比企の丘

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浅間山天明の大噴火・・・鎌原(かんばら)観音堂

2011-10-23 | 道をゆく 関東
9月19日、もう一ヶ月前の見聞録、今回で終わりにします。
信州塩田平から長野・群馬境の地蔵峠を越えて上州嬬恋村(つまこいむら)に。湯の丸高原、鹿沢高原から県道94号線を下りていくと田代という集落で国道144号線(大笹街道)に。JR吾妻線「万座鹿沢口駅」から鬼押し出しハイウエイを少し軽井沢方面に、道路際に嬬恋郷土資料館、鎌原観音堂が。

鎌原観音堂・・・天明三年(1783年8月5日)浅間山大噴火(浅間焼け)。鎌原村(現嬬恋村)を襲った火砕流、土石流に襲われた村人は少し高台にあった観音堂の石段を駆け上りました。当時の村人570人、石段を上ってかろうじて助かった人と他村にいて助かった人、あわせて93人。477人が土石流に飲み込まれたといわれます。

観音堂の下から50段あったという石段、今は15段が見えます。
35段と15段の境目が生死の境目といわれます。

観音堂の横に鎌原観音堂奉仕会の人たちが接待する湯茶が。
なにやら書き物をしているオジサンが・・・写経かな?

観音堂奉仕会は1979年鎌原観音堂あたりの発掘が始まった時に発足したといいます。何班かに分かれて当番制で観音堂の清掃、訪れる人のために湯茶の接待をする鎌原地区の自主的なクループ。

観音堂下にある延命寺の石標
浅間焼けの120年後、20km下の吾妻川で見つかったといいます。

9月18日19日、2日間にわたった旅はこれでお終い。軽井沢に抜けて埼玉県に帰りました。

《余録》天明の大噴火といわれる浅間焼け、噴火活動にともなう地震が山肌を揺り動かし岩山を崩壊させ、溶岩、火砕流がそれを呑み込んで土石流となって裾野の村を襲い、野や谷を埋め天然のダムを形成、それが決壊して吾妻川から利根川に(浅間焼け泥押し)、遠く江戸川の河口まで死体が流れ着いたといいます。死者約1500人。流域の農業用水網もズタズタにされ空前の不作に。天明の大噴火と天明の大飢饉(死者10万人)と因果関係は?、天明の大飢饉は同年のアイスランドのラキ火山の大噴火の影響といわれています。この火山の噴煙は北半球をほぼ覆い世界的な凶作に。

災害救助法、激甚災害財政援助法など無い時代です。そのとき歴史がどう動いたか・・・???


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