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インド旅行

2010-10-16 12:09:51 | journey
9月11日から19日まで。インド一人旅。バックパッカーす。

初インドだったので、デリー・ヴァラナシ・アーグラ・デリーのゴールデンルートです。


楽しかったー、インド。


強烈だったー、インド。



一番きつかったのは、ヴァラナシからアーグラまでの寝台列車がゴキブリが住み着くゴキブリ電車だったってこと。
叩いても叩いても出てくる彼ら。

泣きたくなったけど泣いてもどうにもならないから、備え付けのシーツに身をくるんで「何も見てない!」ふりをして寝た。


また行きたいなー、インド。


沖縄旅行

2009-12-17 10:05:03 | journey
祖母、母、私の女三代で沖縄に行った。

去年肩を脱臼し、それ以後元気がなくなっていたおばあ。
その後祖父が他界し、またまた元気がなくなっていたおばあ。

そんなおばあが昔から「美ら海水族館に行ってみたい」と言っていた。
旅行に興味のない母も、そこには行ってみたいと言っていた。

正直私は、どうでもよかった。行ってみてもいいが、今はあまり国内旅行に行きたいとは思わない。たくさんの観光客で溢れた観光地巡りなんて興味ない。

でも、人はいつどうなるか分からないから。先延ばしにしてられないから。

よし、今回は私は付添人に徹するぞ、歩くのが難儀なおばあの手を引く役、諸々手配する役、レンタカーを運転する役を全うするつもりで沖縄旅行を決めた。


おばあは楽しんだみたい。手を引かれながらだけど、階段あるところとかもたくさん歩いて「自信がついた」って言ってた。よかったよかった。


私は一日目の夜に二人と別行動して、沖縄に住んでる友達と会った。
今まで会っていた場所とは違うけど、そんなことは関係ないのね。
さすがに会う場所がインドだったりしたらテンションも多少は変わるのかもしれないけど。

とりあえず最初に「久しぶりだねー」とは言うものの、その後の会話はこれまでと一緒。共通の知人の話題だったり。

住む場所がもう少し近ければ、会う機会も多くなる。でもまぁ、回数の問題じゃないよね。彼女と私の関係性は、距離や時間に影響されないでしょう、きっと。


沖縄あったかかった。なんか、これから夏に向かうぞ!ってぐらいの爽やかさだった。

沖縄行くならダイビングやりたいなー。ってのはずっと昔から思ってる。
次回は是非、ダイビングライセンス取得の旅ってことで。


注)私は祖母をおばあと呼んでるけど、今回の沖縄旅行に関係ない。
もともと「おばあちゃま」と呼んでいたところ、その長さが億劫になったので縮めただけ。

ダマスカスでの平穏な日々

2009-03-24 10:22:46 | journey
(旅期間:08.5.26~08.6.16)

早いもので、明日の夕方の便で日本に帰ります。
到着は月曜の夜。
早いものでとは言ったものの、いつものことながら何度も"帰りてー"って思いました。

今はまたダマスカスにいます。
リベンジパルミラ?ノン。
GO TO アレッポ?ノン。
私は中東一の癒し都市と言われてるらしいハマよりもダマスカスの方が好きです。
毎日特に何をするでもなく、スークをぶらぶら歩いていつもの雑貨屋で水買ってここらへんで一番安い店でシュワルマを食べてたまにモスクに入って休み、宿の人とチャイを飲んだりお菓子屋のおじさんに手を触られるかわりにつまみぐいをさせてもらったり、そんなゆるい日々です。

今回、本を2冊持ってきました。読んだら捨てればいいと思ったので直前にブックオフで。
伊坂幸太郎がよかったんだけど彼は今人気らしく、いくつかのお店をまわっても在庫がありませんでした。
そこで手にしたのがリリーフランキーの"ぼろぼろになった人へ"と沢木耕太郎の"地図を燃やす -路上の視野3"。

"ぼろぼろになった人へ"は、正直こんな内容の本だとは思わなかった。ぼろぼろになった人を癒すような内容だと思ってたけど、実際はシュール。そして少しエロい。短編がいくつか入ってるんだけど、その中の一つは少し前に深夜に"週刊 真木ようこ"という番組で映像化されたものの原作でした。あー、リリーさんが原作だったんだ、となんともストレートな感想を抱きました。
この本は1度読んでさよならしました。物語ゆえ、読み終わってすぐに読み返そうという気にならないから。

もう一冊の"地図を燃やす"。面白い!イエメン滞在中に1度読んでしまったのですが、昨日もう1度読み返してしまいました。ドーハでのトランジットで5時間待ちしなきゃならないのでまた読むつもりです。
沢木氏といえば"深夜特急"。中学生ぐらいの頃私も読み、それ以来大好きな本です。あの本を"紀行文"に分類していいとしたら、彼の旅は結構硬派だよなーと思う。他の旅本と比較すると結構。彼の旅が、というより彼の人間性と表現の仕方の問題かも。
で、"地図を燃やす"の中身ですが、旅後に彼がまたルポライターとして仕事を再開したときに書かれたものです。短い文章がいくつも。
前半では要所要所でかつての旅を振り返ったりそこで得た感覚が描かれていたりして、"深夜特急その後"もしくは"深夜特急こぼれ話"みたい。
後半は主に、沢木氏がいかにしてルポライターになったのか、ルポルタージュとは、について書かれている。
こっちも面白い。
"路上の視野"シリーズがあるみたいだから、帰国したら1と2も是非読んでみたいと思った。

私は3週間という短いようで長いようでやっぱり短い旅だったのでこんなことを言っていいものか分からないけど、本に書かれている沢木氏と同じ感覚を持ったことが度々ありました。


今回は、去年砂漠で感じたような圧倒的な影響力と自分が変化した感覚、というのは味わってないと思う。
ここにも人がいて、生活があって、ただ文化とか生活スタイルとか価値感が違うだけ。
名所旧跡を巡るような旅より限りある日数の中で少しだけでも街や人と馴染んでいく方が私は好きです。
でもそれよりも、人の力が無力だと思えるような圧倒的な自然の中に立ってみるほうが好きです。
てことでやはりいつかウユニ塩湖に行きたい。
そしてまた砂漠に行きたいと思いました。こだわりや物欲をあそこにだいぶ置いてきました。
今もし10日あったら、カサブランカ空港到着後に最短ルートでサハラまで行って、動くことができない暑い日中は持参した本を読み、日差しが弱くなってきたら砂漠に遊びに行き、星が出てきたら屋上に寝転がって眠くなるまで流星を探し続ける、観光なしの砂漠オンリーの日程がいいです。

時間はあるけど金はねぇ。帰国したら一文なしです私。おほほ。本当に。日銭を稼いで友達に会いに行かなきゃ。ビールが美味しい季節になりますね。

こっちでも頭の中に余裕が出来たときにちょこっと考えたけど、将来のことも考えないと。色々含めて。
22歳の時とは違うし、去年の私とも違う。やりたいことも違えば自分に適してると思うことも違う。生きて行くのが最低、最高、最小、最大の目標だな。


日本に戻るのが楽しみです。こっち、乾燥し過ぎてて肌が死にました(笑)
カップラーメンが食べたいです。"地図を燃やす"で出てきたのです。あと美味しいコーヒー。関空着いたら本屋で本を買って、とりあえずスタバに直行です。


(ダマスカスの街と人)



(ダマスカスのモスク。モスクはイスラム教徒以外立ち入り禁止のところが多い。中まで入れたのは初めてだったのでいい経験をした。)

天空の城 クラック・デ・シュバリエ

2009-03-23 23:12:06 | journey
(旅期間:08.5.26~08.6.16)

行ってきましたクラック・デ・シュバリエ!

ここに行くには今いるハマからまずはホムスに行き、ホムスで乗り換えていかなきゃならない。加えてホムスからのセルビスは定員にならないと発車せず、運が悪ければ1、2時間待つよ、と言われたので宿主催のツアーをシェアして行ってきました。
昨日の夜に今日のツアーあるか聞いたらもう一人だけ参加者が欲しいってツアーがあったので多少ディスカウントしてもらった。
ツアーはクラック・デ・シュバリエだけじゃなくてミスヤフ城って遺跡と聖ジョージ教会ってところもまわるもので、道中の緑溢れる景色を見ながらのドライブも快適だった。

メンバーはイタリア人の男の子(名前の発音難しい)とヨーロッパ系だと推測されるデイビッド。とシリア人のおじさんドライバーと私。
みんなゆるくて穏やかでいい人たちだった。


さて。本題のクラック・デ・シュバリエ。


。。。。。あたし意外と遺跡イケるかも。
てゆーか廃虚のような城が。やはりこれはラピュタ効果かしら。



クラック・デ・シュバリエは丘の上に立ってて空は近く、遠くの山々と集落を見渡せる。

ラピュタ城ってゆーより巨神兵が大暴れした城の方が近いかも。シータがムスカ達につかまって閉じ込められてた城ね。
もしくは崩壊したあとのラピュタ城。

でももし時期が春で花とか緑がもっと鮮やかだったら印象変わるかもなー。


駿がここを参考にしたかは疑わしいけど、シータ気分になって妄想するには十分でした。




私が行った時はお昼前で人がすごく少なくて良かった。静かにゆっくり見れたし、写真に人が入ってないし。
帰るころにちょうど大型バスで団体客が到着。間一髪セーフ。



現地でツアー使うのも楽でいいな。
ちなみにここも世界遺産みたいです。多いね、世界遺産。



この日記を書いてる間、隣に座った男の子の話しかけがうざくて見かねた店員が私のPCの場所変えてくれたんだけど、それでもなおやってきて"隣に座っていいか"って言ってきた。もちろんNOです。
ハマの人、親切な人も多いけど若い子の軟派っぷりはいただけない。
言葉通じないのおかまいなしで。どうせーっちゅうねん。

あと、シリアで唯一あったいやなことは、昼間にハマの街の人通り少ない道を歩いてた時、進行方向から若い男の子二人が歩いてきてね、顔見た瞬間"あ、嫌な感じだな"って思ったのよ。
ハローって声かけてきたあとおもむろに私の胸に手を伸ばしてきてさ。感覚的に予期してたから腕で振り払って触られてないけど、やー、人って顔でわかるのね 。
つくりの美しさって意味じゃなく、人は見た目が9割は結構本当だと思った。
内面は表情に現れるよ。うんうん。

(ハマの街とハマの人)

MAJIで"HELP!"って叫ぶ5秒前

2009-03-23 23:08:10 | journey
(旅期間:08.5.26~08.6.16)

この旅一番の危機でした。
ほんと、どうしようかと思った。

ダマスカスから北に約220キロの距離に位置するハマという街に移動しようと荷物を抱えてホテルのエレベーターに乗った時に事件は起こりました。

突然エレベーターが止まった。。。
エレベーターは2人乗るのがやっとの小さなもので、日本のものとは違い、階に着いたら自分でドアを押し開けて出ます。

ドアの半分が下がったところでエレベーターはうんともすんとも言わなくなりました。


あぁ、若干空気が薄くなってきたような。。。
暑いし。。。
最悪私はここで。。。

ほんと、どうにかしてこの小心者の思考回路。


非常ベルを鳴らしたらホテルの従業員が来てくれたけど、一体彼が何をアドバイスしてるのかが分からない。私の焦りは募るばかり。

あぁ、やっぱり私はここで。。。


聞こえづらい彼の声をどうにか聞き取ると、バッグを置いてもう一度階数ボタンを押せと言ってる。

祈る思いでボタンを押したら、エレベーターは何事もなかったかのようにスーッと動きました。


ドアが開いた時の安堵感といったらもう。

カラクリはこうです。
このエレベーターは、ドアに近い位置に立つと止まってしまう。
ただそれだけ。
彼はどうも、"バッグをドアから離してみて"って言ってたんだろう。

人がぎゅうぎゅうに乗ってるのが当たり前な日本では考えられないこの様式。まさかそんなシステムだったとは考えもつかず、なかなか彼の意図をくみとれませんでした。


やー、ほんと怖かったわー。
だって助けに来てくれたのがもし英語通じない人だったらさー。超怖い。
さすがにこんなシチュエーションは持ってるアラビア語会話集にはないわー。



そんなこんなで今日からハマにいます。
ハマ自体は見どころはあまりありませんが、(長期)旅行者にとっては中東一の癒し都市らしい。都市っていうか、ここにあるRIAD HOTELが居心地よくて有名。

3日ぐらいここにいて、クラックデシュバリエでも見てこようかと思います。ラピュタの舞台になった場所であるとか、そうでないとか。。。
"ジブリの舞台はここです"って言われてる場所ってなにげに結構多いよね。一体どこがほんとなんだろう。

破壊された街

2009-03-23 22:59:59 | journey
(旅期間:08.5.26~08.6.16)

ダマスカスから車で南西に約1時間のところにある街、クネイトラ。
シリアでの一番の目的はこのクネイトラを訪れることでした。

クネイトラはレバノン、イスラエル、ヨルダン、シリアに囲まれたゴラン高原にある街です。

この街は第三次中東戦争の際イスラエル軍に占領され、その後第四次中東戦争を経て1974年にイスラエル軍がこの地から撤退する時にクネイトラの街を爆撃破壊していきました。

現在は国連監視下の非武装地帯になっていますが、シリアはイスラエルの蛮行を訴えるためにこの地を当時のままにしています。

クネイトラに行くにはまずシリア内務省で許可証を取り、セルビスを何度か乗り継いで行かねばなりません。
クネイトラに着くと軍のガイドと共に移動することになります。

この街のことを知ったときから、私はこの地域で現在も続いている争いに興味を持つようになりました。
やっぱ行く国のことは知っておきたい。
中東戦争とかイスラエルとアラブの争いとかユダヤ教とかイスラム教とかパレスチナ難民とか、単語は知ってるし多分高校までの授業で外縁は勉強したのかもしれないけど、全然分かってませんでした。
歴史を遡れば遡るほど糸は複雑に絡まっていって、"戦争なんていけないよね"なんてセリフを口にすることは出来なくなりました。

今日実際にクネイトラに行ってみると、そこはまさに"壊された街"で人の住む気配のないところでした。
あまりに壊れっぷりがすさまじかったので逆に当時の状況をイメージすることが出来ませんでした。



争いがなくなることはないでしょう。
個人、集団、政府、国、どのレベルで考えるかでそれに対する思いも変わってきます。



平和ボケしていると言われる、もしくは自らを自虐的にそう言う日本。
平和ボケできる環境のなんとありがたいことよ。
世界のだれもが当たり前に平和ボケできればな。
無理だけどさ。平和ボケって私にはあんまり悪い言葉じゃないんだよね。

パルミラの小さなバスターミナル

2009-03-23 22:37:34 | journey
(旅期間:08.5.26~08.6.16)

日帰りでパルミラに行ってきた。ダマスカスからバスで3時間ほどの距離の砂漠の中にある遺跡。世界遺産。
世界遺産がなんぼのもんじゃい。私は遺跡に無関心女よ。
そうはいってもせっかくシリアに来てるのに"シリアといえばパルミラだよね"的なところに行かないのももったいない気がしてダマスカスから日帰りで行くことにしました。

バスに乗車してる時間は3時間だけど、バスターミナルが歩いていける距離にはないから、まずはセルビス(乗り合いワゴン)をつかまえてターミナルへ。ちなみにこのセルビスは、車によって走る路線が違う。
このセルビスはこの路線を行ったりきたりする、みたいな感じです。
ですが、はっきりいって私の行き先にいくのがどのセルビスなのかは見分けがつきません。
なんてったってアラビア語でしか表記されてないから。
だからとりあえず来たセルビスを止めて、いちいち"ガラージュハラスター?"とか聞かなきゃならない。
周りに人がいたら親切にも乗るセルビスを止めてくれたりするんだけど、私が出かけたのは早朝だったので人おらず。でもすぐ目的のセルビスをつかまえることができました。

朝6時30分に出発し、なんだかんだで行きは4時間。帰りも4時間。夕方4時30分に帰ってきました。
なんだよ、せっかく行ったのに滞在時間2時間かよ、と思いますか?いくら私が遺跡嫌いだとしても、さすがに2時間はないかな。


(シリアは銃を持ってる人がいーっぱい。軍関係かな。とにかくそこらじゅうに銃持ってる人がいる。普通に旅するって意味ではとても治安がいい。バスの乗客も銃持ち。)


正解は、"パルミラには行ったがパルミラ遺跡は見ていない"です。
つまり、トンボ帰りしてきただけです。

パルミラの小さなバスターミナルに着いたときには外は既に砂嵐で目も開けていられないほどでした。
ちょっと待ってみたけどどうも今日はだめっぽい。あぁ、私が昨晩"遺跡って、特にパルミラ遺跡なんかは結局のところ残骸だよね"などとバチあたりなことを考えてしまったからかしら。来なくていいよって思われたのね、きっと。

ダマスカスに戻るバスは2時間後。音楽は持ってたものの何もすることがなく、一人つまらない時間をこの砂漠にポツンと存在する小さなパスターミナル兼食堂兼売店で過ごさなきゃならないのか。はぁ。

バスターミナルに着いてすぐにトイレに行った時、トイレ番の小さな男の子にむかついてね。
モロッコでもどこでもそうだったんだけど、こういった場所のトイレは有料です。コイン1枚ぐらいだからシリアでは30円から50円ぐらいってところかな。
それがこの少年、私の財布をのぞきこんで札を指さしてくる。は!?ありえないから!高すぎるから!
札っていっても120円ぐらいなんだけどさ、さすがにそれはない。
もめてる私たちの間に助け舟を出してくれたのが、行きのバスで隣に座っていたおばあさんでした。
私からコインを受け取って少年に渡し、その場はおさまりました。
このおばあさん、すごく気持ちのいい人でね。バスの窓側に座っていたおばあさんは多分外の景色を見たかったんだと思うんだけど、方向によって朝日が入ってくるからカーテンを開けたり閉めたり何度もして、私とか通路を隔てた人に直射日光が当たらないように配慮してた。
アラブの人って"我先に"って人が多くて、このおばあさんみたいに人に気を使ってる人って初めて会ったんじゃないかな。
途中でガムもくれた。言葉は通じないから無言で笑顔だけで会話。でもそれで十分でした。


さて、バスターミナルに一人残された私。乗ってきたバスが去ると私とそこで働く人たちだけになりました。
誰も英語は通じず。ここでいう"通じる"は、たとえば"バスターミナル"って単語を知っていたり、"HOW OLD ARE YOU?"が通じたり、そういうレベルの話です。

パルミラみたいな観光地のこういったターミナルが一番人がすれている。都会の人のほうが優しい。
そう思っていたし、実際これまでそうだったことが多かった。

最初のトイレの一件もあるから、とにかく早く時間よ過ぎろとだけ思ってた。


あまりに暇だったから働いてる人たちを観察してると、一定の行動ルールがあることに気付く。
外にバスがとまるとそれぞれが定位置について客を迎える。客がいなくなるとボス的な人のところに集まってそれぞれが手にしたお金を提出する。その後床を掃いたりテーブルを拭いたり。何もすることがなくなるとだらだらし始める。

最初はお互い"なんだこいつ"みたいな感じで警戒してたものの、すこーーーーーーーーしだけ英語が通じる男の子が"TEA?"って聞いてきてくれてね、私はきっと正規の値段より高いんだろうなって思ったから"いくら?"って聞いたら"ノープロブレム"って言ってチャイを出してくれた。
そのことに私の心もほぐれて、4、5人いた働いてる男の子たちの写真を撮ったり、通じないながらもほんの少しの英語とニュアンスと表情でコミュニケーションを取り始めました。
気付いたら全員が一箇所に集まって私の持ってたアラビア語会話帳で通じてるんだか通じてないんだか不明のやりとりを笑いながら2時間やってた。
どう見ても35歳以上にしか見えないボスが私と同じ25歳だってことにびっくりして"まじで!?ないわー。絶対25には見えないわー"って日本語でリアクションする。通じるもんだよねー、雰囲気で。

そこにトイレでのやりとりをした男の子が指にケガをして現れた。どうも、料理に使うチキンをさばいてて切っちゃったらしく血が出てた。痛そうにしてたから"ちょっと待ってね"って言って持ってた絆創膏を指に巻いてあげた。余分に持ってたからそれもあげた。
バスが来るまで同じやり取りを何度も繰り返してその度に笑ったり、グラスが空になるとすぐ"TEA?"って聞いてくれておかわりを入れてくれたり、バスが来たら"これがダマスカス行きだよ。でもまだ座ってていいからね。"なんて最後まで世話焼いてくれたり、2時間前には考えられなかった展開になってた。



出発前にトイレに行っておこうと思って行くと、絆創膏をあげたトイレ番の少年が定位置にいた。
出てお金を渡そうとしたら、その子ははにかんで"NO MONEY"って言った。
その言葉に思わず頬がゆるんだ。

たった2時間という短い時間だったけど、人と人の関係が出来ててね、すごく小さなことだけど嬉しかった。

ある人からお金を出させようとするのはある意味当たり前で、彼らは仕事としてそれをやってて、交渉してそこに妥協点が見つけられたならそれがその場合の適正価格で。当たり前のことなのよね。

パルミラ遺跡は見れなかったけど、パルミラのバスターミナルにいる人たちとの出会いはあったわけだし、結局ここでも"みんな優しいー"って思えたから満足です。

ここでは私が外国人で珍しい人。日本人の女の子。ある時やってきたある日本人の女の子は結構いい子だったな。"そう思われたらすごく嬉しい。

"いい人っていわれたって どうでもいい人みたい"
なんてことはありません。誰もがすべての人と深い付き合いをするわけじゃない。ならば一期一会の関係においては"いい人でありたい"。常々思ってることです。


昨日宿のおじさんと話してる時、シリア人も半分はいい人。半分は悪い人。それは日本人も同じ。この前きた2人の日本人も一人はいい人で一人は悪い人だった。って言われた。

それは当たり前のことで、国によって雰囲気の違いはあるもののその中にはいい人も悪い人もいる。
だけど、私は自分が出会った人でしかその国の印象を持つことはできない。
それを運とかタイミングとか相性っていうんだと思う。
相性がいいから、タイミングがあったからいい人たちに出会えた。逆もまたしかり。


心細かったり不安だったり、いつも以上に心が敏感になってるときにされる小さな優しさは、感動に値するぐらい大きい。

残念ながら私の思春期は去年で終わってしまったので、この旅で自分について考えた時間はゼロに等しい。
探す自分はもうないよ。

ヨルダンからシリアへ!

2009-03-23 01:09:51 | journey
(旅期間:08.5.26~08.6.16)

はい、ヨルダン3日で出ました。
やっぱヨルダン嫌い。イエメンていうぬるま湯に浸かり過ぎてた可能性もあるけど、最後まで"いい人ー"て人に出会えなかったのが痛い。
そして最初から適正価格を言ってきた人がいなかったのが更に痛い。

でもようやく旅らしい感じがしました。移動が増えたから。
イエメンからヨルダンに飛行機で入った日はアンマン泊。思い出も撮った写真の枚数もゼロ。ヨルダン、いや、中東一有名なホテルの従業員サーメルは現在イラクにいるため会えず。ヨルダンの楽しみが半減する。

翌日は朝早いミニバスでペトラ遺跡があるワディムーサへ。



着いた直後にすぐさまペトラへGO。

最初から嫌な予感はしていた。
ペトラ遺跡、なんてったって"遺跡"。誰がいつどこに作ろうが、"遺跡"。
私はアンコールワットに感動しなかった女よ。

はい、ペトラ無感動。無駄に疲れただけ。日光浴びすぎて軽く日射病みたいだし。

一応いっとくと、ペトラは感動に値するものだと思います。
遺跡だけじゃなく、遺跡がある周りの自然がすごい。岩山の断面がまるで大木の年輪のような模様をしてたりして。



遺跡よりそっち見たほうが膨大な時間の流れを感じることができて面白い。
帰り、宿の無料送迎の時間まで待ちたくなかったから歩いて帰ることに。
行きは坂を下って15分ぐらい。てことは帰りは上り。。。炎天下よ。
死ぬなーこれは、って思ってたら後ろから走ってきた車が横で止まって"上まで乗っけてってやるよー。"
乗って良いのかな、危なくないかな、と思いましたが暑さに負けて乗りました。
結局大丈夫だったんだけど、車中では"これから観光名所に行こう!"って営業トークが始まって"あー乗らなきゃよかった"とちょっと後悔しました。
ほんと、万が一ってことがあるからこういうのに軽い気持ちでのるのはやめようと思った。なんせ女ひとりだからね。

ペトラの宿では人生初のドミトリー経験。実は今まで避けてました。寝る時ぐらい一人がいい。
でも値段に負けてドミトリー。アメリカ人のブライアン、ドイツ人のマイケル、あと私。二人は男よ。ブライアンは超かっこよかったです。が、なんせ頭痛がひどかったもんでほとんど話さないまま寝た。てゆーか彼らの英語についてく自信ねーよー。

翌日は朝からアンマン行きのバス。バス停付近でチャーターされたであろうランクルが止まって"今から中の人たちは死海経由でアンマン行くけど乗らないか"ってシェアを提案される。しかも値段は相当お得。
断りました。完全にテンションが死海じゃなかったし、一刻も早くヨルダンから出たかったから。

そんなこんなでアンマンに着いた後セルビス(乗り合いタクシー)でシリアへ。
シリアのイミグレで他の乗客待ってたときに、ドライバーとその仲間たちとのしばしの団らんがあったんだけど、ヨルダン人との一番楽しい時間はそれだったんじゃないかと感じる。


シリアのダマスカス到着。ホテルは結構いっぱいなところが多いみたい。
歩き方に乗ってるところに泊まったけど、値段は決して安くない。ヨルダンの情報ノートにも書いてあったけど、ダマスカスの宿の値段ちょっと上がってるみたい。
さて、シリア。

シリアさいこーーーーーーーー!!!!
人がーーーーーーーー!!!やさしいーーーーーーーーーーー!!!
ぼったくられないーーーーーー!!!
私が"いい"と感じる基準は、いかに人が私に優しいかです。
ダマスカス、会う人会う人がいい。とても親切。穏やか。

今泊まってるホテルよりちょっとごちゃごちゃした場所にあるホテルで値段だけ聞こうと入ったら、部屋見せてくれてチャイたくさん飲ませてもらって"明日パルミラ行く"って行ったら"タクシーは高いからバスでバスターミナルまで行きなさい。ここがあなたが泊まってるホテルね。そこからこの道に行ってここから出てるミニバスだからね"って地図と行き先のアラビア語表記まで書いてくれちゃって。。。うぅ。感動や。
実はダマスカス、着いた瞬間お気に入りになって、ずっとここにいちゃおうかと思ったりもしたんだけどなにぶん今の宿代がばかにならない。
仕方なくシリアをひと回りすることに決めたんだけど、ダマスカスに帰ってきたら上に書いたホテルに変えようと思う。
部屋は狭いしキレイさで言ったら今の宿の方が2倍いいけど、そのぶん値段も2倍なんだもの。
いいのよ部屋なんか!寝るだけなんだから!

シリア。楽しみになってきました。



from Jordan

2009-03-23 01:06:45 | journey
(旅期間:08.5.26~08.6.16)

さっきヨルダンに着きました。
ですがヨルダン、ほとんど素通りでシリアに行ってしまうかも。

ヨルダンといえば、死海とペトラ。うーむ。どちらもそんなに心動かないぞ。
てゆーかなんとなくなんだけど、私ヨルダン合わない気がする。
空港で私ひとり別なところで結構執拗な質問受けたし。
行った国に危ないところないはずなのに。

でも親切な人もちゃんといます。

あとね、私イエメンで両腕にナクシアートしてもらったのよね。半袖で外歩いたら、今のところ全員に凝視されてます。
ものすごーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく悪目立ちしてる。誇張してるわけじゃないよ。まじですごい見られ方してんだから。

こっちではヘンナとかやる習慣ないのかな。

イエメンだとおじいちゃんから女の人、イミグレの人まで"ビューティフル!"って言ってくれたのになー。
そんなに離れた国じゃないのに全然違うのね。

あーあ。暑いのにシャツ着なきゃ。
好奇な目に耐えられねぇ。タトゥーだと思われてる。

from Yemen vol.9

2009-03-22 12:35:41 | journey
(旅期間:08.5.26~08.6.16)

これでラスト。

旧市街の家の子にヘンナアートをやってもらった。正確にはヘンナじゃなくてナクシ。ヘンナは色が赤。ナクシは黒。アラビアではナクシが正統。
指先から肩までと鎖骨あたりにすごくキレイな絵を描いてもらったけど、悲しいかな、これは2週間ぐらいで消えてしまいます。日本に帰るころには汚い残骸が残るのみ。今のうちに写真に記録しておかねば!

外では全身黒で顔すら隠す女性も、家の中ではオープン。初めて見ましたイエメン女性。
ちょっとびっくりしたのがその家の20歳ぐらいの女の子が私を見て"スリムでビューティフル"って言ったこと。自分のことをファットでNOT GOODって言ったこと。
その子が若いからなのか、スリムをよしとするなんて思ってもみなかったから驚いた。
でも私の口は女の子に対してはすごく軽快でして。"なに言ってんのー!グラマーでセクシーだよー!"なんてどっかの誰かと同じようなこと言います。
女の子に対しては警戒心ゼロ。

ナクシを描いてもらってるときに隣で彼女のお母さんがお祈りを始めてね。
旧市街の一般家庭の家の中でイエメンの女の子にナクシをやってもらって、横ではイスラムのお祈りを捧げる女性がいる。
イエメンで過ごした数日の中で一番好きな時間だった。静かで、日常でありながら非日常みたいな。




あと、アブドゥルの言ってることのほとんどすべてが嘘だと分かりました。
最初から全く信用してないけど、彼の友達のザカリアが彼が席を外してる時に"絶対言わないで!"と念押ししたうえで教えてくれた。
彼の言うことには矛盾が多すぎる。彼の家族は誰もが知ってる有名な家族だとか、政府の要人だとか。なのに彼の家の車は壊れる寸前みたいなものなのよ。それに、普通自分からそんなこといちいちアピールしないっしょ。
もうね、私へのほめ言葉も含めて滑稽です。すぐ分かるような嘘を重ねちゃってー。その下手さ加減が、なんだかむしろ純粋に思えてくるぐらい。
だから、実は彼以上に嘘をついてるのが私の方なのねー。
でも嘘をつくのは疲れるから早く彼と離れたい。


そんなこんなでそろそろイエメンを出ます。次はヨルダン、シリア。


分かってたことだけど私が"楽しい"と感じるのは、そこに暮らす人と挨拶を交わしたり話をしたり人の写真を撮ったり、そういうことでした。
サナアを見渡せる場所や有名なモスクに車で行ったりしたけど、ワクワクしなかった。
やっぱり人が一番です。



さよならイエメン!またいつか来たいな!