2011年は東日本大震災という大きな災害がありました。人の歴史の中でいろいろありそのつど人は前進してきました。かならず乗り越えていくことと思います。
「朝の来ない夜はない」・・・
でも、ほんとうにがんばれば朝が来るのでしょうか。
FUKUSHIMA DAIICHI・・・わたしはそのことについてあまりにも知らな過ぎます。わたしだけでしょうか。
新聞やテレビや本や雑誌を見て、いろんな見方があることがわかってきます。原発が是か非か。脱原発か、原発は安全なものなのか・・・・・・わかりません。
こんな本を読んできました。
菅谷昭「チェルノブイリ診療記 福島原発への黙示」(新潮文庫2011年刊・・・1998年晶文社より刊行されたものの新版)
児玉龍彦「内部被爆の真実」(幻冬社新書2011年刊)
奥村宏「東電解体 巨大株式会社の終焉」(東洋経済新報社2011年刊)
ピエロパオロ・ミッティカ写真・著「原発事故20年 チェルノブイリの現在」(柏書房2011年刊)
新しい本を読んでいます。
広河隆一「福島 原発と人びと」(岩波新書2011年刊)
著者はフォトジャーナリスト、チェルノブイリ事故の報道に長年取り組んでいる。「チェルノブイリ子ども基金」の代表も務める。「あとがき」でこう書いている。
土地を愛し守り続けてきた人びと、生命につながる作物を作ってきた人びと、土地や森や海の恵みを大切にしてきた人びとがいる。
その人びとが今、その地から引きはがされ追放されていく。そして子どもたちをどのように守ればいいのか、なにを食べていいのかうろたえている。
もう一方には、原発事故が放射能という牙をむいてあらわにした、この世界を支配する原子力産業という得体の知れない巨大な構造がある。・・後略。
まだよくわかりません。
脱原発、原子力平和利用・・・どちらの主張も相手のことを誹謗せずに正々堂々とやってもらいたい。日本は言論の自由の国です。
風評被害報道、過剰報道、煽動報道・・・わたしたちは真実を知ればいいのです。チェルノブイリでは旧ソ連の報道管制で真実が顕かになったのはかなり後のことです。
東日本大震災のことを思い、ブログによる年末年始のご挨拶をひかえさせていただきます。
夜が明けることを願っています。
「朝の来ない夜はない」・・・
でも、ほんとうにがんばれば朝が来るのでしょうか。
FUKUSHIMA DAIICHI・・・わたしはそのことについてあまりにも知らな過ぎます。わたしだけでしょうか。
新聞やテレビや本や雑誌を見て、いろんな見方があることがわかってきます。原発が是か非か。脱原発か、原発は安全なものなのか・・・・・・わかりません。
こんな本を読んできました。
菅谷昭「チェルノブイリ診療記 福島原発への黙示」(新潮文庫2011年刊・・・1998年晶文社より刊行されたものの新版)
児玉龍彦「内部被爆の真実」(幻冬社新書2011年刊)
奥村宏「東電解体 巨大株式会社の終焉」(東洋経済新報社2011年刊)
ピエロパオロ・ミッティカ写真・著「原発事故20年 チェルノブイリの現在」(柏書房2011年刊)
新しい本を読んでいます。

著者はフォトジャーナリスト、チェルノブイリ事故の報道に長年取り組んでいる。「チェルノブイリ子ども基金」の代表も務める。「あとがき」でこう書いている。
土地を愛し守り続けてきた人びと、生命につながる作物を作ってきた人びと、土地や森や海の恵みを大切にしてきた人びとがいる。
その人びとが今、その地から引きはがされ追放されていく。そして子どもたちをどのように守ればいいのか、なにを食べていいのかうろたえている。
もう一方には、原発事故が放射能という牙をむいてあらわにした、この世界を支配する原子力産業という得体の知れない巨大な構造がある。・・後略。
下の写真は雑誌「AERA」の12月発売号から、児玉龍彦氏と南相馬市長との対談。


まだよくわかりません。
脱原発、原子力平和利用・・・どちらの主張も相手のことを誹謗せずに正々堂々とやってもらいたい。日本は言論の自由の国です。
風評被害報道、過剰報道、煽動報道・・・わたしたちは真実を知ればいいのです。チェルノブイリでは旧ソ連の報道管制で真実が顕かになったのはかなり後のことです。
東日本大震災のことを思い、ブログによる年末年始のご挨拶をひかえさせていただきます。
夜が明けることを願っています。
活字を追うのが億劫になりました。
3,11以来すべてのもの、すべての人間の眼が東北に注がれています。
1日も早い復興が待たれます。
この1年お世話になりました。
ヒキノさんには教えてもらうことが沢山で、また『秩父』の画像をふんだんにupありがとう御座いました。
良き年を迎えてください。
☆ 新春は 安寧の年 祈るのみ
真実! 戦争中もそうでしたが、時の権力者の姿勢で、真実が明かされないことが多いように思います。今回の原発事故でもまだ本当のことが隠されているようにも思えます。
きっと今年は、人間不信になった人が多かった反面、人々が助け合うという忘れていたことを思い出して、人間捨てたものじゃないと思う人も増えたと思います。
来る年はどこまで出来るかわかりませんが、渋谷りつ子さんを見習って出来るだけ「欲」を捨てていこうと思っています。
来年は少しでもどうか良い年になりますように、お祈りして居ります。
私共の隣の県の福井県は、原発銀座とも言われています。
多くの原発が有り、今回のような震災が起きたならばと
考えるだけで不安になりますが…
新しい年はどの地域においても、災いのない年にと願っています。
本年もブログではお世話になりました。
有難うございました。
来年も宜しくお願い致します。
(へな爺)
名句に対する迷句をコメントさせていただいています。お笑いください。
来年はいい年にしたいものです。
福島原発のことが頭から離れません。浅学ですからどのように語っていいかわかりません。
ネットを見ると児玉教授の衆議院の委員会のYuuTubeに何10万という閲覧者がいます、一方掲示板で、児玉教授、広河隆一、山本太郎に対する誹謗がひどいです。人を貶めて何の得があるかわかりません。
福島原発の収束宣言は終わりの始まりです。
長く生きていたものは次世代も長く生きられるようにする責任があります。
小さな声でもこうした場所で声を上げて行きたい。
中部地方の四季の移り変わりを見ることは信州生まれのわたしには喜びです。
原発・・・平和利用か、脱原発か、絶対安全なものか・・・わたしにはわかりません。
福島のこれからを無関心ではなくウォッチしていきたいと思います。
来年もよろしくお願いいたします。
今は苦しいかもしれないですが、きっとあんな事もあったよなぁ~と
思い出として語る日が来る事を信じています。
正直難しい話は良く分らないですけど
ただみんなが納得できる結果を出して欲しいなと思います。
今日の夕方には夏に行われた猪苗代湖ズのライブのテレビを見て
思わずもらい泣き…きっと涙の中から人って立ちあがって行くのかなぁ。
そんなふうに思いました。
頑張らなくっちゃ! 福島県でも会津の被害は少なかったですけど
だからこそ、元気発信地にならなくちゃと思います。
時間はかかるとは思いますが、きっと夜は明けると思います。
そうなってくれればいいいのですが。
若いとき会社の営業で常磐線に乗って浜通りの町々のお得意様回りをしました。富岡、双葉、浪江、原町、相馬・・・思い出の地区です。どうなっているか心配です。
ネットで地元の人の撮った震災直後の姿や一時帰郷のとき撮った写真など見る辛い写真が並んでいます。
がんばっていってもどうにもなる問題ではありません。心が痛みます。
いちばんいい解決法をしてほしいです。
おめでとうございます。
初コメントをお礼を兼ねてさせていただきます。
博学になるための努力を欠かさない姿勢には頭が下がります。
繰り返して投稿されている震災被害に対する思いがよく伝わってきます。
テレビや新聞報道で御地では町を挙げて難民受け入れされていることが伝わっています。
ヒキノさまが率先して活動されてる様子が見えるようです。なによりも身近におられる避難者の方々に接しての情報が一番だと感じています。
8日開催の嵐山町でのイベントへ来られるとすればすれ違い出来るかもしれません。
わたしにできることは民間の宣伝活動かもしれませんね。もう少し若ければボランティアにも行きたいのですがもう年ですしね。
いま、必要なのは他人事と思わないこと、無関心ではいけない・・・ということだろうと思います。
大地震と大津波は三陸海岸では何年かの周期に起こっていたこと、今回は想定を上回りました。でも人災は、人の絆で復興できると思います。三陸の人はそのつど立ち上がってきました。今回の天災はもう少し山の上に家屋を造ればもう少し違っていたでしょうが。
でも原発は違います。人災です。自然の猛威を計算で想定できるというのは人間の驕りです。田老では高さ10.8m、底辺30mの防波堤がいとも簡単に掘り起こされたそうです、原発の建屋をそれ以上にすれば安全かというとそれも保障できません。
目に見えないものが大気圏に撒き散らされました。チェルノブイリがたいへんなことになっているということを最近知りました。
いままで戦争にも巻き込まれなかった世代です。ありがたいことです。これからの世代も平和に過ごして貰いたいのです。
「死んで花見が咲くものか」
「命(ぬち)こそ宝」・・・といいます。
知らないことばかりです。博学云々はおやめください。博学なんて何の役にも立たないものです。
またコメントください。ありがとうございました。