武蔵境散歩道

武蔵境とその周辺を散歩徒然

品川用水取水口跡

2016-11-01 05:00:00 | 歴史
品川用水取水口跡

                           武蔵野市境3丁目10番地先 玉川上水内

 品川用水は、旱魃に悩まされていた品川領内九つの宿や村の農業用水として寛文九年(1669)に開通しました。
 水路は、石積みの土手が今も残る玉川上水のここ境取水口から分水され、現在の武蔵野市・三鷹市・世田谷区・目黒区を通り、品川区域に入ってからは細かく分かれ、網目状に広がっていました。その距離は、境の取水口から大井村の用水掛渡井(品川区西大井六丁目一番付近)まで約二十五・二キロメートルになりました。この用水により水田開発が進み収穫量も増え、戸越村のように倍増した村もありました。
 明治末期から大正・昭和にかけて品川区域は都市化が進み、田畑が宅地や工場用地に変わっていくとともに農業用水の需要も減り、次第に下水化していきました。
 昭和二十三年(1948)には、品川用水の水利権を三鷹町(現、三鷹市)に譲り、二百八十年にわたって品川区域に恵みをもたらした品川用水はその役割を終えました。

説明看板より転記



明治39年「今昔マップ on the web」
















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