きのうの続き。
福沢諭吉が勝海舟を批判したのに対し、
海舟が反論したとか、
或いは、誰かが積極的に弁護したとは、あまり聞かない。
どうも、今となってみると、
海舟は福沢に貶(けな)されたままで、その論を鵜呑みにしている人も多いようだ。
また、晩年の海舟が、
日清の開戦に対し、反対だったことなども余り知られていないように思う。
その辺りの事は、
学者が史料を検討した上で書きあげた伝記、
「日本史人物叢書・勝海舟」、(石川孝氏著・吉川弘文館)に詳しい。
そのごく一部をだが、引用してみる。
尚、以下の文中、
「勃発(ぼっぱつ)」は、事件などが突然に起こること。
「辛辣(しんらつ)」は、手きびしいこと。
「伊藤サン」は、伊藤博文、日清開戦直後の内閣総理大臣。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
この年、勃発した日清戦争には、海舟は大いに反対であった。
当時の彼の詩には、
「出師の非を再言するも、要路亦悦ばず」と見える。
※「出師の非(すいしのひ)」は、軍を出すことの誤り、
「要路また悦ばず」だから、
勝の建言は、国家を預かっている要人たちに嫌われ、煙たがられた分けだ。
彼は日清戦争の事を、
「伊藤サンの朝鮮征伐」という辛辣(しんらつ)な表現をしている。
講和にさいしても、領土の割譲には反対した。
このような日清戦争反対論は、
日中提携という彼の一貫した外交理念から出ている。
「脱亜論」をとなえた福沢諭吉が、
日清戦争の勝利に歓喜したのと好対照である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
ここでも、
「融和」を重んじ、交渉と妥協の中に道を開こうとする勝と、
「痩せ我慢の大主義による戦う勇気」を是とする、福沢の考えは対称的。
「武闘・強硬派」の福沢にすれば、
「戦わずして、講和を説く」かのような、
勝の論などは、
戦を恐れる、「臆病者(おくびょうもの)の逃げ口上」にしか思えまい、
成る程これなら、
福沢の気持ちとして、勝を罵倒せずば収まるまいし、
且(か)つ、強硬論は威勢が良いから、世間も喝采(かっさい)したろうと思う。
~~~~~~~~~~~~~
【優柔不断】 ゆうじゅう‐ふだん
気が弱く決断力に乏しいこと。
【罵倒】ばとう
ののしること。
福沢諭吉が勝海舟を批判したのに対し、
海舟が反論したとか、
或いは、誰かが積極的に弁護したとは、あまり聞かない。
どうも、今となってみると、
海舟は福沢に貶(けな)されたままで、その論を鵜呑みにしている人も多いようだ。
また、晩年の海舟が、
日清の開戦に対し、反対だったことなども余り知られていないように思う。
その辺りの事は、
学者が史料を検討した上で書きあげた伝記、
「日本史人物叢書・勝海舟」、(石川孝氏著・吉川弘文館)に詳しい。
そのごく一部をだが、引用してみる。
尚、以下の文中、
「勃発(ぼっぱつ)」は、事件などが突然に起こること。
「辛辣(しんらつ)」は、手きびしいこと。
「伊藤サン」は、伊藤博文、日清開戦直後の内閣総理大臣。
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この年、勃発した日清戦争には、海舟は大いに反対であった。
当時の彼の詩には、
「出師の非を再言するも、要路亦悦ばず」と見える。
※「出師の非(すいしのひ)」は、軍を出すことの誤り、
「要路また悦ばず」だから、
勝の建言は、国家を預かっている要人たちに嫌われ、煙たがられた分けだ。
彼は日清戦争の事を、
「伊藤サンの朝鮮征伐」という辛辣(しんらつ)な表現をしている。
講和にさいしても、領土の割譲には反対した。
このような日清戦争反対論は、
日中提携という彼の一貫した外交理念から出ている。
「脱亜論」をとなえた福沢諭吉が、
日清戦争の勝利に歓喜したのと好対照である。
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ここでも、
「融和」を重んじ、交渉と妥協の中に道を開こうとする勝と、
「痩せ我慢の大主義による戦う勇気」を是とする、福沢の考えは対称的。
「武闘・強硬派」の福沢にすれば、
「戦わずして、講和を説く」かのような、
勝の論などは、
戦を恐れる、「臆病者(おくびょうもの)の逃げ口上」にしか思えまい、
成る程これなら、
福沢の気持ちとして、勝を罵倒せずば収まるまいし、
且(か)つ、強硬論は威勢が良いから、世間も喝采(かっさい)したろうと思う。
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【優柔不断】 ゆうじゅう‐ふだん
気が弱く決断力に乏しいこと。
【罵倒】ばとう
ののしること。