ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【アーチと水道橋】難波先生より

2015-12-28 17:19:11 | 難波紘二先生
【アーチと水道橋】
 「千葉君津市の国道トンネル天井モルタル崩落」という事故をテレビが報じている。
http://www3.nhk.or.jp/news/
 トンネルはアーチ型でも、内壁にモルタルを貼ってはダメだ。
 アーチを建築に取り入れたのはローマ人だとたいていの本には書いてある。確かにギリシアの神殿は列柱で屋根を支えていて、アーチは使われていない。
 「水道」を英語ではアケダクト(Aqueduct)という。原理的には日本の「掛樋」や「鹿威し」と同じだが、素材とスケールが違う。
 1995年初夏、スペインのマドリッドで開かれた国際学会に出席した後、レンタカーでスペイン東部(カタローニア地方)、ピレネー山脈、南フランス、北東部スペイン(ゲルニカとアルタミラ)を巡る旅をした。その時に「ローマの水道橋」遺跡を訪ねた。バルセロナの西100キロほどのところにタラゴナという町がある。そこに古代ローマが築いた立派な水道橋が残っている。(写真1,2,3)

(Fig.1ローマ水道橋の橋脚)
 右下の男性は相棒の呉共済病院の青木潤技師長だ。これで橋のおよその高さの検討がつくだろう。切れ込んだ峡谷をまたぐこの橋は高さ26m、全長が217mある。前378年、「第三次カルタゴ戦争」でカルタゴを完全破壊したローマはイスパニアを属領とし、前2世紀にこの水道橋を建設した。この頃の日本は、やっと青銅器から鉄器の文化へと移行しつつあった。

 橋の最上部には今でも使えそうな状態で水路が残っている。この壁面には湿気があるのか、青黒い苔が付着している。Fig1を見ると最上層の樋の部分は割石を漆喰で固めたような構造になっており、樋を支える突き出た敷石もそうだ。アーチ自体は台形の切石を上手く並べてあり、二つのアーチ底部を平たく大きな敷石が支え、その下の橋脚本体は2本組の切石からなる。
 基本的には「橋脚石—広い台石」というパターンが繰り返されて、深い谷底の礎石まで達している。

 安全のために水路には扉付の鉄柵があるが、写真撮影のためわざと開けた。(Fig.2)
(Fig.2:水道橋の北端)
 手前に大岩があり、ここにも水道が掘られている。というよりもこの岩を支点とするように橋自体が設計されている。水路は全体として前方(南側)に傾斜しており、岩のところから10mくらいは溝に土砂が堆積して、浅くなっている。歩いて水道橋の真ん中あたりまで行ってみた。水路はかなり深い。(Fig.3)
(Fig.3:水路の深さ)
 向こうの丘からは地中海が見下ろせる。恐らくタラゴナの町は古代に海沿いにあり、水の供給をこの水道橋に頼っていたのだろう。恐らく北を流れるエブロ川から採水していたのではないか。後述する古代マケドニアの首都ペラでは、20Km離れた山から水道橋で水を引いていた。
 水路は目測で深さ70cm、幅60cmなので、断面積は4,200平方センチ。秒速0.5mの渓流なら12.6t/分の給水が可能だったはずだ。
 ところがローマは衰亡し、この地に西ゴート王国ができた。「ゲルマン民族の大移動」というやつだ。で、メインテナンスの方法を知らないから、やがて放棄され「悪魔の橋(Pont del Diablo)」と地元では呼ばれるようになった。確か、カリフォルニアのヨセミテ国立公園の中に「ディアブロ・キャニオン」という名前がついた、頂上に巨岩が載った巨大な土柱が林立する奇観がある。日本では「天の◯◯」というところを、西洋では「悪魔の◯◯」という。

 ヨーロッパの多くの国で、ローマの遺跡は都市の道路敷石や住宅や教会の建材として利用するために多く破壊された。今の「IS」がやっていることと変わらない。が、ここスペインの田舎では、「悪魔の橋」として住民が恐れたから、およそ2,300年の歳月に耐えて元のまま残った。
 もちろん、橋自体が地震によるズレへの配慮、重力の分散、橋脚と水路の構造の違いなど、建築上の考慮がなされていることが最も重要なことである。
 中央自動車道「笹子トンネル天井崩落事故」などをみると、どうも日本では「アーチ」という構造の意味が十分に理解されていないようだ。アーチは天井が重いほど、強度がつよくなるように設計されている。長さ217m、幅0.6m、深さ0.7mの水路に水を満杯にしたら、重さは91トンになる。橋自体の自重は一体どれほどになるのか?ともかく、橋自体の重さとその上の水の重さを約20本の橋脚が支えていて、2000年間ビクともしなかった。
 アーチの内側に、長さ1メートル当たり1トンのモルタルを塗りたくる日本のトンネル設計者は、もっとローマの石組み技術を理解したらどうだろう。

 12/23「毎日」の「余録」がローマのコロッセウムと古代コンクリートの話を持ち出していたが、あれは観光地にあるから目立つだけだ。
 本当はタラゴナの水道橋の方がもっとすごい。だが南仏ニームには水道橋と道路橋が三段重ねになった、もっと立派なローマの橋がある。(Fig.4)

(Fig.4:3段のアーチ式橋梁。前1世紀、アグリッパ統治時代の建造物。「Lands and Peoples」, Glorier, 1964より)

 ところでアーチの起源について、私は異説をもっている。まずマケドニアのフィリッポス2世(アレクサンドロスの父)の首都ペラ(ギリシア・テサロニケ市の北西にある)の遺跡を訪れてみると、ここにはアーチ構造の建築物がある。アレクサンドロスはここで前356年に生まれている。上下水道が完備していて、水は20キロ先の山から引いていた。
 古代マケドニア発祥の地に近い、ブルガリア・カザンクラ市にある古代地下墳墓を訪問してみると、「前方後円」形をしているが、円墳部にはドーム状の天井があり、壁画も描かれている。
 「アーチ」の概念がなければ、レンガや石でドームは作れないはず。
 というわけで、もともと死者の安らぎの空間として、天球を模した半球状の墓室をつくり、遺体を安置するところからアーチが始まったのではないか、と考えている。
 この議論はブルガリア国立歴史民俗博物館の館員ともしたが、「前方後円墳と鉄器の故郷は、黒海の西岸あたりにあるのではないか」という意見に耳を傾けてくれた。日本に前方後円墳が出現するのは3世紀の中頃であり、黒海西岸の前方後円墳に600年くらい遅れている。但し、日本には天井がドーム式の円墳はないようだ。(藤尾慎一郎「弥生時代の歴史」,講談社現代新書,2015/8)
 考古学は素人なので、馬場悠男さんや岡安光彦さんあたりのコメントを期待している。
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