武蔵境散歩道

武蔵境とその周辺を散歩徒然

梶野分水築樋

2017-01-15 05:00:00 | 歴史
梶野分水築樋

 築樋は、窪地や川を越して水を流すために低地に土を盛ってつき固めて土手を築き、その上を用水路としたものです。
 梶野新田の開発にあたり、飲み水や農業用水に困った新田の人々は、玉川上水から水を分けてもらえるよう享保十年(1725)頃から再三幕府に願い出ましたが、享保十七年(1732)に梶野分水が許可され、仙川の谷と立体交差する築樋(長さ約230メートル・高さ約4メートル)が造られました。また、本町5丁目の山王稲穂神社付近にも築樋があります。
 梶野分水は、明治三年(1870)に上流の砂川用水とつながり、下流は深大寺村(現調布市)まで伸び、深大寺用水とも呼ばれていました。なお、南に続く分水路は「ほっこ抜き」と呼ばれる暗渠(トンネル)になっています。

説明看板より転記



明治39年「今昔マップ on the web」




















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旧千川上水取水口跡

2017-01-01 05:00:00 | 歴史
旧千川上水取水口跡

 千川上水の取水口は、開発された元禄9年(1696)以降、何度かその場所を変えています。現在の取水口は、境橋の交差点の玉川上水下流左岸にあります。
 開発当時の取水口は不明ですが、旧千川上水取水口跡は、明治4年(1871)から昭和41年(1966)まで使用されました。
 取水口から取り込んだ水は、五日市街道下り線の道路下に埋められたヒュ-ム管を伝わって境橋開口部に流れていました。
 この開口部真上の堤に「千川上水 清流の復活」の石碑があります。



明治39年「今昔マップ on the web」























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