姿見の池
姿見の池は、西国分寺駅から東へ300m程の場所にあります。東山道武蔵路や鎌倉上道の宿場町であった恋ヶ窪の遊女たちが、朝夕に自らの姿を映して見ていたことから、姿見の池と名づけられたといわれている。
姿見の池は、昭和40年代に入ると、市街地化などによって湧水が減少すると、この池も埋め立てられてしまったが、平成10年(1998)東京都により、湿地、用水路、水辺林等を含め池の周辺地域が「国分寺姿見の池緑地保全地域」に指定されたことにより、埋め立て以前の池が復元されることになった。
しかし、そもそものきっかけは自然の復元が目的ではなかった。平成3年(1991)に、武蔵野線新小平駅へ大量の地下水が流れ込み、当駅が水没する事態が発生した。同時に西恋ヶ窪3丁目でも地下水が上昇し、住宅が床下浸水する被害が発生した。その原因は、地下水の流れの変化と水位の上昇であった。そこで地下水を抜きとることで、その水を処理するとともに、その水を有効活用するために姿見の池と野川へと導水したのである。
参考文献 多摩のあゆみ 国分寺崖線の湧水がつくる池と人々の関わり 牛垣雄矢
日影山
昭和36年(1961年) 「国土地理院」
平成4年(1992年) 「国土地理院」
国土地理院
平成31年 陰影起伏図 「今昔マップ on the web」
姿見の池は、西国分寺駅から東へ300m程の場所にあります。東山道武蔵路や鎌倉上道の宿場町であった恋ヶ窪の遊女たちが、朝夕に自らの姿を映して見ていたことから、姿見の池と名づけられたといわれている。
姿見の池は、昭和40年代に入ると、市街地化などによって湧水が減少すると、この池も埋め立てられてしまったが、平成10年(1998)東京都により、湿地、用水路、水辺林等を含め池の周辺地域が「国分寺姿見の池緑地保全地域」に指定されたことにより、埋め立て以前の池が復元されることになった。
しかし、そもそものきっかけは自然の復元が目的ではなかった。平成3年(1991)に、武蔵野線新小平駅へ大量の地下水が流れ込み、当駅が水没する事態が発生した。同時に西恋ヶ窪3丁目でも地下水が上昇し、住宅が床下浸水する被害が発生した。その原因は、地下水の流れの変化と水位の上昇であった。そこで地下水を抜きとることで、その水を処理するとともに、その水を有効活用するために姿見の池と野川へと導水したのである。
参考文献 多摩のあゆみ 国分寺崖線の湧水がつくる池と人々の関わり 牛垣雄矢
日影山
昭和36年(1961年) 「国土地理院」
平成4年(1992年) 「国土地理院」
国土地理院
平成31年 陰影起伏図 「今昔マップ on the web」
毎月、会員向けの機関紙を発行しておりますが、そこに地元の自然・文化遺産を紹介する部分があります。今回は「姿見の池」なのですが、ブログのお写真を1~2枚ほど掲載させて頂けないでしょうか?
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