漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

○児の飴を食いたる事

2011年01月19日 | ものがたり
鎌倉時代にまとめられた説話集、「沙石集」にある「児ノ飴クヒタル事」を。

尚、以下の文中の中、

「飴(あめ)」は、水飴。
「児(ちご)」は、寺院で雑用に使われがら学ぶ少年。
「小児(こちご)」で、まだ幼い意味を強める。

尚、アニメの一休さんのように剃髪はしていないし、墨染めの衣でもない。

「小袖(こそで)」は、普通の着物、普段着。

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 ○児の飴を食いたる事

ある山寺の坊主、ケチでシミッタレなりければ、
飴を作りても、寺で使いける小児に食わせずして、ただ一人にて食いてけり。

食いてのち、棚に置きけるを、

「これは人が食えば死ぬる物ぞ」と教えけるを
この小児、坊主の食いけるを知りおれば、

つね日ごろ、
「ぜひにも食いたや食いたし」と思いけるに、

ある時、坊主の外出しければ、
棚より取り下ろしける程に、打ちこぼして、小袖にも髪にも付けたりけり。

日ごろ欲し欲しと思いける事なれば、
二三杯よくよく食いて、

坊主が秘蔵の水瓶(みずがめ)を、
雨だれを受ける庭石に打ちあてて打ち割りて置きつ。

坊主、帰りたりければ、この児さめほろと泣く。

「なにごとに泣くぞ」問えば、

「大事の御水瓶を、あやまちに打ち割りてそうろう時に、
 いかなる御叱りあらんずらむと、
 悔しく覚え、
 このままにては生きる甲斐もなしと思いて、

 人の食えば死ぬと仰せられそうろう物を、
 一杯食えども死なず、
 二・三杯まで食べてそうらえども一向に死なず。

 果ては小袖に付け、
 髪にも付けて待てども、いまだ死にそうらわず」とぞ云いける。

飴は食われて、
水瓶は割られるでは、ケチの坊主の得る処なし。

この児の智恵、秀逸なり、
学問の器量も、並大抵にはあらじかし。

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ここでの飴は、
モチ米やサツマイモなどにあるデンプンを麦芽などの作用によって糖化させたモノ、

砂糖が伝来して無いこの時代では貴重な甘味料。

室町時代に成立した狂言の「附子(ぶす)」や、
江戸時代にまとめられた「一休とんち話」の中にも似たような話があるが、
沙石集にあるこの話が、時代的には一番古い。








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