未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

目的は何か

2019-05-20 12:00:25 | 雑感
審査会が立て続けにあるこの時期。
なぜ人は進級したがるのでしょう。帯の色が変わって実力が変わるわけでもないのに不思議ですね。
私も高校生の頃初めて黒帯を貰った時は心踊ったものですが、飽きたと言うと語弊がありますが今では帯制度にそこまで意味を感じておりません。習う側のモチベーションを保つ点において意義はあるのかも知れませんが。


私は19で正道入門した当時、一度黒帯を締めたこともあってか進級に興味がありませんでした。入ってちょっとしたら黄帯を取り、それで試合にも出られるしこのままで良いと大学四回生まで黄帯でした。入賞しなかったら辞めて就職しようと望んだ大会で入賞し、後輩も出来て来た中で先輩が黄帯では我々が困ると言われるのでポンポンとテキトーに受けて緑帯に。尼崎支部に移籍した頃茶帯に。だから余り色帯時の記憶も思い入れもありません。審査用に練習した事がありませんからね。果たして青、緑帯で合わせて半年巻いてたかしら(笑)

が、初段は結構苦労しました。先生名乗るには流石に黒帯は要るだろうと考えましたがこれまでがテキトーだったのでまあしんどかったですね。ええ歳こいて稽古サボって先生方に叱られ受験を半年間延期させられたりもしました(苦笑)けどこの頃から芽生えていたのが現在の考え方。日時と場所、内容が決まっている処にコンディションを合わせにいく。それが武道なのか?というちょっとした違和感。初めは小さな波の揺らぎだったのです。昔習った形を活かせないのかと再考し始めたのもこの頃でした。在学中に甲野善紀先生の書籍に出会ったのも大きいですね。

初段で大学卒業後の二十代を過ごしました。空手の指導を続け三十路になる頃、教えれば教える程フルコンへの疑問は渦のようになっていてそれを払拭する為に初めて自分の信念?のために審査を受けようという気持ちになりました。ただし、審査用の練習はせずに。そして一番コンディションの悪い真夏の審査会で。これは体調の悪い時襲われても対応出来るのかを知りたかったのでそうしました。全ては当時の自分の武道観、武術観を試すために臨んでみようと。

当時は伝統形を臨む段位の数だけする審査もありました。形は初段取得以来七〜八年練ってきました。用意はそれだけです。組手は要らぬ変更をされたりして死ぬ思いをさせられましたが結果としては通りました。もし落ちたら基本や形を無視して組手だけみる組織ということで先も無いので辞めるつもりではありましたが。

あれからまた七〜八年が経ちますがもう今後受ける積もりは微塵もありません。あの日に色々試せたので今後はしんどいと分かってるところに態々飛び込む気が起きないのです。やれと言われたら出来ます。でもやる必要がない。冒頭のようにこれ以上金の線が増えたとて実力が変わるわけでもなし。このままでも技は進みます。だから金の糸は全部取りました(笑)上手いこと言えませんが嫌いなんですアレが。

何段か分からない方が目が肥えると思うのですがね。誰かが私を初段程度かなと評価するなら私はまだその程度です。その動きで未だ二段なの?と思ってくれれば嬉しい事ですし組織の黒帯の敷居も上がりますよね。沢山金線並べた人が訳の分からん動きされてたんじゃ此方が迷惑なので金線制度は廃止して欲しいのです。

随分話が自分語りに逸れましたが申し訳ありませんm(_ _)m


進級の動機はカッコいいとか良く見られたい見せたいとかそういう単純なもの。じゃあそのカッコよさに近付く稽古をしてきた自負はあるのか、というと見受けられない事が多いですよね。

そしてこれは審査内容が分かってしまっているのも問題なのだと思うのです。全方向に向けて稽古しなくて良くなりますから。真ん中の帯ぐらいで要領を得てしまえばあとは決められた行程を卒なくこなせば黒帯まで行ってしまうのです。しかし帯を上げるというのはその流派、道場の顔になるということ。取って仕舞えば戻れない。顔になる覚悟のない者は下の帯でいる方がそれこそ楽なんじゃないかと思うのですが。いつまでも下の帯じゃ恥ずかしいと思うのなら恥を濯ぐような稽古をしないと。帯の色は自覚の色。


初めての黒帯を授与された時、先輩に「もう誰にも負けれんのお」と言われた言葉は今も刺さっていて更に深く刺さっている感じがします。





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