明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

五台山に思う

2010-01-05 12:51:30 | Weblog
昨日、午後10時からNHKにて世界文化遺産の紹介にて、中国仏教最大聖地・五台山が放映された。見られた方もあるのではと思う。文化大革命の破壊を逃れて、今なお60余りの堂舎が建つという。最盛期(唐の時代)には、300余りの堂舎が存在したというとも言われている。
私達の日本人の目は、現代中国を考える時に、改革・開放政策の大号令・旗印のもと、目覚しい経済発展を遂げる中国経済にむいてしまうが、このNHKの五台山は、この資本主義的経済発展の中で、矛盾に悩み・疎外された人々が、今仏教の世界に飛び込んでいく姿が映し出されていた。中国仏教の再生の姿であった。今の日本仏教に失われて久しい姿、菩提心(仏様になろうとする心)を求める姿がここ五台山にはあった。五台山は、文殊菩薩の聖地。ここで、文殊菩薩の智慧をいただくために、厳しい修行に打ち込む青年僧・尼僧の姿がとても印象的であった。将来、仏教も再度中国に学ぶ日が来るのかも知れない。
何より、日本浄土教の源流をたどれば、この五台山こそ母なる山なる。テレビでも、取り上げられていたが慈覚大師・円仁の存在である。円仁は、比叡山・延暦寺第三台座主となられるが、この円仁により浄土教は日本にもたらされた。円仁は、承和三年(838年)~承和一四年(847年)まで中国にて仏教を勉学されている。円仁は、中国天台の聖地である五台山に赴き、『竹林寺の般舟(はんじゅ)道場に伝わる法照流念仏三昧(さんまい)=五会(ごえ)念仏』の作法を持ち帰り、比叡山に常行堂を建立にて、五会念仏を実践された。五会念仏は、聞く者をして極楽浄土を連想させる合唱曲のような念仏であったという。『山の念仏』と呼ばれ、貴族達に親しまれた。
この五会念仏が、日本における浄土教・お念仏の発祥となり、浄土信仰の発展をうながす事となる。やがて、平安中期から鎌倉中期にかけて・源信僧都・法然上人・親鸞聖人の登場により、お念仏の流れは一大潮流となって日本仏教史に輝く事になる。一度は、参詣してみたい五台山である。(写真は、五台山の紹介のインターネットより複写した。)

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