿にした」とか、
「悪く評判した」などとは書いてないから、
きっと奉行所にも捕まることは無かったのでしょう。

すると、きのうの重吉の妻とどこが違うのか、

考えられるのは、
重吉の妻は、万事、女のようにして近所の人たちをだましていたが、
こちらの「茂右衛門さん」は、
芝居好きで、役者のように「女装」して、
女のような話しぶりだが、男であることは、世間に隠してない。

そこら辺の違いでしょうか、

あと、武士の多かった江戸と、
商人の多かった大坂と云う土地柄もあるかもしれない、

江戸も大坂も、統治していたのは、徳川様ですから、
江戸と大坂で刑法が違ったはずは無いのですからね。

最後にもうひとつ、
こんな話を紹介して、このテの話のオシマイとします。

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(水戸黄門様の事蹟を伝えた「玄同筆記」に依れば)

また徳川光圀は年貢の取りたて方について
「いつとても女を御するようにすべし、小童を御するようにはセぬもの也
(中略)
女を御するハ双方よろこび、男色ハ我ハ歓べども彼は苦痛す」、と言ったともいう。

上流社会では男色がかなり一般的だった当時のこと、
いかにもその時代らしい比喩(ひゆ)である。

 「徳川光圀」・鈴木暎一著・吉川弘文館

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以上、私も「ソノ道」には、詳しくないので解説は避けます、 (^。^ゞ

尚、決してコウモンさまだからと、
シリにこんなネタを準備しておいたのではありません。  m(_ _)m 







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