【里山の秋】遅い昼食後、久しぶりに散歩に出かけた。
自宅から前庭を突っ切り、雑木林を抜け、レストランの駐車場に出て国道を渡ると、コンクリー舗装された農道と側溝が、向かいの山際まで真っ直ぐ続き、そこから山沿いに小川が流れている。このあたりは、夏に蛍(ゲンジとヘイケ)が発生する場所である。
ふり返ると晩秋の夕暮れは早く、自宅裏山がすっかり紅葉していた。2階浴室の窓から、真ん中の頂と右端の頂が、まるで二つの乳房のように見えるから、「おっぱい山」と呼んでいる。(添付3)
国道下に田圃が3枚あるが、いずれも休耕田で、わずかに青い旗が立った部分が自家用の野菜畑になっている。休耕するだけで、1反(300坪)≒ 1,000平米あたり、2万5000円の補助金が出る。
休耕田は国に土地を貸しているのと同じで、地代は40年間で100万円になる。しかも利用権は、所有者が保有したままだ。
一般に「地代」は売却価格の40分の1、つまり、40年間借りるのなら買った方がまし、という設定になっている。このように経済原則を無視した補助金行政のおかげで、「休耕田」という名の耕作放棄地が毎年増えている。「久芳・後谷」というこの集落の急速な高齢化も関係している。他の付加価値の高い作物への転作の気配はない。
「後谷(うしろだに)」という名称が示すように、前と後に山がある谷になったところで、日照時間が少ない。明治以後に農地として開拓された土地で、大きな水田はほとんどない。私の住んでいる土地は前は果樹園だったので、雑木林には大型の実がなる栗の木が生えている。
休耕田の田のあぜを見ると、ススキの穂が開花し始めていた。(添付4)
やがて穂綿が風に乗って、他の休耕田に飛んで行き、ススキが原ができるだろう。ススキは多年生で、根が土を抱えこんで毎年大きくなって行くから、刈り取ったのではダメで、退治するには根っこから掘り起こし、土ごと焼くしかない。
山際の小川に沿った道は1丁(100m)ほど歩くと、右に直角に折れて、国道に通じる一本道になる。これが2丁程の長さなので、四角の中の田圃は約2町分あることになる。この道の西側には、イノシシとシカ除けの電線が張ってある。(添付5)
高い位置に1本、低い位置に2本あり、右手前の支柱が示すように、ところどころに上下の連結線がある。これで電源は1本の電線に通電してあるのだとわかる。
柵を乗り越える時に、人が感電しないために用いる、黒いゴムシートが近くに置いてある。
このあたりのシカとイノシシの被害は相当なもので、シカはイネの穂を食べるし、野菜も食べる。イノシシはミミズ、野菜(イモ類)、栗の実など、ブタみたいに何でも食べる。
集落の中の小集落に至っては、田畑と家が「檻の中」に入っているようなところもある。動物と人間の関係が逆転しているのだ。
「里山資本主義」などと、メディアは持ち上げるが、机上の空論だ。
http://www.amazon.co.jp/里山資本主義-日本経済は「安心の原理」で動く-角川oneテーマ21-藻谷-浩介/dp/4041105129/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1384786261&sr=1-1&keywords=里山資本主義
越してきた頃は、猟が解禁になるとハンターたちが犬を連れて現れ、山から銃の音が聞こえていた。
いつぞやは、NHKのテレビ塔がある付近の高い山に登ったら、そこがイノシシ狩りの「司令所」になっていて、トランシーバーを持った司令官が、半径15キロ圏内に散らばった他のハンターたちに、イノシシを追い込む場所を指令していた。
その司令官から「イノシシ狩り」の戦略と戦術を聞いた。1日がかりで、遠くから山越えで目的の場所へイノシシを追い込んで行くのだそうだ。
一種の「巻き狩り」で、こんなスケールの大きい狩りが、現代にもあることを、はじめて知った。
しかし、動物愛護精神のたかまりのせいか、ハンターが高齢化したのか、最近ではハンターの姿も見かけないし、犬の鳴き声も、鉄砲の音も聞こえなくなった。聞こえるのは、「ヒィーッ」というシカの高い鳴き声だけだ。
町の人口は3000人いたのが、2700人と10%減少し、高齢化率は60%を超えた。跡継ぎがいないから、廃屋だけが増えていく。家は10年経つと、もうダメと外からわかるし、20年放置すると崩壊する。そんな家があちこちにあるし、自然に更地になり庭の植木だけが残った石垣も見られる。
で、電線を観察したら、これが青と白のビニール・ロープである。(添付6)
「どうやって電気が通るのだろう?」と不思議に思ってよく見ると、細い金属線が一緒に撚られていた。
「なんだ、まるで主糸に粘着性細糸が撚り込まれている、クモの糸と同じだな」と思って写真を撮影して、後で拡大して見たら、なんと本物のクモの糸も写っていた。
こういう同一構造が、ロシア人形みたいに、入れ子になっている関係を、数学では「フラクタル」というが、まさに動物と人間の制作物がフラクタル関係にになっている。不思議な話である。
これは紐に弾力性と強度を与えるには、撚ってロープにするのが最適である、という物理法則に基づいている。もとより、クモも人間も物理法則を知ってそうしたのではなく、経験的にそれを知り、クモの場合は遺伝子にそれが固定されただけのことだ。
国道に出て、ひっきりなしに車が行き交う国道を横断して、帰りは自宅への「サービス道」を通って帰った。万歩計の歩数をカウントすると約2,000歩だった。「犬も歩けば棒にあたる」で、よい気分転換と新発見があった。
自宅から前庭を突っ切り、雑木林を抜け、レストランの駐車場に出て国道を渡ると、コンクリー舗装された農道と側溝が、向かいの山際まで真っ直ぐ続き、そこから山沿いに小川が流れている。このあたりは、夏に蛍(ゲンジとヘイケ)が発生する場所である。
ふり返ると晩秋の夕暮れは早く、自宅裏山がすっかり紅葉していた。2階浴室の窓から、真ん中の頂と右端の頂が、まるで二つの乳房のように見えるから、「おっぱい山」と呼んでいる。(添付3)
国道下に田圃が3枚あるが、いずれも休耕田で、わずかに青い旗が立った部分が自家用の野菜畑になっている。休耕するだけで、1反(300坪)≒ 1,000平米あたり、2万5000円の補助金が出る。
休耕田は国に土地を貸しているのと同じで、地代は40年間で100万円になる。しかも利用権は、所有者が保有したままだ。
一般に「地代」は売却価格の40分の1、つまり、40年間借りるのなら買った方がまし、という設定になっている。このように経済原則を無視した補助金行政のおかげで、「休耕田」という名の耕作放棄地が毎年増えている。「久芳・後谷」というこの集落の急速な高齢化も関係している。他の付加価値の高い作物への転作の気配はない。
「後谷(うしろだに)」という名称が示すように、前と後に山がある谷になったところで、日照時間が少ない。明治以後に農地として開拓された土地で、大きな水田はほとんどない。私の住んでいる土地は前は果樹園だったので、雑木林には大型の実がなる栗の木が生えている。
休耕田の田のあぜを見ると、ススキの穂が開花し始めていた。(添付4)
やがて穂綿が風に乗って、他の休耕田に飛んで行き、ススキが原ができるだろう。ススキは多年生で、根が土を抱えこんで毎年大きくなって行くから、刈り取ったのではダメで、退治するには根っこから掘り起こし、土ごと焼くしかない。
山際の小川に沿った道は1丁(100m)ほど歩くと、右に直角に折れて、国道に通じる一本道になる。これが2丁程の長さなので、四角の中の田圃は約2町分あることになる。この道の西側には、イノシシとシカ除けの電線が張ってある。(添付5)
高い位置に1本、低い位置に2本あり、右手前の支柱が示すように、ところどころに上下の連結線がある。これで電源は1本の電線に通電してあるのだとわかる。
柵を乗り越える時に、人が感電しないために用いる、黒いゴムシートが近くに置いてある。
このあたりのシカとイノシシの被害は相当なもので、シカはイネの穂を食べるし、野菜も食べる。イノシシはミミズ、野菜(イモ類)、栗の実など、ブタみたいに何でも食べる。
集落の中の小集落に至っては、田畑と家が「檻の中」に入っているようなところもある。動物と人間の関係が逆転しているのだ。
「里山資本主義」などと、メディアは持ち上げるが、机上の空論だ。
http://www.amazon.co.jp/里山資本主義-日本経済は「安心の原理」で動く-角川oneテーマ21-藻谷-浩介/dp/4041105129/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1384786261&sr=1-1&keywords=里山資本主義
越してきた頃は、猟が解禁になるとハンターたちが犬を連れて現れ、山から銃の音が聞こえていた。
いつぞやは、NHKのテレビ塔がある付近の高い山に登ったら、そこがイノシシ狩りの「司令所」になっていて、トランシーバーを持った司令官が、半径15キロ圏内に散らばった他のハンターたちに、イノシシを追い込む場所を指令していた。
その司令官から「イノシシ狩り」の戦略と戦術を聞いた。1日がかりで、遠くから山越えで目的の場所へイノシシを追い込んで行くのだそうだ。
一種の「巻き狩り」で、こんなスケールの大きい狩りが、現代にもあることを、はじめて知った。
しかし、動物愛護精神のたかまりのせいか、ハンターが高齢化したのか、最近ではハンターの姿も見かけないし、犬の鳴き声も、鉄砲の音も聞こえなくなった。聞こえるのは、「ヒィーッ」というシカの高い鳴き声だけだ。
町の人口は3000人いたのが、2700人と10%減少し、高齢化率は60%を超えた。跡継ぎがいないから、廃屋だけが増えていく。家は10年経つと、もうダメと外からわかるし、20年放置すると崩壊する。そんな家があちこちにあるし、自然に更地になり庭の植木だけが残った石垣も見られる。
で、電線を観察したら、これが青と白のビニール・ロープである。(添付6)
「どうやって電気が通るのだろう?」と不思議に思ってよく見ると、細い金属線が一緒に撚られていた。
「なんだ、まるで主糸に粘着性細糸が撚り込まれている、クモの糸と同じだな」と思って写真を撮影して、後で拡大して見たら、なんと本物のクモの糸も写っていた。
こういう同一構造が、ロシア人形みたいに、入れ子になっている関係を、数学では「フラクタル」というが、まさに動物と人間の制作物がフラクタル関係にになっている。不思議な話である。
これは紐に弾力性と強度を与えるには、撚ってロープにするのが最適である、という物理法則に基づいている。もとより、クモも人間も物理法則を知ってそうしたのではなく、経験的にそれを知り、クモの場合は遺伝子にそれが固定されただけのことだ。
国道に出て、ひっきりなしに車が行き交う国道を横断して、帰りは自宅への「サービス道」を通って帰った。万歩計の歩数をカウントすると約2,000歩だった。「犬も歩けば棒にあたる」で、よい気分転換と新発見があった。
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