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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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織都・・・桐生の・・・街並みを見た

2010-05-12 | 道をゆく 関東
5月6日・・・GWも終わった・・・天気もいい・・・でもって赤城の山まで物見遊山に。
春まだ浅き赤城の山・・・芽吹き前で・・・大沼湖畔、覚満淵湿原はまだ冬が明けたばかり。
赤城の山は今宵かぎりでもないし、可愛い子分もいるわけではないので・・・山を下って桐生の街に。

突然の真夏日、暑さにヒイコラいいながら水道山公園に登り桐生市街地を眺めました。背中位置が渡良瀬川左岸の足尾山地(安蘇山地とも)、見下ろして街の真ん中に右から左へと渡良瀬川が、左背中側から桐生川が流れてきて渡良瀬川に。正面の山は八王子丘陵。この丘陵の先は関東平野。
桐生は渡良瀬川が足尾山地から関東平野に流れ出す地点の谷口集落です。

街並みを歩いています。桐生は近代遺産の多い街です。
有鄰館・・・古い古い商家です。3765㎡(1100坪強)、お店と11棟の倉庫群。本町通りに面して、むかしの酒屋さん(矢野本店)が・・・いまは喫茶「有鄰」。

喫茶「有鄰」、土蔵の横はむかしの工場の敷地、そしてレンガ倉庫、NPO法人「有鄰館友の会」の運営のでさまざまなイベントに使われている有鄰館。敷地の奥は駐車スペース、倉庫内の見学、貸し自転車など、今日は休館日。
1717年近江から来た矢野久左衛門がここに定住、商いを始め、以来300年、今日に至る。いちばん古い倉庫で1843年、新しいのでは大正期の1920年まで、深谷の日本煉瓦のレンガを使った倉庫もあります。休刊日のため見学できませんでした。

有鄰館の近くに無鄰館?・・・たしかにここは何にもないのかなあ? ノコギリ屋根のかつての工場・・・いまは芸術家集団のクリエイティブの工房として、また芸術活動の発表の場として使われているようです。ここもまた休館日。

有鄰」とは論語の「徳不孤 必有鄰」という言葉から。「有徳者には人が慕って寄ってくる」(大辞林)という意味だそうですが・・・権力者にすり寄る金権亡者みたいですね・・・わたしは「徳のあるといわれる人も、まわりの人が扶けなければ一人では何もできないよ」と解釈していました。

桐生・・・かつての織都・・・織物の街です。
奈良王朝時代・・・製糸技術集団が中央から移住したといいます。匠の集団は唐国人たちだったでしょうか。以来、西の西陣、東の桐生として、この国の製糸、撚糸、染織、縫製の中心になります。江戸時代徳川幕府は直轄領(天領)として管理、1800年前半には近代工業制手工業(マニュファクチャー)が兆します。明治期には早々と両毛線が開通、足利・桐生は東洋のマンチェスターなんて呼ばれました。大戦後、化学繊維の発達、衣の生活環境の変化により絹織物業は衰退したが、自動車部品工業などに変換して今日に至っている。

街には近代文化遺産がいっぱい。織都桐生を代表するのが無鄰館で見られるようにノコギリ屋根の工場群。1940年代の最盛期には500を超えたといわれ、いまも約220棟が現存するようです。産業革命が進む中で1900年代初頭にイギリス織物工場で建てられたという鋸屋根の工場、明治の初め1889年に大阪紡績で導入・竣工、桐生の鋸屋根工場は1900年前後に続々建てられたと思われます。手工業からある程度の面積を使う柱の少ない工場に、採光という利点が大きかったのでしょう。そのご建築方式も変わり照明技術も変わり、織物工場自体も衰退したため減少してきました。いまその再生化、活性化に取り組んでいるようです。 
コーヒーを飲みたくなりました。鋸屋根のパン工房に行きます。


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