身近な発見と出会いのブログ

普段見慣れている風景や身近な出来事などを話題にみなさんとご一緒に散歩しましょう。写真はクリックすると拡大表示します。

府中(ふなか)から中里往復散歩

2017年09月10日 | Weblog
今回は上府中公園をスタートし小田原シティーモールないにあるびっくりドンキー小田原店を折り返し
公園まで戻るちょっと長い散歩コースです。
今回は大失敗を犯しました。
昨夜カメラ内のSDカードを整理したのですがその時カメラから取り出しテーブルの上に出しっぱなしでカメラにセット
するのをすっかり忘れており、最初の神社に到着しシャッターを押したとき始めてカードがないことに気が付きました。
と言う訳でウォーキング前半は写真無しです。

改めまして今回のコースを紹介します。
 

最初に立ち寄ったのは「雷電神社」・・・写真はありません。
 永塚村の鎮守である。
 相模風土記稿」によれば昔この地が伊豆山権現領だったことから、山中の鎮守を勧請して土地神としたと書かれている
神社庁のHPによると次のような由緒がある。
「源頼朝の寄進により永塚郷が走湯山の寺領であった頃、村人が伊豆山に狩りに行き走湯山の山中で
おおかみの大群に遭遇したが、走湯山の氏神である雷 電社に逃げ込み一命が助かった。
このことから、走湯山の雷電社を勧請して永塚村の氏神として祀った」

本立寺までは水田の畦道を行く。
稲穂も大きくなってきました。
その中に下の写真のような稲穂?に出会いました。
緑の水田の中に混ざってこの茶色の稲穂?は何なのか・・・どなたかご存知ならば教えて下さい。
 

 

そして到着したのが「光瑞山本立寺」
 応永11年(1404年)、創建*。立派なお寺
  

境内もなかなか綺麗に整理されており、後日再度訪れてみたいお寺である。

シティーモールに着き昼食そしてSDカードを購入。8Gで1000円弱だった。

帰りは、「満福寺」経由「三島神社」
 祭神 大山祇命 ( おおやまつみのみこと )
 境内に由緒を記したものは見あたらなかった
 玉垣の奉納者名に「河野一郎」の名があった。河野一郎は国務大臣を何度か務め昭和40年に鬼籍に入っている。
  弟に河野健三、次男に河野洋平、孫に河野太郎がゐる。 出生地は、現在の小田原市成田、当時の豊川村。
 豊川村は明治の町村制施行時に飯泉村・成田村・桑原村が合併して発足し、 昭和29年に小田原市に編入されてゐる。
 成田村の鎮守だったと想像される。
 

 

話は前後するが、下記写真がこの時の昼食である
 

帰りの水田にはリアルな案山子が・・・
 

さあ、もう少しで到着・・・遠くに上府中公園の照明塔が見える。
 
コメント
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