漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

立ったり割ったりするモノ、な~に?

2009年07月20日 | Weblog
きのうの続き。

きのうのイソップ話の中、
手足が腹の事を「我らを召し使う技を為(な)し」と云うセリフが出て来る。

古代ギリシャの人々も、
なんとなく「腹が主人」で、
「手足は召し使い」のような、意識があったのだろうか。

日本人も昔の人は、
「心は腹にある」と思っていたようで、
「腹が立つ」とか、「腹が大きい」などの言葉からそれが察せられます。

「腹が綺麗」は「心が綺麗」
「腹が黒い」は「心が陰険」と云うことですから。

「切腹」と云う自殺の作法も、そう云う感性から来たのかな、と思う。

確実に命を断つなら、
頭部や首を損傷する方が確かとは、
多少なりとも、医学知識の有る現代人だから思うことで、

昔の人は、
自らの意思で生を終えるなら、心のある場所を破壊しようと思ったのでしょう。

切腹は、
源平の争乱のころから始まったと云われてますが、
有名なのは、鎌倉幕府崩壊の時で、
北条高時と共に千人近くの御家人らが切腹したと云う事件でしょうか。

その頃には、
敵に討ち取られるぐらいなら、
「自ら切腹する方が名誉」と、考えられるようになっていたのでしょう。

何にしても、
「切腹と云う作法」があったお陰で、歌舞伎などは随分得をしている。

何となら、
名作と云われる芝居には、
切腹した人物が、「長々とセリフを云う場面」が多いのです。

仮名手本忠臣蔵の、浅野内匠頭がモデルの「塩冶判官」を初め、
「早野勘平の切腹」は、最大の見せ場だし、
九段目の加古川本蔵に至っては、登場したとき、既に陰腹を切っている。

「陰腹(かげばら)」とは、
分からぬように腹を切ってしまっている事で、

芝居や文楽なら、
登場人物が、既に腹を切っているのを隠して現れ、
そこから苦痛をこらえながらも、必死の心中をあかすのが名場面となる。

ほかにも切腹の名場面のある狂言は数多いが、
これも皆、切腹が即死にはなり難いからこそ出来る演出であって、

あとわずかの命と極まった主人公が、
ことの真実や、心のたけを切々と語る見せ処も、「ピストルで頭をズドン」では、書きようが無い。

尤も、実際の赤穂浪士の切腹の際は、
「その人数のワリには、時間がかかっていない」と云う話もある。

つまり、腹を切るか切らないかと云う段階で、
手際の良い介錯人が、サッサと首を打ち落として行った、と云う分け。

コレ、腹を切ったのでは中々死ねない、
首を打って、早く楽に刺せる方が「武士の情」と云う事だったのでしょうか。

昔の人だって、
「腹より頭部の方が急所」だとは、知っていたでしょうから、

さもありなんと思わせる話ではあります。




コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。