未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

形論

2021-02-03 23:27:00 | 雑感
先週からの三回の稽古で平安初段〜五段を全て教えました。通常稽古で教える機会は中々ありませんから後は各々興味があればYouTubeで調べたり稽古終わりにでも訊いて貰えれば手解きいたします。


数年かけて稽古する事を三時間で詰め込んだ訳ですから覚えられなくて当然です。形のいいところは向き不向きがないこと。大会を意識から外す事が出来れば。そこはフルコンですし点数を気にせず練習出来ます。


形は使えない、という声が歴の浅いフルコン系信者から上がる事があります。フルコンは実戦で役に立たない、と言う声も同じく向こうの浅い方から上がる事もしばしば。


そもそも使ってどうすんねんと云う話ですが、それはさておき形は使えるのか使えないのか。


そんなもん使えないに決まってます。
ほなお前パイナップル皮のまま食うんか?と。
誰がそのまま使うねん。


例えば学校で勉強したことをそのまま使う会社は塾以外に中々ないでしょう。知識を基にどう今の自分の立ち位置にアプローチしていくか。そこを学のが基礎であって基礎しか出来ない者、習った事しか出来ない者は世間ではボンクラと言うのです。


当たり前にあるけれどアプローチ次第で当たり前ではなくなるのです。誰にでも出来るから誰にも真似出来ない、へ。平安を編んだ糸洲安恒は技の用法を伝えなかったとされています。決めつけるとそこで終わるのです。


今の時代になって、色んな目立ちたがり屋の皆さんがYouTube等で分解動画をアップしております。ひとつの型がそれぞれの魂を受けて形になる。なんか浪漫があっていいじゃありませんか(笑)


霊という字は『ち』と読みます。
型という誰にでも出来るものに己の霊(魂、エネルギー)や血を注いで表現できた時に『型』は『形』となるのです。だから◯◯したら高評価、みたいな型は程度が低いので五輪は大反対なんです。五輪になればそれが本流になってしまいますから。


パイナップルにしろウニにしろ中味があるわけです。味に深みを出す育て方が出来るかどうかはオーナー次第。大味で良いと言うなら一応それでもパイナップルではいられます。


私の糸東流の師は方々から先生が習いに来ておりました。変わった人でしたが、今思うと師にしかない世界観を形に持っていたのでしょう。
二十年近く前風の噂で協会と揉めて辞めたと聞きましたが先生らしくて好きです(笑)


空手は直接使えません。
形や組手を通してその道の通し方が学業や将来の仕事に繋がればいいなと思います。



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