未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

勉強

2016-03-30 12:05:30 | 日記
結構前から気になっていたこの本。柔道であります。

畑違いではありますが少し知っておくのも身のこなし・気構えとして空手に役立つでしょう。幸い道場生には柔道部も居れば経験者も居ますのでまた色々試してみたいと思います(・∀・)

昔柔道の吉田秀彦氏が袖車で相手を締め落としたシーンが強烈に焼き付いていて袖車とキムラロック(腕緘)のページは何度も見てしまいます(笑)




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お手玉

2016-03-28 22:32:26 | 日記
息子の通う小学校の伝統なのか何なのか、2年生に進級する子達は新入生の前でお手玉披露があります。

去年妻と「来年もあったらマズイな…」と言っていたら本当にあって修羅場であります(苦笑)
春休みに入ってから練習開始。恐らく学年で出来ないのはこの子ぐらいでしょう(¯―¯٥)

不器用な子の気持ちは正直分かりませんがそんな事を言っても始まらんので片手で真上に投げるところから始め、出来る限り動作分解をして教えて、やる気を見せぬ時は〇回出来るまで御飯はない(こっちも)等と叱り…

何とか不恰好ながら数十回出来るようになりました。
10回を超えた辺りから100回を目指す!と張り切りだし自主的にやっております。多分此処まで来るとあとは自動的に上達していくでしょう。

人一倍鈍臭い我が子。見てパッと出来るタイプではありません。出来ひん!と心も目も閉じてしまいがちになる事も多いでしょう。
しかし人一倍鈍臭いからこそ人一倍出来た時の、出来る事の喜びを感じる事が出来るのかもしれません。

空手を教えていてもそうですが統計的に見て、何だ簡単だな、と入る子より努力前提で入れる子の方が最終的には色んな意味で強いと思います。
その分手は掛かるのでしょうが、先ずは新年度に人並みのスタートが切れそうで少し安堵しました。

頑張る習慣、大事ですね。
私にないものだから余計に思います。




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体験ラッシュ

2016-03-28 21:28:18 | 稽古
3月は体験申込が多く、川西教室も本日6名がやって来ました。フロントで知らされた時に増えていたので少し狼狽(苦笑)

加えてしっかり者の一角ルカが指を骨折したとの事で暫くお休み(´・ω・`)どうなるかと思いましたが皆楽しんでもらえたようで何よりです。

園児5名と小学生1名でしたが、もし入門となり幼稚園児~低学年の割合が増えるようであればクラスの増設を考えたい旨を伝えました。
週1回ですから彼らにとって内容の濃い1時間を過ごせればなと思います。しかし4月からは2年生から初めた1期生も高学年になりますので5時半からのクラスは考えた方が良いのかも知れません。

あとは神頼みです|ω・)



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traditional

2016-03-27 18:38:48 | 日記
本日、指導はお休みを戴いて足の悪い祖母と彼岸の墓参りへ行ってきました。電車バスを乗り継いで神戸の山へ。

私も親になり八年弱。親に成り立ての頃は「日本と日本人」という事について考え調べたりしましたが、子供が幼稚園へ通い始めた頃から今度は「風習」について考えるようになりました。

若い頃は墓の必要性は全く考えておらず、寧ろ生きる者に時間を割かせる無用の長物とさえ思っていたものです。朽ちた物にはアートとして少し外れた価値観は持っておりましたが。

春に彼岸?彼岸花咲いてないのに?ぐらいなもんです(苦笑)万事がこれでは親は務まらんといつからか風習に少し関心を持つように。

因みに彼岸について。
彼岸とは「あの世(悟りの世界)」のこと。反対に我々の住む現世(煩悩の世界)は此岸と呼ばれます。
そして彼岸は西に、此岸は東に位置するとされ太陽が真東から昇り真西に沈む春分・秋分の頃が彼岸と此岸が通じやすくなるとの考えから供養シーズンとなっているという事らしいです。

なるほど良く出来た話だと思います。さすが八百万の国なので生活のアチコチに「へえ」となる話が織り交ぜられています。
国の事を思えばもっと小中学校の授業で取り入れるべきだと私は思いますが。


閑話休題
墓掃除は息子も手伝います。足が悪く杖を付いている祖母もそれを忘れたのかと思える位しっかり立って磨いています。
不思議なことですが祖母の姿から「礼節の姿勢から力が出る」という宇城憲治氏の話を思い出しました。

しっかり拝んでお片付け

こういった風習から生きる意味・生きた意味への理解が深まりつつあるのを感じるこの頃。
若い頃は兎角「自我」しかありませんがそんなチンケな個人個人の人生に意味などなく只只紡いで行く事だろうなと。その紡がれ続けた先で世に貢献出来る人物が誕生したとすれば全ての祖先の人生に意味があったという事になるでしょう。

残った者は故人に報いる為に単に呼吸を繰り返して生きるのではなく、彼らの遺志を深めて繋げていく使命があるのでしょう。
そう考えると墓や仏壇に語りかける年配の方々のその行為に深さを感じます。

私がしなけりゃ息子もしないでしょう。私がすれば真似してするかもしれません。早起きして向かいましたがそれだけの価値があったと思います。


帰りは祖母がどうしても三宮でランチをご馳走したいと言うので呼ばれてきました。市役所近く。

ライブクッキングをしてくれるステーキハウスでかなり美味でした。結局私達が行く事で祖母に金銭面の負担が増えただけのような気もするのですが、凄く嬉しそうだったのでそれはそれで有りなのかなと思ったり。

新年度のスタートを切る為にも春の彼岸は良い機会ですね。




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