オリヴィアを聴きながら

2男児の母、業歴XX年のシステムエンジニアが日々のもろもろを雑記します。
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思い出の曲 ~Physical

2006-06-08 23:18:12 | 興味のある曲
私が16歳の頃は、第2期ディスコブームで、六本木のスクエアビルなどが大賑わいでした。

最初に足を踏み入れたのは、夜の正規の営業時間ではなく昼間のアイドルタイムを利用したパーティー。
私立の男子校が卒業記念とか、学祭の打ち上げとかで一人1000円くらいのパーティー券を発行して、六本木のディスコを貸しきっての開催が頻繁にありました。
すんごく薄いカクテルが供されていたと記憶しています。
高校生ばかりのイベントは『悪いオヤジ』が紛れ込んでる心配もなくて、とても楽しかった。
ツレが酔いつぶれて(何杯飲んだんだ?)、トイレに立てこもり大変な思いをしたのも、今となっては楽しい思い出です。


正規の営業時間帯の店には、バイト先の大学生に連れて行ってもらったのが、初めてで、六本木でした。
喫茶店のバイト代が時給600円くらいの時代に、
一人5000円程度だったので、高価でしたね。(フリードリンク・フリーフード)
その頃、流行していた曲がオリビア・ニュートンジョンのフィジカル。
Olivia Newton-John/Physical WMP
Physical iTune
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他には、EWFのLet's Groove!などなど。

ディスコは六本木、渋谷、新宿にあったのですが、利用したのは主に六本木。
渋谷は女の子にはただ券を配るような店も多く、敷居も低かったのですが、店のクオリティは六本木には及ばず。
新宿は近寄るのが怖かった。(都内在住の人はあまり行かなかったと思います。)

たいていは、朝の4時(閉店)まで踊って、アマンドで高いコーヒーを飲みながら始発の日比谷線を待って帰るというのがパターンでした。

そのうち、新宿のディスコから連れ出された中学生の女の子が殺されるという事件をきっかけに風営法が出来て、ディスコの終夜営業は厳しく取り締まられて、終電がなくなってから深夜の町に放り出されることになったので六本木はあまり利用しなくなりました。

大学は高崎で、ディスコは一応(一軒だけ)ありましたし、群馬県警は警視庁ほど目くじらたてて風営法を強制しなかったのですが、バイト先のレンタルビデオ屋のオーナーの同級生がディスコのオーナーで、DJは、同じレンタルビデオ屋のフリーター君がやっている状態。顔見知りが運営するディスコなんて『非日常』を楽しめないので、行かずじまい。

就職してから、一度だけ、六本木のクラブとかいうのに行って見ましたが、曲(ユーロビート)が好みじゃなくて、ぜんぜん楽しくなかった。

家族でダンスが楽しめるような店があれば、行きたいなあ。そういうイベントでもないかなあ?

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1 コメント

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Unknown ()
2006-06-10 00:50:38
昔さ、免許書を書き換えても手元に残った時期あったでしょ。

母の免許書をね、並べて母と一緒にみていたときがあったのよ。

つまり、写真を。



「お母さん、このときやせてたね!」



という1枚があったのだけど、それが↑の時期と重なります。
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