ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【死刑執行】難波先生より

2013-10-25 12:30:45 | 難波紘二先生
【死刑執行】前便で<心臓はそれでも動くから、15分以上経って、医師が心電図で心停止を判定する。>と書きましたが、元刑務官で何度も死刑執行に携わった坂本敏夫「死刑のすべて」(文春文庫, 2006)に含まれているイラストによると、拘置所の医務官は死刑囚がぶら下がった状態で、着衣をめくり胸に聴診器をあてています。(添付1)1994年に退職していますから、それ以前のことと思われますが、本当にいまも聴診音で死亡判定をしているのだろうか?


 聴診音だと心室細動や心房細動のため、心収縮が起こらないと「心停止」と誤判定される恐れがある。そうするとイランの例のように、棺桶の中で死んだはずの死刑囚が生き返るということもありえる。どうして心電図で波形がフラットになったことを確認しないのだろうか?
 フランスでギロチンになった首で実験したところ、1分以内なら実験者の命令に答えて首は瞬きするそうです。つまり切断された首に意識があるので、絞首刑の場合も「脳死判定」と同じく「深部聴覚反射」を調べないと死亡宣告ができないのではないかと思う。
 これはマネスティエ「死刑全書」、吉田八岑(やつお)「ギロチン:処刑の文化史」(北宋社)に詳しい議論がある。
 ともかく、記載に誤りがあったので訂正いたします。


<死刑判決を担当した検事は死刑執行に立ち会う。>
 これも誤りがありました。上記書p.37の記述によると、死刑執行業務に手を出さない「立会人」は、検察官(誰でもよい)、検察事務官、監獄の所長またはその代理の3人だそうです。お詫びして訂正いたします。


 医師は死亡の確認と「死亡診断書」の作成を行うそうです。
 現在の死亡診断書は、1)直接死因、2)その原因、3)その基礎となる疾患
の3段に分かれていますが、「絞首刑」とどこに書くのだろうか?
 ともかく日本では死亡診断書がないと、火葬許可証が出ませんからね。
 本来、条文を読めば「個人情報保護法」は死者には適用されないはずなのに、法務省は通達か何かで死刑囚執行を「個人情報」にしている。すると死亡診断書の死因と死亡場所はどう書いてあるのだろうか?


 作家の加賀乙彦は、東大医学部精神科に入局した後、1955年11月から、東京拘置所の医務官(法務省技官)になり、死刑囚と無期懲役囚の精神状態の研究を行い、それで学位を得ている。
 Cf. 加賀乙彦:「死刑囚の記録」, 中公新書, 1980
これには「メッカ殺人事件」の正田昭、「帝銀事件」の平沢貞道など、彼が担当した死刑囚の精神状態についてはよく書いてあるが、肝腎の死刑執行の話は書いてない。
 加賀乙彦:「頭医者」(中古文庫)、1993 は彼の頭医者三部作、「事始め」、「青春記」、「留学記」を含んでいて面白いが、拘置所医者時代を描いた第二部に、死刑執行に立ち会う話は出て来ない。東京拘置所はもとの小菅刑務所で、A級戦犯の処刑はここで行われたから絞首台がある。ただし当時は死刑執行は仙台拘置所に送ってそこでやっていたとある。
 「頭医者青春期」に、死刑囚の精神調査で訪れた宮城拘置所のことがやや詳しく書いてある。
 「死刑囚の監房から鉄扉一枚の先に、細い道が続いていた。…刑場は道を五十メートルほど行った先にあった。刑場という木札が打ち付けてなければ倉庫かと見まがうばかりの粗末な平屋である。中に入ると仏壇のある仏間、隣が処刑室で、刑壇の上に滑車から首吊り用のロープが垂れていた。」
 ともかく精神科医で拘置所の医者になって、死刑囚の心理状態を詳しく調べたのは彼だけだろう。しかし彼が死刑執行に立ち会ったとは思えない。


 10冊くらい本を開いたが、ともかく日本の死刑は完璧に隠蔽されている。オランダのライデン大学が幕末・明治初年の日本の写真を集めた「写された幕末」という写真資料があるが、あれには磔刑、打ち首と晒し首の写真が載っていた。
 しかし、モネスティエ「図説・死刑全書」には、日本関係の写真が1枚もない。明治14年以前は、公開処刑が行われており「佐賀の乱」の首謀者江藤新平は斬首の上、晒し首になっている。明治15年になって斬首も廃止され、絞首刑のみになった。だからそれ以前には、絵や絵葉書や写真が沢山あるはずだが、現在入手可能な本には掲載されていない。
 (綱淵謙錠:「斬」, 文春文庫 は、幕府代々の首切り役人だった「首切り浅右衛門」家が、「旧刑法」の制定により明治14年7月を最後として失職するまでの処刑史だ。


 上記の元刑務官、坂本は広島拘置所の死刑場について書いている。
 Cf.坂本敏夫:「死刑執行人の記録」, 光人社、2006
 広島市の吉島町には「広島刑務所」がある。が、死刑囚は「死ぬこと」で罪を償うのだから、懲役囚がいる刑務所には収容されない。未決囚と同様に「拘置所」に入れられている。その「広島拘置所」は各種中央官庁の支所がひしめいている裁判所、合同庁舎がある広島城の東の官庁街の中にある。
 https://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF-8&q=広島拘置所&fb=1&gl=jp&hq=広島拘置所&hnear=0x355a9908eef34fbb:0x7e4ce50cfc1f772,広島県広島市&cid=0,0,7996301715431309740&ei=cddlUoKmIq2RiQfy-oDgDA&sqi=2&ved=0CMMBEPwSMAs


 処刑場もこの中にある。所長の官舎も同じ敷地内にある。
 拘置所の講堂で朝、所長から死刑執行を言い渡された死刑囚は、別の平屋の処刑場に連れて行かれる。暴れたら担いで行く。処刑場は天井が高く、中に1メートル四方の処刑台がある。床から階段を登るようになっている。もう一つ地下に降りる階段もある。
 死刑囚は処刑台に上り、落とし蓋の上に立つ。両腕は後ろ手に手錠を掛けられ、両足はロープで括られる。頭から目隠しの袋をかけられる。大声を出す場合は、猿ぐつわをはめられる。警備隊長がロープを首にかけ、ロープのわっかの部分に金具を滑らせて後首に固定する。刑務官が押しボタンを押すと、床が開いて死刑囚の身体が約2メートル落下し、地下室に立っている医務官と同じ高さに落ちて来る。
 処刑中に暴れると、ロープが振り子のように揺れ、首に外傷がつくので、刑務官が抱きかかえることもある。約15分で心停止し、身体の動きが止まる。そこで医務官が脈の触診と聴診器による心音の聴診により、「死亡宣告」をするわけである。
 おそらくこの方式は明治15年以来、変わっていないのではないか?


 評論家の天野祐吉が亡くなった。かれはテレビの「モザイク」を「視聴者をバカにしたものだ」と手厳しく(口調は軟らかく)批判していた。モザイクという手法はもともと「アダルト・ビデオ」で登場したものだ。表現の自由を重んじるアメリカにはこんなものはない。ポルノ映画「ディープスロート」さえ、ノーカットで上映された。のどの奥にクリトリスがある女が主人公だから、こういう題名になった。
 いまディープスロートは日本のメディア用語になっているが、ニクソン大統領失脚につながった「ワシントンポスト」記者に機密情報を提供した人物(FBI副長官)を、二人の記者がソースの秘密性を保つために、当時話題のこの映画のタイトルで呼んだのが語源だ。不勉強な日本のメディアはその経緯を知らずに、この言葉を使っていて笑ってしまう。


 かつてアフリカのいくつかの国では死刑のテレビ中継をやっていたことがある。被害者の報復感情に配慮し、死刑の犯罪抑止力を信じるのなら、日本でも顔にモザイクをかけてテレビ中継したらよかろう。毎晩NHK21時のトップニュースにする。
 日本は死刑判決から執行までが世界一遅い国なので、事件が忘れられないうちに執行しないと、被害者遺族も世間も忘れてしまうだろう。


 日本の「死刑存置論」の主な根拠は、
 1)死刑に犯罪抑止力がある、
 2)被害者遺族の感情に配慮する必要がある、
 の2点だ。
 元最高裁長官団藤重光が示している統計によると日本の死刑執行数は、
 公開処刑時代(M6~14年)=3,262名
 戦後混乱期(S21~28)=   185名
 バブル破裂後(H3~10)=   29名
 となっており、きちんとした統計のある時代では、これまでに執行された死刑約6,400件のうち、なんと半数を公開処刑時代のものが占める。つまり公開処刑にも死刑制度にも抑止力はない。
 Cf. 団藤重光:「死刑廃止論第6版」, 有斐閣, 2000


 「光母子殺人事件」では、被害者の夫(父)が「被告が死刑にならないのなら、私が殺す」と発言して話題になったが、やったらよかったのにと思う。近代国家はすべて「報復殺人」を禁じている。あの時の犯人の弁護人、安田好弘の「死刑弁護人」(講談社+α文庫)を読むと、タレント弁護士の橋本徹(現大阪市長)がテレビで呼びかけた「弁護士懲戒請求」の理由とはだいぶ違うことが書いてある。


 人を殺さないと死刑にならないと思っている人が多いようだが、死刑適用のある12犯罪のうち、
 1. 外患誘致罪、2. 外患援助罪、3. 現住建造物等放火罪
は、例外で直接ひとを殺さなくても死刑になることがある。かつての「大逆罪」がそうだったように…
 Cf. 井上薫「裁判資料:死刑の理由」(作品社, 1999)


 日本の明治憲法も刑法も、プロシアのそれをまねしたものですが、憲法の方は戦後、「コモンロー」に基づく新憲法に変わったが、刑法、刑事訴訟法、監獄法は明治時代のままです。ドイツではプロシアの時代から憲法も刑法もすっかり変わって、コモンロー主義を採用したのに…
 官僚の中でもっとも保守的なのが法務官僚です。何しろ法務省は裁判官と検察官の人事権を握っている。「そして官僚制は残った」という本を書いた評論家がいるが、法務省が変わらないと官僚制は変わらない。「行政組織法」をいくらいじってもダメだろう。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【九段坂】難波先生より | トップ | 【汚染水続】難波先生より »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ギロチンの話ですが (たまだ)
2019-01-09 19:59:28
こんにちはギロチンにされた死刑囚うんぬんの研究はいかがわしい話しで、
フランスの死刑廃止論者の捏造というのが定説です。
実際は首は立派な即死部位で首を切られて意識があるとかいう事はありえません。
まばたきの話が仮に事実としても死あとの肉体反応で説明がつきます。
そんなこと言ってたら、胸や心臓を突かれた人物が即死する事はありえなくなってしまいます。
返信する
頸椎部分損傷は即死です。 (たまだ)
2019-01-09 20:20:03
頚椎首の後ろー運動神経の束があり、切られれば即死する。
心臓-胸骨で守られているが、その間から刺されれば即死する。

実験動物でも安楽死させる時は首の頸椎を外せばその瞬間に即死します。

それ自体が疑わしい昔のフランスの死刑囚研究の話ですが、
その話ですら死刑囚が「死んだ後も指示に従う」なんて言ってません。
ただ、「できる限りまばたきを続ける」と言っただけです。
ですので百万歩譲って、その話が事実だったとしても、
まばたきは「連続行動からくる死後反応」で説明できるのです。
ただし、(奇矯な)医者の一部は「首を切られても下の部位なら即死しない」「数秒程度だが意識がある」と主張している人はいますが。
それにしたって「首を切断されたあと一分も意識がある」なんて大仰な事を言っている現代の医者や研究者を私は知りません。
返信する

コメントを投稿

難波紘二先生」カテゴリの最新記事