武蔵境散歩道

武蔵境とその周辺を散歩徒然

中島飛行機三鷹研究所

2018-07-01 05:00:00 | 歴史
中島飛行機三鷹研究所

 巨大な軍用機メーカーだった中島飛行機は、飛行機の開発を、群馬県の太田、小泉、東京の荻窪と分散して行っていた。
 そこで、開発部門を一か所に集め、研究開発の拠点として構想されたのが、中島飛行機三鷹研究所でした。
 買収した土地の面積も非常に大きく、今の国際基督教大学(ICU)、SUBARU東京事業所、野川公園、武蔵野公園などが中島飛行機三鷹研究所の敷地でした。
 
 1941年12月8日に地鎮祭が行われ(この日が真珠湾攻撃の日)建設が始まりましたが、資材不足等や戦争の激化もあって完成は大幅に遅れ、主要な建物が完成したのは、1944年の春頃であり、結局一部の部門の移転にとどまった。

 三鷹研究所の研究本館(設計本館)は、現在も国際基督教大学(ICU)の大学本館として使われている建物である。当時は3階建てであったが、戦後大学の校舎にするときに中央部分に4階部分が増築された。







昭和20年(1945) 「今昔マップ on the web」



昭和19年(1944) 「国土地理院」



昭和22年(1947) 「国土地理院」



昭和32年(1957) 「国土地理院」



昭和36年(1961) 「国土地理院」

昭和39年(1964)から昭和51年(1976)まで国際基督教大学ゴルフ場があった。



昭和43年(1968) 「国土地理院」



昭和50年(1975) 「国土地理院」
国土地理院



平成30年(2018) 「今昔マップ on the web」
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