片付けをしていたら、これだけの習作…というか練習が出てきたのです。
部分の練習をしたり、金箔貼りの実験をしたりしていました。
これを少しずつ仕上げて被災地へ贈ろうと思っています。
今日の日曜美術館のエルグレコは番組としてもとてもよかったですね。
宗教画家はいつの時代も自分が表したい絵と
教会の決まりの間で悩むのですね。
400年も前の画家の絵なのに
テレビの画像なのに
ありありとリアルに感じられました。
ただ、番組の中で平野啓一郎さんが
イコンとエルグレコの表現を比べて
「イコンは静かでおとなしい」というようなことを言われたのですが
それには「平野さん、あなたまだイコンの読みが浅いよ」と私は言いたかったです。
実際にイコンを描いていますと
あのおとなしく止まったように見えるイコンが
実は
たいへん激しい感情を持ったものであると私は思っています。
母(マリア)は子(ハリストス)の運命を感じていますし
ハリストスの動作ひとつでも、大きな意味があります。
描いていますと、イコンは動いていることがわかります。
日本古来の絵に例えると仏画より「源氏物語絵巻」の動きの方がわかりやすいかもしれません。
引き目鍵鼻の無表情の登場人物たちの内心が激しく動いています。
決して止まった静かな絵ではありません。
神様と私たちの間の神父様という存在は、
この「激しさ」を制する役目もあるのかな?と思ったりします。
天界と人間界のどちらも持つ「激しさ」のバランスをとられているお役目ではないか?と思ったりします。
私にはエルグレコの絵の方が制限(表現の限界?)があるように思えたくらいです。
平野さんとは反対に私の目にはエルグレコの絵の方がおとなしい絵に見えました。
宗教画は単純化されるほど、観る人々に想像力を与えます。
単純な中に隠された表現を見抜く目も必要です。
エルグレコの展示を観に行けたらと思います。
夜に、山下達郎の35周年の特集番組を見ました。
ニューミュージックと呼ばれたシンガーたちは私より10年ほど年上で学生運動の時代を過ごしています。
達郎は大好き。
アリスもさだまさしもユーミンも好き!
あのお兄さんやお姉さんたちの歌を聞いて大学に通って絵を描いていましたから。
彼らの歌を聞くとパワーが出ます。
静かだけど力強い歌詞が多いです。
達郎の35周年のCDを買いたいと思います。
今、ちょうどNHKスペシャルで殷の甲骨文字についての番組をしていますね。
殷の文字が周に流れていった。
話す言葉は違っても意味の理解できる漢字があったから交流できたといいます。
イコンもそうです。
描かれた意味、感情をイコンを見る人は読みとります。
漢字は神様の意志を人間に伝えるために現れた。
音楽もそうです。
絵もそうです。
芸術を表す人間はこの根本を忘れてはならないと思います。
イコンのことで動きますと
私には必ず「お知らせ」があります。
必ず何かあるのですから、現実なのです。
実は、植物画教室の日にちを1週間違えて教室に入ってしまいました。
なんだか教室の平均年齢がお若いなぁ~と思っていましたが
席についてもなかなか気づきませんでした。
しばらく経って先生が
「なんでいるのだ!?」というような顔をされて
や~っと気づきました!
1週間違えて来てしまいました。大失敗があっても全然へこまない私です。
このバカな頭とつきあって50年ですから、悩んでもどうしようもないのです。
そこで、時間ができましたので
まだゆっくり見たことのない新しくできた部分の「さんすて岡山西館」へ来ました。
岡山駅にあるショッピングビルです。
初めて4階にあがり、出会ったのが写真の紙のクリスマスツリーです。
ちゃんと聖母子が待っていました。
売り物ではなくて、ディスプレイとして出したばかりだそうです。
オランダの子どものためのペーパークラフトだそうです。
木の部分の切れ目にオーナメントを差し込むだけです。
イコンのオーナメントがありました。オランダはイコンあるのかな?
unico (ウニコ)と言う名前のインテリアのお店です。
スタッフのお嬢さん方がとてもかわいくて親切で、
ツリーはどこから販売されているのかわざわざ調べてくださいました。
許可をいただいて写真を撮らせていただきました。
ありがとうございました。
イコンに関しては、こんな偶然が度々あります。
ですから、神様は見ているのだと思えます。
そのあと、タリーズのチェリーパイアイス160円です。
久しぶりにゆっくりして帰りますね。