ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【読書と方法】難波先生より

2014-11-27 08:52:42 | 難波紘二先生
【読書と方法】
 いろんな読書方法があると思う。風呂やトイレで読む人もいるが、私はプルセニドを毎晩2錠呑むので、トイレに読むだけの時間をかけない。色線引きや書込をするので、椅子と机がいる。寝室のナイトテーブルにも緑のマーカが置いてある。乗り物などでは頁の端を折っておく。頁折すると本が厚くなるので、後に付箋に変え、水溶性ハイテクペンで「索引語」を書き込んでおく。

 机での読み方だが、最近は「書見台」を使うようになった。といっても閉じたノートPCの上に、大型の筆記板に載せた雑誌をクリップで挟んで立てかけただけだ。(写真1)
(写真1)
 これは上下を逆にすれば、頁がフラットに開く上質製本をしたハードカバー本にも使える。

 書見台がよいのは、本の全頁を30〜35センチの明視距離に保てることと、眼から60センチの距離にノートパソコン画面が、80センチ先にデスクトップの画面が来ることだ。さらに眼をあげれば、窓外の光景が見える。枝に戯れるヒヨドリやホオジロが目の前、数メートルの距離にいる。
 近見、中見、遠見と、なるたけ眼の焦点距離と注視のアングルを変えてやると、瞳孔括約筋にも外眼筋にも「しこり」が起こらず、眼精疲労が予防できるようだ。

 実際には、ノートPCに随時書き込みしたり、AirMac画面でニュースやメールを読んだりするし、iMacで「広辞苑」電子版を「逆引き検索」に使うので、3台が同時に動いていることもある。ブラウン管から液晶に変わり、「VDT症候群」という言葉も消えたようだ。(「知恵蔵1999」にはあるが「現代用語の基礎知識2014」にはない。)
 今のPCは、放っておいても、使わない画面はスリープするから目障りにはならない。

 眼鏡なしで新聞も本も読めるが、小さな字で書かれている辞書などでは拡大鏡か眼鏡を使う。運転の時だけ眼鏡をかけるが、これは二重焦点レンズにしてあり、上半分だと3メートル以上無限遠までシャープに見え、乱視も補正されるからだ。
 昔、医学書院が出していた「医学手帳」には活字の各種サイズの表があり、大きさをポイントと号数で示してあり、編集者との電話でのやりとりに便利だった。今、『岩波・現代用字辞典』にも『三省堂・新用字辞典』にも、この表が載っていない。だから私の肉眼解像度を、活字サイズにより、科学的に正確に伝えられない。「活字離れ、本離れ」を嘆く前に、活字文化のインフラの整備をきちんと出版社はすべきだろう。

 眼鏡の下半分は焦点距離を80センチにして、やはり乱視を補正してある。これはDTパソコン作業に適した眼鏡になっている。小さい文字を読むには、これにオーバーヘッド式の、軽いプラスティック製老眼鏡(2ジオプトリ)を重ねてかけるか、写真1右上の文鎮兼用の拡大鏡か、左にある普通の虫眼鏡か、左上の筒みたいなスケール入りの7倍ルーペを使用する。これはマイクロメーターも兼ねている。
 小さなデジカメは「ペンタックス・Optio-S」というビューファインダー付きの3倍ズームカメラで、5cmまでの接写が可能である。(パララックス=視差の自動補正はない。)久しく行方不明だったが、たまたま出てきたので接写性能をテストしたところ。

 ガラス文鎮の下に見える「毛利孝一」という人は、名古屋の医師(元名古屋市内科医会会長)で、生涯に3度「臨死体験」をしたそうだ。第1回目の体験の後で、『命よみがえる―、町医者のカルテから』(金剛出版、1973)という本を出している。私が最初の随筆集『よみがえるカルテ』(渓水社、1983)を出して、名刺代わりに配ったところ、同僚のFKという教授からこの本の存在を指摘された。暗に「タイトルのパクリか?」と問われたのだ。
 が、そうではない。私は同名の随筆文で、マサチューセッツ総合病院のカルテは、入院第1号の患者から全例が保管されており、米建国200周年を記念して「ニューイングランド医学雑誌」が「CPC(臨床病理カンファレンス)」に、第1号患者を取りあげたという話を書いたのである。医療記録保存の重要性を訴えたのだ。このようにカルテ保存が完璧であれば、日本の「病腎移植騒動」のような事件は起こりようがない。実際、呉共済病院では私が科長だったときに、病理関係書類は毎年製本して永久保存する措置をとっておいた。
 FK教授はその後三重大学に転出し、そこで定年退職して3年目に胃がんで亡くなった。まだピロリ菌が発見される前のことだ。定年後5年以内に亡くなる人は大学でも多い。心身のリズムを崩し、人間関係が切断されることが、要因のひとつとなっているのではないか。

 写真1の開いたページは「週刊文春」11/13号の「立花隆・僕の理想の最期」という連載の完結編・最終ページである。彼の理想の死に方は、死後に火葬せずに「コンポスト葬」にして土に返す方式だが、「墓地埋葬法」のしばりがあるから、妥協して遺骨を土に埋め上に樹の苗を植える「樹木葬」にしてほしいそうだ。
 彼は今回『読書脳:ぼくの深読み300冊の記録』(文藝春秋)により二度目の「毎日出版文化賞」(一度目は『脳死』、今回は「書評賞」)をもらったので、よい書評を書くためにもぜひ読みたいと思う。
 浄土真宗の祖親鸞は「わしが死んだら亡骸は鴨川に捨てて、魚の餌にせよ」と遺言したと伝えられる。時宗の開祖、一遍は遺体を野山に捨て、獣の餌にする「林葬」を遺言している(『一遍上人語録』,岩波文庫, p.138)。死んだ後のことは他人がやることだからどうなるかわからない。
 思い通りにしたいなら、今日では遺産贈与と葬式の指示をリンクさせて、遺言を公正証書にしておくしかなかろう。この点、曽野綾子・近藤誠『野垂れ死にの覚悟』(KKベストセラーズ)でふたりが述べる最後のあり方には「悟り」のようなものを感じる。
 大型筆写板は、書見台としても書き写し台としても役立つ。私は書き写しの場合は、筆圧が少なくてすむ水溶性ハイテクペン(PILOT HI-TEC-05)か万年筆を使う。

 11/12日経コラム「春秋」に鈴木牧之『北越雪譜』から「熊は和獣の王、猛くして義を知る」を引用して、昨今の熊害を論じていた。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO79584650S4A111C1MM8000/
 熊が「義獣」だとは知らなかったので、岩波文庫の『北越雪譜』を取り出し、p.37〜47にある「熊捕」、「白熊」、「熊ひとを助く」の項を読んだ。
 確かに「熊捕」の項に、この文言がある。そこで梶島孝雄『資料・日本動物誌』(八坂書房, 2002)でツキノワグマに関する他の文献の記載を調べた。梶島は1943年、東大理学部動物学科卒で、信州大学教授となり、1997年に日本の動物について、第1部「時代・事項別通史」、第2部「動物別通史」からなる、全700ページを超えるこの大著を書いた。

 で、この本を開いて「脊椎動物19.クマ類」(p.543-546)の項を読んだ。読み流しではもったいないので、罫線紙に「春秋」の切り抜きを貼り、その下に抜き書きをした。(写真2)
 (写真2)
  台紙はA4サイズだから後でクリアフォルダか、バインダーに保存しておけばよい。

 このように書見台に本を置き、右に筆記用紙をおき、パソコンに「蔵書目録」を表示すると作業がはかどる。驚くべし、この本にはクマ類について記紀万葉をはじめに、40点以上の書物があげられ、縄文時代以後の日本のクマについて、知識の変遷が述べられている。
 クマは「熊」=ツキノワグマ、「羆」=ヒグマとで、後者は和名を「之久万(しくま)」と言った。熊の付く姓に「熊取」がある。かつて千葉の放医研に「熊取先生」がおられ、一緒に飲んだときに「先祖は猟師ですか」と聞いたところ、「そうかも知れん。大阪に熊取という地名があるが、あの辺の出だ」と返事があった。「しくま」の方は、山口県に四熊、志熊という姓が多い。『氏姓辞典』によると徳山の近くに「四熊村」があったそうだ。

 江戸時代の言葉で「山鯨」というのはイノシシの肉かと思っていたが、梶島によると熊の肉だそうだ。熊の利用というと、「熊胆」、「熊掌」、「熊膏」がある。熊胆(くまのい)は漢字熟語では、「ゆうたん」と読むようだ。京都の医者、橘南𧮾『西遊記』に熊胆についての記載があるというので、東洋文庫版『東西遊記2』を開いたら、「西遊記続編」に「54.熊胆」という項があった。熊本で高位の人に治療を頼まれたので、「熊胆が必要な病です」と見立てを述べたところ、それが下賜された。重さは「一匁三分」(約4.9グラム)とある。熊胆は平たいナス形をしていると書いた書物はあるが、乾燥重量を記録したのは彼だけかもしれない。
 熊の肉の中で最高は「熊掌」とされるが、これは熊の脂肪のことで「熊膏」と同じものだとある。見たことがないので、確実かどうかわからない。

 鈴木牧之は「熊胆に上中下とあり、琥珀胆が最高で飴胆が中品、黒胆が下品」と書いている。色が琥珀色、飴色、黒色とちがうという。
 「琥珀色」というのはビリベルジンつまり緑色の胆汁色素が多い(赤血球の崩壊産物ヘムに由来)、ということだろう。熊胆中には、胆嚢結石を持つものもあったはずだが、これは記載がない。
 「緑>茶>黒」の順に階級付をしているが、熊胆中の薬理学的に有効な成分は「ウルソ・デオキシコール酸(ウルソジオール)」であり、白色の粉末で、1927年に日本人研究者正田が熊の胆汁中で、タウリンと結合しているのを発見したという(「薬科大辞典」と「メルク・マニュアル」)。メルクには治療効果としては「抗胆石形成作用」しか載っていない。
 『医者からもらった薬がわかる本』(法研、2010)によるとウルソ・デオキシコール酸(ウルソ)は1962年に「ウルソ」という商品名で日本の会社が発売している。インターンの頃、肝臓病の患者にオーベン(指導医)がこれを好んで処方していたのを覚えている。この解説に「熊の胆のう成分を化学的に合成、コレステロール系胆石の溶解に有効」とある。メルクの記載と同じだ。
 『薬局で買える薬がよくわかる本』(法研, 2006)によると、多くの市販胃腸薬がウルソを成分に含んでいる。ただ含量が要医師処方の医薬品より少ないだけだ。しかし、市販薬は数種類の他の薬物を少しずつ混ぜているので、いったいどれが効くのか、どれが副作用をもたらすのか、医師にも薬剤師にもさっぱりわからないだろう。

 胆嚢がある以上、クマにも胆嚢結石ができるはずで、それは理論的には
 1)コレステロールを主体にした白〜薄黄色のコレステリン結石、
 2)ビリルビンを主体とした茶色の色素結石、
 3)逆行性の腸内細菌感染を合併した黒い混合結石、
 4)何らかの理由でビリベルジン→ビリルビンへの代謝が進まずにできる緑色の色素結石
が考えられる。あいにく手元の「比較病理学」教科書には動物の胆石が載っていない。
 恐らくクマを仕留めた猟師は、胆嚢を取り出すと切り開いて、石があれば捨てていたのではないか…。首切り朝右衛門一族は、ヒトの胆嚢やアキレス腱のところにある脂肪の塊を「薬」として売っていた時代があるが、「胆嚢から石が出る」という話は伝えられていない。

(病院病理医の方で、緑色の「ビリベルジン結石」のマクロ写真をお持ちの方があったら、画像をお送りいただけるとありがたいです。)

 幕府巡察使に随行して蝦夷松前に行った、古川古松軒の紀行文『東遊雑記』(東洋文庫)に「羆」のことが書かれていると梶島『動物誌』にあり、パソコンで「蔵書目録」を検索したらあった。
 開いてみたが地図も旅程表も索引もない本で、該当箇所を探し当てるのに半日かかった。日本の文系学者の知的労働の生産性が低いのは、本に索引がないせいだろう。知的インフラが整備されていないのだ。紙本の存続を願うなら、出版社も関係学会も考えるべきだ。
 …やっと「巻六、戸切知(へけれち)」(p.154-157)に書かれているのを見つけた。
 戸切知での一行の宿に、深夜に羆が現れ、馬二頭が襲われ取って行かれたので、鉄砲を撃ちかけるという大騒ぎになった、という。戸切知は現在の「上磯」で、湾をはさんで函館の対岸にある。ヒグマの正確な形状が述べられていて「月の輪がない」とある。
 「羆の胆」については、「熊胆より効能が勝れているとして、値段は安くない。松前でも市中で売られている羆胆には、偽物がままある」と述べている。羆皮の値段は「一畳につき1貫2百文」とあったが、羆胆の値段は書いてなかった。
 同じく梶島『動物誌』は『北越雪譜』に「一熊を得れば、その皮と胆と、大小にも従えども、大方は金五両以上に至る」とあるとしているが、岩波文庫にも索引がなく、この箇所が発見できない。目次に戻って「項目」をよく見たら、「初編巻の上」の熊3項とは別に、「第二編巻の二」に「雪崩に熊を得る」という別項目があり、そこに書かれていた(p.213)。
 冬眠中と春先の熊胆は値が高いのだそうだ。「十両盗めば首が飛ぶ」といわれた時代に五両以上の値がつくとは…。

 古松軒が東北と蝦夷地を訪れたのは天明8(1788)年で、死者数十万人を出した天明の奥羽大飢饉から4年後のことだ。津軽地方が荒廃しているのがよく描かれている。橘南𧮾『東西遊記1』(東洋文庫)にも書かれているが、これも何年か後のことで、リアルタイムの記録がない。

 面白く思ったのは、アイヌの間に「義経伝説」があることを認め、通訳を介して蝦夷人の伝承を集めていることだ。
 「ある書に、義経公主従数人、宗谷より夷人を召しつれ満州の地に渡り給い、ダッタン国まで行き給うとあり。…ある人の言いしには、…清朝の太祖は満州の人にして、賢君の名あり。義経公満州の地に渡り給いし事跡、満州の夷人言い伝え、それをまた宗谷に伝うことにて、清の太祖は義経公の子孫に相違なしといえり」、
 と松前に「義経=ジンギスカン説」があったことを記録している。どうも「ある書」というのは、彼が尊敬してやまない新井白石『蝦夷誌』のことではないかと思われるが、この書はまだ持っていない。
 宿題がまたできた。それにしても人名と事項の「索引」が完備していない本は、学術書とはいえないなあ。
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