漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

昔はものを 思はざりけり

2016年10月19日 | はやり歌 文芸 漫画
以前、俵万智さんの随筆だったか歌だったかに、
道ならぬ恋を続けている男との逢瀬で、

逢うたびに、「裸になっている」ことに、

「これを恋愛といっていいのだろうか」と疑問を感じた心境が綴られていた。

確かに、妻子ある男との不倫、
その上、遠距離交際と云うことにでもなれば、

会えるのは月に一度か二度、
そうなると、「逢瀬と性行為とがセット」になるのは致し方ない、かもしれない。

ただ、いつもそうだと、
女性の方に、「貴男の目的はナニ?」と疑問が湧いて無理はない。

百人一首に、

「 逢ひ見ての
   後の心に くらぶれば
          昔はものを 思はざりけり 」 と云う歌がある。

藤原敦忠と云う平安貴族の歌だが、

この人、まだ若い上に、血筋が良くて男前、
しかも楽器演奏が上手、と云うから、モテモテだったようです。

この歌の「逢ひ見て」は、
この時代の貴族文化の通例として、

「一夜の契(ちぎ)り」を指すそうですから、
この歌は、「裸になっての愛情確認のあとの心」を歌っているのでしょう。

意味としては、
「キミと契った夜のあとの、この充実した気持ちに比べりゃ、むかしは何にも知らなかったみたいなものだよ」。

敦忠さんが、
どう云うつもりだったか知らないが、

オンナたるもの、
好きな男との充実の一夜のあとで、

こんな歌を送られたら、
体の芯がもう一度うずき出すのではあるまいか。

なんにしても、この歌、みごとなコロシ文句です。

もしかしたら万智さんも、
きぬぎぬの別れの後に、これぐらいの歌を届けられていたら、
「毎度毎度脱ぐ」ことに疑問を感じるヒマなどなかったかもしれない・・・。

いや、もう終わりかけてる恋では、
男女とも「歌などと、そんな手間ひま」は無駄なだけなのかな。

あ、もちろん、今日の話、
万智さんが実体験を書いてるとは限らないのですよ。



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