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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

東松山市の・・・原爆の図・・・丸木美術館・・・明日は「ひろしま忌」

2013-08-05 | 絵画、彫刻
8月4日、埼玉県東松山市・・・原爆の図・・・丸木美術館仁行ってきました。
ユネスコ世界記憶遺産「山本作兵衛・・・炭坑記録画」見るためです。

丸木美術館・・・左側が展示館。

展示館の前にある「八怪堂」・・・休憩したりするところのようです。
8月6日の「ひろしま忌」のとうろう流しの準備をしていました。

美術館の受付、入館口です。「ひろしま忌」当日は無料開放のようです。

今日は2011年ユネスコ世界記憶遺産登録の山本作兵衛の炭鉱画を見に来ました。




(撮影8月4日、カメラはLUMIX DMC TZ27)

山本作兵衛(1892~1984年)・・・炭鉱労働者、炭坑記録画家、福岡県筑豊生まれ、7歳のとき親の手伝いで炭坑内に。以来、半世紀にわたり炭坑で働く。1958年、66歳のころから「子や孫にヤマの生活や人情を残したい」と自分の記憶や他人からの伝聞を頼りに炭坑内の労働の風景、選炭工程、鉱夫の日常の風景など、実に細密に描き、余白に丁寧でわかりやすい説明文を記述しています。

褌いっちょうの男たち、腰巻1枚でオッパイ丸出しの女たちが、坑内で額に汗して働いていたヤマの物語です。

福岡県田川市で当初、市内に残る炭鉱遺産群を「九州・山口の近代化産業遺産群」の一環として世界遺産に登録申請、却下されたが、そのときに資料として添えた山本作兵衛の絵画が海外の専門家から高く評価されため、あらためて田川市と福岡県立大学で世界記憶遺産に登録申請、2011年、日本初の世界記憶遺産として登録された。

世界記憶遺産(MOW・・・Memoru of the World) ・・・ユネスコの主催する事業の一つ。



8月6日・・・丸木美術館でひろしま忌が行われます。広島に行きたい・・・だけど行けない・・・そんな人のために・・・

大田川で行われるとうろう流し・・・美術館のすぐ下を流れる都幾川で行われます。

いちど訪れてみてください。

※「ひろしま忌」の過去ログ→クリック


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五月最後・・・上野の森で・・・ラファエロを見た

2013-06-01 | 絵画、彫刻
5月30日、上野の森・・・「国立西洋美術館」まで来ました。・・・国の登録記念物・・・だそうです。
国立西洋美術館・・・1959年完成、フランスの著名な設計者ル・コルビュジェの設計。ル・コルビュジュが設計した世界7カ国23の建造物と含めて2008年フランス政府が世界文化遺産に登録推薦文を提出、2009年登録見送り。再審査を申請か?

5月30日、上野の国立西洋美術館・・・今日は「ラファエロ展」です。

前にはロダンの「考える人」のブロンズが。

ラファエロ・サンティ(1483~1520年)・・・イタリアの画家、建築家。ラファエロ、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチを盛ルネサンス芸術の三大巨匠と呼ぶ。中学生のころの美術でこの人の絵を教科書で見ました。この時代、芸術家は貴族の庇護を受けて生活しており、ギリシャ神話、キリスト教に題材を得た作品が主となりますが、その中で聖母マリアに名を借りて豊満な女性の肉体をみずみずしく細密に画いています。ただラファエロの絵は完全すぎて、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチのような強烈さがなく日本ではこの二人の陰に隠れているようです。とはいってもこの二人に勝るとも劣らない画家であることは間違いありません…芸術を比較するなんて・・・ナンセンスです。

ラファエロ展」を見たあと、常設展に。ここは松方コレクションを主体に素晴らしい作品が収蔵されています。東京に近いところにいたら毎月でも行きたいところです・・・ここはフラッシュを光らさなければ撮影はOKです。
ピカソの「男と女」、レオナルド・フジタの「座る女」、ミレーの「ダフニスとクロエ」など見ました。



上野の森・・・西洋美術館・・・ミロの絵が「見ろ」といっていた

2011-06-09 | 絵画、彫刻
6月3日、ある人と逢い東京国立博物館へ。
次に国立西洋美術館へ。前庭のロダンのブロンズ、フランスの著名な設計者ル・コルビュジェの設計による建物の説明は省略。過去ログ・・・クリック→上野の森は④・・・芸術の森だ(2010年4月5日)・・・をごらんください。
別に美術大好きじゃないのですが、こういうところ落ち着きます。心が癒されるのです。
さて、入館しました。ここも特殊なものをのぞいて撮影可です。

見ろ」・・・ミロ・・・の絵がそういっています。

上左はピカソ、右はゴーギャン。下左はゴッホ、右は藤田 嗣治


モネの「睡蓮」です。モネ(模ね・真似)しないで。

国立美術館を出て上野駅から浅草雷門へ。「天婦羅定食」でランチ&ビール、スカイツリーを隅田川公園(滝廉太郎の「花」に出てくる)の長堤から眺めました。「のぼりくだりの船びと」はあまり見られませんでしたが浜松町日の出桟橋と浅草を結ぶ水上バス隅田川ラインが吾妻橋袂の桟橋に着く風景です。東武鉄道の鉄橋が見えます。


美術館巡り、浅草を仲見世から新仲見世と歩き、いい日を過ごしました。

東京国立博物館で・・・「何でも鑑定団」の真似をした

2011-06-08 | 絵画、彫刻
6月3日、ある人と逢い東京国立博物館へ。生まれてこのかた2度目。
1972年湯島の聖堂で「大博物会」が開かれ、これが日本で最初の「博物館」といわれ、その後いろいろあって旧上野寛永寺本坊跡にいろんな建物が建って、1923年の関東大震災でほとんどが大破、1938年再建されたのが現在の本館(重要文化財)です。


ちょうど「写楽展」を開催中。入ったのですが1m1分刻み、行列が嫌いで「シャラクセ~ッ」と途中で棄権。

前田青邨「花売り」、小林古径「罌粟」(けし)が並んで展示されていました。
罌粟」の絵は80円切手で見たことがあります。
横山大観「無我」、岸田劉生「麗子像」を見たかったのですがお蔵でお休み中。

むかしは美術館、博物館というと撮影厳禁でした。ここではいまは撮影不可という表示があるもの以外はOKです(フラッシュ不可)。違反したときは係員がスッ飛んでくるのでわかります。カメラの性能が良くなり館内の照明でも撮れます。ただガラスケース越しですからうまくは撮れません。どこの美術館でもというわけではないですから聞いてみてください。

博物館北側にある日本庭園をガラス窓越しに撮影。旧上野寛永寺の庭園。なぜか明治の財閥、華族などの由緒ある草庵、茶室などを移築。
春、秋に期間限定で無料開放、春の江戸彼岸桜、御衣黄桜など10種類の桜が咲くころはそれはそれは素晴らしいそうです。


博物館だから古代の土偶から埴輪、陶器、磁気、漆器、日本画、洋画、仏具、仏像、刀剣、筆跡・・・なんでもある。
東京某テレビ局の人気番組「開運何でも鑑定団」の先生を気取ってフムフムと頷いて見る(何もわかってない)。

次ぎ・・・国立西洋美術館に行こう(東京でいちばん安い遊びです)。

天空の国ネパール・・・「ドルポ」の天才画家・・・テンジン・ヌルプ展・・・富岡製糸場に行った

2010-12-24 | 絵画、彫刻
12月24日、ヒマラヤの麓ネパールの最北の地ドルポに生まれた画家テンジン・ヌルプの絵画展に行ってきました。会場は明治5年(1872年)に建造された群馬県富岡市の旧官営富岡製糸場跡

テンジン・ヌルプと合掌してナマステと挨拶。写真の左がわたし?です。
テンジンは青年期をカトマンドウで過し流暢な英語を話し世界を旅してる知識人です。彼の眼から日本や世界がドウ見えているか・・・わたしにはわかりません。

テンジンの画集を買いました。彼の活動(Dolpo Local Help Association・・・教育支援組織)のサポートに。
画集に描いてくれた馬のイラストとサイン。数分。細密で繊細。


展覧会場は木筋レンガ造りの乾燥繭の貯蔵庫跡。

素朴です。倉庫は表から見ると赤いレンガ、中は白い漆喰で固められています。138年前そのままと思います。
そんな飾らない展覧会場、木製のイーゼル風のものに絵が架けられています。

チベット仏教の僧侶でもあるヌルプ・・・その絵は・・・素晴らしい・・・とわたしは思います。
ご婦人が1枚の絵の前で・・・ネパールの西のさらに北のチベット国境に近い村ドルポの風景です。麦が実り人々が談笑している・・・日本の農村風景と同じです。


ヌルプの描く絵の世界。ヒマラヤの奥深く、数100年前にチベットから移住してきた民族、仏教を信じ生きています。文化というのには程遠い世界というのはわたしたちの勝手なイメージかもしれません。ヌルプは群馬県西上州、特に南牧村が気に入ったそうです。そこにドルポと同じ山に住む人たちの心を見たかも知れません。

旧官営富岡製糸場跡・・・世界遺産登録申請とか・・・そんなことはおいておいても後世に伝えたい歴史遺産であり建造物遺産です。


内部から見たレンガ造りの繭貯蔵庫・・・計ったわけではありませんが二間おきに1尺の柱が立ち、1尺×5寸の横桁が2本、レンガの外まで出ています。出桁構造ともいえます。
地元の木材を使い、地元で焼いたレンガ、地元の漆喰を目地にした建物。柱や梁を釿(ちょうな)で削った跡が見えます。140年前の匠の技です。
富岡製糸場については→2010.3.4のブログ「明治の夜明け・・・富岡製糸場がここに出現した」をごらんください。


富岡製糸場東倉庫の半分、はじめて内部を見ました。内装や照明など何も手を入れてないのがいいです。照明など若干の補修は必要でしょうが140年前そのままの雰囲気を残して文化の発信地にできるような気がします。まずは地元から、いろいろなサークルの活動の場にして、それが全国区に発展していく・・・そんな姿をイメージしました。

いい絵を見て心豊かになった1日でした。

※この絵画展の主催はNPO法人アース・ワーク・ソサイエティー、後援で(社)日本山岳会、(社)日本ネパール協会。富岡会場については仕掛け人kajika's Blogをごらんください。

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ヒマラヤの天才画家・・・テンジン・ヌルプに逢いに行きたい

2010-12-14 | 絵画、彫刻
晴れわたった西上州の奥深く・・・南牧村です。
立岩が聳えています。日本のアイガーとかドロミテとかいう人もいますが違います。
この山は日本の南牧村の立岩です。1265m・・・三角点のない山ですが素晴らしい顔をしています。
(写真は2009年11月21日撮影)

そんな立岩の麓の南牧村の「かじか小屋」のご主人から連絡をいただきました。

昨年11月21日南牧村の活性化センターで開かれたネパールの天才画家テンジン・ヌルプの絵画展
今年の12月23・24・25日・・・ふたたび今度は会場を富岡製糸場に変えて行うというお知らせです。

昨年11月21日、テンジン・ヌルプに会ったときの写真です。
ちょっと上がってしまって握手だけ。
ナマステ」という挨拶を忘れてしまいました。
また、逢いたいですね。今度は合掌して「ナマステ」と挨拶しよう。
テンジン・ヌルプ・・・その絵については説明すると長くなるので昨年の11月21日のブログ→「秋の南牧村・・・ヒマラヤの天才画家テンジン・ヌルブに会う」をごらんいただければ。


テンジン・ヌルプ」の絵や昨年来日したときの南牧村での様子は→kajika's bogにいっぱい載せられています。


テンジン・ヌルプ展
12月23・24・25日 10時~16時 
●会場 群馬県富岡市 旧官営富岡製糸場

かじか小屋についての過去ログは↓
2009.7.5・・・・ふたたび上州南牧村へ・・・ジンギスカンで・・・大宴会
2009.7.2・・・・西上州・南牧村を行く・終章・・・蕎麦を食いたかった
2007.6.10・・・西上州の山・・・立岩

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上野の森で②・・・芸術にひたる・・・ボルゲーゼ美術館展

2010-04-02 | 絵画、彫刻
久しぶりの上野の森、東京都立美術館に来ました。JR上野駅公園口からすぐに国立西洋美術館、その脇から国立博物館前の大噴水を横目で見ながら都立美術館へ。


・・・ボルゲーゼ美術館展・・・ローマの大富豪ボルゲーゼ家の主に15~16世紀(ルネサンス期)の美術コレクションです。
ボルゲーゼ家って?イタリア・ローマにある大富豪、ローマ教王パウルス五世を輩出した枢機卿の家柄、枢機卿って・・・ローマ教会の最高級位の神職者、???何でそんなに金持ち???
中世ヨーロッパは神職者が政治経済のすべてを独占的に握る特権階級の世界。彼らは芸術家のよきパトロン。ルネサンス期の芸術家たちの絵画をお買い上げ。そういうことがないと芸術家は食えないというのが現実でした。芸術家というより工房の職人みたいなものです。絵画のモチーフはギリシヤ神話、聖書に基づくものです。これにもわけがありますが省略。
パトロンによる芸術、聖書を素材にした絵画はルネサンスが進み、グーテンベルクの印刷機の発明、マルチン・ルターなどの宗教改革などにより違った方向に進み出しますが、その話も省略。

ラファエロ(ラファエルとも1483~1510年)の「一角獣を抱く貴婦人」・・・です。何となくダ・ヴィンチの「モナ・リザ」に構図が似てると思いませんか。同じ時代に生きた画家。接点はあったかどうかはわかりませんがラファエロはダ・ヴィンチの模作による勉強をしきりにしたといわれます。一角獣(ユニコーン)はギリシヤ神話に出てくる伝説獣。

左の絵は作者不明・・・ダ・ヴィンチの「レダ」の模写。ギリシア神話の主神ゼウスが白鳥に化身してアキレスの王の妻レダを誘惑するという不謹慎きわまるエロチックな題材は古今を通じて物語・絵画・彫刻などに多く使われている。愛の賛歌でしょうか。
右の絵はカラヴァッジョ(1571~1610年)の「洗礼者ヨハネ」。新約聖書のヨハネ伝でおなじみ。この絵は男らしくなく、女にしては肉感がない。不思議な(ホモ・セクシャル?)世界です。映画「カラヴァッジョ」(1986年)。「カラヴァッジョ天才画家の光と影」(2010年)が公開されている。
  
                                     
                                          (絵の写真は絵葉書から)

素晴らしい時間を過しました。神話や聖書から題材をとった絵画ですが、中世の画家たちの本音とも言える俗っぽい生命感が伝わってきます。

桐生の街を行く・・・大川美術館

2010-02-08 | 絵画、彫刻
2月5日に桐生市の大川美術館をたずねました。
1988年開館、大川栄二というかたの個人最大のコレクション(7500点余)です。

大川美術館に興味を持ったわけ・・・司馬遼太郎の「街道をゆく」の挿絵画家須田剋太・・・この人の作品を見たのが埼玉県吹上町(剋太の生地)の公民館。ちょっと興味を持って調べたら大川美術館に作品があるということがわかりました。いつかたずねてみようと思っていたのです。

桐生市の水道山公園の山の中腹にヒッソリと・・・
元第一勧業銀行社員寮を改造。正面は地味ですが山の斜面に沿って4Fに展開する素晴らしい空間です。

美術館の下側から見た景観。

玄関の横の階段を下りた庭に・・・
北村西望(長崎平和祈念像の作者)の「将軍の孫」・・・ブロンズが。

大川栄二(1924~2008年)・・・旧制桐生高等工業(現群馬大学工学部)、三井物産、ダイエイ副社長、マルエツ社長、ダイエイファイナンス会長。実業人として最高峰を極めた人ですがサラリーマン重役です。40年間コツコツとコレクションしたそうですが凄いですね。
引退後、財団法人大川美術館を設立、建物、コレクションを寄贈。
所蔵品はピカソ、ルオー、藤島武二、中村不折、中川紀元、青木繁、藤田嗣治、三岸好太郎、三岸節子、国吉康雄、ルノワール、ローランサンなど・・・知ってる名前だけあげました。ほかに(安宅産業のオーナーの)旧安宅コレクション、(パイオニアの創業者の)松本コレクションなどが所蔵

各展示室には椅子もあり、監視人もいないのでユッタリとした時間を楽しめ、最下段のフロワーには喫茶室があり、庭をとおして桐生の街を見下ろすことができます。
美術館・・・真剣になってみるも良し、リラックスして癒しを求めるのも良し、人それぞれの見方があります。何回かたずねてみたいところです。
帰るとき受付の美しい女性にいろいろ尋ねました。至福の時間です。

桐生といえば織物の街、むかしは織機の音が街中に響いていたそうです。ノコギリ屋根の工場、いまではほとんど見ることができません。見学可のノコギリ屋根工場もあるようです。美術館の美形のかたに教えていただき訪ねてみようと思いましたが時間がありません。次の機会にします。

秋の南牧村・・・天空の国ネパール・・・ドルポの天才画家テンジン・ヌルブに会う

2009-11-21 | 絵画、彫刻
11月21日・・・西上州南牧村・・・星尾の奥、大上集落のビューポイントから名峰立岩(1265m)・・・

さて今日の南牧村訪問はヒマラヤの天才画家テンジン・ヌルプさんの絵を見るためでした。


会場の南牧村活性化センター
テンジン・ヌルプ・・・
ネパール国ドルボの人。
ドルポってどるぽだろう
ネパールの北西、中国チベットに近い。yahoo地図検索ではわからなかった。僧侶にして探険家河口慧海(1866~1945年)も通った道らしい。

この絵・・・どこかで見た覚えのある人はヒマラヤ通か山好きな人か映画好きの人です。
         
(上は絵葉書、下はパンフレットより)

映画「キャラバン(日本語題)」(1999年公開)、HIMARAYA(英語題)・・L'ENFANCE D'UN(仏語題)
映画は見ましたがよく覚えていません。ヒマラヤの雄大な自然とそこに展開されるネパールの奥深くの民族の生活に圧倒されました。
最後のころに映し出された絵が強く記憶に残っていて・・・・・

つい最近「kajika's blog テンジン・ヌルブ氏来日」でこれを知り見に来ました。


会場でテンジン・ヌルブさんと握手、ツーショット。
言葉が通じないので仏教の合掌で挨拶。

    

絵画展は21日(土)、22日(日)、23日(月)
西上州南牧村活性化センターで。
興味のある方はぜひどうぞ。
会場のアクセスなどはこちら
「kajika's blog テンジン・ヌルブ氏来日絵画展」
 
素晴らしい絵です。下地は紙?岩絵の具のように見えます。代々続く僧侶の家柄、お父さんは宗教画家、小さい時から岩絵の具を粉砕したりする仕事を手伝い、父の仕事を背中から見て身につけたのでしょう。インドの宗教画にもこんな絵があるかも。北斎の影響もあるようです。大観、春草にもこんな感じがあります。たしかな表現力ですがほとんどフリーハンドで描くそうです。世界に一つのヌルブの世界です。

西上州の険しい山の中の集落・・・南牧の風景に・・・どこかピッタリする絵です。

《脱線》テンジン・・・チベット語で「仏様の教えを守る」という意味だそうです。エヴェレスト初登頂をヒラリーと成功させたシェルパのテンジン・ノルゲイが有名、ダライ・ラマ14世の本名がテンジン・ギャツォ。シェルパ族の人もドルポの人もチベットが先祖なんですね。

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石州津和野・・・安野光雅の世界

2009-08-13 | 絵画、彫刻
津和野・・・山口市から木戸峠、野坂峠を越え、ようやくやって来ました。
津和野川の谷間の小さな盆地の街。

安野光雅美術館。SLの走るのが似合う「津和野(つわ乃)」駅のそば。

絵本作家として誰でも知ってる画家であると思います。知らないかたでもお子様を育てたかたならお子様の読んだ絵本の中にに安野さんの作品があるのではないでしょうか。
わたしが安野さんをはじめて知ったのは子どもに買ってやった絵からでした。
今でもあのときの絵本の安野さんの絵が好きです。
あれはたぶん安野さんが有名になる前、苦難の時期の作品だったのではないでしょうか。

安野ワールド」・・・優しい、懐かしい、暖かい・・・独特なタッチ。

安野光雅(1926年~)昭和1年津和野生まれ。戦争から帰って無資格教員、のち山口師範学校研究科終了、1949年上京、教師をしながら画家を目指したようです。1968年「ふしぎなえほん」(福音館刊)でデビュー、43歳のときといいますから遅咲きです。そのご世界に認められる絵本作家、イラスト作家、装丁作家に。額縁に入った作品の画家ではなく出版物を通じた画家ですが、芸術とは何でもありの世界ですから、わたしの最も好きな画家の1人です。

安野光雅美術館のパンフレット「ごあいさつ」の上の絵からからコピー。
安野さんのもっとも安野さんらしい絵であると思います。
津和野の街や山や川や野や畑を見て、どうして安野さんの絵があんなに優しいかよくわかりました。

ぜんぜんレベルが違いますが安野さんの画風をまねた(パクッた)わたしのイラスト。
津和野に入る手前、山口県阿東町辺り。赤い石州瓦の農家の風景。


津和野は文豪森鴎外の育った古い城下町、SLの走る谷間の町、そして画家安野光雅の絵の世界の町です。


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