最近のニュースの記事からです。
「教員が産育休、病休などで学校を離れても、代役の教員を確保できない「教員不足」が各地で問題となるなか、文部科学省は来年度、企業と連携した人材発掘に乗り出す方針を固めた。「第二の人生」で教員への転身を志望する人らと、欠員を埋めたい学校現場のニーズをマッチングするシステムと一体で、新たに全国展開を目指す。」
具体的にはどのようなシステムなのだろう。まずは現職の教員の負担を減らしたらよいのにと思う。現職の教員にゆとりがあれば、急な病欠にも対応できるのにと思う。
今日は漢方薬の副作用の記事を中断して、一昨日の発熱について書き留めておきます。
一昨日の朝に起きると体がだるくて、熱を測ると7度5分ありました。その後38度まで上昇しましたが、のどの痛みや咳などはなかったです。
もしかしてこれは熱中症?と思いました。夜に寝ている間のことでした。2階で寝ていましたが、寝る前は水分をとり、エアコンも27度設定で朝までつけっぱなしでした。ただ布団は分厚い掛け布団でした。保冷剤で体を冷やすと平熱まで戻りましたが、また38度まで上がるのを繰り返しました。昨日の朝やっと平熱に戻りました。
昨日内科で、コロナとインフルエンザの抗原検査をしてもらいました。どちらも陰性でした。やはり熱中症だったのかなあ?寝ている時に熱中症になると怖いと思いました。
お盆が近づくと父が亡くなった初盆を思い出す....
初盆の夜中近くに、玄関前で虫のなく声とその虫が玄関をドンドンたたく音が聞こえた。実際に虫が玄関をたたくはずはない。それは玄関に何度も体当たりをしている音だった。「何の虫だろう?もしかしてお父ちゃん?」と嬉しくなった。まるで「お父ちゃんやで、帰って来たで」と言っているように聞こえた。でも真夜中に玄関を開ける勇気はなかったので、しばらくしてから二階の自分の部屋に戻った。ベランダのところで、またその虫のなく声と窓ガラスをたたく音がする。そっと近づいてみた。蝉だった。その蝉は静かに声も立てずに長い間そこにいてくれた。「お父ちゃん、帰ってきてくれたのね。ありがとう。来年も帰ってきてね」と声をかけた。私が見つめている間は動くことなくじっとそこにいてくれた。まるで本当に父の魂が蝉に宿っていたような気がする。一年後ではなく頻繁に戻ってきてほしい、と感じた初盆でした。
昨日、上野千鶴子さんの講演を聴きに行った。彼女は東京大学の名誉教授で、とても偉い人であるが、講演を聴いて十分に納得できた。
フェミニズムとは性別を理由に不当な扱いや不利益を被ったりすることのない社会を目指す運動で、フェミニストとはフェミニズムの目指す社会の実現に向けて活動する人のことだ。
学校においては、家庭科が男女必修になり、男女混合名簿ができ、お茶くみ慣行が廃止になった。今は夫婦別姓問題が取り上げられるようになった。
上野先生は、講演の中で「弱者が弱者のままで尊重される社会」が必要だと言われた。この言葉が私には一番心に残っている。なぜなら「男女平等」と言うと、すべてのことが平等であるべきだと考えてしまうからだ。男性と女性は性の違いから生まれつき異なっているところがたくさんある。腕力の違いなどはその典型だろう。そのことを理解した上でフェミニズムを実現していくことが大切だ。
学校の先生は「定額働かせ放題」と言われているらしい。ぴったりな言い回しをよく考えたものだ。
学校の先生は残業代がでない。その代わりに「教職調整額」として給与の4%が一律に支給される。そのためいくら残業しても給料は同じ額だ。
教員の仕事は、朝の登校指導や保護者の対応など、勤務時間外にする仕事がたくさんある。私は教員が働きすぎる理由の一つに、管理職になりたいという上昇志向があると思う。頑張っていることをアピールするために長時間勤務をして管理職をサポートする。そして自分が管理職になったら実績を残すために、新たな取り組みを実践する。「生徒のために」という名目のもと、全職員がそれに協力するよう要求される。その結果、過去の取り組みを再検討することなく、新しいことを取り入れるので、仕事がどんとん増えていく。
私も教材研究は土日にしかできなかったこと、昼食時も何かを口にほおばりながら仕事をしていたことを思い出した。
本当に必要なものだけを厳選できる能力のある人が管理職になってほしい!
最近教員不足が新聞やテレビで報道されている。教員採用試験の倍率も低くなっているそうだ。実際は正規の教員が足りないのではなく、常勤や非常勤の教員の数が足りないそうだ。
非常勤の先生に関してはある程度仕方がないだろう。働く側に立てば、短期間のアルバイトの感覚になる。次の仕事があるかどうかもわからない状態では長期で働ける他の仕事に就いてしまっている場合も多いと思う。
正規の教員に関しては、たとえ倍率が低くなっても少しずつ教員の採用人数を増やせばいいのではないか?同時に教員の仕事を大幅に減らすべきだ。そして急に代替の教員が必要になっても、まずは学校内の教員で補うことができる余裕のある環境を整えたらよいと思う。