明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

夢告(善導大師の場合)

2010-03-22 23:34:43 | Weblog
事実上、2月26日の続きである。この日は、浄土真宗の七高僧の一人である中国唐時代の僧である『善導(ぜんどう)大師』を扱いました。彼は、『仏説観無量寿経』を解釈されて、『観経疏(かんぎょうしょ)』4巻をあらわしました。なかでも『観経疏』の一つである『散善義(さんぜぎ)』において、以下のように力強く宣言します。『仏様のこころをうかがってみると、人々がただひたすらに弥陀の名号(南無阿弥陀仏)を称すること、このことこそが、今の時代の私達には唯一の救いである』と宣言したのです。
これは、実に大胆な宣言でした。なぜ、南無阿弥陀仏を称えたら浄土に往生できるのかの問いに、彼は、ただ一言『仏様(阿弥陀様)の願いがそうなっているから(散善義)』と答えている。物質文明、お金で全て解決ようという現代人には、容易に近づけない世界である。しかし、善導大師は、言われる。『お前は、何ものか。おのれのこころを深く見よ。お前のこころは何と偽善(ぎぜん)と悪性に満ちているではないか。迷えるあわれな者たちよ。罪の重い荷物を背負っていつまで闇(やよ)にさまようのか。おのれのこころを深く懺悔(ざんげ)せよ。そんなお前を救おうと言われたのは阿弥陀様以外にないではないか。他の仏たちはお前のような者を救おうとされてはいないのだ。』と私達に示されたのです。日本社会・日本人の現状をするどく指摘されたとも言える一言です。
そして、善導大師は『観経疏』の最後に、不思議な夢の告げを書くのである。善導大師は、『自分が書こうとするこの『仏説観無量寿経』の解釈本が、仏様(阿弥陀様)のおこころ通りであるならば、そのあかしとして霊夢をみせさせたまえと願い、阿弥陀経を3万回読み、阿弥陀仏を念ずること3万回をもって必死に祈られた。そうすると、夢の中に、一人の僧があらわれ、私(善導大師)に指南された。そして、出来上がったのが『観経疏』なのである。だから、この『観経疏』は、一字一句も間違えてはならない。これを写そうと思うものは、お釈迦様の説かれたお経のごとにせよ』と述べられている。これは、少なくてもこの『観経疏』の書かれた内容に関しては、阿弥陀様により説かれた『観経疏』であると善導大師は確信し、自らを聖なる使徒の自覚と信念を持って書かれた『観経疏』である事を見逃すべきではない。信仰における夢の告げとは、かくも大切なものである。
写真は、拙寺近くの梅林・木蓮林。本日撮影。写真の拡大は、右上の投稿日時をクリックすると比較的拡大されます。


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