明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

近江商人と真宗の信仰

2011-01-31 00:35:40 | Weblog
このブログを読まれている人の中でも、浄土真宗の教えは葬儀・死んでからの教えと思っておられる人も必ずおられる筈。しかし、親鸞聖人の開かれた浄土真宗の教えは決してそうではありません。その実例を近江商人に見る事ができるのです。
写真は、天秤棒を担いだ近江商人。

近江商人と言えば、天秤棒を担いで日本各地で商売を展開した。そして、海外にも飛躍した我が国最初のビジネスマンである。その歴史は、遠く鎌倉時代にもさかのぼる。幾多の激動の歴史も潜り抜けてきた。現代でも、近江商人の系譜を引く総合商社・老舗の店舗は数多いものがある。この近江商人を知ることは、不況に悩む現代の日本経済のなかで貴重ものとなるだろう。しかも、宗教音痴の現代日本人とは違い、強固な浄土真宗の信仰に裏打ちされた人々であったのである。
この近江商人の姿を、中公新書 末松国彦著「近江商人」から抜粋する。
全国をエリアとし、天秤棒を担いだ商人から、豪商にと成長した近江商人。彼らの商売の極意は、子孫に残そうとした遺言にこそある。
1.商売の心得・・・「近江商人187頁より」
先の見通しも持たずにただ目の前の利に気をとられて右往左往し、見切り時を誤まるようなことでは、「商人の器にあらず」と断定する。・・・取引に関して、自らの基本的姿勢を、「目先の利益に迷わず、遠き行末を見通すべし」と述べているのである。ドッシリと腹のすわった、少々の事ではビクつかない信念が、近江商人の心構えであったのである。
2.売って悔やむ・・・「近江商人189頁より」
顧客の望むときに売り惜しみせずに、その時の相場で損得を考えずに売り渡すことが、極意であるとする。つまり、これだけ人気のある商品を、こんな安い値段でうるのは悔やまれると思うような商売をせよと説くのである。これが、顧客を掴む極意。今でも、充分に通用する商売の基本であるだろう。
写真は、箱根の山を越えて江戸に向かう商人

3.深く驚くべからず・・・「近江商人192頁より」
堅実に商売していても、予想外の損失を受けるときがある。そんな時は、そうするのか。
一発逆転を狙って賭け事、相場に手をだしてはならないと説く。逆に損失を深めるだけであると警告する。大事なことは、戦線を縮小し、身をつつしみ、ひたすら時節の到来を待てとある。これが、現代人はなかなかできないことではと思う。
4.自覚をもつこと・・・「近江商人198頁より」
たとえ天秤棒を担いだような商人でも、自分のことばかりではなく、世の中の一員との自覚を持てと説く。「しまつしてきばる」という言葉がある。近江商人は、自身は倹約に勤め無駄を除き、懸命に働きく生活を第一とする。これを表現した言葉が、「しまつしてきばる」である。
5.浄土真宗の信仰こそ、行動の原点
上記、近江商人の「しまつしてきばる」の原点は、以外に思われるかも知れないが、強固な信仰心に裏打ちされたものであった。だから強いのであり。信仰心に裏打ちされてこそ勤勉、そして世間に対する奉仕・感謝が出てくるのであると、子孫に対する遺言で彼らは口をそろえていうのである。この信仰とは、浄土真宗のみ教えであった。
以下・・・明日に続く









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