ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【地図が読めない女】難波先生より

2014-11-04 09:12:36 | 難波紘二先生
【地図が読めない女】
 夫婦がドライブに出かけた。運転は夫、妻はナビゲーターで地図帳を開いている。複雑なルートで途中からケンカになった。
 「地図をくるくる回すのは、やめろ」と夫のレイ。
 「でも向かっている方向に一致させないと…」と妻のルース。
 「それじゃ文字が読めないだろうが!」
 「進みたい方向に地図の向きを合わせておけば、通りの名前と地図がちゃんと一致するじゃない!」
 「もし地図が上下反対に読むものなら、文字は逆向きに印刷するはずだ。文句言わずにどっちに行くか指示しろよ!」
 ルースは激怒して地図を夫に投げつけた。
 「他人まかせにしないで、自分で読みなさい!」
 15年ほど前にベストセラーになったA. & B. ピーズ:『話を聞かない男、地図が読めない女:男脳・女脳が<謎>を解く』, (主婦の友社) に出てくる話である。
 たいていの男脳にはメルカトール図法による世界地図が頭に入っており、北が上になっている。日本地図も同様だ。ドライブするときも目の前の道路とマップの路線をすぐに合わせることができるが、女はそれ苦手だ。カーナビでは進行方向が上になる。これは女性型マップである。

 『朝鮮半島全図』(パシフィッヴィジョン社)という110万分の1地図(マップ=1枚図)と韓国教員大学歴史教育科著(吉田光男監訳)『韓国歴史地図』(平凡社, 2006)を入手した。私のもつ『タイム・世界地図』では朝鮮半島は250万分の1で、1頁に入っており、英語表記のみである。平凡社『世界大地図帳』は2頁にわたるが、ロシア・中国・日本という隣国が含まれており、やはり250万分の1だ。漢字と朝鮮音のカタカナ表記のみである。
 『半島全図』の新味はなにかというと、開いた表面には朝鮮半島(北と南がそれぞれ固有の領土と主張している部分)とその付属諸島に漢字とハングルとそのカタカナ表記があることだ。韓国は李承晩が大統領の頃、「対馬・沖縄も韓国領だ」と主張していたが、この地図では対馬の南側が「対馬海峡」、対馬の東の水路が「東水道」、西の水路が「西水道(朝鮮海峡)」となっている。もちろん国境は西水道の真ん中を走っている。平凡社『大地図帳』では対馬の東西が全体として「対馬海峡」で東が「対馬海峡東水道」、西が「対馬海峡西水道」になっている。
『タイム地図』では、「Tsushima Strait」という言葉がなく、「Higashi-suido」と「Korea Strait (Nishi-suido)」という表記になっている。日本の外務省は何をやっているのか…。
 で、『半島全図』では、問題の竹島は鬱陵島の東方約90キロの小島で、「竹島(島根県)」となっている。国境は両島の中間海上に引かれている。

 日本海と東海はどうなっているかと見ると、北朝鮮の元山が面する湾が「東朝鮮湾」、その沖の大海が「日本海」となっている。問題の「東海」は南朝鮮東部、浦項(ボハン)が面する湾「迎日湾(ヨン・イル・マン)」の沖に広がる鬱陵島までの近海の名称(活字の大きさからそう判断される)になっている。つまり沿岸の海の呼称だ。
 この地図は地形地図でもあるので、見ると朝鮮半島はその付け根で中国との国境をなす白頭山(2750m)に発する「白頭大山脈」が発し、これが半島の東側を脊梁山脈として走り、南部に行くと低くいくつかの小さな支山系にわかれる。だから朝鮮北部と半島東部は山ばかりで、かつて百済があった南西部以外には大規模農耕ができる平地がないということがよくわかる。
 この地図の裏は、平壌と京城(ソウル)の4万分の1市街図になっているが、驚いたことに「ソウル」だけがハングルとカタカナのみの表記になっていて、漢字がない。日本の都市図なら地下鉄路線図が描いてあるが、平壌・京城ともに画いてない。(軍事機密か?)日本の場合、日本地図にも世界地図にも鉄道の駅が示されているが、半島全図にはそれがない。

 「歴史地図」はいろいろ持っているが、多くは『世界歴史地図』、『英国歴史地図』、『アフリカ歴史地図』、『北米歴史地図』、『インカ歴史地図』の類で、朝鮮のものは初見だ。
 で、『韓国歴史地図』を見ていて「秀吉の朝鮮出兵」(壬辰倭乱)のところを開いたら、地図がさっぱりわからない。海岸に沿うように多数の島々があるところに日本軍が上陸・侵略したらしい。左端に「釜山浦」という地名があり、やっとわかった。南を上に描かれた地図だ。右上隅には朝鮮半島と北九州の小さい地図があり、それは北が上になっているのに、拡大図は逆さまになっている。
 10年ちょっと前、ソウルの観光に出かけ、地下鉄から外にでたら位置がわからなくなった。街路に案内地図が立っていたのでそれを見たが、さっぱりわからない。手元の観光案内の地図で駅名を確かめたら、なんと看板の図は南が上になっていた! 看板を読むには南面するので、向いた方が上になっている。冒頭の「女ナビゲーター」と同じだ。(冒頭に紹介した草思社の本には、男の脳と女の脳では「空間認識」の方法に違いがあり、女は左右の脳で認識するから地図をひっくり返すのだと説明がある。今年のノーベル医学賞ともからむ話だ)。
 「三・一運動と大韓民国臨時政府」という項にある「三・一運動参加者数と被害状況」というグラフでは参加者数より死者数が多い。(写真A)縦(Y)軸(参加者数)とZ軸(死者数)の単位が二桁違うのに、それが書かれていない。非常に意図的な資料操作である。出典も明示されていない。
(写真A)
 珍しい写真もあった。李朝時代における「むち打ち刑」の着色写真だ。(写真B)
(写真B)
 被疑者が尻を裸にされ、木の棒で叩かれ、尻に出血している。官吏は全員が朝鮮帽をかぶっており、朝鮮人だ。説明には<取り調べを受ける罪人。君主と臣下の秩序を重んじる儒教を基本とする朝鮮では、官に対する農民の抵抗は重罰で裁かれた。写真は大韓帝国時代(1897-1910)のもの>とある。
 日本が韓国と結んだ「第三次日韓協約」(1907/7)の付属秘密文書により、「韓国の司法及び監獄事務委託に関する覚書」によりその経費を含めて「司法行政」のいっさいが日本政府に委託された。韓国の警察権が完全に日本政府に委託されるのは1910/6のことで、同年11月の「日韓併合」の直前である。
 李氏朝鮮の刑罰は中国のものより酷く、斬首、晒し首、陵致死刑、八つ裂き刑などがあったが、これは1907年に廃止された。しかし朝鮮併合後の1910/12に「訓令第40号:笞刑心得」が施行された。これは「懲役3ヶ月以下の罪に相当するもので、罪を認め裁判で争わない朝鮮人」に限って警察署長または憲兵分隊長が執行することができた1)。
 笞は李朝時代には「木の棒が使われるため、脚の骨を砕き、不具者にすることがあった」と秋田とパーマーは書いている2)。1894年に最初の朝鮮旅行を日本から行ったイサベラ・バードは「朝鮮人には独特の処罰法があって、役所の雑卒が容赦のない笞打ちを行い、罪人を死ぬほど打ちすえる。その苦痛に泣き叫ぶ声が、近くの英国伝道館の中まで聞こえてくる」と書いている3)。「切断された首や胴体をさらしたり、笞打ちや身体をそぎ切りで死にいたらしめるようなことは日本の支配を受けていた時代になくなった」と1897年に、朝鮮を再訪した彼女は記録している4)。
 当時の朝鮮がいかに貧しく、火田民による反乱が多発していたか、参考までに平壌近くでバードが泊まった旅館の写真(1894年、バード撮影)を掲げる。(写真C-1)藁葺きの平屋で土壁の小屋が「旅館」だった!5)


(写真C-2 :1896年、日光湯本の旅館、バード撮影)
 比較のために、当時の日本旅館の写真を示す。(写真C-2)建物だけでなく前の道路がぜんぜん違う。
 ところで、笞刑について平凡社版『韓国歴史地図』には、「(日帝は)朝鮮笞刑令を公布して笞刑を復活させた」(p.163)とあるのみで、これが1920/4//1に廃止されたこと6)も、李朝時代の笞刑との違いにも触れていない。
 1923年に発表された金素雲の短篇小説「笞刑」には「笞打ち90回(1日30回で、3日がかり)」の判決を受けた70歳の老人が「控訴する」というのを、主人公の「私」(朝鮮の青年)が取り下げるように説得する話が書いてある7)。これは「日帝支配期」の話で、1919年「反日運動」のため作者が投獄されたときの体験に基づいている。看守が日本人で、気温計が華氏だというのが、ちょっと予想外だった。
 朝鮮史学はまだ50年、世界トップの水準に遅れているというのが読んだ印象である。「あるべきだった」姿と事実との区別がついていないし、資料の扱いがでたらめである。
 山辺健太郎がよい仕事をしていたことを再発見した6, 8)。
 韓国の大統領朴正煕についてこう書いてあるのを見つけた。「朴正煕、現大韓民国大統領、は<満州軍官学校>をでて日本の陸軍士官学校に留学、そして関東軍に配属されていた陸軍中尉高木正雄その人であり、日本帝国主義の中国侵略と朝鮮人民の抗日独立運動の弾圧に自らを投じていた」9)。編者の「朝鮮史研究会」はどうやら朝鮮総連系の団体のようである。
 10/16「産経」によると、前産経ソウル支局長の在宅起訴に伴い、韓国政府がネット規制を始めたことに野党が抗議して、ある有力議員が国会で「朴正煕(元大統領)時代の国民監視体制を(娘の)朴槿恵大統領が続けて行くと宣言した」と厳しく批判したという。
 韓国には「日帝協力者処罰法」があり、祖先が日帝の協力者であっても子孫が罪に問われる。親の犯罪が公然の秘密であっても、「漢河の奇跡」の再来を願う国民の支持により朴槿恵は大統領に選ばれたのだが、野党が騒ぎ出したら「反日法」で自分を処罰する(辞職する)しかないだろう。それが法治国家というものだ。
1) 山辺健太郎:『日本統治下の朝鮮』(岩波新書, 1971)
2) G.アキタ & B. パーマー:『日本の朝鮮統治を検証する:1910-1945』(草思社, 2013)
3) イサベラ・バード:『朝鮮紀行』(講談社学術文庫, 1998), p.49-50
4) 上掲書、p.554
5) イサベラ・バード:『イサベラ・バード、極東の旅1』(平凡社東洋文庫, 2005),p.162 & 174
6) 山辺健太郎:『日本統治下の朝鮮』(岩波新書, 1971)、巻末年表
7) 金素雲:「笞刑」、大村益夫・他編訳『朝鮮短篇小説選(上)』(岩波文庫, 1984)
8) 山辺健太郎:『日韓併合小史』(岩波文庫, 1966)
9) 朝鮮史研究会編:『朝鮮の歴史』(三省堂, 1974), p.255(蘭星会「満州国軍」からの引用)
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