高校教師は、教科指導と部活指導の他に、分掌の仕事を受け持たなければいけない。分掌とは学年に所属したり、担任を持ったり、専任部に所属して、それぞれの仕事を遂行することである。
今年は本当に何十年ぶりだろう?専任部である。専任部は、フリーとか第四の島、とも呼ばれている。今年はそれが純粋に嬉しい!
先日校長先生が、「今年はどうですか?学年に属していなかったら、本当に全然違うだろう?」と声をかけられた。その声の響きはとても優しく、思いやりにあふれていた
高校教師は、教科指導と部活指導の他に、分掌の仕事を受け持たなければいけない。分掌とは学年に所属したり、担任を持ったり、専任部に所属して、それぞれの仕事を遂行することである。
今年は本当に何十年ぶりだろう?専任部である。専任部は、フリーとか第四の島、とも呼ばれている。今年はそれが純粋に嬉しい!
先日校長先生が、「今年はどうですか?学年に属していなかったら、本当に全然違うだろう?」と声をかけられた。その声の響きはとても優しく、思いやりにあふれていた
教員免許状は、1990年までは、小学校・中学校の場合、一級普通免許状、二級普通免許状と呼ばれていた。高等学校の場合は、一級普通免許状、二級普通免許状と呼ばれていた。
今は、小学校・中学校の場合、一種免許状、二種免許状、高等学校の場合は、専修免許状、一種免許状と呼ばれている。
私が大学を卒業した時は、大卒で高校の教師になるなら、二級の免許しか持てなかった。
私は10年ほど前に、通信教育で専修免許を取得した専修免許は大学院の卒業と同等の意味を持つことになる
今は大学院を卒業している人の数も多くなった。現役で先生をしながら、大学院に通っている先生方も私の周りにけっこういる
S高校の文化祭を鑑賞していた時、前々任校のF高校での文化祭を思い出してしまった。S高校では文化祭に若い先生方もステージで演技されている
私がF高校で、「職員コーラス」のステージで、職員一同で歌っているだけだったのに、クラスの生徒達が、精一杯大きな声で、私を声援してくれたことを思い出してしまった
F高校の2-3の生徒達は本当に良い生徒たちの集まりだったのだなあ、としみじみと感じてしまった。何故その時は気づかなかったのだろう・・・
昨日、高校時代の同窓会に参加した。卒業してから30年以上が経ち、同窓の友達に会ってもなかなか思い出せない場面が多かった
当時の先生方が4人も参加されていたことに驚き、同窓生も約130人集まった。この年になってこれだけ集まるとは思っていなかった
何よりも驚いたのは参加していた同窓の友達はみんな若々しく、元気だったということだ。とても実年齢には見えなかった。みんな凄いなあと思った・・・
S高校の合格発表日に高校時代の友人Hさんに出会うことができた彼女の娘さんがS高校を受験したからだ。娘さんは合格してとても喜んでいた
本当に何十年ぶりかの再会だった。Hさんは「たぶん無理と言われていた娘の合格よりもびっくりした」と言っていたが、とても嬉しい再会だった
F高校でユネスコというボランティアクラブを受け持っていたことがある。送別会で楽しく会話をした後、卒業生が、掃除道具入れに隠しておいた花束を私に差し出した。教師になりたてだった頃の私はびっくりしたことを覚えている。もちろん嬉しい驚きだったが、ほとんど何もしていないのに、ボランティア精神旺盛な優しい生徒達だったなあ、と懐かしく思い出した
同い年で勤めているTHさんに「勧奨退職を考えてしまうよね」と言われ、思わずうなずいてしまった
今年は勧奨退職を申し出る時期が過ぎてしまった・・・
毎日の生活は大変だけど、とりあえず今は何も考えずにいよう
2学期も終了し、もうすぐ3学期、そして卒業式だ。ふとF高校の教え子のOYさんが私に言った言葉を思い出した。「O先生は卒業式の日、最後のHRで私たちに言った言葉を覚えていますか?」と
私はもう20年ほど前のことなので、全く覚えていなかった。OYさんに聞くと、「車を運転する時は、みんなが運転上の規則を守っているから円滑な運転ができています。社会には多くの規則や法律があります。それらはみんなにとって住みよい社会を作るためのルールなのです」というような内容だったらしい
私が覚えていなかったことを、いつまでも覚えてくれていたことに感動したのと同時に、先生の一言一言は生徒にとって本当に重みのあるものだなあと感じた
当たり前のことだが、生徒に注意することや、諭すことをしても、怒ってはいけない感情的になると注意しているようには感じない
怒ることは、「百害あって一利なし」だと感じる。生徒達には感情的にならず、落ち着いた口調で諭すように心がけないといけないなあと思う
2学期が始まり、3年生は推薦入試の時期がやってきた。生徒達はそれぞれに進路の悩みを持っている。大学に進学しても、また就活を経験することになる。就職してもその後の人生は未知数である。
私達は毎日色々な悩みを抱えて生きている。だからこそ、お互いに支えあい、助け合うことができる社会が必要不可欠だと思う