明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

66000人 ここは越後・・・弥彦山

2011-09-11 22:21:44 | Weblog
燕三条インターで北陸道を下車。車は、越後の象徴である弥彦山に向かった。弥彦神社の大きな鳥居が出迎えてくれる。見える山並みが弥彦山系。弥彦山系の後ろは日本海。

弥彦山系は、日本海岸よりいきなり突き出した秀麗な山容をしており、弥彦山は弥彦山脈と呼ばれる山並みの主峰(634m)。切り立った岩山のような山。新潟県内の広い地域から見ることができ、弥彦神社の祭神を祀った山として、古くから人々の崇敬を集め、山全体が越後の一宮弥彦神社の神域となっている。

ここにも親鸞聖人の伝承が残されている。今、残されているのは弥彦神社の参道脇にある親鸞聖人清水御旧跡。

この聖人清水については、旧弥彦村教育委員会の手で案内板が建てられている。「聖人越後配流中、弥彦神社に参拝された。その際、日照りに悩む人々の姿をみて、杖でついたら清水が湧き出たと伝えられている。そして、次の歌が残されている。(願わくば、都の空に黒染の袖吹き返せ椎の下風)」と書かれています。写真の水の中で、小さく光っているのは、同清水を参拝した人が投げ込んだお金。

単なる伝承と思ってはいけません。実は、日本海に岩壁のようににそそりたつ弥彦山系は、明治まで一大修験の場であったのです。弥彦修験です。国上寺というお寺を中心に、修験道が栄えていたのです。弥彦山系は、弥彦神社とともに山伏の世界でありました。写真は、各種の電波塔が建つ現在の弥彦山。登山道・スカイラインが整備されており、誰でも気軽に登山できる山です。

弥彦山系は、日本海にそそりたっている岩山の集合体。海岸から見れば、仰ぎ見る山となります。山頂に立ち、日本海を見れば佐渡島を見ることができます。丁度、40キロの距離。中央の影が佐渡島。

実は、この弥彦山、及び弥彦神社には5体の親鸞聖人お木像が伝来していました。一体は、林部市左衛門家に伝来した親鸞聖人お木像。寛元元年(1245年)、聖人73歳のご自作像という。現在は、三条市内の浄泉寺(蔵)となっています。もう一体が、弥彦神社神主高橋家の小堂に安置されていた親鸞聖人お木像。文政9年(1826年)に、先ほど紹介した聖人清水脇に安置され、現在は三条市内の安楽寺(蔵)となっています。
そして、もと神宮寺阿弥陀堂にあった親鸞聖人お木像。明治の廃仏毀釈により、宝光院阿弥陀堂に移った。この親鸞聖人お木像は、初期真宗の両手合掌のお木像。もう一体が、真言院護摩堂にあった親鸞聖人お木像。現在は、個人(蔵)。最後の一体が、弥彦の某場所に明治の廃仏毀釈まであり、現在は清伝寺(蔵)となっています。いずれも、弥彦修験との関係で今後調査を続ける必要があると思われます。修験(山伏)と親鸞聖人、それは御伝抄の山伏・弁円の話でも明らかです。
写真は、弥彦山スカイラインの途中にパラグライダー発進場所にての写真。日本海と弥彦山の関係がよく判ります。海岸線から垂直に近い状態で、弥彦山はそそりたっています。昔、大化の改新(645年)まで、日本海の北陸・新潟方面は、越(こし)の国と呼ばれていました。現在の若狭湾から始まり、その終わりが弥彦山の見えるところまでという表現で表されています。古代は、日本海を往来する船乗りにとっては灯台、目印になったのが弥彦山でした。

最後に、越後の胡桃の実を紹介。宿泊場所の近くの山林で実にたわわに生っていました。越後の自然は今も豊かです。

ブログの訪問者が、昨日で66000人(正確には、66160人)を超えていました。いつも訪問していただき有難うございます。



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